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2016年6月13日 (月)

その後のCOBOL

オープン系のみという口約束は順当に無視され、Pro*COBOLからCOBOL、つまりはメインフレームというモノをいじることになった。

20年前すでに遠くない未来に消え失せるといわれていた技術がなぜいまだに残っているか。

その謎を解くためにいろいろと検索してみたが、強い説得力があると思えたものはただ一つ、リプレイスできないから、ということだけだった。

COBOLがいかにすぐれているか、メインフレームがなぜ家庭に流布しなかったかを説く論なんかにも巡り合ったが、まあネタであろう。
前者については数値型の扱いについてのみそうなんだろうねと肯きつつも、ゆるゆるな型定義で実装していたり、DB2をシーケンシャルファイルのように運用していたりする例を見てしまえば、所詮は設計次第であり、実装次第であろうということになり、特に優れた利点というわけでもないと思える。後者についてマジレスすれば、ン千万もする役立たずを家庭で所有できるもの好きはごく少数であろうということだ。メインフレームの利点として堅牢性があげられているが、タイムシェアリングいう仕組みはすげー弱点にもなりえるし、ン千万もするんだからPCサーバの何倍かは堅牢であらねばなるまい。これもまた、リプレイスできないからという現実を美辞麗句で包もうとしたとしか見えない。

COBOLのプログラミングは楽しくない。メインフレーム上だともっと楽しくない。
プログラマがSEという幻想の上級職へのクラスチェンジを目指したのもうなずける。うまくいっても評価されず、より多くのスタックを積まれるのがプログラマの報酬だ。SEならば評価はもう少しましな実利になろう。

どんなつまらないものでも得るところはあるもので、資産に見合った開発現場というものもあって、人生で初めてわりとまともにウォーターフォールを経験することになった。もちろん、世間一般的な、逆流するウォーターフォールである。コンピュータがマジでタイムシェアリングシステムだった時代に、社員を遊ばせておかないためにひねりだした手法が、とりかえしがつかないくらい流布してしまって権威をもつにいたってしまったんじゃないかと疑える、QWERTYのようなシロモノだ。
上流から流れてくる水はひどく濁っているのだが、下流がそれを濾すコストは見込まれていない。ので、上流に水を運んで行くと濁りが増して、再び濾すことになる。上流から汲みにくることはない。濁りが残っていると文句をつける。どのへんでコストが発生しているか理解していない。全部下流が悪い。

老害というものも、業界内の技術的見地では初めて体験した。COBOL本位制だ。COBOLができなければ人にあらず。
MSアクセスのフォーカス制御がわからないといって質問されたときのこと。ある処理をしたらテキストボックスにフォーカスするというものだが、どうやってフォームを作ったかによって、また相手の技術力によって説明難易度が異なるため即答を避けたら、よりにもよってCOBOLだったらこんなこと簡単にできるとぬかしやがった。プチ切れてCOBOLってのは画面スクロールできるんですがと尋ねたらできないとのたまって黙った。
COBOL=メインフレームというガイネンしかもたない技術者もどきがSEを気取っていたのがこの三十年なんだろう。
あるいは、嫌COBOLが技術を発展させたのかもしれない。

技術者不足だからというだけではなかろうが、義務教育でプログラミングが必須になるという。
技術者不足ではなく技術に見合った報酬を出さないだけだとどこかで見たが、それは強くうなずけるところだ。単価を惜しむ相手に対しては、単価に応じて能力を出し惜しみしたくなる。

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