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2012年6月29日 (金)

読物 『「強さ」とは何か。少林寺拳法創始者・宗道臣70の言葉』

少林寺拳法をやっていれば、開祖の言葉には折々に触れる機会がある。武専の座学で配布される資料、月報その他会報、教範。当時の世相を反映した言葉もあり、当世において字面だけ受け止めると批判の対象にもなりかねないものもある。特に晩年の言葉は、次第に悪化していく持病の発症状況から残された時間の少なさを自覚していたためだろうか、焦りもあるようで、いささか過激でもある。

宗教そのものについては特に思うことはないが、それを擁する組織の在り方について、個人的には受け入れがたいものがある。少林寺拳法も例外ではない。
宗教というものに対する個人的印象は「すがるもの」だが、少林寺拳法という宗教はまず「自己確立をせよ」と教える。そのうえで他者に気を配り、仲良くしましょうと教える。教えそのものはなにも悪いところのない、人が社会で生きる上でやっておいたほうがいいことだけが述べられている。教えを体系的に学ぶためには組織も必要だ。その維持のためには多少のことはよい。
だが、マリア像的記念碑のようなものにそれが使用されるのはいささか心外であり、宗教というものに抱いてしまうを禁じ得ない否定的な念を喚起され、どうにも心地よくない。

社会に参加する人は、その社会の規模に依らずリーダーの経験を持つ必要があるというような文章をどこかで読んだことがある。全員がリーダー気質だとまとまらないという意見もあるだろうが、リーダーに課せられるものを知れば自ずと在り方を変えられるであろうという論調だった。悪意の介在については触れていない。
反論ばかりを述べてその集団内の役割を果たしているつもりになっている方がいるとする。本人としては前向きなつもりだが、代案を述べないので議論が進まない。とにかくなにかを、できればよいことを決定しなければならない立場を経験していれば、それではなにも決められないことを理解できるだろう。中庸の意見でまとめられた、誰にとっても役に立たない決定事項がいかに多いことか。

開祖の言葉はきっと誰もが心に抱いている善の概念である。読まずとも、誰もがきっと知っているものに違いない。
人の質を変える必要があるという主張も、きっと誰もが認めることだろう。
宗教に否定的な見識をしかもたない我が身だが、開祖の言葉に初めて触れてから十余年、未だに隙を見つけることができないでいる。それは、この言集を読んでも変わらなかった。


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