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2016年7月

2016年7月18日 (月)

読物 『妖祭物語』

かつてはDや十六夜京也、秋せつらを愛したものだった。
だが、今となっては再読したいと思えるのは『妖神グルメ』や本作品なのである。

数年前にトレジャーハンターシリーズを再読した。伝説となった上中下完結編123で切ったシリーズだが、『怪猫伝』『魔界航路』『妖山記』なんかは今でも愛してやまない。再読を機に、伝説後の作品を読んみたが、もうダメだった。主人公が無双すぎるのでハンデを背負わせてみたけれど、三重苦なのにそれがハンデになってない某作品のごとく、虚飾にしかなっていない。

昔のならいけるじゃん?と『魔王伝』を読みなおしてみたが、これはダメだった。かつてはあれほど愛したというのに。
もう、物語のなげっぷりが容赦なく、当時これを許容できたことは幸せだったのだと思う。

ゆえに、ぽこち君と内原富手夫なのである。
なにも考えずに気楽に読めて、菊地節を堪能できる。氏の作品で、こういうの、他にあったかな。


アニメ 『文豪ストレイドッグス』

2016年4月期はけっこうアニメを見たが、これは選択肢に入らなかった。
原作作品を知らないからという理由ではない。同時期に見ていた他の作品もどういうものなのかよく知らずに選択したものもあるので、単に巡りあわせであろう。
CMを目にして気にはなっていた。一話を見逃したので諦めていたのだが、プライムビデオに並んでたので見ることにした。

面白かったが、なにかにつけ、なんだかどこかで見たことがあるような気がすると思わせる不思議な印象だ。
作品がもとからもっているものなのか、アニメ制作陣の遊びが故か、不明である。

原作つきのアニメ化作品ならば、オリジナル挿話をさしはさんでだらだらと放映されるよりも、シーズンうんちゃらで区切った方がいろいろといいのだろうと思いはすれど、半端なところで途切れていると、見なきゃよかったとも思う。この印象も、これに限ったことではない。近頃だと『学戦都市アスタリスク』に似たような感想を持った。

いずれも、機会があれば続きを見るであろう。
お話と演出にはちとアレな印象があるが、絵はきれいだし、丁寧に作られていると思う。

2016年7月16日 (土)

Fire タブレット

Prime Dayで安売りしていたので買ってしまった。
安売り版は広告ウザいとかいう評判を知っていたが、どうにもなじみたくないデバイスであるタブレットになじむよい機会であろうととらえ、買うことにしてしまった。

まあ、広告はウザい。電源入れたときスクリーンロックとして表示されるカンジだが、これが解除されるのに数秒ではあろうが待たされる。Kindleそのものもそうだが、使おうと思ったとき発生する待ちにはなんだか気がそがれる。PS3とかVitaにも強く感じることなのだが、これが今時のスタンダードなのか。

Amazonで買った電子書籍は当初PCで読んでいた。Kindleを手に入れようと考えていろいろ調べているうちにめんどくさくなったためだ。その後Androidスマートフォンで読むようになった。存外快適なものだが、目が疲れていると難読である。

Kindleは確かに見やすい。購入した書籍のダウンロードに失敗するとか、読み始めるときいちいち待たされるとか、便利になったが故の新たな煩雑さを感じることもしばしばではあるが、専用端末というのも悪くはない。専用端末である必要もないが。

使い始めて間もなく、あまり熱心に使っていない。
昔の漫画をちまちま買って読んでるくらい。

使う前から思っていたことだが、実機を使ってみて再確認した。
蔵書するなら電子版だが、読むならやっぱり紙の本がいい。

2016年7月 8日 (金)

TV 『SWITCHインタビュー 「片桐はいり×甲野善紀」』

甲野善紀氏のいうことは、よくわからなかった。
なんだか響くけれども、なんだかよくわからない。

久々にTVで氏を拝見して、おっしゃることごとが前よりもちょっとわかった気になった。
当方がなにかを身につけたからなのか、氏の言葉がわかりやすくなったのか、いずれが原因かは定かではない。

実演してみせてくださることごとも、前よりもわかる気がする。
わかりやすい例が示されたのか、実感するところがあるからなのか、定かではない。

一時期よく氏の書を読んでは首を傾げていたものだが、今ならよりよく理解できるのかもしれない。

2016年7月 6日 (水)

読物 『人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない』

COBOLでオフコンな、内部設計に特異点を配するうぉーたーふぉーるな環境に身を置いたせいで、人生で初めてプログラム開発はつまらないと思うようになってしまった。

ひとはなぜこんなにもうぉーたーふぉーるのじゅばくからのがれられないのか。

そんなことを日々考えているうちに、読もうと思って忘れてた本を思い出した。
違った。読んだことを完全に忘却していた本を、初読のつもりで再読してしまった。まるで初読のように。


1975年刊。1995年、1975年版を総括する内容の新装版が刊行された。
人月は幻想であること、ウォータフォールはおかしいことが述べられている。

人月(にんげつ)とは工数すなわち人x月(時間)で表現される作業単位のことで、このように表現するからには人と月(時間)は交換できなくてはならない。だが、実際は交換できない。人が増えれば効率が上がるというものではない。途中参加となればなおさら。通常は失敗するアレ、戦力の逐次投入というやつだ。

この本がどれだけの人に読まれているのかわからないが、発刊から、すなわち少なくとも一つはおおっぴらに問題点を指摘されてから40年以上を経てなお、逃れられない呪縛がある。

ウォーターフォールは工程を遡らない開発手法だ。ひとつひとつの工程が完璧にこなされるから戻る必要はないというものであり、下流の工程でおかしなことになったのなら、それは下流のせい、という手法らしい。

上流にいる人はきっとエリートばかりだったんだろう。どう考えてもおかしいことに、みんな目をつぶっていたんだ。ボスが経費といえば高級ホテルの宿泊費も公費で落ちるんだ。

今の環境でいうなら、外部設計と内部設計のあいだにある滝はひどく高低差があり、外部設計が穿つ淵は深くよどんでいる。不明点の質問というレベルではなく、明らかに足りないものをQAの過程で埋めていっている。となればこれは内部設計ではなく事前調査か外部設計のレビューといわれるべきものになろう。しかし、外部設計のやり直しにはならない。外部設計の工数がないからだlol

外部設計の精度はひどく悪いのに、内部設計にはプログラムの実装まで書けという。ここまでするなら内部設計は不要であろう。開発工程とやらはコピペするだけとなる。
COBOLに対するあれこれをなんとかするためにいろいろあたって、「誰が書いても同じになるCOBOL」という言葉を学んだ。これを実現することはきっと容易ではないのだろう。でなければ、ドキュメントにコードを書けなどというはずがない。コピペするだけだから同じになるわけだ。

社会人になってはじめて不審を覚えた仕事の仕組みはスケジュールというやつだ。
何十本というプログラムの開発に自分の名前が書いてあり、日程的に重複している。一日ずつずれているのはお情けか、コピペじゃないことをしめす小細工か。こうやれば実現できるではなく、これで実現しろ、がスケジュールというやつだ。軍服に身体を合わせろというやつだ。

まともな開発手法に触れることなくこれまでやってきてしまって、というのも火消とか仕様書のない仕事ばかりをやってきたからだが、ようやく触れたウォーターフォールは、もとはどうであったにせよ、歪みに歪んでしまったシロモノだった。
「みんなでレビューしたから、みんな文句言わないでね☆」という官僚主義的な側面と、内部設計は外注だからコキ使えというハラスメントのコラボレーションというところか。


古すぎてなにかなと思うところも少なからずあったが、本書で提示されている問題の多くはマシにはなっているにせよ解決には至っていない。
本書は、問題は開発サイドにあるとしている。ソフトウェア工学や組織学といえるものだ。問題のとらえ方にあいまいな点がなきにしもあらずと思うのは、個人的には、顧客ありきのシステムの場合、顧客自身が自身の仕事の実態を知らないこと、どのようなソリューションがなされるべきかビジョンをもっていないことを経験から得ているためである。
顧客から聞き出すのが仕事だろという話だが、外部設計と内部設計のように、顧客とシステム屋の間にも、ものすごい高低差やよどみがある。

本書で一つ、おもしろい表現があった。
技術の中にはわくわくするものとそうでないものがあり、それを一覧にしていて、わくわくしないものの中にCOBOLがまじっていたことである。


2016年7月 1日 (金)

アニメ 『甲鉄城のカバネリ』

誰かが言っていた。一応まとまってはいるけど何も残らない終わり方だったな、と。

その通りだ。

義手とパイルバンカーしかない。男の魂に足りないものが二つもある。
ドリルとローラーダッシュがあれば完璧だった。

さておき。
おいしいものをいろいろ掻き集めてムダ遣いした感が強い。ああ、振出しに戻ってしまった。
面白かったけどね。

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