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2016年2月

2016年2月16日 (火)

漫画 『ピノコトリビュート アッチョンブリケ!』

スティーブ・ジョブズでぐぐってたらヤマザキマリのスティーブ・ジョブズ漫画にゆきあたり、ヤマザキマリって誰だったっけなんか読んだことあるような気がするんだがとぐぐったら本書にであった。ヤマザキマリは『テルマエロマエ』の人だった。

手塚治虫が描く女性の評価は談を新たにする必要はないものだ。
だが、スピンオフで描かれるとなんだか生臭い。唯一の例外は公認パロディ作家ぐらいか。

『ブラック・ジャック』は小学生のときになけなしのお小遣いをはたいて全巻揃え、100回は読んだ。毎日読んでたこともあった。ボロボロに崩壊している巻もあるが、まだ持ってる。
だからか、近年登場したスピンオフは一切手を出す気になれない。創作物に対してはもう失うものはなにもないくらい叩きのめされてきた気がするが、まだ少しは残っているようだ。とても大切なものが。

でもまあ、ピノコならいいか。そんなカンジで手に取った。
おおむね満足。だけど、生臭いよ。


読物 『女騎兵の手記』

ぼくらのヒーロー(ヒロイン)はオマヌケさん。

図書館でふと目にとめて、どんなフィクションかと思えば実在の人物の手になる手記だという。

書き手はなにを思ってこれを記したのだろう。どうやら勇猛ではあったようだが、戦場にいたのに武勲をたてたという記述もなく、ただそこにいて、寝坊を主要因とする失敗をたびかさねた日々を書き連ねるということを、なにがなさしめたのだろう。
ナポレオンがモスクワに侵攻した当時の様子を知る描写としては一片の価値のある手記であろうが、ヒーロー(ヒロイン)を主眼に置いたとき、自らの心のうちを猛々しく語るさまが空々しく響くばかりである。

武勇伝しかも自著となれば盛って語られることが常態であろうから、正直な人物ではあったのだろう。
唐突に、なんのオチもなくそっけなく終わるのは『黒の過程』を思い出させる。

1990年刊。
表紙は、そっけないものではあるが、かつて在りしよき日のいのまたむつみ画である。


2016年2月14日 (日)

映画 『ピクセル』

とても面白い。
あえて表現するなら、アーケードゲームを背景に、ゴーストバスターズとガンツを足したような。

上手いゲーマーは操作に無駄がない。そして魅せる。それをよく表現している。ゲーセンに通っていた頃も今もゲームが上手いというわけではない我が身は、そんな表現に懐かしさと憧れを抱かせられた。気のせいかもしれないが、版権の綱引き的なものも感じられてニヤリとさせられる。
当時の、あるいはゲーマーが身近に見ていた風景を知らない人が見たらどんな感想を抱くのだろうか、心配になる内容でもある。

余談だが、デフォルトが吹き替え版で、神谷明がみょうにはっちゃけていたのが印象的だった。

視聴にあたって、PS Storeの有料サービスを利用した。
PSのダウンロードコンテンツは、さあ楽しむぞという時にダウンロードやらアップデートやらで気分を削ぐサービスばかりという印象で、それは本作品においても同様である。高画質版をレンタルで見たが、ファイルサイズ5.6GBでダウンロード完了まで40分とか、ストリーミングで見て大丈夫なんだろうかとか心配させられる。100円ばかり高グレードなサービスを選択したのに、ファイルサイズ1.6GB版にしとけばよかったと思わせられて、なんとも台無しなカンジ。

ファンというわけでも、意図的に選んでいるというわけでもないが、どういうわけか身の回りのデジタル機器にはソニー製品が占める割合が高い。
おしゃれなビジュアルとか時代遅れに派手なバナーとかいらないから、サクサク動くUIを目指していただきたい。少なくとも、その気になった時に、気分が変わらないうちにコンテンツを楽しめるように。

2016年2月13日 (土)

ゲーム 『Ys SEVEN』

イースは3まではほとんどリアルタイムに遊んでその後縁がなく、たしか『オリジン』の存在を知った頃に、『オリジン』と『ナピシュテムの匣』を遊んで、『セルセタの樹海』と『失われた砂の都ケフィン』は見送った。というか、この二作は遊びようがなかった。
おりしも『Ys SEVEN』が発売される頃だったかもしれない。PSPを所持していなかったので、『Ys SEVEN』も見送った記憶がある。

昨年末に、PS Storeで安くなっていたので、Vitaで遊んでみることにした。

冴えないシナリオ、ぱっとしないヒロイン、いけてないビジュアル。
だが、ゲームは面白い。爽快感がある。シナリオも、闘技場あたりの展開はとてもよい。イースシリーズはアドルのレベルリセットについてなんらかの解決を図る必要があると遊ぶたびに感じるのだが、闘技場のシーンは優れた剣士としてのアドルをこれまでになくよく表現した好エピソードだ。
そんな工夫を感じてみれば、ヒロインのことも意図的な配置だったのかとも思い直せる。どうやってもフィーナの存在感には敵わないのだから、これくらいの扱いがちょうどよいのかもしれない。
しかし、ビジュアルはどうにも受け入れがたい。サウンドもか。
このあたりはどうも、イースⅠ・Ⅱの呪縛が効いているようだ。


2016年2月11日 (木)

読物 『アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』

原題『iWoz』。
邦題問題については語り尽くしているので割愛する。原題は間違いなくクールだ。
日本で売りたいと思ったらこのくらい煽らないといかんのであろ。オーニュ。

先に読んだ『スティーブ・ジョブズ』でググったら関連書籍としてヒットした。
読み比べるのが面白かろうと、Amazon読者レビューの「怪物性が伝わってこなかった」にも興味を失うことなく、読むに至る。

すげえ。
PCのアーキタイプともいえるマシンを作った人物であるということを漠然と知っていたが、モニタ(というかテレビ)に接続して文字を表示させるだとか、データをテープに保存する方法を考案したとか。そういうものは、PC以前に確立された技術だと思い込んでいた。パンチカードの時代だったのね。
ハードウェア的思考に全く無理解な我が身とて十分に怪物性を理解しているとはいえないが、まったく伝わってこなかった方むけに表現するならば、日本の漫画史における手塚治虫の座を占める人物といえよう。

スティーブ・ウォズニアックという人物について。
『スティーブ・ジョブズ』での印象から草食動物系な人物像を思い描いていた。今の印象は、草食であるとしても象かブロントザウルスというところか。いい人ではあるようだが、なかなか食えないオッサンのようだ。

『スティーブ・ジョブズ』ではアップル製品を使わなきゃいけない気にさせられたが、本書ではエレクトロニクスを勉強しなければいけない気にさせられた。
エレクトロニクスについては、これまでに何度か学習を思い立ったのだが果たせず、再版された電子ブロックなんかも買ってみたりもしたけれど、いまだに我がエレクトロニクススキルは1980年代のラジコンレベルに留まっている。


2016年2月 9日 (火)

読物 『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』

とある本で、カール・ゴッチは黒パンとグレープフルーツを推していた。
以来、ことあるごとに黒パンをなんとか食べられないものかと思う。どこかの手作りパン屋においてあったものを試したことがあるが、ゴッチが言うように酸っぱくなかった。この本によればやはり酸っぱいものらしい。

さて、本書の主張するところは平井和正の天使憑き状態になってしまっていて、読み進めれば進めるほど引いてしまった。しかし、パン作りに関する知らないことを知り得たことは収穫だった。近頃話題の食の偽装とか、手作りパン屋にもあるんだねえ。

資本主義経済については個人的に思うところもあって、「腐らない」どころか腐り過ぎててどうしようもないという印象がある。超前借主義というか。チートありのババぬきというか。経済学なんていうけれど、哲学の領域を出てないというか、誤魔化しを学問で糊塗して権威っぽく見せてるだけにしか思えない。

2016年2月 7日 (日)

読物 『スティーブ・ジョブズ』

アップルⅡが欲しかった。Wizardryを遊びたかったのだ。
月刊『ログイン』なんかを毎月読んでいた頃、中学生の資力ではどうにも購入の目処が立たず、せがむ口実を見つけられるほどの知力もなく、ただ、月々のこづかいやお年玉を貯めても遠く届かないということだけは察してしまい、諦めた。

思えばこの挫折が、アップル製品との縁を失した端緒かもしれない。

そのうちに、Wizardryは国産機で遊べるようになった。ありがとう、アスキー。その頃はなんとかしてPC-8801mkⅡを手に入れる知恵を身につけていて、毎日部屋に籠っては5インチFDを入れ替える日々を過ごした。ありがとう、お父さん。

マッキントッシュはすげえなあと思ったが、強く欲した覚えはない。諦めが先に立っていたせいかもしれない。
とにかく高かった。PC88の倍以上したような覚えがある。メモリを鬼積みしないとまともに動かないとかいう話も聞いていて、手が出せるものではなかった。

以来、iMacもiPodもiPhoneもiPadも触れずに現在に至る。
iMacが発売された時は社会人になっており、心動いたが、メモリすら自力で増設できないということを知って選択肢から外れた。当時の個人的PC事情として、今よりもPC機器の流動性が高かった。CPUの換装だとか、不必要にやっていた。不快適なマシンを少しでも快適にしたかったのだろう。あるいは、PC自作という名の遊びが面白かっただけかもしれない。なんにしても、必要に応じて構成要素を変更できないというのは、かなりいただけなかった。一度は使ってみたいとずっと願っていたわけだが、以後、PC購入時にMacを検討することはなくなった。
それほど音楽を聞かないし、イヤホンの類が苦手だったから、iPodを欲しいとは思わなかった。
モバイルは電話できりゃいいや程度の興味しかなかったし、タブレットは生活スタイルの中に置き場所が見つけられなかった。今現在、所有する機器のなかでタブレットに相当するものはPS Vitaということになろうか。

本書を読むと、こんな生き方をしてしまったことが悲しくなる。ちょっとはアップル製品に触れておくべきだったのかと後悔したくなる。次の機会にはiPhoneを選んでみようかという気にさせられる。ポジティブな話よりもネガティブな話題の方が多く耳に届いているんだけれども、耳をふさいでみようかという気にさせられる。(やや棒)

PS3のUIはとても使いにくい。Vitaも使いにくい。2010年頃入手したXperiaは使いにくいということはなかったのに2015年に入手したZ5は余計なモンがしこたま仕込まれていてしかもアンインストールできず非常に使いにくく進化している。よりにもよってそんな経験ばかりしていたせいか、デジタル機器へのときめきが失われて久しい。
だから、スティーブ・ジョブズが精魂込めたインターフェイスというものに触れて心洗れてみたくもなる。(ちょっとマジ)


かつてパソコンやらその周辺の話題に熱心だった頃、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツの名前よりも、ロバート・ウッドヘッドやとアンドリュー・グリーンバーグ、ロード・ブリティッシュの名に強い刺激を受けていた。
ビル・ゲイツの話題はなんとなく耳目に触れてきていたような気がするけれど、なぜかスティーブ・ジョブズの話題はそうではなかったように思う。Macユーザでないから無意識に記事を避けていたのかもしれない。

ゆえに、スティーブ・ジョブズという人物像に触れるのは本書が初となる。
俺ルールで生きるダブルスタンダード上等なカリスマあふれる暴君。
ものすごくクリエイティブで偏執的な職人でもある。
ものすごくめんどくさそう。
本書から読み取れる人物像は、そんなカンジ。

彼の生み出したものは世界を変えたというが、IT業界の片隅に棲息していながら、そんなことを感じたことはなかった。ジョブズが変えたという世界の住人ではなかったのだろう。

余談だが、何年か前に、雑談の席で、出版関係者に電子出版についてどう思うか訪ねられた時、薄利多売で購入者の権利を保護するモデル(クラウドという概念は当時一般的ではなかったように思う。当時は知らなかったが、これはiTuneのビジネスモデルと同じだ)しか思いつかないと応え、鼻で笑われたことがある。彼自身の見解を聞かされることはなかったが、全面否定だった。
現在、日本の電子出版はどうにもなんともなってないカンジしかしなくて購入意欲を抱けない。電子版と書籍版が同じ値段だったりすると、流通やら印刷などのコストは、電子掲示とデジタル加工のコストと等価なのかと感慨深くなる。その上、電子版の解像度に信頼がおけないとなれば、同じ値段なら紙のものを選択せざるを得ない。近頃は電子版を100円くらい安くしているものもあるようだが、その分、その分、もともとの値段を高く設定しているように見える。
日本の出版業界も、ジョブズが変えたという世界の住人ではなさそうだ。あまり興味がないので偏った話題しか摂取していない可能性もあるが、音楽協会もそうであるようだ。


そういえば、NeXTはちょっとだけ使ったことがあった。
当時、主に使っていたワークステーションはDEC製品だったが、それと比較してNeXTが特にどうこうということは感じられなかったように思う。GUIは綺麗で魅かれるものがあったが、専有して使えるわけでもなかったので、いじり倒す域にまで達することはなかった。やはり縁遠いのだろう。

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