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2015年7月

2015年7月26日 (日)

読物 『仮面ライダー 1971-1973』

仮面ライダーに強い思い入れはない。
子供の頃にはオンエアされたものを見ていたが、それもストロンガーまでで、スカイライダーやスーパー1はまともに見ていない。ブラックはそこそこ熱心に見たが、RXは見なかった。

思い入れはないが、仮面ライダーに求める様式美というようなものはもっていて、これはウルトラマンに対しても同様である。思い入れがあるぶん、ウルトラマンに対しては拒絶反応が強く出ているかもしれない。
公式の産物が我が個人的な様式美と相反するとなれば退くしかなく、ゆえに現在は関知するところではなくなった。

かようなわけで、本書のようなタイトルのものには微妙に心惹かれつつも手を出しかねるというスタンスを取る。近頃だと『人造人間キカイダ―』の小説でとてもひどい目にあっており、そんなことがあればなおさらに。

本書の場合は存在を知ったのが近頃のことで、手を出すべきかどうか占うためちょっとだけ調べてみる気になり、〈S.M.R.〉というコトバに強い興味を覚えた。仮面ライダー世界には未出現のコトバと覚えるが、我が様式美にマッチしたことになる。
そもそも仮面ライダーはスペシャルな存在ではなく、量産型のバッタ男にすぎないことは明示されている。一方で、仮面でライダーってなんか意味あんのかっていうソボクなギモンはずっと解決できなかった悩みだ。
〈S.M.R.〉というコトバは、公式設定と口に出してはならないお約束を最適に結合した観がある。

物語としては、トーキョーNOVAに例えるならクロマクが大いに活躍してしまったキライがあるが、都合よく苦戦に陥るヒーローではないカンジでとてもよい。
ライダーはとても強く描写されているし、そうでありながらに苦戦する様、失敗する様を受けいれるのに読み手である自分をだます必要がない。蛮人コナンを避ける風潮が等身大ヒーローの流行りとなり、当節ではグジグジウダウダ悩むのがヒーローとなってしまったように思われるが、好みの範囲にうまくおさまっている。
1971~1973年を舞台としているが、当時の時事ネタがまたいい味を出していて、陰謀論を楽しむ向きにも、そうではないむきにも楽しめるようにできていると感じられた。世界がなんらかの動揺を起こすのはショッカーの陰謀だとする風にも読めるし、ショッカーが存在しようが、本郷猛がそれに立ち向かおうが、それとは無縁に世間はよくもなれば悪くもなるとも読める。

リメイク作品を嫌うことがあるとして、それはオリジナル作品に対する愛の欠如を感じたときにおこる。オリジナルを否定するようなリメイクになろうとも、作品に対する愛があれば、ファンは理解するものだ。これは愛に満ちたに作品だ。
大ゴマ展開なので終わったら読もうに分類してしまったが、昨今見知った中では、愛を感じる作品として『ULTRAMAN』が特筆できようというのは余談である。

V3からストロンガーまでの構想ないしは本作品的解釈も作品中にさりげなく描写され、もっと続きを読んでみたかったと思わせつつも、第三部みたいな展開すなわち石ノ森的お約束になってしまうようならばこのくらいの尺がちょうどよかったのかなと思わなくもない。

最後に、著者名、どこかで見知ったような気がしていたが、過去にDisってしまっていた方だった。
DT小説の著者として、おそらくゲーム制作側からオファーされたのではないかと、遅まきながら意味もなく勘繰ってみたり。


2015年7月21日 (火)

読物 『王と最後の魔術師』

イケメンの同性愛者が、複数組、登場するのは、いい。エレン・カシュナーだから。
ダーコーヴァ年代記シリーズ読中、唐突にマクー空間に放り込まれた若輩の日より、読み手も幾分かは薄汚れている。アン・ライスの別名義作品に気軽に手を出してこっぱみじんにされたあの日より、幾分かは鍛えられてもいる。
わかって手を出す分には問題はない。

そう思っていた。ダメだった。成分が濃すぎた。脳内で「かめろんかめろんああかめろん」がリフレインする。

さておき、書き手が挑んだことは、なんとなくわかる。あまりうまくいかなかったようだとも思う。
かつてTRPGをやっていたころ、個人的に挑戦していたことに似ている。魔術を、現代戦のパロディではなく、お伽噺とも違う、身近にあって遠い、神秘的なものとして描くことだ。神秘的なものでありながら、学術的なもの、理論的なものでもあると表現することだ。失われたもの、そうなりゆくものへの憧憬をこめて。

うまくいかなかったために、物語は一人のピエロを要求し、しかも未完となってしまった。
未完となっているのは計画的なことかもしれないが、続編を匂わせるのではなく、応援次第で続編あるよ、というふうなのはファンというわけではない読み手に対しては不誠実だと思うのだ。きちんと完結させ、続きも読みたいと思わせてほしいのだ。
『吟遊詩人トーマス』はとても好きだったのになあ。

読物 『ウイスキーの歴史』『豚肉の歴史』

図書館に『宇宙のスカイラーク』を借りにいったとき、新書コーナーでふと目についた。
『火星のプリンセス』を経験した直後のことである。おそらくきっと『宇宙のスカイラーク』読中には気晴らしないしは口直しが必要になるであろうと考えたこともあり、実際にはあまり興味のない酒について読む気になった。

酒が政治を含む闘争のきっかけになった事例としては漠然と禁酒法を知るのみだったが、中世から近代にもあったことは知らなかった。歴史から学ぶことは政治的権威であっても難しいことのようだ。
現代の食品に健全であることを望むのは難しいことなのかもしれないが、ウイスキーもまたその一つであることも知らなかった。

科学技術という側面から見た、創作物が持つべき劇中のリアリティについて想いを馳せたり馳せなかったり。

読物 『火星のプリンセス』『宇宙のスカイラーク』

フューチャーレトロなストーリーの元ネタを探りたいと長年思い続けてしかし果たしていなかったのは、楽しめないのではないかという恐れからである。フューチャーレトロなストーリーの元ネタとしては傍流であろうと思われる『銀河パトロール隊』はあまり楽しめなかった。空想科学の骨子とかぶっといコイルとかさておき、物語がアレすぎたためである。

『火星のプリンセス』合本版は、表題となった『火星のプリンセス』と『火星の女神イサス』、『火星の大元帥カーター』の三部作からなる。さまざまな作品の源流の一つと思わせるアイデアを多く含んでおり、元ネタを探るという点ではそれなりに楽しめたが、物語はやはりアレすぎた。

『宇宙のスカイラーク』も同じく、空想科学中の事象を説明するコトバがアレすぎて、物語のアレさとあいまって、楽しんだというにはほど遠い。SFを読んでいるというよりは、ルパン対ホームズを読んでいるような印象だった。

モーリス・ルブランのルパンシリーズは幼少に読んだため、今でも好意的に思えている。
ケイン・サーガなんかは今でも邦訳の続編を心待ちにしていて、その元ネタなんかは火星シリーズのカーターに由来するんであろうと思わせども、出会いが遅すぎたことになろう。

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