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2012年5月

2012年5月25日 (金)

ゲーム 『World of Warcraft』

唐突にEverQuest懐古が始まって、SNSやWebやらで検索しまくった。それは今も続いていて、当時の知人も幾人か足跡を発見し、幾人かとは連絡を取ってみたりした。
その幾人かがDiablo3を始めたというので、どうしたものかといろいろ調べてみたが、体験版がない、インストール時やログイン時にトラブルが発生する例がある、しばらくしてアイテムやゴールドがロストするといった情報を得て、ロンチ30日後の体験版解禁を待つことにした。

さて、一度ゲームをやるぞ的な気分になると、なんだかゲームをしないでいるのが具合が悪くなってきた。
いろいろ調べてP4Gも様子を見る気になっている。一ヶ月くらいは、特にこれといってそそられるゲームがない状態が続くことになる。

とりあえずBattlenetのアカウントを作っておこうと思ったこと、前述の幾人かの一人がWoW現役であると言っていたことが、きっかけだった。それから約一週間、わりとハマっている。
初日はどうにも面白く感じられなかったが、二日目になって操作方法に慣れ、作法に理解が及ぶと、楽しくなってきた。電源要RPGとオツカイはもはや一体であるが、オツカイ感があるのとないのとでは大きく異なる。マップの端から端までなん往復もさせられるのでなければ、オツカイではなく遊びの範疇といえる。

戦闘に苦戦するようになってきたことも大きな要因だろう。その辺を徘徊していたEliteタイプのMOBに瞬殺されたりしても、怒りを覚えるどころか、これがなくちゃMMOじゃないよなと思ってしまうあたり病気である。洋ゲーは容赦ないというか、無茶というか理不尽というか、とにかく自己責任とは無縁の横死を遂げるのがならわしとなっている観がある。14へ行けは伝統なのか。

日本語化できたことも要因として大きい。クリアできないクエストのジャーナルをいやいや読んでいたのが、大幅に改善された。
EQをやっていた頃は、欲しい情報がわりとクリティカルにWebから得られた。WoWでは、そうではない。WoWだからというよりはWebにゴミが多すぎるというのが原因だろうが、検索ワードもままならない初心者のモチベーションがもりもりとなるような情報が今のところ見つからない。EQのときにはたしかEQ Databaseのクラス説明を読んで、NECに対する妄想をかきたてられたものだった。WoWではクラスの有利不利が特にないためか、クラス説明にあまり熱が感じられない。やりたいと思うクラスがなかった。唯一やってみたいと思ったクラスはMonkだが、これは現在未発売の最新エクスパンションで導入されるようだ。

種族の外観でクラスを選択するようなハメになったのは、そんな事情による。前述の幾人かの一人がHordeだというので、Hordeシバリで選択したのはBloodElfのWoman Hunter。現在18レベル。
トライアルは20レベルまで、次はPaladinかDruidをやってみようと思う。

2012年5月22日 (火)

アニメ 『パンティ&ストッキング with ガーターベルト』

ハハハ、くだらない。意味がない。素晴らしい。

でも、サブタイトルに映画のタイトルを借用するなら、内容もちょっとガンバろうね。上辺だけじゃちょっとね。

なんて思ってました。最終話までは。
『魔界都市<新宿>』か、はたまた『魔神人伝』かという大仕掛けが、かなり空回りな。
エンディングの急展開も(・_・)な。
オチたのはチャックだけ、それだけはにじゅうまる。

とはいえ、『ど根性ガエル』とか吾妻ひでおとか『ワッハマン』とかを彷彿とさせるナンセンスっぷりは、なんか久々なカンジでえがった。
作りすぎ、あざとすぎと感じたのは、観た側の感性と受けとめよう。

読物 『一九八四年』

 つまるところ、記録局にしたところで真理省の一部局に過ぎず、真理省の主たる仕事は過去を再構成することではなく、オセアニアの市民に新聞、映画、教科書、テレスクリーン番組、劇、小説を提供すること、あらゆる種類の情報、教え、娯楽を、銅像からスローガンにいたるまで、抒情詩から生物学の論文まで、子ども用の綴り方教本からニュースピーク辞典まで、を提供することだった。そして真理省はこうした多種多様な党の要求に応えるばかりでなく、プロレタリアートのためのもっと下等な要求に応えるものを同じように提供しなくてはならなかった。別個の部局が大挙して、それぞれプロレタリア用の文学、音楽、劇、そして娯楽一般を担当していた。ここでは、スポーツと犯罪と星占いくらいっしか掲載していないくず新聞、扇情的な安っぽい立ち読み小説、セックス描写だらけの映画、韻文作成器と呼ばれる特殊な万華鏡を用いたまったく機械的な方法で作られるセンチメンタルな歌などが生み出されていた。ニュースピークで<ポルノ課>と呼ばれる独立した担当部署すら存在し、露骨極まるポルノグラフィの製作に勤しんでいた。それは封印した小包として発送され、この作業に従事しているもの以外、党員といえども誰ひとり見ることが許されないのだった。
P.68

本書が描写するように「全体主義恐るべし」とされる一方で、古き良きエスエフやそのテイストを意識的にとりいれた作品なんかでは、たぶん著者は意図せぬままに善玉の属する政体を全体主義的に扱ってたりする。十分に発達した民主主義の上で実現したご都合主義的社会主義社会という風に見える。

一般に開示される情報に偏向があるようだと明らかにされつつある昨今、一見して全体主義的でなくとも、全体主義的にふるまってしまうのは国家というものの基本的なありようなのだと思うを禁じ得ない。
主義やシステムではなく、個人にこそ問われるべきものがあるということなのだろう。

2012年5月21日 (月)

ゲーム近況

やっているのではなく、やろうとしている。

EverQuest。
F2Pになって、一度くらいはログイン果たせるなら復帰とか考え、とりあえずサポートに問い合わせてアカウントとパスワードを思い出し、クライアントをインストールしたところでUIファイルがないといろいろとアカンことを思い出して中断。UIの設定方法なんか覚えていない。
Win2Kたる旧PCに2Acc目のUIファイルが残存しているかもしれないと確かめてみれば1stのUIファイルをも見出してこれは僥倖と喜んだのも束の間、わりとどうでもいいサブキャラでログインしたはいいが操作方法がまったく思い出せない。
とりあえずあちこち旅をしているうちになんか思い出すだろうと、旅に便利なキャラを選んでログイン、DoDゾーンからネクチュレス・フォレスト、コモンランド、PoKと旅をして、代わり果てたグラフィックに意気がくじけた。

FE 覚醒。
トレイラーにそそられて3DSごと買う気になったものの、勘違いDLC商売っぽいカンジに嫌悪を覚え、様子を見ることにする。
低い評価を参考にする昨今、単体での完成度について気になるレビューを目にして消沈。

P4G。
アニメを見てこりゃおもしれえとゲームが気になり、調べてみればPS2版をアップグレードしたPSVita版が6月に発売するという。携帯ゲーム機にはまるで興味がなかったが、それとなく悪い評だけは耳に入っている。
ぼちぼちと情報を集めてみれば、かつて箱を買おうとした時と状況が似ており、腰が引けた。
レビューを見て決めようと待機中。

WoW。
EverQuestを懐かしんでいろいろやってたら、Mixiにかつてのギルドメンバーを発見、連絡を取ってみたらDiablo3を始めたという。Diabloは最初のヤツをLAN対戦したくらいで、あまりハマってはいない。とりあえず体験版をやってみようかと思ったら、ロンチから30日後に解禁だという。なんだそりゃ。
とりあえずBattlenetのアカウントだけでも取っておくかとごにょごにょしたら、WoWのトライアル版が目に入った。
やってみた。
数年前、二個買った友人から一個譲り受け、ちょっと遊んで投げ出した『白騎士物語』と似ている。
WoWを初めてやってみようと思ったのはまだEQ現役だった頃、EQJEに未来はなさげとの噂で持ちきりだった頃のことだ。一見してグラフィックに首をかしげ、やらずじまいになった。
最近のMMOは低レベルに優しいつくりになっているらしい。EQもそんな風になっていた。操作方法とかクエストのやり方とかを覚えることを主として、危険のないエリア設計になっているらしい。MOBに接近してもAggroしない。
なんだか、どうにも楽しくない。ヌルすぎるのも難だ。

とりあえず狙いを定めたP4Gまでのツナギをと考えていたわけだが、なんだか無理にゲームをやらなくてもいいような気になってきた。

2012年5月15日 (火)

アニメ 『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』

映画版を見たはずだが、まるで初見のように(ry

「死の谷」までのエピソードは覚えがある。OVA版でそこまで見て、また異能話かとウンザリして見るのを止め、映画版で総括して済にした、そんな記憶がある。

なぜあんなにも嫌ったのだろう。
たぶん「異能」が原因だ。『幻影編』を視聴して「異能」を受け入れることができたから、今回、大いに楽しむことができたのだろう。
『孤影再び』や『幻影編』のようにAT描写にムチャぶりがなく、いや、雪原でAT掘りすぎ進みすぎと思わなくもないが、オヤオヤと思うよりはATスゲーと思わせる描写におさまっていたと感じられたことも再評価の大きなポイントかもしれない。

2012年5月12日 (土)

読物 『ピープルウェア』

 昔から、この世には二つの価値観がある、というのが歴史学者の間では定説になっている。その一つは、スペイン流の考え方である。これは、地球上には一定量の価値しかない、したがって、豊かになる道は、大地や民衆の苦役から、どうやってうまく冨を搾り取るかに長けることである。もう一報は、価値は発明の才能と技術で創造するものである、というイギリス流の考え方である。その結果、イギリスでは産業革命が起こり、スペイン人は植民地を求め、新大陸のインディオからの搾取に明けくれた。スペイン人は大量の金をヨーロッパへ持ち帰ったが、その代償として得たものは、ひどいインフレ(金貨がダブついているのに買えるものがない)であった。
 スペイン流の価値観は、管理者の間に今も脈々と生きている。これは管理者が生産性について能書きをたれるのを聞いているとすぐわかる。本来、生産性とは、一時間当たり、どれだけ多くのものを作れるか、ということであるべきなのに、現実には、一時間当たりの賃金から、どれだけ多くのものを搾り取るか、という意味にゆがめられていることが多い。この二つの生産性には大きな違いがある。アメリカのソフトウェア業界では、年俸あるいはプロジェクトベースで給料が支払われるため、通常は残業しても残業手当がつかないが、スペイン流の管理者は、タダ働きの残業を利用して、生産性を上げようと夢みたいなことを考えている。この連中にかかると、一週間で仕上げた成果を、実際に八〇時間、九〇時間働かせても、四〇時間で割り、一時間当たりの生産性とする。
P.39

 シャロンは、すぐれた管理者の本質をよく知り抜いていた。つまり、管理者の役割は、人を働かせることにあるのではなくて、人を働く気にさせることである。

P.71

 一九六〇年代にコーネル大学の研究者が「生産性と音楽について」というテーマで一連の実験を行った。コンピューターサイエンス学科の学部学生から希望者を募り、二つのグループに分けた。一つは音楽を聴きながら勉強をするのが好きな学生で、もう一つは静かでないと勉強が手につかないグループである。各グループの半数ずつを、それぞれ無音室とオーディオ装置付きの部屋に入れた。そして、両方の部屋の学生に仕様書を配り、Fortranのプログラム作成という課題を与えた。その結果は、予想されたとおり、プログラム完成に要した時間、および、正確さには大きな差はなかった。これは、例えば音楽を聴きながら数学の宿題をする場合、数学及び数学的思考を司る大脳の部位は音楽の影響を全く受け付けないためである。すなわち、音楽用の脳細胞は別の場所にあるのだ。
 この実験には、一般に知られていない事実が隠されていた。この実験でのプログラムの仕様は、入力データ中の数字にある操作を行い、出力データを出力するというものであった。例えば、入力データの各数字を二桁左にシフトし、それを一〇〇で割り、同様の処理を全部で一〇回程度繰り返す。もちろん、仕様書には書いていないが、入力データを左へ二桁シフトし、一〇〇で割って出力された結果は、もとの入力データと全く同じであり、入力データをそのまま出力データとして出力出来る。これに気付いた学生もいたし、全く気付かなかった学生もいた。注目すべきことは、気付いた人の大部分は無音室側の学生だったということだ。
 プログラマーのように専門分野の高度な知識が必要となる職種では、順序立った論理的思考を司る左脳が非常に重要である。通常の作業は大部分がここで処理され、音楽の影響はほとんど受けない。音楽のように感覚的、直観的なものは右脳で処理されるためである。しかし、プログラマーの作業すべてが左脳で処理されるのではない。例えば「あっ、そうだ!」という突然のヒラメキで問題が解決することもあるし、何ヵ月分、何年分もの作業時間が、独創的なヒラメキで節約出来ることもある。この思考は右脳の機能なのである。有線放送で「1001ストリングスオーケストラによる魅惑のムードミュージック」を流すと、右脳は音楽に占領され、とてもヒラメキが起こる余地はない。

P.136

 どうも最近は、開発技術者をどんどん官僚主義に駆り立てる、あまり芳しくない傾向がある。恐らく、これは自己防衛的管理という病がはやっている証拠であろう。しかし、この傾向はあまねく行き渡っているとはいえ、必ずしもすべてが一様ではない。我々がよく知っている会社にも、開発技術者が、カフカが『城』で描いたような官僚主義的な悪夢と同じようだ、といっているところや、ペーパーワークの負担はとるに足りない、といっているところもある。

P.221

日本語訳書は1989年2月に刊行されている。
我がプログラマ人生は1995年くらいから始まっていて、以来約20年、本書がテーマとするような「あるべき職場環境」にめぐりあったことはない。大企業ほど本書の真逆を行っているという印象もある。

本書の主張のひとつは、「プログラマは集中する必要があるので、電話を取らせたりとかいう雑事を並行させるのは生産性を低下させますよ」というようなことだ。確かにその通りだと思う。本文中にも「プログラムは夜作られる」というような記述があったが、これはまさにかつて実感していたことで、週に五日間泊りこんで作業したりしていたのは、実際そのような理由による。着替えのストックをもっと持ち運べたなら、一カ月でも泊まりこんだことだろう。当時は体力的にそういう余裕があった。

本書はまたチームの大切さを語ってもいる。これについては実体験が不足しているためか、ピンとくるものがなかったが、性善説に基づいた主張であり、全面的に肯定できない。残業代を稼ぐために月300時間残業を果たした方を知っているが、昼間は半覚醒状態が常であった。
また、スケジュール表に並行して線を引かれた経験が何度もある。それはつまり一定期間で他のメンバーよりも多くの仕事量を課されていることになるわけなのだが、もちろんこれを達成したからといって褒めてもらえるわけでもない。「俺と同じ名前のプロジェクトメンバーがいっぱいいるんですね」くらいのイヤミはいうが、この差別についてとくに苦情を述べたことはない。管理者が管理すべきスケジュールの問題を当方に押し付けているのだから、その対価として品質が犠牲になることを認めさせたくらいだ。
このような背景を知ってか知らずか、チームのメンバーから品質の悪さを皮肉られたことがある。皮肉った当人は、担当していたたった一つの共通関数の納期を延ばしに延ばし、当方に悪影響を及ぼしたことを覚えていないようだった。
本書のチームに関する主張は、チームメイトがある一定水準に達しているという前提が不可欠となる。

管理者については、官僚主義的という事例には覚えがある。
個人的経験では「いい人なんだけれどね」という管理者にあたることが多かったが、これは組織が管理者養成を行っていないという感触を得ていたので、思うところはあまりない。

前世紀、WebなどでMicrosoftのオフィス環境を初めて見たときには「ここまで必要だとは思わないが、こんなカンジの作業空間であったならさぞかし捗るだろうな」と感じたものだ。超大企業でありかつ、プログラミングという作業について理解のある経営者でないと、本書が理想とするようなオフィス環境は実現できまい。

現在の職場には開発担当者は我が身のみで、基本的に開発担当者は顧客と直接折衝をしない、電話を取らない、という指示が出されている。とはいえ、まったく取らずには済まされないし、インタラプトも入らないわけではない。
プログラマに対して理解があるというよりは、プログラマが電話を取ると儲けどころを失する場合があるからという理由のようであるが、理由がどうであれ、本書が主張するところを一つでも実践している職場にめぐりあったのは初めてのことかもしれない。

アニメ 『装甲騎兵ボトムズ 幻影篇』

神はサイコロを振らず・・・したたかだ
キリコオタク、ロッチナのセリフより

オタクを極めれば神に召されるという話(嘘

バニラ、ココナ、ゴートの声に癒されつつ。
オリジナルキャストの登場はとても歓迎すべきなのだが、キリコという存在のシバリが物語をこんなふうにしてしまうならば、それに拘泥していただきたくはない。
このシリーズによってシバリからの脱却を図ったと思われるのだが、今後物語が続くとして、なおいっそう縛られるしかないような気がするのは杞憂だろうか。

どうでもいいが、『ペールゼン・ファイルズ劇場版』の予告?ワロタ。

「真実とは、常に残酷だ・・・お前は、異能生存体だということだ!!」

「異能…生存体!」
「異能生存体・・・!?」

肩を落とした鉄の背中が何処までも続く
穢れた赤い雨が装甲までも溶かさんとする
息を喘がせ、足元だけを見つめ、ただひたすら焼けた大地を踏みしめる敗残の騎兵達

百年戦争末期、集められた異能の五人、奇跡の分隊
互いに頼り、互いに庇い合い、互いに助け合う
一人が五人の為に、五人が一人の為に
分隊は兄弟、分隊は家族

ふっ・・・嘘を言うな・・・

無能、怯懦、虚偽、杜撰・・それらを纏めて粗暴で括る!
誰が仕組んだ地獄やら、兄弟、家族が笑わせる!
己一人の我が身が可愛い!
お前も!お前も!!お前も!!!・・・俺の為に死ね!!!

装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ 劇場版!

こいつ等は、何の為に集められたのか・・・?

2012年5月11日 (金)

アニメ 『装甲騎兵ボトムズ 孤影再び』

蠱毒の壺の中で生きのこったモノは最強であろうか。幸運であろうか。
生きのこってなにかをなしえる存在となり得るであろうか。ただ使われるだけの存在であろうか。
アストラギウス銀河という蠱毒の壺で異能生存体として誕生したキリコは蠱であろうか、蠱を超えるなにかであろうか。
そんなことに思いが及んだら、クエント編を肯定できたような気になった。
あるいは、三人組の再登場が大きく響いているのかもしれない。

さておき。
テイタニアイケメンな話である。
ATがCGになったために作画で安定感が得られた半面、イマイチ動きが軽いなあとか。ATというよりACのような機動だなあとか。ガン=カタへのオマージュはもうちょっとがんばらないとあざといだけだよなあとか。アゴが短ければ顔面のバランスがいいんだろうけどなあとか。思わないこともないわけではないが、オオムネよし。

2012年5月 7日 (月)

アニメ 『赫奕たる異端』

初見で何故あんなにも嫌ったのか。
再び視聴して、物語はそれほど悪くはないという実感とともに、色濃く残る嫌悪感の理由を探って、原因が絵にあることを思い出した。

アニメーターがオリジナリティを発揮しだした頃、その筋では「○○作画」のようにもてはやす風潮があったことを記憶している。個人的には「オリジナルに似せる努力をしない作画」として嫌っていた――似せようとして猿顔になりがちだったキリコのほうが好感が持てる――が、この作品はまさにそれを地でいっていた。
当時はこのような絵が流行っていたのだろう。それだけでわりとアニメに辟易していたと思う。絵に対してこだわりが激減した今だから、当時ほど過敏に反応しなくなったということなのだろう。

弾の尽きない素敵なヘビーマシンガンとか細けえこともないではないが、ペールゼン・ファイルズのやりすぎ感ほどではなく、キリコはもうそっとしておいてやってくれと願いつつも、『孤影再び』『幻影編』を見てやろうという気になるほどに楽しめた。

キリコじゃなくてもいいんだ。異能者が出ない、アストラギウス銀河の話なら。
いつかまた、むせる感じなボトムズを見ることはできるのだろうか。

2012年5月 6日 (日)

きうれんきうのこと。

年始めに今年はどうもアレらしいとの天啓を示されたので、GWはひきこもって毛布を頭からかぶってガタガタ震えながら、文字と絵と映像に逃避することにし、そのようにした。
文字は別途記載済みであるからして、絵と映像について覚え書きを記す。

漫画
・『絶対可憐チルドレン』 28-29巻
  どこまで行くんだろうか・・・と思った矢先、進展アリ。とはいえ終わりは見えない。
・『ツマヌダ格闘街』 7-9巻
  藤子ネタが楽しい。『ブラック商会変奇郎』が読みたい昨今、どうやったら読めるだろうか。
・『オールラウンダー廻』 1-8巻
  『EDEN』初期のノリではじまり、『EDEN』後期なノリで安定した模様。帯ギュなカンジ。
・『3月のライオン』 7巻
  いじめ問題にどのような始末をつけるのか心配だったが、杞憂だった。
・『ヴィンランド・サガ』 11巻
  どこへ向かうのだろう感は失せたが、キルヒアイス問題にぶつからねばよいがというどうでもいい不安がある。
・『神々の山嶺』 全5巻
  将棋も山登りも、ぎちぎちと噛むような鬼の話にしてしまう。さすがである。
・『二舎六房の七人』 全22巻
  中盤まではいいカンジだったのだが、あんちゃん節が空回りしはじめた終盤がちょっと痛い。

映像
・『ブルース・リー伝説』
  カンフーというとジャッキー・チェンであり、個人的にはあまりブルース・リーに思い入れはない。貸していただいたので見ることになった。
  シーンごとに脚本家と演出家が異なるかのようなキャラ付け、展開であり、ageているのかsageているのかわからない。中国ヤクザの親分が急須から直接茶を飲むシーンがあり、そのような風習があるのかちょっと調べてみたが例が見あたらない。
  全30話らしい。とりあえず続きを所望しよう。
・『ファイトクラブ』
・『機甲猟兵メロウリンク』
  細かいところに目をつぶれる至高のボトムズ作品である。
  OP以外いいところが見つからない『赫奕たる異端』から失速して『ペールゼン・ファイルズ』もナンで興味を失していた。
  『赫奕たる異端』の続編となる『幻影篇』『孤影再び』が発表されて久しいようだ。見るべきか・・・
・『レディホーク』
  正直映画はイマイチぱっとしない。特にエンディング。
  先に読んだノベライズ版はこの上なく面白かった記憶がある。
  多分、『ベルセルク』の原典の一つ。
  ネズミのフィリップが、『フェリスはある朝突然に』の人だとは気付かなかった。

九連休だったというのに自重シバリ、という事態もまたツキのなさを証明している。
そんなGW。

アニメ 『ペルソナ4』

正直、ペルソナシリーズはJOJOクローンとしてしか見ておらず、あるいはブラウンというカンジだった。『女神転生』のシリーズに属することに違和感があったが、公式にそうではなくなったらしい今でもスタンドが仲魔であるということがどうにも飲み下せない。
アニメ『ペルソナ~トリニティ・ソウル~』もいろいろとビミョーであまりよい印象はない。題材からしていわゆるセカイ系にならざるを得ないのだろうが、セカイの問題と同様、ココロの問題を扱った娯楽はどうにも醒める。

現代を舞台にしたRPGの制約については繰り返しになるが、現実とのギャップ感がどうにもよろしくない。漫画なら「俺が裁く!」でいいが、キャラクターをプレイした場合にはコモンセンスが邪魔をする。コモンセンスを無視していくと、ゴッコ遊び感が強調される。
TMBというTRPGではPCはモンスターハンターとなるが、初期状態では金銭的な理由から公共交通機関で現場に赴くという、伝奇的ナニでは考えられないような現実感に打ちのめされた。「その瞬間宙に舞っていた」どころか、吊革につかまってモンスターを追わなければならないヒーロー像は新しいが、好みではない。
メガテンRPGでは、超常能力を所有することを是として雇用されたプレイヤーの給与がめっちゃ安かったことがある。仕事上発生するリスク、最悪は死を被ることへの対価として不適切と感じたわけだが、マスターはそうは思っていなかったようだ。コスト意識の差は、職種によって明確に異なるという一つの事例であろう。ゲスト参加だったので深く追求しなかったが、「現実に準拠した舞台で、極めて特殊な能力を有する人物が命を安く張る仕事をしている」というギャップはうまく埋まらなかった。

そんな個人的事情はさておき、いろいろとユルいものに触れ続けてようやく、我が身も閾値を超えることができたのだろう。このユルいアニメを心から楽しむことができた。1st SeasonのOP、EDテーマはとても気に入ったので手に入れたいのだが、未発売の模様。アニメ放映期間中にシングルCD発売されないってナンデ?と思ったら、DVD/BD限定版の特典だったorz
ゲーム作品も試してみたくなったのだが、現在我が環境ではPS2をプレイできない。スキャンコンバータか、コンポジットないしD端子を備えた出力機器を入手する必要がある。あるいはPS Vitaで発売されるバージョンアップ作品を待つ必要があるが、待っている間に熱が冷めることは必定。
PS3でPS2のゲームが遊べないというのはいかにも不便だ。

2012年5月 2日 (水)

アニメ 『輪廻のラグランジェ』

アザトース。

なんだかいろいろとスカスカな。

顧客要望に「エヴァみたいに」とか「ストパンみたいに」とか「マクロスみたいに」とか書いてあり、そのせいで製作サイドがやる気を失いつつ変にやる気を出した、みたいなカンジ。

総監督という位置づけが気になるが、味わいとしては『バスカッシュ!』に似てる。
悪くはないけどコレジャナイ。

基地がバリアを張るとか、なんか久々なカンジだった。

2012年5月 1日 (火)

読物 『マスゴミ崩壊 ~さらばレガシーメディア~』

 日本政府の財政問題に関するマスメディアの論調は、この種の悪質なミスリードで満ち溢れているのだ。「国民一人当たりの借金」は、その最たるものと言えよう。折角なので、本件(政府の財政問題)に関するマスメディアの論調の問題点を、まとめてご紹介しておこう。
  • 債権者が日本国民であるにも関わらず、「国民一人当たりの借金」という悪質なフレーズを使い続けている。
  • 日本政府には負債だけではなく、およそ500兆円に及ぶ金融資産があるのだが、マスメディアは決してその事実には触れない。ちなみに、日本政府の金融資産残高は、公的機関としては(いや、もしかしたら民間を含めても)世界一で、何とアメリカ政府(州政府含む)の2倍にも達している。
  • 日本政府の負債は100%日本円建てで、外貨建てはゼロである。人類の歴史上、「自国通貨建て」の負債を返済できずに破綻した中央政府は、一か国たりとも存在しない。中央政府は自国通貨を発行することができる立場なのであるから、当たり前である。
  • 日本のマスメディアは国内の政府破綻の例として、頻繁に夕張市を引き合いに出す。しかし、中央政府は中央銀行を通じ、国債を買い取ることができるが、地方政府が地方債を買い取ることはできないという事実は無視する。
  • 負債を返済できずに中央政府が破綻した例としては、最近ではロシア(98年)及びアルゼンチン(01年)が有名である。両国政府とも「外貨建て」で「海外から借りた」負債を返済できずに破綻した。だが、日本のマスメディアは、あえてその事実を無視し、日本政府の「自国通貨建て」負債問題を、ロシア、アルゼンチン両政府のデフォルト(債務不履行)と対比させる。
  • 北欧諸国などの高税率国を除き、世界で長期的、短期的に政府の負債が減少している国は存在しない。例えば、フランス及びイタリア政府の負債は、1980年と比較して実に14倍にも膨れ上がっているが(同期間の日本政府の負債は8倍に)、マスメディアが他国の事例を日本と比較することはない。
  • 日本政府の発行する国債の金利は、長年世界最低を続けている。国債金利が世界一低いということは、国債の「価値」が世界で最も高いということを意味している。国債金利が世界最低である以上、日本政府の国債発行は「世界のあらゆる政府の中でも最も容易」であるという事実について、日本のマスメディアは決して触れない。
  • 日本の国債金利が世界最低なのは、日本国内に膨大な家計の金融資産が存在するためである。より具体的に書くと、実は日本の家計が保有する現預金の額は、何とアメリカの家計の現預金総額よりも「絶対値」で大きいのだ。(注:アメリカの人口は日本のほぼ2.5倍である!)。つまり、日本の家計は世界で最も多額の現預金を保有しているわけである。しかし、日本のマスメディアは、この事実について沈黙を守り続けている。
  • 家計の金融資産が巨額であるため、日本は国家全体としては純資産(注:「資産」-「負債の額」)が世界で最も大きい。すなわち、日本国家は世界一の金持ちなのである(だからこそ、日本のたいがい順資金は世界最大なのである)。しかし、マスメディアは決してこの事実、「日本が国家として世界で最も金持ち」については報道しない。
P.10
新聞もテレビも、我が日常生活の非標準となって久しい。
マスメディアの恐ろしさについて、無責任、不公平ということともども初めて感じたのは「松本サリン事件」であろうか。正常に機能しているならば頼もしい、親しい存在となろうが、そうでない場合、大いなる脅威となりうることを自ら示した。
マスメディアのインテリジェンスについて、そのレベルの低さに気付かされたのは若貴ブームの頃だろうか。よりにもよって、NHKのインタビュアーが教えてくれた。
政治家、警察、マスコミの質はすなわち国民の質であるという言を知ったのもその頃で、だからたぶん、身の回りから遠ざけるようになったのだろうと思う。

そんな事情はさておき、マスメディアによる偏向報道を再三に渡って問題視しているこの本も、どこか印象操作の観があるを否めない。
とはいえ、面白い本ではある。

読物 『とある飛空士への追憶』

松本零士の空戦モノを見ているかのようで、これはよいモノだとニヤニヤしていたのだが、エンディングが冴えない。
もしかすると、映像で見たらそんなことはないのかもしれない。

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