グルメ・クッキング

2011年11月 1日 (火)

私的炒飯考

手製炒飯は上手くできたり出来なかったりするものだが、おおよそ結果は事前準備をぬかりなく行っていたかどうかに依存する。

ご飯をよそっておく。
卵を割っておく。
投入する具材を並べておく。
一つでも欠けていると焼きめし風なナニカになる。
あとはまあ火力。
しくじっても、中華あじと塩胡椒を使っておけば食えるナニカになる。
先日、市販の瓶詰め刻みニンニクを投入してみたらいい味になった。

最近、やたらとニンニクが食べたくなる。
ラーメン屋でもニンニクトッピング、パスタはペペロンチーノ。実家で料理するときはニンニクの素揚げ。
なんだろ。

2010年10月 5日 (火)

土鍋で炊飯

結論からいうと、ものすごい幸せを感じてしまった。
そういうことなのである。

我が独居には電子炊飯ジャーはない。
というか、食器もまともにない。小どんぶり一つ、皿一枚、スプーンとフォークと箸がそれぞれ一つ。湯のみが一つ、マグが一つ、グラスが一つ。箸だけが高級品で、母がくれた漆塗箸で2k級。
食生活が未設計だったため、実家から最小限の持ち出しとした。

独居開始から一ヶ月のあいだに必要に応じて揃えた調理器具は、手鍋が一つ、おたまが一つ、包丁、まな板が一組。調味料は、塩、砂糖、胡椒、コンソメ、味噌、こんぶだし。どうでもいいが、砂糖は使っていない。
作った料理はスープとうどんのみ。
日々、白米を食していないわけではないが、ある日、唐突に、飯を炊きたくなった。

炊飯器を買うか?

そういえば、近頃、土鍋で飯を炊くとうまいという話を聞いた。

そうだ、土鍋にしよう。

普段はDIY店で食器などを買うのにためらいはないが、土鍋となると、陶器を専門に扱う店がいいのではないかなどという思いがもたげたりする。ミーハーだ。

とりあえず最寄りのDIY店で物色することにする。
そこで、炊飯用の土鍋を見つけてしまった。見つけてしまったのだ。

土鍋は汎用性の高い道具だ。
が、炊飯用はどうだろう。

若干の迷いはあったものの、他と比較しているうちに初心を思い出し、炊飯専用でよしとする。逆も真なり、やろうと思えば転用は可能だ。

帰宅後、早速試す。
米を研いで30分水に浸す。計量カップもこの機に手に入れたが、無洗米とそうでないものは扱いが若干異なるらしい。
一合は10分程度中火にかける。10分待たずとも沸騰したら火を止めよというが、よくわからない。おそるおそる10分待ち、火を止める。15分蒸らす。

Civ4BtSをやりながら待つ。
隣国のワシントン国を蹂躙し、オラニエ公国を滅ぼし、今はラグネルと遊んでいる。余談だが、皇子レベル。

その昔、梅雨時に一週間部屋を開けた男がいた。なにやら夜間就寝中、「××ちゃんがしんだの~」とかケタケタ笑う女の声を耳元で聞いて、方替えに友人宅を転々としていた。
耳元に聞いた声が幻聴か別のナニかはともかく、呪いは確かにあった。炊飯器にセットしたままのコメが菌色に染まっていたというのである。

そんなカンジで、びびりながら蓋を開けてみる。
うまそうなにおい。お焦げの香りもする。

焦げといえば、電子炊飯器が生成する、水垢のような茶色っぽいぬるぬるはそれであると、幼少時に教えられた。釜の飯を経験した世代である父母もまた、それを説明するのに難を極めたことだろう。おそらくは何も考えずに「焦げ」であると説明したに違いないが、つまり「ご飯の焦げとは食う気にならないシロモノ」であると刷り込まれたわけだ。

その後、飯盒炊爨を実体験するまで、この情報は更新されなかった。「お焦げ」とは魅惑的な味わいのあるものであることを知らなかったのである。もっとも、初めての飯盒炊爨は焦げまくりで、いささかできすぎではあったのだが、それでも焦げの印象は改まった。

軽く焦げのついた一合の白米に、職場でもらった「食べるラー油型新商品」(生姜系)と、肉入りの汁を具す。
いろいろとある日本国だが、このときばかりは、日本人に生まれてよかったと思うのだ。
卵とか納豆とか買ってこよう。

2010年10月 3日 (日)

参鶏湯を食す

鳥のレシピを探していたら、参鶏湯というものに巡り会った。一年くらい前のことだろうか。
ふむ、と読み進めるが、ちょっと気合いをいれないといかん類のレシピであり、自作は断念した。

知ってしばらく経った頃、わりと近辺に食べさせる店を見出した。参鶏湯がウリらしい。でかでかと看板に書いてある。
近いうちに挑戦しようと思えど、なんとなくタイミングを逸し続け、先日、ついに果たしてきた。

2600円という単価は一人前とは思えない。一人で完食できるものかと問えば、是という。
ならば食べねばなるまい。

薬膳らしい。
高麗人参、銀杏、干しナツメ、栗、松の実が入っていたように思う。それに、わたをぬいて餅米をつめた鶏。骨つき。軟骨がうめぇんだよ、軟骨がぁ。

鶏が大好きならば一人で食べきれるだろうが、そうでもないなら2~3人で分けた方が無難であろう。スパイシーな味付けで、土用の鰻と同じように夏に食べてもいいらしいが、夏に食べなくて正解といわざるを得ない。
鶏が大好きなので問題なく食べきった。食べた直後は二度目はないかなwとか思ったが、また食べたいと思わなくもない。

2009年9月 3日 (木)

神の供物その2

 何故にと問う。故にと答える。だが、人が言葉を得てより以来、問いに見合う答えなどないのだ。問いが剣か、答えが盾か。
 クッキング――
 この、危険な道楽が、これこそがこの世に似合うのか。

 今回『ゴマダンゴ』

 夢ちゃんが「けっこう大変」というだけのことはある。


 こねる。ひたすらこねる。練る。練りまくる。
 なんでこんなことはじめちまったんだろうという念が来ては去る。
 白玉粉のつぶをすりつぶす作業は話に聞く鉄砂掌の修業を思わせ、明らかに鍛えられていく筋肉の感覚と逃避できぬ現実から萌芽した哲学はいつしか料理の神との交信を阻害し、へひぃとかけくっとか叫ぶ神そしてアストラギウス銀河の神と混信していたように思う。
 知らず三昧の境地きたりてはや一刻、できたてを食して賛美の言葉を思い出す。うまい。

 さすがに買いもとめたこしあんが余りまくり、なにも考えず暇つぶしにはじめて手荷物を、やがてはバンクを圧迫してやめるにやめられなくなったNorrath世界での料理をふと、思い出した。

2009年7月28日 (火)

神の供物

神に捧げられた信者のレシピ。

a.白味噌 50g
b.牛乳少量
c.卵  大3個
d.砂糖 120g
e.薄力粉 120g
f.バター 120g

1.a.b.を混ぜる。(味噌牛乳)
2.e.はふるっておく。(薄力粉)
3.f.は溶かしておく。(溶かしバター)
4.c.を白っぽくなるまで混ぜ、d.を2~3回に分けて投入する。(溶き卵+砂糖)
5.4.に1.を混ぜる。(溶き卵+味噌牛乳)
6.5.にe.とf.を混ぜる。(卵味噌牛乳+薄力粉+溶かしバター)
7.型にバターを塗り、6.を投入。170度に予熱したオーブンで、170度で30~40分焼く。

その名を「お味噌ケーキ」という。
うまい。

菓子作りには手を染めぬと誓っていた。
含有するアレとかコレとかの量を体感してしまえば、きっと冷静に摂取できなくなってしまうだろうから。

知っていることとできることは別物であるという。
知識それ自体は情報に過ぎない。インテリジェンスに置換できたときに情報の価値が決まる。
知っていることとは確かに別物であった。
山盛りの糖分と脂肪の塊を目の当たりにすることは。

さておき。
うまかったのだが、気になる点がひとつ。膨らむはずが膨らまず、パンケーキないしはマドレーヌ風になる思惑が、家人をしてチーズケーキといわしめる出来栄えとなった。
いろいろ調べてみたら、オーブンの設定温度はレシピより20~30度低めにするのがよいとか。再度試したところ、焼き加減は一度目よりよいがやはり膨らまず。
型が大きすぎるのかもしれない。

2009年6月15日 (月)

弁当 「コーラ煮」

コーラ煮というものを初めて作ったのはリア厨の頃、たしか豚肉を紐でしばいて煮た覚えがある。チャーシュー的なものを目的としたように思うが、劇甘なシロモノができあがった。
以来鬼門と化し、現在に至る。

そろそろ解禁かと、此度挑んだのは経典のレシピで、『ヤング肉じゃが』というものである。
手羽先を塩胡椒してグリルで焼き、じゃがいもと肉を塩とコーラで煮る。手順は至って簡単だが、時間はかかる。
できあがり時点でやや甘く、数時間してほどほどに甘く、翌朝では甘さはあまり感じられない。経典にしたがって煮るならば芋は大きめに切ってもOK、というか大き目がよさげ。
また作るかと問われれば微妙。

甘味は好きだが、甘い料理は好きではないらしい。

経典よりまた『アジ御飯』にトライ。
博多の節句の料理らしい。炊いた御飯に、別途調理した煮魚をほぐして投入するというもので、他にも応用が利くと思われる。
味はよかったが、小骨の除去がテキトーだったため、そのぶん食感がイマイチ。自ら調理し自ら食すぶんには許せるが、他者が作ったのなら許せないかもしれない。

フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック