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2015年3月

2015年3月30日 (月)

読物 『19世紀のロンドンはどんな匂いがしたのだろう』

門外漢が雑学的好奇心を満たすのに必要十分な内容であるが、本文中よく引き合いに出される英文学作品に親しんでいた方がよりいっそう楽しめるであろうという内容でもある。
巻末に記載されている数百頁分の辞書は『指輪物語』の冒頭「パイプ草について」を思わせるが、巻末にあるだけ救いといえよう。

文学というものを忌避するようになったのは、三流大学の理工学部に進学した我が身に課された一般教養とやらの必修科目に英文学を選択してからのことである。
講義をまともに聴いていなかったので、ひょっとしたらためになることをいっていたかもしれないが、文学というものを読み解くことはなにやら難しい作法があるらしいと思い知らされた気がして、文学は読むまいと思うようになっただけだった。

本書が述べるように「物語作品には描かれた時代の風物が記されている」ことに頷かされてみれば多少の興味を持って忌避してきたものに向き合う気にもなり、昨今、文学はラノベ、などという言葉を耳にするようになり、なんとなくそうかもしれないと思うようになれば忌避してきたことも馬鹿らしく思えて、なにか読んでみる気になった。


『オリバー・ツイスト』。
その名を聞いたことはあれ、あらすじすらも知らなかったのだが、ひとことでいうなら、小公女系の名作劇場である。個人的にはしかし、ナンシー嬢の悲劇と読んだ。
新聞連載という形態で発表されたというこの作品、物語の転がり具合が読者の反応によって変化したかどうかは知らないが、偏愛ではないと思える作者の愛が、脇役をキーパーソンに押し上げたような印象はある。物語の核心となるエピソードに後付けされた感が拭い得なければ、Vガンでカテジナが狂わされたように、物語を終局へ導くためのスケープゴートが必要だったのだろうと思わなくもない。
こんなことを思うのは、前半のオリバーかわいそう物語に多少なりとも移入してしまった反動に違いない。

さて、読む動機となった風物についてはどうかというと、素養のなさから真偽の判断はできないが、ランクマーの都のようなイギリスあるいはロンドンを堪能できる。
身内にヨーロッパびいきがいるせいか、綺麗なヨーロッパではなく、汚いヨーロッパの風物に触れる機会があると我が意を得たりという気になる。個人的には好きも嫌いもないつもりなんだけれど、綺麗な部分だけを見てヨーロッパ万歳なんていう捉え方をしてるのを間近に見ると、なんだか反発したくなる。


2015年3月19日 (木)

読物 『DTノーメンクレーター [Kindle版]』

もともとWeb小説で、ハイパーリンクで好きな順に物語を読んでいけるつくりになっていた。
それが書籍の体裁をとってどのようになるのか興味を抱き、じつに久しぶりに再読した。
文章量あたりの情報量がちょうどよく心地よい。

やはりというか、ハイパーリンクで読んでいくのが正当、ページ順に読んでいくと、初見の方はわけわからんことになるんではないかという印象である。

Kindle文書でハイパーリンクが機能することは、使用してみるまで知らなかった。これによってゲームブックを想起させられる世代に我が身は属するわけだが、不思議なことに、Web版の同書を読んだ時にはそうはならなかった。
既にAmazonでの公開を視野に入れた作成方法を紹介しているサイトも存在している。

PCで読めればいいやと思ったものの、寝転がって読みたいと思えばKindleハードウェアも欲しくなる。持ち歩くことに不便を感じなくなれば、風呂で読めるようになれば、きっと買うだろう。

2015年3月17日 (火)

読物 『マージナル・オペレーション [F2]』

いつものアレなんだが、ガンパレ小説に込められていた熱を取り戻したかのような印象を受けた。


そのせいかなんだか、ガンパレ小説に耽溺していた頃にハマったゲーム、そのプロローグとなるWeb小説『DTノーメンクレーター』が思い出されてしまい、久々に著者をぐぐったところ、Kindleで電子書籍を出していることを知った。おれはKindleをかわねばならないのかとその気になったところ、PCで動作するKindleアプリがあるという。
電子書籍はこのくらいの値段だと躊躇なく買う気になれるのだが、紙媒体と同じかそれより高いと、馬鹿らしくて買う気になれない。

2015年3月12日 (木)

読物 『鹿の王』

このところは読書もおざなりになって、一気に読了ということは少なく、だらだらと読んでいるカンジなのだが、本書はほぼ一気に読み終えてしまった。

それほどの読物であるのに、微妙なナニカがあって、全力で楽しめない。原因は不明だ。
お話そのものを全面肯定するわけではないが、物語そのものが原因とは感じない。ただし、本作品には、物語よりもその仕掛けに重きをおいたきらいはある。
では、文体なのか。そうでもないと思う。
物語の仕立てが、個人的に苦手なジャンルに相当するからというわけでもないようだ。そのことに気付かされたのは終盤にさしかかってからのことであり、微妙なナニカには序章のあたりからカンジ続けていた。
このナニカは『獣の奏者』にも感じたことで、それが好きな作家とも呼べる方の新作に対する冷静な態度に結びついているように思える。

この物語を読み進めるうちに思ったことの一つに、着想のネタとして『銃・病原菌・鉄』が含まれているのではないかということがある。本書のあとがきによると『破壊する創造者』という本に触発されたとあり、いたく興味を惹かれた。

2015年3月 6日 (金)

アニメ 『009 RE:CYBORG』

ビジュアルを初めて目にしたのはまだアニメなど映像作品をそこそこ見ていた頃で、一見してあわないと感じて興味を失い、存在を忘れ去っていた。

先日、わりとよく行く甘味処で『夢想花』を久々に聞いて、やけにしつこいリフレインが耳に残って、何回繰り返してんだろうと歌詞を検索していたらYouTubeで動画に出会い、しばしはまってあれこれ見ているうちに『誰がために』2012年バージョンを目にして、こんなものがあったのか、いやまてそういえばそういうことがあったと、前述の個人的事情を思い出した。

PVであろうこの映像――001のクールな瞳と、002の緊急発進が印象深い――はなかなか魅せるできばえで、歌声と歌詞もあいまって火をつけられた具合に作品を見てみる気になった。
心構えとしては、お話ではなく、アクションシーンを楽しもう、というものである。

総括としては、009という素材を使った、劇場版パトレイバーのオマージュ、押井守に捧ぐ、そんなカンジ。
監督は押井守の弟子らしいが、押井節を懸命に真似しようとしているのか、あるいは揶揄しようとしているのか。メガネやバトーに語らせたようなことをやろうとして、とても浅薄なものになってしまったという印象がある。テツガクに聞こえるかゼンガクに聞こえるかというのは、どうでもいいことだが、わりと重要なのかもしれない。
どういうつもりであのような結末にしたのかわからないが、『超銀河伝説』へのオマージュなのだろうか。お話を楽しむつもりはなかったのでさほど悪い印象はないが、なんでかなーとは思う。002の位置づけがコンドルのジョーっぽかったり。

個人的にキモとしていたアクションシーンは概ね満足した。004の射撃時の指が、各個に動いていたことか。
加速装置が、自己を加速する装置(とはいえ、自由落下中に落下速度に任意の加速はできまい)ではなく、場合によって自分以外の時を止める装置として機能しているようにしか見えないのだが、サイボーグ戦士の能力にいまさら突っ込んでも仕方あるまい。
学生服姿の全力疾走は、バビル二世を思い出させる。当世風のバビル二世も見たいものだ。


余談だが、とても綺麗な、綺麗すぎる線を見て、綺麗すぎるのもなんだなという印象を得た。かつては綺麗すぎる映像を渇望したはずなのだが。
『Gのレコンギスタ』で「わざとやっている」というあの線のタッチが非常に落ち着く感じがすると、本作品と対照して思う。
キャラクターデザインの好悪というものもあるのかもしれないが、さて。

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