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2015年10月18日 (日)

再読 マキリップとハーバート

『イルスの竪琴』三部作、『妖女サイベルの呼び声』、『デューン』シリーズのうち手持ちの11冊(神皇帝まで)。

今読んでるものがちとアレで、再挑戦のために別腹を要した、ということになる。

「影響を受けた一冊」「自分を決定づけた一冊」というような記事に出くわすと、自身を省みることが常である。果たして、そのような究極の一冊はあるのだろうかと。
一冊というならば、小学生の頃大いにはまったモーリス・ルブランなのかもしれない。漫画ばかりでなく活字をと決意したローティーンの頃、なにを読んだらいいのかわからなくて、アニメから入った『クラッシャー・ジョー』なのかもしれない。

しかし、『イルスの竪琴』や『デューン』を読み返し、個人的TRPG黄金期においてこれらの物語がどれだけの影響を我が身に及ぼしたかと思い出してみると、ほとんど全部と思えるほどだ。とはいえ、菊池秀行やトールキンはいわずもがな、ドラゴンランスももちろんそうだ。
してみれば、我が身には究極の一冊というものはなく、10代に触れたものすべてが大いにそうたり得るというのが個人的な総論となりそうだ。

『デューン』シリーズを読んで今回新たに得た妄想としては特に、世に名のある人々への影響である。
個人的に継続して触れているものとしては、永野護、芝村裕吏、聖悠紀が思い起こされる。

永野護というかFSSについては、最初からあるがままに受け入れるというスタンスだったので、ロボットデザイン変更、物語の核となっていたコーラス家の物語世界からの失墜にも大きな動揺はなかった。
前者についてはロボットの識別が不可能になったという程度で特に思うところはなかった。後者についてはさすがにどうすんだろこれ的な思いを禁じ得ず、生きて最後を拝むことはあるまいという諦念を強めたわけだが、『デューン』再読後の印象としては原点回帰という妄想を抱いた。

芝村裕吏については、アーヴとかガンスリとか、押井守的発火点にのみ強い印象を持っていたが、大枠の構造に『砂漠の神皇帝』までの強い影響が感じられる。

聖悠紀については、古いSFに今更触れては『超人ロック』に登場するアレコレの元ネタを見つけて楽しむということを覚え始めた。少し前、どこもかしこも「帝国の時間庫」だらけになったとき、この元ネタが分からなかったことがあった。「ノー・ルーム」というものがそれなのではないかと、一人ニヤける次第である。

どうでもいいことだが、キーワード「god emperor leto」で画像検索したら、こんなものがヒットして一人でウけていた。

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