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2016年1月

2016年1月29日 (金)

読物 『プリント・ブレイン』

ここ数年、次々と発表される芝村裕吏の作品を読み続けているが、シリーズ物が多いため、なかなか記す機会がない。未完のものについてアレコレ言わないようにしたいからだ。

ハヤカワ刊は短編がほとんどで、読む都度になにか記している。ここに改めて述べるとすれば、文字の分量はレーベルの気を呑んでか多いが、蛇足が多いように感じられ、お得感がない(倍の値段で文字の分量は体感で半分程度、という出版社と比するとマシなのかもしれないが、あちらは不思議と割高をあまり感じさせない)。
カドカワ刊も短編ばかり。『猟犬の國』は、面白いが、かなり割高感がある。マタコレ感も高い。

本作品はカドカワ刊でシリーズ物。ゆえに語るべき時ではないのだが、久々に妄想ちからが臨界に達しそうな気がしたので、ハイパー化する前に自浄してみようと思う。

この作品は、リタガン再始動の狼煙ではないか、と。
あちこちに配置した駒すなわち近年の多作は、作品世界の時系列的に『プリント・ブレイン』後に語られるものの布石ではないかと。


2016年1月28日 (木)

ゲーム 『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』

P3のアニメがそこそこ面白かったのが、P4Aを見る気になったきっかけかもしれない。

2011年のいつだかのこと。

P4AはOPから曲から本編から気に入っていて、ゲームをやってみる気になった。
PS2はもう使わんだろうとAV出力機器を処分してしまったばかりのことで、ちょうど買い換えたばかりのPCモニタもAV端子はついていないものを選んでしまっていた。機器を揃えてまでやるか思案し始めたところにP4Gが発売予定であることを知り、それまでのつなぎとして『World of Warcraft』を試してみたわけだが、2015年まで遊び続けてしまった。

WoWにはまったことの他にも、イマイチ乗り気でなくなってしまった理由の一つにVitaのタイトルだったことがある。当時、Vitaを所有していなかった。

ゲーム機器の購入は気が乗らない。
どうにも専用機になってしまう傾向があり、PS2はほぼ『ワンダの巨像』専用機、PS3は『ベヨネッタ』専用機だった。『人喰いの大鷲トリコ』専用機にするつもりだったんだけどネ!
ビンゴでもらった初代DSは『君のためなら死ねる』専用機だったことは余談である。

というわけで、Vita購入をためらっているうちにWoWに没入していき、もはや遊ぶこともあるまいと思うようになった。ところが唐突にWoW熱が冷め、そしてしばし、遊ぶゲームを探しているうちに『ωラビリンス』が目に止まり、Vita買うんだからP4Gも遊ぶかという流れとあいなった。

不思議なゲームだ。
ガワは当世っぽいが、柱というか核というか芯というか、そんなところに80年代後半から90年代前半なカンジがする。そこそこ遊びやすくサクサクすすんでいくのに、選択肢ひとつで突然バッドエンドになる。ボス戦はだるく、クライマックスは紙芝居。遊び始めた当初、ダンジョンに入れるようになる前はガンパレクローンなのかとか思ったりもした。
などとケチをつけているが、200時間以上は遊んでいる。アニメ発のキャラ愛だけではなかろう。

キャラ愛といえば、P4A時点で我が身ももれなくナナコンになった。くぎゅにはならなかったのに。
くぎゅといえば、P4Gではおそらく最もボイスを聞くことになるりせ声のため、いつしか脳に刺さる釘宮ボイスも好むようになってしまった。シャナの声しか印象になく、だからかあまりどうということはなかったのだが、りせのような甘え声はまことによくフィットする。
ターンエーでよい心地にさせていただいた朴氏には此度もよい心地にさせていただいた。普段は少年声だが、戦闘時の悲鳴がときどき娘声になるところとか。
露出はあまりないが、真エンドに至るルートでのマーガレットもよい。オトナだ。
登場するキャラは全てよいが、個人的筆頭は「がっかり王子」こと花村陽介である。ブラウン、出世した喃。

メインストーリーの演出はあまりうまくいっているようには感じられず、クライマックスに至ってはおとといきやがれというところだが、日常シーンは非常によい。
昨今は特にキャラの背景とか心理とかウザく感じるようになってしまっているのだが、そうはならなかった。アニメで予習していたからかもしれない。

P4Gを踏まえた上で、あらためてP4Aを通して見た。オマケの26話を見るために円盤を買った。製作サイドに愛されている作品だと、改めて思う。特に戦闘シーンとEDに一方ならぬ愛を感じる。
イキオイで、無料公開されてた一話だけP4GAも見てしまったが、続きをどうやって見るか悩みどころだ。

『sky's limit』のために平田志穂子のアルバムを買ったり、『Your Affection』のためにゲームサントラを買ったりしたが、音ゲや格ゲはちょっと無理。
久々に巡り会ったもっと耽溺したいと思えるコンテンツなのだが、今のところ残るはP4GAとなっており、消化してしまうのがなんだか惜しい。

2016年1月26日 (火)

読物 『代替医療解剖』

サイモン・シンに魅せられたのは紹介された『フェルマーの最終定理』だった。
テーマにそれほど興味のなかった『暗号解読』や『ビッグバン宇宙論』も、だからあえて読んで、期待通りに面白かった。

本書は、というと。

本書での柱となる「科学的手法」というのが人体実験をオブラートにくるんだ統計学と解釈せざるを得ないところが苦しい。現代科学の限界と思うしかないのだろう。
本書には語られていないが、聞いたところによれば、現代医学は薬が人体に効き目を及ぼすプロセスを解明していないという。アレを投与すると風邪には効く的な統計万歳。

ゆえに、現時点で主流となっている西洋医学はほどほどに信頼するに足るというのが個人的見解である。なにごとかあったときには間違いなく頼るであろう。
ただし、木を見て森を見ずというところと、患者の話を聞かないという点については、近年立て続けに経験した出来事から強く不信感を抱いており、これはなにごとかあったときにも覆しえないかもしれない。
ほどほどのなにごとかだったならば、なるべく頼らない。頼りたくない。

本書が問題にしているのは、代替医療そのものというより、詐欺師集団にカネが流れること、と思える。低額で毒にも薬にもならないものであるならば、テーマに選ばれることもなかっただろう。
個人的にこれを咀嚼すれば、患者の訴えよりも事故保険との兼ね合いを気にしているように見えたりする藪とか、風邪だといっているのに花粉症だと断じる藪とか、現代科学が解き明かしていないが古来から存在する生活習慣病に対して偉そうにする輩といった手合いにカネを流すなということになる。

とある保健員に聞いたところ、事故保険が支払い対象として認定するのは「診断能力」を有する医療機関だという。
診断能力を有するとは現代的診断機器すなわちレントゲンやらMRIやらを備えていることであるらしい。診断者の技量は問題でないらしい。しんだんのうりょく万歳。

交通事故で肋骨を折り、膝を強打したことがある。肋骨は骨折の治療を受けたが、当初、膝は打ち身よりもすりむいた痛みの方が強いくらいで、擦り傷の保護を受けただけだった。しばらくして股関節の具合が悪くなり、医師にこれを告げたがカルテには追記されず、同院のマッサージ師が医師に内緒で手当てしてくれた。
この病院では埒があかんと他の施術設けたが改善せず、時間とヨガが解決してくれた観がある。

こういう対応を受けると、統計学的に優れた科学技術の粋である医療を、心から信奉することはできない。
診断能力を有するという医師には分からず、理解されず、聞く耳をもたれない患者の不調を、診断能力を有するとはみなされていないマッサージ師が理解し、手当てしてくれる。

あるいは、どでかいブーメランな本なのかもしれない。

美術館 『学芸員を展示する』

通勤路で見かけたポスターが気になり、足を運んでみることにした。
Photo

学芸員の仕事についてはすでになにかで見知っている。映像によるドキュメンタリーだったか、活字によるものだったか、漫画であったかは覚えていない。
ゆえに、特に新たになにかを知りたいという動機ではなく、ポスターの意匠に触発されたということになろう。

学芸員のというよりは、美術館長の功績展示という印象が強めだったが、よい刺激を受けることができた。アンディ・ゴールズワージーという人の作品は、TRPGを現役で遊んでいたらきっとネタにしたであろう。

もっとも面白かったものは『美術館すごろく ―展覧会ができるまで ―』(画像は同企画の『鑑賞ガイド』より)という展示と、美術館内の売店で販売されていた美術館の政治学とかなんとかいう書籍である。
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道場の子たちと話をすると、たまに将来に就きたい職業の話題になることがある。そんなとき、無邪気に「介護師」と聞かされると、ピアニッシモにネガティブな意見を発するものだが、これからは「学芸員」と聞かされたときにもそれなりに厳しそうな力学が働く職業であるようだと発することになるだろう。

余談だが、同売店には江口寿を特集したムック本と浦沢直樹のムック本が売られていた。
以前ならば飛びついていたであろう本をチラ見して立ち去ってしまうほどに漫画的なものから興味が失われているのだなと追認した。

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