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2014年7月

2014年7月27日 (日)

読物 『本当の戦争の話をしよう』

歩兵が携帯する重量について詳述がある本、というような話題で紹介されていた。たぶんネットのどこかで。

読んでみると意外なことに渇きが癒される。
しかし、この渇きはおそらく永遠に満たされることはないもので、癒される側から乾いていく呪いのようなシロモノである。呪いを掛けた当人の作品を得ても、それがEGFだとしても、たぶん完全に満たされることはない。

この効用、ティム・オブライエンという原作者の力によるものか、村上春樹という訳者の力によるものか。
『ニュークリア・エイジ』で確かめてみたい。

本当の戦争の話をしよう

2014年7月21日 (月)

ゲーム 『World of Warcraft』 その44

なにも進展がないのもさみしいので、in game goldにあかせたブツを。

Blazing Hippogryphと、
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Mottled Drake。
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どちらも好みじゃないので特にほしくはなかったのだけれど、このSSのMottled Drakeはなかなかよい。

読物 『ティターンズの旗のもとに』

今野敏の著作との出会いは、高校時代のことである。
同級生が借してくれたたのはジャズバンドの四人組が超能力で事件解決する的な物語で、なんだかピンとこないという出会いであった。状況と登場人物の関係に物語的必然性がないように思える、という印象である。

弟が今野敏が好きだと知ったのは数年前のことで、先の印象が拭えるかと思いきや、やっぱりピンとこなかった。
古代日本から連綿と続く武術の相伝者が刑事で事件解決する的な以下略。

好ましい印象を得たのは『慎治』で、物語はやっぱりちょっとアレだったが、プラモ作りをそれなりに描写する小説ということが目新しかったのだろうか。かつてコミックボンボンを愛読した頃をちょっと思い出したりしたせいかもしれない。

今野敏がガンダムを書いていたと知ったとき、なぜ?と思いつつ、『慎治』を思い出して得心し、でもティターンズはどうでもいいやと一度は興味を失った。ガンダムはすごい好きだったかというと微妙で、プラモを作っていたから親しみはあり、学生時代に『ガンダム戦史』にのめりこんだにせよ、今ではわりとどうでもよい。かつてはカッコいいと思えた驚異のメカニズムにも、昨今まるで心が動かされない。自分でも驚くくらいに。
ここ数年WoWしかやっていないせいかもしれない。

ティターンズというかガンダムもまあどうでもいいカンジなわけだが、カイレポ、カイメモのせいか、それっぽいガンダムには触れてみたくなった。なんかないかと調べているとき、一度興味を失った本書の概要に触れて読んでみる気になったわけだが。

個人的にはこのような物語は余韻がけっこう重要だと感じるのだが、あっさりとしすぎていること。
過去の出来事と、それに関連する現在のシーンが微妙にズレているように感じられること。
そんなことが気になり、大満足ではないが、概ねよい。
兵器のありようについては個人的に0083でどうでもよくなっているので、スゲー機体が登場してもスゲーでスルー。とはいえ、戦闘描写については、数年前に読んだ世間では大人気アニメとなったらしい最新ガンダム話よりも好みである。ガンダムの戦闘って、何十ページもだらだらと続くようなものじゃないと思うのよね。哲学戦闘でもね。


2014年7月20日 (日)

読物 『ステレオタイプ・パワープレイ』

世界を救う話は嫌いである。
我が人生における電源要RPG不動のベストが『カオス・エンジェルス』であるあたりから察せられよう。無理か。

そんな性癖なのに、この話は気に入った。不思議なもんである。そうでもないか。
世界を救う話でありながら、「世界を救う」ことを揶揄しているように受けとめられた。「ぐはあっ」とかいいながらはいつくばっては立ち上がり、オラに力を貸してくれ的な結末を迎える王道ではないように読めたからだと思う。

主人公のオヤジが謎な存在感を醸しているのは続編を狙ったからだろうか。どうでもいい物語なら気にもならないことを気にしてしまうあたり、けっこう気に入っているんだと思う。

ここまでが一巻の印象。
気に入ったので二巻に手を出したのだが。

誰も死なない物語というか誰も死なせられない物語という印象で上書きされてしまった。
個人的な経験からいうと、この物語にどう始末をつけるのかという期待感を上書きした『涼宮ハルヒの憂鬱』続編のありように似ている。

残念でした。

2014年7月15日 (火)

ゲーム 『World of Warcraft』 その43

Ulduar 25manのソロが初めてうまくいった。

と思ったら、Flame Leviathan、Ignis the Furnace Master、Razorscale、XT-002 Deconstructor、Iron Council、Kologarn、Auriaya、Freyaは25Manで倒したのに、一休みしたらRaid difficultyが勝手にリセットされて10Manになってて、これに気付かず、Thorim、Hodir、Mimiron、General Vezax、Yogg-Saronは10Manで倒した具合になってしまった。
どうりで後半ボスのHealthがやけに少ないと思ったぜ! 難しかったけどな!
10Manと25Manの切替が自在なら、途中まで10Man、Yoggだけ25Manとかが楽なのだが、できるのだろうか。
・・・できるらしい

オールドコンテンツとはいえ、仕掛けもしらなければ腕も悪いので、装備で押し切るしかない。SoOの攻略よりも、オールドコンテンツソロ攻略のためにGearを集めているカンジ。
BM Hunterでやったのだが、Warlockの方が楽なのかもしれないと思ったり思わなかったり。

読物 『ばいばい、アース』

面白かったんだけれどどこか気に入らず、さりとて手放す気にもなれず。読み返すようならなにかわかるだろうと手元に置き続け、三度目の通読でどちらかというと気に入ったと感じることができた『マルドゥック・スクランブル』。
なんか他に適当なのはないのかと思えるくらいだから、気に入ったことになるんだろう。だが、すっきりしない。他に適当なのから選んだ『ばいばい、アース』を読んで、どうでもいいその理由がわかった気がする。

どんなに小難しい言葉を並べ立てようとも、ハードな外観で装おうとも、基本的には王道的少年漫画なのだ。つまり、あまり肌にあわない部類の作風であるということなのだ。

週刊連載という体裁上どうしようもなくそのように陥ってしまうのが普通とみえる場当たり的展開を、意図的に描いたのが『ダレン・シャン』であると個人的には考えている。意図的というよりは、作家がそのような読物が好きだからそのようにした、というべきか。実際はどうか知らないが、『ダレン・シャン』のあとがきだか解説だかにあった作家紹介からはそんな風にも感じられる。書き下ろし作品でそのような描写がなされるならば、それは作家の推敲不足か力量不足と個人的には受け止める。作家の嗜好だとしても、そのように考える。
『ばいばい、アース』は初期作品とのことで不慣れな分をさっぴくとしても、印象がこれと似ている。似ているが、もっと似ているとしたらドラクエ2とか3などの、ラスボスの後にラスボスというゲームまんまである。ゲームならまだしも、読物でひたすら戦闘シーンを読ませられるのはたまらない。かつてTRPGではマスタリングに際して戦闘描写にこだわったものだが、プレイヤーたちはあるいはこのような感慨を得ていたのかもしれない。

ついでにいえばセカイ系というのもあわない。
そのように分類されている作品の中にも嫌いではない作品はあるが、好きな作家のものでも、どことなくネガティブな印象を抱いてしまうを禁じ得ない。嫌う理由は思い当たらないので、好みなんだろう、たぶん。

二つの作品から得た消しがたい異物感というのは、こういうことになるんだとおもう。
気に入ったというよりは、この異物感を理解するためにより知りたくなったというのが正しいかもしれない。

実は『天地明察』と『光圀伝』に興味を覚えて、その前段としてワンクッション置いた具合になる。なんでこんなことをしたのかよくわからないが、なにかを確かめたかったのだろう。

『ばいばい、アース』の印象が薄れた頃に、きっと読むだろう。

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