日記・コラム・つぶやき

2017年9月10日 (日)

Xperia Z5 交換

2015年12月に入手したスマホの電池が膨らみ、外装の継ぎ目から内部がうかがえるカンジになったので、電池を交換しにドコモショップへ行ったら、電池交換じゃなく機器交換だといわれた。

現機器の前に所有していた初代Xperiaは電池交換だったので、今回も電池交換なのかなと思ったのだが、Z5は見た目通り開けられないつくりになっているらしい。

近頃、新機種を分解するのが趣味な集団が、Essential Phone PH-1の解体難易度は最高という評価を下したらしいが、そもそもショップで電池交換すらできない機器が横行している中で、そんな評価に意味があるのかと思いつつ、そんな感想を抱くのも、ユーザを抱き込むキャリアで過ごしているからかとも思う。

とくに移行するようなデータもないのだが、事前になんかできることがあるのならばとPCにバックアップを取るべく Xperia Companion とやらをインストールしてみたのだが、さっぱりなツールで、近頃とみに感じさせられているSONYへの失望感をさらに募らせる結果となった。

次に取った手が、スマホに Xperia Transfer をインストールするというもので、よく調べもせずに使ってみたら、現新機器がそろってないといかんの? という印象を得たので、新機器が手元に届くのを待って作業を開始することにした。新機器を自宅に郵送してもらって、自力で移行するのは初めてのことで、キットの内容がわからなかったからだ。ひょっとしたら移行用のケーブルとか同梱されているんじゃないかと考えちゃったわけだ。
実際には、郵送ブツには新機器しか梱包されておらず、クラウド経由の方法を選択するしかなかった。

やってみると現新機器がそろってないといけないということはなく、現機器でクラウドにアップロード、新機器でクラウドからダウンロードというやり方が選べる。

以下、今回作業の概略。

  1. Xperia Transferを用いて現機器でアップロード。データ量によると思われるが、俺環では1時間くらいかかった。
  2. 現機器からUIMを抜いて、新機器に挿す。
  3. 新機器の初期設定。この時、現機器にインストールしたアプリは、自動的に新機器にインストールされる(選択可)
  4. Xperia Transferを用いて新機器でダウンロード。俺環で2時間くらい。
  5. 必要に応じてアプリの引継ぎを行う(当環境ではFGOのみ、クラロワは不要。パズドラはもうやらないのでノータッチ)。このとき現機器にUIMを挿していなくても、設定済みなWifiに接続できるので、ネット接続が必要なアプリも起動するようだ。

以下、今回作業の所感。

  1. SONYは自社製品のハイソ感を演出するアプリを強制インストールするより、Xperia Companionがいらんツールであり、移行時にはXperia Transferを使えばいいことをわかりやすく明示すべきである。
  2. Wifiルータのキー入力をミスって、新機器のWifi接続にハマった。
  3. ドコモはmoperaのみの契約者をもっと考慮すべきである。APの接続ポイントがSPモードのみしかデフォルト登録されておらず、初期設定後に強制表示されるドコモのアプリ設定を進めようとすると4G接続できない。
  4. 3.のようなことがありながら必須っぽく設定を強制してくるドコモ関連のアプリはウザいので、初期設定をする気にもなれない。というか、インストールしないでください。削除しても再インストールを促そうとするのはやめてください。
  5. 移行を実体験して、おサイフケータイ系のサービスを利用する気がますますなくなった。
  6. SIMフリーを検討していたが、今回のような事例発生時の電池・機器交換を含めると、選択できる機種の幅とかで微妙な気もする。

2017年8月17日 (木)

二〇一七年、八の月

去年、今年と、信じがたいことが起きている。仕事でのことだ。

昨年は、この業界に入って初めてCOBOLに触れることになった。
おぞましい言語だった。

継続を望まれたが、その契約は打ち切った。こんなことが繰り返えされてはならないと契約先を変え、COBOLよりはマシとVB.NETの仕事に就いた。はずなのに、なぜかBasicをやることになった。三十年ぶりくらい。信じられない。

ハンディターミナルの実装で、これも人生初のことだが、カスタマイズBasicで動いているとは知らなかった。十五年くらい前に、駅の券売機がWindowsで動いていることを知ったときに似たような思いを抱いたかもしれない。
ひさしぶりに触れたBasicは、Mainをぐるぐる回すCの実装よりはおぞましい。なにせGOTOだ。しかしながら、全部大文字ではないぶんだけCOBOLよりおぞましくない。

昨今、日本のIT業界をでぃする記事に出くわす頻度が少なくない。
こんなにも身近に類例があるようでは、世間にも相当数の事例があることだろう。

2016年10月25日 (火)

スターウォーズ展 未来へつづく、創造のビジョン

宇都宮美術館というのは、T京大学の坂をさらに登りつめたどん詰まりに存在する。結構な広さの公園があって、駐車場から美術館までてくてく歩かされる施設だ。
なにかで一度か二度訪れた覚えがあるが、なんで訪れたかは覚えていない。

先日ふと目にしたポスターで、同美術館においてスターウォーズの企画展をやっていることを知り、チャンスをうかがっていた。

スターウォーズという作品が大好きというわけではないが、地元でやってるなら足を運んでやろうかという気になるくらいには好きだ。

内容としては、映像とアート、ガジェットの展示である。
映像はいちいち足を止めてみるし、LEDがちかちか光ってる大破したATウォーカー(近頃Twitterで見かけていいねしたシルフィードの電飾模型を手掛けた方の作らしい)とか以下同上だし、ライトセーバーの実物大模型とか以下略で、2時間くらい楽しんだ。

アートというのは、どういう関連がある人々が描いたものなのか不明だが、スターウォーズをモチーフとした二次作品的絵画である。劇中のシーンが描かれていたり、意匠的にアレンジしたり、サブキャラにフォーカスしてみたり、という具合。
展示会入口付近でルーカスの挨拶ビデオが流れており、その中に「Amano」という名をみかけてはてなと思えば、例のやっつけだがそれでもなんだかそれっぽいダースベーダ―を描いた氏の絵が展示されていた。
アート作品の中では『Regrets』と名付けられた作品が印象的であった。雨に打たれるベーダ―卿のマスク、という構図である。

いろいろとグッズも売っていて、スマホのケースでもあれば買おうかなーと思ったりもしたが、やっぱりというかiPhone6用しかなくしかも17000えんぷらすしょうひぜいみたいな値段だったのでスルー。『フォースの覚醒』版のX-Wingトミカとか、スターウォーズ スター・カーズとかに食指が伸びたが、ガガンガンがすでに放置状態なのでこれもスルーした。
展示されていたヨーダのライトセイバー複製品が売ってれば買ってしまったかもしれない。

ちなみに美術館付属のレストランでは企画ランチが具されており、ベーダ―卿のマスクを象ったチョコを乗せたショコラが販売されている。
同じものを続けて食べられなくなってしまった昨今、ランチの厚切りベーコン二枚にはかなり食傷させられた。パンではなくライスを選んでいればまた違ったかもしれない。

2016年6月24日 (金)

わがせいしゅんのくろれきし

気になることがあって、25年前くらいの落書き帳を発掘することになった。

黒歴史とはよくいったもので、かつて自分の落書きについてそこまでは思ったことはなかったのだが、ずいぶんと久しぶりに見てみれば、まごうことなきそれであった。

気分は神魔姓を受け入れがたくのたうちまわる朝霧ダンのごとく。

見るに耐えぬものもあればそうでないものもあり、だんだんと見慣れてきたせいか、そのときどきに読んでいたあれこれが思い出される。影響を受けたものが絵柄に反映されているわけだ。

ボルドーとかエルデガインとかセイバーキャッツとかTo-yとか。似せるとかそういうのでなく、諸作家の特徴的ななにかを模倣しようとしている風。

一人で悶えているのもなんなので、ひとつ、公開しようと思う。

01

大学時代、ギルドと名のつくサークルに所属していた。
この絵の中で万人がああと思うであろう特徴的なキャラ、すなわちジブリのナニっぽいアレは、そのサークルの初代ヲサを示している。
ヲサの背後で銃のようなスタンドを頭に突き付けているのは、いまはしゃちょー、かつては閣下と呼ばれた男である。
ヲサの鉤爪に鷲掴みにされている、なにやら羽のついた兜をつけているメガネ氏との対照をみればわかるように、ヲサは閣下へは手出しをせぬ男だったが、へらへらと笑う羽兜の人物には手出しをする男だった。もちろん、手出しをされるような要因がなかったわけではない。
そうしてじゃれあっている三者へバイクらしきものでダイブしているのは誰だろう。当時、RZ250Rに乗っていたなあ。

これは普段の絵柄ではない。なにを思って描いたのかも覚えていないが、なにも考えずに描いたのだろう。
バイクの絵がまあまあうまく描けたから、そこだけペン入れしてみたのかもしれない。


もう一つ。

02

あの頃信者であったという自覚はない。CDのジャケットか雑誌かなんかに載ってた写真を見て描いたのだと思う。こんなこと滅多にしないので、よほどイカした写真だったのだと思う。
これも普段の絵柄ではないので、気恥ずかしくない。

こういうのが何冊もある。講義ノートのようなタイトルが記してあるノートが、TRPGのシナリオノートだったりする。
なかなか処分できないものだ。誰かが拾って見たと妄想するだけで死ねる。

2016年6月13日 (月)

その後のCOBOL

オープン系のみという口約束は順当に無視され、Pro*COBOLからCOBOL、つまりはメインフレームというモノをいじることになった。

20年前すでに遠くない未来に消え失せるといわれていた技術がなぜいまだに残っているか。

その謎を解くためにいろいろと検索してみたが、強い説得力があると思えたものはただ一つ、リプレイスできないから、ということだけだった。

COBOLがいかにすぐれているか、メインフレームがなぜ家庭に流布しなかったかを説く論なんかにも巡り合ったが、まあネタであろう。
前者については数値型の扱いについてのみそうなんだろうねと肯きつつも、ゆるゆるな型定義で実装していたり、DB2をシーケンシャルファイルのように運用していたりする例を見てしまえば、所詮は設計次第であり、実装次第であろうということになり、特に優れた利点というわけでもないと思える。後者についてマジレスすれば、ン千万もする役立たずを家庭で所有できるもの好きはごく少数であろうということだ。メインフレームの利点として堅牢性があげられているが、タイムシェアリングいう仕組みはすげー弱点にもなりえるし、ン千万もするんだからPCサーバの何倍かは堅牢であらねばなるまい。これもまた、リプレイスできないからという現実を美辞麗句で包もうとしたとしか見えない。

COBOLのプログラミングは楽しくない。メインフレーム上だともっと楽しくない。
プログラマがSEという幻想の上級職へのクラスチェンジを目指したのもうなずける。うまくいっても評価されず、より多くのスタックを積まれるのがプログラマの報酬だ。SEならば評価はもう少しましな実利になろう。

どんなつまらないものでも得るところはあるもので、資産に見合った開発現場というものもあって、人生で初めてわりとまともにウォーターフォールを経験することになった。もちろん、世間一般的な、逆流するウォーターフォールである。コンピュータがマジでタイムシェアリングシステムだった時代に、社員を遊ばせておかないためにひねりだした手法が、とりかえしがつかないくらい流布してしまって権威をもつにいたってしまったんじゃないかと疑える、QWERTYのようなシロモノだ。
上流から流れてくる水はひどく濁っているのだが、下流がそれを濾すコストは見込まれていない。ので、上流に水を運んで行くと濁りが増して、再び濾すことになる。上流から汲みにくることはない。濁りが残っていると文句をつける。どのへんでコストが発生しているか理解していない。全部下流が悪い。

老害というものも、業界内の技術的見地では初めて体験した。COBOL本位制だ。COBOLができなければ人にあらず。
MSアクセスのフォーカス制御がわからないといって質問されたときのこと。ある処理をしたらテキストボックスにフォーカスするというものだが、どうやってフォームを作ったかによって、また相手の技術力によって説明難易度が異なるため即答を避けたら、よりにもよってCOBOLだったらこんなこと簡単にできるとぬかしやがった。プチ切れてCOBOLってのは画面スクロールできるんですがと尋ねたらできないとのたまって黙った。
COBOL=メインフレームというガイネンしかもたない技術者もどきがSEを気取っていたのがこの三十年なんだろう。
あるいは、嫌COBOLが技術を発展させたのかもしれない。

技術者不足だからというだけではなかろうが、義務教育でプログラミングが必須になるという。
技術者不足ではなく技術に見合った報酬を出さないだけだとどこかで見たが、それは強くうなずけるところだ。単価を惜しむ相手に対しては、単価に応じて能力を出し惜しみしたくなる。

2016年4月18日 (月)

COBOLを読むことになった日

Javaの仕事を希望していたのに、なんでかCOBOLを読むことになった。COBOLは未経験だと言っていたのに、そういうことになった。このご時世に、COBOLが読めないことがまるで欠点であるかのような言われようをして、なお読むことになった。

WebのUIからシェルスクリプトがキックされて、シェルスクリプトがPro*COBOLのプログラムを実行する、らしい。
Pro*COBOLのプログラムはOracleのDBからデータを取得し、加工して生成する。その生成物は、たぶんシェルスクリプトがクライアントから参照可能な場所にファイル出力している。この辺の機器構成は公開されなかった。
WebのUIはその後、クライアントに配置されたマクロを自動実行するエクセルファイルを開き、クライアントに配置されたバッチファイルを実行する。バッチファイルはFTPで先のファイルをサーバからクライアントに転送し、エクセルはそのファイルを読んで内容を表示する。

なんとも煩雑な仕組みだが、コストをかけないことを最優先要求としてイントラネットの社内ツールを設計すると、20年くらい前ならばこんなカンジになるのかもしれない。

いつものとおり、仕様書はないが変更仕様書は書け、という仕事だ。公開されたのはCOBOLのソースとエクセルファイル、概要レベルのフローチャートとDBのテーブル定義書だけである。エクセルのVBAがOracleのVIEWを参照しているのだが、VIEWの一覧は存在しないらしい。VIEWの定義書は不要だが、それに機能名が書かれていれば、一覧が助けになることがある。ID的なものでなにもかも命名され、ソースファイル内のコメント濃度が希薄な場合には特に。

Pro*なんとかとかOracleとか、触るのは20年ぶりくらいになる。20年ぶりに触ったOracle関係のあれやこれやはユーザ視点では相変わらず不愛想なカンジだ。なじみの薄いあれこれだからという理由だけではない、不愛想さだ。

問題のCOBOLプログラムといえば、読み始めて二日が経過したが、とても気持ち悪いという実感が強い。変数がすべてグローバルというのがその最たるものだ。
ドヤ顔でCOBOLの仕事を渡してくるのだから、さぞかし優れたCOBOL開発環境があるのかと思いきや、テキストエディタで読んでいくしかないらしい。2000行くらい、あっちこっちに行かねばならない。そんなのが二つ。
脳内にポインタを差し込んで根性で保持しているようなカンジ。慣れない文法に疲れるとかじゃなくて、気持ち悪くなるカンジ。たぶん、グローバル変数使いまくりな出来の悪いソースを見ているときに感じるなにかだと思うが、COBOLはこれがスタンダードらしいのでしかたない。
グローバル変数は嫌いだが、心底嫌いというわけではない。世の中には心底嫌いだということが滲み出ている方もいらっしゃって、なんでだろうと思っていたのだが、COBOLの経験がそうさせたのかもしれないと思うようになった。

この業界に足を踏み入れたころ、およそ20年前のことになるが、COBOLは遠からず廃れる技術であると言われていた。10年ほど前だったか、都内の電車内で株式会社COBOLの広告を見かけて、需要尽きずという印象を抱いた。
未だに資産が底をつかないというのは、すごいというべきなのか、あきれるべきなのか。

2016年1月26日 (火)

美術館 『学芸員を展示する』

通勤路で見かけたポスターが気になり、足を運んでみることにした。
Photo

学芸員の仕事についてはすでになにかで見知っている。映像によるドキュメンタリーだったか、活字によるものだったか、漫画であったかは覚えていない。
ゆえに、特に新たになにかを知りたいという動機ではなく、ポスターの意匠に触発されたということになろう。

学芸員のというよりは、美術館長の功績展示という印象が強めだったが、よい刺激を受けることができた。アンディ・ゴールズワージーという人の作品は、TRPGを現役で遊んでいたらきっとネタにしたであろう。

もっとも面白かったものは『美術館すごろく ―展覧会ができるまで ―』(画像は同企画の『鑑賞ガイド』より)という展示と、美術館内の売店で販売されていた美術館の政治学とかなんとかいう書籍である。
2
道場の子たちと話をすると、たまに将来に就きたい職業の話題になることがある。そんなとき、無邪気に「介護師」と聞かされると、ピアニッシモにネガティブな意見を発するものだが、これからは「学芸員」と聞かされたときにもそれなりに厳しそうな力学が働く職業であるようだと発することになるだろう。

余談だが、同売店には江口寿を特集したムック本と浦沢直樹のムック本が売られていた。
以前ならば飛びついていたであろう本をチラ見して立ち去ってしまうほどに漫画的なものから興味が失われているのだなと追認した。

2015年12月28日 (月)

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を見てきた日のこと

予定していたその日、なぜか徹夜してしまった。やべえ観てる間に寝ちまうとか思いつつも寝付けず、しかたないのでオメガラビリンスしながら夜を明かした。飽きたとかいいながら遊び続けているのは、『ペルソナ4 The Golden』にイマイチのめりこめないからだ。

そして朝。冬の早朝、バイクのエンジンがかかりが悪いのは毎年のこと、近頃また調子が悪くなっていたが、夜間、シートをかぶせておけば具合がよかったので、バッテリーの充電を先延ばしにしていたのがまずかった。
9:00からのを観るつもりがエンジンかからず、次の回を見送るハメになって充電することにした。NC700は押しがけ不可能なのである。

時は11:00。充電開始時点で残量25%で、すぐ50%になったが、結局満タンまで5時間くらいかかった。というか、使ってる充電器はバッテリーの種類別に設定を切り替える仕組みになっており、マニュアルによればバイク用は満了まで5時間が目安とされている。充電が完了したら完了ランプが点灯するというのだが、完了したら点灯ではなく、5時間経ったら点灯なんじゃないかとと思ったり思わなかったり。
この間、オメガラビリンスが異様にはかどってしまったわけだが、丹精込めて育てた聖女の盾+10が、敵にはじきとばされて他の敵に衝突してダメージとなって消えてしまったので、もうやらないかもしれない。

というわけで、17:00の回を観ることになる。
近頃映画館はとんと足が遠のいていて、シネコンなんぞは数回しか行ったことがない。仕組みもよくわかっておらず、一つのタイトルをいくつものスクリーンでやっているというのは知っていたものの、同じタイトルでも上映方法が異なるものが存在することは知らなかった。昔ながらの字幕/吹き替えではなく、4Dだとか3D字幕/吹き替えとか3Dなし字幕とか。3Dなし字幕がよかったのだが、時間があわなかったので3D吹き替えにする。

眼鏡かけているので3Dはどうかなと思っていたのだが、イマドキの3Dメガネは眼鏡着用者を考慮された作りになっているようで、ちと目が疲れる以外は大きな問題はなく。なんだかしらんが、赤青の3Dメガネの印象でおりました。
一方、17:00上映開始といいながら、20分ほどCMを観させられるのが大きな問題で、そういえばもう映画なんか行かねえと最後に思った時も、これが原因だったように思う。20分間、眠気と戦うことを強いられてしまった。


『スター・ウォーズ』は大ファンというわけではないが、もう行かねえという思いを覆される(あるいは忘れてただけか)ほどには、続編があれば観る気になるくらいには興味がある。エピソード1の時もそうで、クワイ・ゴン・ジンやダースモールにはしびれたが、お話がアレだったので劇場では2、3を見ることはなかった。
お話ではなくライトセイバーを目的にしていることは自覚していたのだが、スピーダー的なものにも刺激されることに、今回新たに気づいた。思えば、とくにバイク漫画が好きとかレースが好きとかいうわけではないのにバイクに乗るようになったのは、森林を駆け抜けるスピーダーの映像が原点なのかもしれない。加速狂だったし。


さて、この映画、情報管制に非常に気を使っていたようで。
監督がとあるインタビューにて曰く、イマドキの映画鑑賞というのは、事前に知った情報の答え合わせをしに劇場に行くようである、このようなことは、この作品では起こらないように気をつけた、ということだった。
東京新聞がやらかしたことが話題になっていて、怒り心頭な方々もいたようだ。読まなきゃいいだけなのにと思うのだが、一目でわかるようなネタばれをしたのだろうか。
個人的には、事前にネタばれされてもあんまり気にならないほうだが、監督の言葉を尊重し、念には念を入れて、検索は上映館および時間のみにとどめていた。G-Mailは『スター・ウォーズ』仕様にしたけどね!


(以下、ネタばれというほどのことは記していないつもりだが、他者の個人的感想が視聴の邪魔になると思われるならば読まないでいただきたい)


今回の赤いライトセイバーは自傷してしまいそうな位置にも光剣が出てて、シリーズの最後はそうなるにしてもたぶん最初はきっと鍔迫り合いで見せ場があるんだろうと事前には妄想していた。最後について云々は今後のこととして、まあ、妄想通りではあった。
というか、ライトセイバーって結局、フォースとは無縁の道具ということになったのか? それとも?な展開が用意されているのだろうか。

今回の敵役はイマイチ押しが弱いように思う。なんとなくハリポタを見てるような気にさせられる。ヴォルデモートと愉快なしもべたちなカンジ。

殺陣もイマイチで、あるいはわざとなのかもしれないが、全体的にエピソード4のオマージュ、という印象が強い。
フォースの見せ方は一部個人的には目新しいものがあって、それが冒頭だったもんで、眠気も吹っ飛んだ。フォースがボイスっぽい働きを見せていたかどうか記憶になく、そういえばあったようなというカンジで、過去作品を見直さねばならぬと思う。

X-WINGがカッコいいのは当然として、リファインされてなおよくなった。
タイファイターもいい。タイファイターのコックピットに乗っている人物は映っていても、タイファイター主観の戦闘というものがこれまでになかったせいだろうか、これまでに感じたことのない魅力を感じる。
これまでのスケール感として、X-WINGの方がタイファイターより大きいという印象だったが、今回はX-WINGにVガンダム時代のMS的な、タイファイターに旧世代のMS的なスケール感がある。
そしてミレニアム・ファルコン号。頑丈すぎw さすが宇宙船w


総括。
この映画の悪い点は二つ。
プロローグの前にルフィの映像を見せられること。わけわかんね。
そして、エンディングロールのあとの、Bad Robotsのクレジット映像。エンディングロールのあとにオマケでもあるのかと思ったら・・・最後のシーンとなんとなくつながる出だしだったし・・・ちょっとダイナシなカンジ。

2015年12月 8日 (火)

Xperia Z5 Compact とか PS Vita とか。

Xperia SO-01B を手に入れたての頃は、普段はやらない音楽の聴き歩き――当時はCiv4をやっていてBaba Yetuを聞きまくっていた――をしてみたり、Eclipse で遊んでみたりしたものだった。

故障して機器交換となって、熱が冷めた。冷めてしまえばスマホは使いづらい電話でしかない。機種変更と契約更新の狭間で嫌な思いをしてネガティブになってしまえばなおさらに。

ようやく換えた機器はそりゃもうよく動いて、初代機を手に入れた頃の熱をじんわりと思い出すにいたった。
わりと身近なニーズからAndroidの開発動向を気にすることになったり、個人に毛が生えたくらいの規模で無理なくクラウドするにはどんなサービスが便利なのか調べ出したり。具体的には、これまで登録したきりとなっていた Twitter や Facebook を少しずついじってみることに。
近頃のGoogle ドキュメントはえらい便利になっているようで、数年前に使ったときには使いにくいエクセルとしか思えなかったスプレッドシートやらなんやらから Googleコンタクトがいじれるようになっているとか。
こういったサービスの利用は、コスト出し渋りのクライアント向けの提案材料になりそうだ。きっとこの熱も故障して初期化とあいなるまでのことなんだろうが、いましばしは緩く続くであろう。


PS Vitaは。
今のところ『オメガラビリンス』専用機である。

売りの部分はけっこう飽きが来てるが、自分でも驚くほどローグ部分にはハマっている。さほど思い入れはないと思い込んでいたが、思い返してみればトルネコでもそれなりに猿になっていたかもしれない。ほどほどに蹂躙できているうちは遊べそうだ。

予約してまで買ったゲームはWoW以来で、しかも特典付きとなると我ながら激レアな事態である。 そんなわけで、たとえ瞬間最大風速であってもランキングの頂点に達したのは嬉しいものだ。

2014年9月23日 (火)

読物 『明日は、いずこの空の下』

ル・グィン的な味わいを堪能させていただいた『守人』シリーズで追い始め、『獣の奏者』でちとアレとなり熱心に追わなくなってしまったが、なんだかふと読みたくなり、新作とともにこのエッセイ集の存在を知った。

すべてを『守人』に注いだのだなあと思わせた。

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