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2012年4月30日 (月)

読物 『灼眼のシャナ』

望んでそうなったわけではないが、どうも世間と好みがズレる。世間の評価を信じては裏切られ、たまには歩み寄ろうとしてやっぱ無理、ということを繰り返している間にそうなったようだ。
それでも懲りずに、いろいろと試す。本作品もそんな試行の中に出会ったものの一つだ。

『灼眼のシャナ』は、アニメから入った。
話の内容はよく知らず、絵も好みではないのに、一期シリーズは楽しんで観たように思う。
その原因は明らかで、異能の王を感嘆せしめた一介の主婦・坂井千草の存在に依るところが大きい。というか、それしかないかもしれない。
二期はヘカテーたんとやらががスク水で登場したあたりで見る気がなくなった。
三期が始まって二期から見ようかなと考えた矢先、アニメと小説では展開が異なるらしいことを知った。小説版が完結しているらしいことも。

じゃあ、小説でいいか。
そんなカンジで原作小説を読むことにした。
釘宮ボイスの脳内再生余裕。特にファンというわけではないが、あの声は脳に突き刺さってなかなか抜けない。
架空の組織「仮装舞踏会(バル・マスケ)」を「バルマス家」と聞いていたことに気付かされる。

厨二設定は嫌いではない。嫌いだったらTRPGでマスターなどできない。
俺TUEEEEもけっこう。シラけるまでは楽しめる。
我が身が嫌うのは、物語世界の破綻である。それは厨二設定や俺TUEEEE、著者によるキャラへの偏愛、物語世界を拡張しようとしたときなど、様々な要因で発生する。破綻を無視できるほどに物語に耽溺できていれば幸い、そうでない場合は、つきあいきれなくなる。

この物語は、サイドストーリーをうまく使うことによって物語世界の拡張に成功していると思う。1~9巻、0巻、10~22巻の順に読んで唐突感に襲われたのは、逃がし屋三人組と第三の神、実はもっていた法具、だけだった。
戦記、戦術、戦略を語るフィクションは、著者の知能を勝者に当て、敗者はひたすら愚鈍に描写されることが多い。この物語では、我が身の嫌うこの傾向はなかった。キャラクターの強さがイマイチよくわからないために、都合よくふりまわされている感は否めなかったが、受けいれた厨二設定の上でならばよしとできる。

著者の教師に対する主観が鼻につく序盤から、著者のもつ現実世界への認識の境界を知らしめる中盤から終盤、()つきの文章が多いことから感じられてしまう推敲の甘さというものもあるにはある。著者自ら「痛快娯楽アクション小説」と称しているが、アクション描写が俺過ぎてわかりにくい。何度も読み返さないとどうなっているかわからないアクションシーンというのも困ったもので、一読してわからんものは、なんかわからんけどスゲーんだろうなー的にスルーしてしまうようになった。
また、世には確かに、芝村裕利文体に影響された作品群が存在するという確かな証拠の一つでもある。他者が模倣して小気味よいものではない。
とはいえ、総じて大いに楽しませてもらったといえよう。

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