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2012年2月

2012年2月28日 (火)

座骨神経痛

1/4 事故、肋骨骨折、右膝擦過傷
1/末 右膝擦過傷の痛み軽減により、別の膝の痛みに気付く。MRIにより膝蓋骨内側に黒っぽいモノが写る。
    リハビリをしながら様子を見ることになる。
    肋骨完治の診断を受ける。
2/二週 左足に原因不明の痛み。腰痛の診断を受け、腰痛に関するリハビリメニュー追加。
   左足は一時よくなった。
2/五週 四週から再発した左足の痛みが耐えがたく、医師に相談する。坐骨神経痛の診断を受ける。
   注射にて症状軽減、リハビリメニューに左足追加。

事故後の経過はこのようになる。
この間に花粉症を発症したり風邪をひいたりして、症状の識別が困難になっていた。風邪を引くと関節が痛くなることがあるためである。

数年前、信号無視の車両にパニックブレーキをして転倒、車両接触はないという、対人事故になったことがある。
その時はリハビリがめんどいので早々に通院終了としてしまったが、後にムチウチが発症し、今も続く後遺症に悩まされている。
前回は体力で乗り切る気力があったが、今はない。痛くてしょうがない。
今回はじっくりとリハビリすることにしよう。

2012年2月25日 (土)

雑誌 『週刊アスキー 2012/3/6号』

『ゲームエンジンを使えば超簡単っ!! スマホ用ゲームを3時間で自作する』というアオリに惹かれ、珍しく書店に赴いた。アスキーと名のつく雑誌は数種類、少なくとも二種あるらしいことをツタヤで確認した。同じタイトルを関した商品は見出したが、該当商品が見あたらなかったのだ。入手を焦り、ちょっと遠い書店まで買いに走って入手に至った。

ほぼ一年前、仕事に暇ができたときに、Android用アプリの作成を検討したことがある。お世話になっている職場が開発した製品の一つにPDAを利用した発注システムがあるらしいので、それをリプレイスしてみようと考えた。
内容までは知らなかったので調べてみたところ、クラシックASPを使ったWebコンテンツで、なんというか、一気にやる気がなくなってしまった。WebコンテンツならばそのままAndroidで使用できる。Androidアプリ化するメリットが低いように思えたためだ。
とりあえずAndroid端末で使用できるようレイアウトを変更して報告したところで3つくらい並行して仕事が舞い込み、頓挫した。

enchant.js というのは、その折に耳にしていた。当時のニーズには無関係と思えたので興味を惹かれなかったが、ライブラリの一種という程度の認識をもっていた。今回の記事は、「これを利用することで雑誌一頁に無理なく掲載できる分量のプログラムでゲームが作れますよ!」というものだ。
作るべきゲームのネタもないし、個人的なニーズにもマッチしない。それでもそそられたのは、最古のテクポリとかベーマガとか思い出させられたことが原因であろう。
記事のレイアウトは図表を満載したわかりやすいものだ。ソースコードを一頁にできるとわかったから企画になった、というところだろうか。プログラムについてアレコレ説明しようとするとウザくなるからだろう、その辺のことはばっさり割愛し、またWebを併用することで雑誌上の情報量を軽減している印象である。

この記事によってちょっとだけ enchant.js に興味を抱いたのはたしかだが、同雑誌にはこれよりも興味深い記事があった。
『今週のデジゴト』というコラムで、ライターは山崎浩一となっている。以下引用。

(前略)プライドが低い者ほど、それに執着する。たいした仕事をしてないヤツほど多忙自慢したがるのと同じ。(後略)

能力主義と努力主義のあいだにあるジレンマ
 こんな実験がある。
 400人の小学生に簡単なパズルを解かせる。その結果を受けて、半数の生徒を「君は頭がいいね」と能力をほめる(A)。一方、残りの半数は「一生懸命やったね」と努力をほめる(B)。そして2問目は、最初と同難易度のパズル(1)と、より難度の高いパズル(2)を生徒たちに選ばせる。(2)は「難しいけど勉強になるよ」と説明される。するとAグループの9割が(1)を選び、Bグループの9割が(2)を選んだ。次にさらに難度の高いパズルを全員に解かせると、Bの子たちは熱心に取り組んだが、Aの子たちはすぐに挫折。そして全員に「成績が自分より高かった子と低かった子のどちらかのテスト用紙を見ていいよ」と選ばせると、Bの子の大半が前者を見たがったのに対し、Aの子のほぼ全員が後者を選んだ。最後に最初と同難度のパズルを全員に解かせると、Bグループの平均点が30パーセント上昇したのに対し、Aは20パーセント下落した。(出典は'11年10月18日付『WIRED.jp』)
 この実験を行ったスタンフォード大学のC・ドゥエック氏も「ちょっとした言葉のアヤがこれほど劇的な効果を生むとは予想していなかった」という。おそらくこういうことだ。自分の能力=属性を認められたAグループは、それによって芽生えた自尊心を保守・強化して自分を賢く見せることに腐心するようになる。だから間違いを犯すリスクを避ける傾向を強める。一方、自分の努力=行為・志向を認められたBグループは、リスクを恐れず失敗から学ぼうとする志向を強める。どちらが本物の自尊心か?
 こんな実験がおこなわれるのも、やはりアメリカにも能力主義と努力主義のジレンマが存在するということなのだろう。成果主義者は「がんばったことをほめるのは、おためごかしだ」と主張するかもしれないが、実はそのおためごかしのほうがよっぽど成果につながるらしい。"努力をほめるくせに失敗は許さない"という分裂的傾向の強い我々の社会には、さらに学ぶべき点の多い実験結果なのではないだろうか(結局これか)。

こんな文面が、頭を下げた○電役員とおぼしき人物のイラストとともに掲載されている。頭を下げながら内心では「失敗ではない。言い逃れの方法を一万通り発見しただけだ」と思い浮かべている、という図である。

世の中にあるいわゆるテストというものは、評価者を基準に作成されている。評価者の能力を超えるテストはできない。中国の科挙はそれはすごい論文や討論が試験の対象となったそうだが、論には「常識」はあっても「回答」がない場合がある。論じるような試験の場合、試験官の資質がモロに出る。

映画や小説、漫画というものは、その作品以前に存在したものを再解釈し、わかりやすくして発表される場合がある。おそらくは無意識に、全てのクリエイターはこれをやっているはずである。参考にしたものが既に噛み砕かれたものだったとしたら、その成果物がさらに噛み砕かれたものになる場合もあるだろう。
エンターテイメントは総じてつまらなくなったと感じているが、世間的にもそう評する向きはあるようだ。そうなった理由の一つとして、やわらかくしすぎて幼児専用になりつつあるという事実もあるのではないかと、随分と前から感じている。

科挙においても試験官の気分や能力で受験者の能力が評価されず落第となったことはあるかもしれないが、生来の雰囲気を残している間はさぞや優秀な人材が揃ったことであろう。評価者が優秀だった間は。
噛み砕かれた教育によって育てられた教育者が、さらに教育を噛み砕くとしたら。実際には理解していないし、それがどのように役立つかも分かっていないが、機械的に覚えたことを機械的に伝達する人材が教育する立場に立ってしまったら。
そのような人物が、政治的な理由や、年功序列(これも評価者の無能と保身の産物)で権限を拡大させていくとしたら。無能力者がトップに立ってしまったときの悲劇は、最近では『坂の上の雲』がわかりやすいだろうか。

それでも社会において努力主義を最善とすることには抵抗を感じるが、せめて情操教育時には努力主義はもっと積極的に利用されるべきであろう。
褒めようと思ってもなかなか褒められない我が身はやはり、能力主義、成果主義に毒されすぎているかもしれないと思いつつ、意識して改めていきたいと感じた次第である。

2012年2月24日 (金)

読物 『なれる!SE6 楽々実践?サイドビジネス』

たんぺんしう。

サイドビジネスというか、個人事業主なので契約を複数並行させたことがあるが、個人的には契約上のトラブルに至ったことはない。きっちり切れている。

別件で、社員契約から業務請負に切り替えた(もともと社員契約は望んでいなかったのに、その希望を受け入れたフリして社員契約にされてしまっていた)際に、最後の一カ月報酬が未払にされたことがある。先方の言い分では瑕疵担保違反だからということだが、契約書には担保の方法については明記されておらず、既に他に職を持っていたため土日の対応となる旨打診したのだが、送付した電子/原始メールに応答はなく、うやむやにされてしまった。
これについては、契約時に「既存システムの改修という業務委託で、責任の切り分けができるのか」と言って瑕疵担保が困難である旨お伝えしたが、先方の専務に「契約上の記載だけだから」としておしきられてしまった過ちによる。
さらには、急な契約破棄は先方から言いだしたことで、それで瑕疵担保をいうのは筋違いであろう。契約更新がなされない場合は事前に余裕を持って通告していただく旨、契約書に記載していただいたのだが、これに対する違反はどう思っているのだろうか。
ちょっと高い授業料を払ってしまったが、学ばせていただいた。それから五年、そのオフィスは消滅したようである。

本書には「無線LANの構築をしたのに、LANとは無縁のプロジェクターのトラブルシュートがあがってきた」というような一文があるが、こういうのはわりと日常のことで、余所で買った機器なのに、問合せだけしてくる客とかいる。
自分でやると言ったのにできなくて、パソコンのせいにしたりする。
サポート云々、アフターサービス云々というトラブルはITという業種だけにとどまらないが、PCというブラックボックスのせいで、ユーザは自分の及ばないところをそこに押しつけやすいのだろう。

相変わらず、なんというかオマージュが効きすぎていてどうにもキツい部分もあるが、楽しめる。
十年ほど前に思いついてやろうとしてできなかったことをやってくれている。
そんな夢を託しているような部分もあるが、がんばっていただきたいものである。



2012年2月23日 (木)

粗食プロジェクト

思い立って、

Champion Nutrition, Pure Whey Protein Stack, Banana Scream, 5 lbs

を服用してみることにした。

国内でオーダーするよりも、海外サイトでオーダーする方が輸送費用を含めても二千円ほどお得ということで注文してから約一週間、手元に届いた。

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でかいw

いろいろあたってみたが飲み方もさまざまのようで、よくわからんままに付属のスプーンで二杯という情報に従い、試しに水に溶いて飲んでみることにした。人生初プロテイン。

マズイと聞いていたが、バナナ味の飲み口は悪くない。牛乳でもいいだろう。
ホエイプロテインというのは乳清から作るそうだが、なんとなく卵っぽい味がする。

ここのところどんな食事がおいしく感じられなくなって、こりゃいよいよかとか思いはじめていた。好みではない魚食を摂りたくなったというのもなんだかアレだった。
年の初めから始まった不調は痛風の発作を誘発して、久々に食を改めようという気になり粗食にしてみたところ、たまに食べるラーメンなどがとてもおいしく感じられるようになった。

どう転ぶか分からないが、プロジェクトの一環としてしばらく続けてみようと思う。

さて、今回購入に利用したのはiHerbというサイトで、購入に際しクーポンを使用できる。
だれのクーポンでもいいから購入時に入力すると、購入金額から値引きされる。今回の買い物の場合は5ドル。
使われたクーポンのオーナーにも報酬が支払われる、という仕組みである。使わなくても買える。
というわけで、ご入用の方は FOJ748 をご利用下さい。

『超兄貴 ――兄貴のすべて――』を聞きながら。

2012年2月21日 (火)

Skyrim of Venomina その2

一周目で気付かなかったのだが、OPで登場するドラゴンはアルドゥインだった。
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一周目で全スキルレベル100にするくらいには遊んだので、プレイ自体には目新しいものは感じられなくなったが、やったことのないクエストに出くわしたり、イメージが記憶をフラッシュバックさせたりする。いまさらながら、D&Dにはレスリングのルールがあったなあとか。ドラゴンとレスリングって燃える。
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不具合も時間とともに蓄積されていくような印象で、こんなんとか出た。
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世間的にはすでに既知となっているが、監視塔に巣食っている山賊を退治しに来たのに、NPC名が監視員のままだったりとか。

デルキーサスが洞窟から出てくれないとか。
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実績「オブリビオンウォーカー」は、1キャラで達成しないとアカンらしい。ハーシーンのクエストでバグを利用してアイテム二種を獲得したところ、「霊魂の確認」未達成で実績が解除された。
残すところ、「結婚」と「大罪人」と「賞金首」。「大罪人」はバグがあるとかなんとか。

魔術師プレイを諦めてD&D的エルフな軽装魔法使いをやっているが、破壊上昇の付呪を100%以上にし、「二連の唱え」「二連の衝撃」を獲得した場合、脳筋よりも楽なマンチプレイが可能であることが分かった。連射グレネーダー。軽装でも重装と同じくらいの装甲が得られることも。
一周目脳筋プレイ時はレベル60代でもフォースウォーンやドラウグル・デス・ロードあたりには苦しめられたのだが、撃たれる前に撃てというカンジである程度射撃を封じることができているのが大きいのだと思う。その分、鎧スキルは伸びていない。

読物 『告発は終わらない ミートホープ事件の真相』

 4 偽装の天才
 豚肉から牛肉を作り出す楽しみ

 ミートホープに入社したころの赤羽に会った知人は、赤羽が田中のことを「社長はすごいアイデアマンだ」と褒めていた、と記憶している。実際、田中が断罪されて刑務所に入っているいまも、赤羽は田中のことを「天才なんだな、うん」と繰り返し認めている。
 肉をどう配合し加工すれば、うまくて安いものを作り出せるか。大きな利益を得ることができるか。それで食中毒を出すわけでもなく、消費者をだましつつも満足させ、かつ悪びれずに儲けるという才能が、田中にはあったのだ。実際、そうと聞かされるまで消費者は誰もそのことに気づかなかった。

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創作では、バカ王子がこのような才能を有していたことを思い出す。

食品衛生に対する個人的意識は、発揮されるときは発揮し、そうでないときはそれなりに、である。腹の調子が悪い時は、賞味期限を一日過ぎた牛乳は飲まない、とか。
いつからかコンビニ弁当を一切食えなくなったとか。
ジャムを自作したことから、レシピのアレなることともども、劣化の速さに驚異を感じて以来、店頭に並ぶジャム類の賞味期限に不気味なものを覚えるようになったとか。
滅多に買わない冷凍海老フライを買ってみたら、揚げる前に尻尾がとれたりしてなんだか怪しく、食べてみたらどうも食感がすり身っぽいカンジだったりしたとか。
蛍光色の駄菓子を無邪気に喰っていた頃が懐かしい。

ピンクスライム肉という語を目にして、本書を読書リストに加えていたことを思い出した。『反転-闇社会の守護神と呼ばれて』を読んだ頃に、あれこれWEBを漁っていて見つけたのだと思う。2010年のことだ。

事件そのものよりも、公務員に対する感慨が深いのは書の作りのせいか。

『ドラゴンランス戦記』には愛すべきGnome族が登場する。発明好きなのだが、神々の呪いのせいで常に成功せず、ろくでもない機械を作ってばかりいる。
例えば、巨大な山をくりぬいた一族の住処がある。モノゴトの由来を名にこめる風習をもつGnome族はこの山にもそれはそれは長い名前をつけたものだが、他種族のある騎士がその名称説明を遮って「もうけっこう」と言ったところ、その見事な要約に感銘を受け、以後、「もうけっこう山」("Mount Nevermind")と呼ばれるようになった。
さて、「もうけっこう山」内部の階層を行き来するために開発された装置がある。地上階から上層への移動に用いられる装置は、投石機と同じ機能を有する「ノーム投げ機」である。事故発生は皆無どころではない。
ノーム投げ機で事故が発生した場合、その原因を調査する委員会が速やかに組織され、調査する委員会を監査する委員会が速やかに組織される。「ノーム投げ機」そのものに対する見直しは図られない。
余談だが、時間航行装置を発明したGnomeは、失敗しない発明は成功の母にならないと自らを無能扱いしていた。

ためのための仕事というのは、改善を意図したものでなければ、無駄にしかならない。そういう無駄を国家が出した場合、税金を投入するのはやめていただき、個人ないし組織に対する罰金として徴収していただきたいものである。そういう制度は仕事をしなくなる体質を作るだろうが、どうせ仕事をしないんだから、同じことではなかろうか。
というか、公務員の昇級制度がすでにそのような形になっているような気がする。

2012年2月19日 (日)

読物 『エコノミストは信用できるか』

『経済のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ』をまず読むべし級の読み手が読んでしまったでござるの巻。

経済学者というものは気象予報士、あるいは占い師、ないしは信仰者のようなものだと漠然と考えていた。即効性を求められるといったらこの上ないことであるのに、答のない答を求められて自信満々に自説を無責任に力説できるところが、ということになろう。
どんなところにも、声だけでかくて無能とか、論理的に破綻してるけど保身にだけ長けてるとか、そんな人物はいる。間違いを認めて大人しくしているならまだしも、知らぬ顔で陣替えして古参のような顔をしていられるとか、他者から言い聞かされたことを自分で思いついたように振る舞うとか、勘弁願いたい。

本書は、著名っぽい経済学者たちの主張の一貫性について論じている。
終章『エコノミストの採点表』だけ見ればコト足りるというような具合だが、それを裏付けるための資料として前段が用いられている。他の経済学者たちに対する評に比べて追随を許さない、竹中平蔵に対する酷評が印象的だった。
経済学者に対する個人的印象はおおむね変わりないが、山師、予想屋、腰巾着、テツガク者といった輩もいるらしい、というような若干の変更が生じたことになる。

本書発行時点の経済学は、従来の経済理論では賄えなくなったから心理学を導入しだしたという。世事に疎い我が身でもどこかで聞いたことのあるコトバ、消費者の期待、というヤツだ。
政治や公務員にはありがちなことで、最近では検察や裁判官もそうであるらしいといわれているようだが、専門家すぎて現場のことというか実態を理解していないという。ボトムアップが民主主義の姿であるはずだが、偉くなりすぎたためか、無関心がすぎるためか、いつしかトップダウンが当たり前の風潮になってしまった。きっとみんな忙しすぎるんだろう。
まつりごとに参加する人はすべて、まずは一般的な社会人経験を最低二十年経験する必要があるんじゃなかろうかと思うようになったのはいつの頃だったろう。

心理歴史学というものを体感したのは『超人ロック』のライガー博士が唱えた論からだが、言葉で知ったのはアシモフの『銀河帝国の興亡』からである。
いずれGA無双で一世を風靡するようなエコノミストも登場するかもしれない。

2012年2月13日 (月)

読物 『弱者のための喧嘩術』

「悪」?「悪」とは敗者のこと… 「正義」とは勝者のこと…
生き残った者のことだ 過程は問題じゃあない 敗けたやつが『悪』なのだ
『ジョジョの奇妙な冒険』第13巻 P.105 花京院典明
「悪」?「悪」とは不人気のこと… 「正義」とは人気のこと…
生き残った者のことだ 過程は問題じゃあない 人気のないやつが『悪』なのだ
『タニスの奇妙な冒険』 レイストリン

十代の頃、柘植久慶の『サバイバルバイブル』とか読んだ。風呂の中で湯を握るトレーニングと、挿絵が末弥純だということだけが記憶に残っている。
暴力にもいろいろあるが、本書が取り扱っているのはハラスメントに属する方で、直接的な暴力に対するものではない。支払を渋られたり値切られたりしたときにどうするか、されないようにどう対策するか、などということが書かれている。
どうにも腹にすえかねたらトコトンやるしかないべ、などということも書かれている。

読み手たる我が身がよく知らない部分については評価を控えるが、ITに関する著述については、全面的に肯定できない印象である。ITバブルを揶揄するのと同じ論調でビジネスモデルという言葉を語るのはいかがなものかと思うのである。

ビジネスの自動化は1970年代から幾度かの潮流を迎え、その事前事後でビジネスの速度は確実に高速化している。IT業者もその顧客も双方に経験を重ねてきたことによる。高速化するためには、無名の事象に名称をつけ、なんとなくやってきたことを明確にする必要がある。このことを表現する言葉は幾つかあるが、モデリングということもできる。モデル化できたものは一般化することができる。著者が辛辣に叩くほど、ビジネスモデルという言葉は無形無為ではない。

モデル化できていない、できないということは、コスト(費用だけではなく、工数も含む)を概算できないということになる。ビジネスのIT化に失敗する事例は枚挙に暇がないだろうが、顧客自身が思うほど、顧客自身の業務を理解していないこと、顧客自身が慣例としてもつ無駄がIT化のコストを増大させていることは要因として大である。
例えば「会計簿記」は数世紀の歴史をもち、一般化されている概念技術だが、その実装や運用は個々人に依存し、決して一般化されてはいない。会計士を顧問として雇っているとしても、顧客がもつ会計の独自部分は顧客に委ね、一般的な簿記ベースでやりとりしようとするはずだ。会計士側に独自性解釈を求めた場合、会計士側はそれを別途費用として請求するだろう。
また会計簿記よりも古い歴史を持つ「在庫管理」は広く流布した概念であり、メーカとしてかなり重要な業務であるはずだが、ずさんな管理というか管理されていない事例も見聞きしている。
これらを解消するに、顧客自身が自身の業務を整理できていないために手のつけどころが見つからない、という事例にも幾つか関わってきた。

ビジネスの自動化は、OA、IT、クラウドと名を変えてきた。そのたびに、人間力で回す必要もないのにそうしていた部分をシステマチックにとらえなおすチャンスとしてそれなりに有意義に働いているという認識である。

さておき、システムがどうであろうと、人間が関わるからには必ず抜け道があるし、悪用は避けられない。
国家というシステムと、それを運用する人材がアレだったらどうだろね。
本書には、そんなことも書かれている。

2012年2月10日 (金)

漫画 『僕らのナムコ80'sトリビュートコミック』

namcoは神話だった。自分でもワケわからんほど傾倒したことがあった。
傾倒したといってもゲーマーのカーストとしてはスキルも知識も最下層にあったため、通り一遍のことと、体験したことしか知らない。
それも源平あたりまでのことで、キャラクターが大型化してからは一部の例外を除いて個人的には魅せられなくなった。

冨士弘の漫画と、邪神と冨士弘の対談以外はほぼゴミ。ドルアーガの塔がなぜ60階なのかという裏話は収穫だった。
うめという作家が、駄菓子屋からゲームセンターに活動の場を広げていった当時を思い出させる漫画を描いていて、作品の完成度は今一つだが、なかなかよい。

『午後の国』、なんとかまともに形にならんものか。

2012年2月 9日 (木)

へいふぃーばー

花粉症は英語でhey feverだということを耳にしたのはいつのことだったか。
feverというと熱病をイメージさせ、そこまでのものではないような印象を抱いたものだが、ここ数年我が身に発症する花粉症の症状はちょっとしんどい微熱を伴う。かねてよりそうであり、加齢とともに体力が低下しよりあきらかになったとみるべきであろう。

今シーズンの発症は最悪である。
先月末にあった法事でさんざん線香の洗礼を浴び、二日ぐらい調子が悪かった。
その後風邪を引いた。確か一日のことだったと思う。
肋骨にサポーターを帯びる生活を一月余り続けたことで身体が非常に硬化した。医師から解禁されたこともあってぼちぼちストレッチを始めようかと思い始めていた。
そこに低気圧がやってきた。

五六年前にムチウチをやってから低気圧に非常に弱い身体になってしまった。軽い時でも頭が重いカンジ。
今回は、全身これ苦痛。坐骨神経痛というヤツだろうか。左足をいわれのない痛みが襲う。横になっても痛い。どんな姿勢でも痛い。
風邪はすぐによくなっていたのだが、ひきなおした印象もある。風邪を引くとあちこちが痛くなるが、今回の痛みも風邪が原因なのか。
医師にかかると、風邪を引き直したのではなく花粉症であろうという。それにしては症状が重い。

D&DにはWeaknessという呪文があるが、実に地味であまり活用したことはない。プレイヤーに対するちょっとした嫌がらせには使えるが、プレイヤーとして効果的に活用できる場面はないと言っていい。
今の心境は、Weakness使えるじゃん!、である。身体的にきついがアビリティスコアの修正地としては-2が妥当であろうというところ、どちらかというと絶え間ない痛みによるメンタルへのダメージ――やる気がでない――が大きい。

なにが原因なのかあちこち探って、脇腹、背のコリが腰痛となり、おそらくそれがトリガーとなって足に痛みがでているのであろうとアタリをつけた。
ストレッチでは症状の改善が見られないので、主に脇腹のマッサージを自分で行っている。行ってしばらくは具合がよくなるが、またすぐに悪くなってくる。King of Pain。
復調したらマッサージかなにかにかかろうと考えているが、未だちょっとしんどい熱っぽさがあり、これが四日続いている。
どうしたら回復するのか想像もつかない。

2012年2月 8日 (水)

読物 『邪空の王』

原題"The Well of Darkness".

読物のジャンルにはファンタジーとかSFとかあるが、必要以上にふぁんたじっくでえすえふちっくになってしまう理由の一つに、翻訳時の単語選択があげられるのではないかと、ふと感じた。
邦題タイトルについてはさんざんdisってきたので、本書については要語である"void"についてdisってみようと思う。

"void"という単語は、プログラミング経験を有しているか、『ベルセルク』を愛読していない限り、耳慣れない言葉ではないかと思う。漠然と「空」とか「無」的に解釈していた。
本書においては単に「空」と訳すのが適当ではないかと思われる。地水火風空という五大元素、というとヲタク的なカンジがするが、仏教においては卒塔婆にシンボライズされている由緒正しい哲学である。アビラウンケンである。
物語の中で、かつては地水火風空は等しく信奉されていたが、いつしか空は邪教扱いされるようになった、というふうに語られている。「空」による魔術はビジュアル的に忌まわしいので、その辺が理由だろうとは察せられるが、明確にされてはいない。トリロジーの第一部なので、いずれ語られるのかもしれない。

さて、物語の中の住人であれば、「邪悪なる"void"」として語ってもよかろうと思うのだが、読者に対して"void"=「邪空」と示すのはいかがなものかと思うのである。
"void"の魔法を使うと、術者の身体に疱瘡的なものができる。使いすぎると命にかかわる。なんとなく、石川賢の「虚無」を思わせる。そんな個人的事情からすれば、"void"=「虚無」と訳されていればこれほど拒否反応を示さなかったのではないかと思わなくもない。とはいえ、「虚無」も語の意にそぐわない。

物語の中には忌まわしいものの代表として「空」が取り扱われているが、それはことさら単語によって強調されてはならないと思う。道具は使い方、道具を使った結果の善悪は、道具の善悪ではなく、使用者の善悪である。
ゆえに地水火風空は同列に表記されなくてはならないと感じられる。
ふぁんたじっくにしようとするあまりの虚飾であると受け止められたのである。

他に例をあげれば、本書には「ドゥワーフ族」「オルク族」が登場する。スペリングは従来通りのようで、これは翻訳者の選択によるものと思われる。これらは本書の邦訳が刊行された2002年頃には「ドワーフ族」「オーク族」としてそのスジには浸透しているとみて間違いない。これに敢えて逆らう意図は那辺にあるのか。語にいちいちつっかかられているようで、どうにも読み心地が悪い。
かつて"The Lord of the Rings"の瀬田訳にケチをつける意見があることを初めて知ったとき、何故これほどまでに青筋を立てているのだろうと、ある程度の理解を示しながらも(個人的には『指輪物語』という表題だけを既知としていたとき、少女漫画ちっくな印象を受けたために手に取ることを避けていたことは事実である)理解に苦しんだ(とはいえそれは、読み手側の責任である)ものだが、翻訳にケチをつけたくなる場合もあることを最近ようやく察し始めた。

さておき。
ケチは主に翻訳にあり、作品の内容は是非もない。いつも通りのワイス&ヒックマンである。
コンプレックスと、若さ故の過ちと、弱者と、不遇の、悲劇である。

完結してるらすぃとうきうきして手にとってみたら、実は邦訳は第一部完でござった。原作は完結している。
第一部の最後に続編への引きっぽい下りがあって、完璧な生殺し状態である。
角川の『冥界の門』、早川のコレ、いったいどーなってるの?

もちろん、絶版である。

2012年2月 6日 (月)

Skyrim of Venomina その1

魔法使いでやってみる気になった。
1stプレイでは実績を100%解除できないことが明らかになったためでもある。

ブレトン女。
キャラメイクでどうもテンションが上がらず、女性キャラを美麗にするMODを導入することにした。
あれこれいじらなくてもとりあえずマンゾクなカンジになったので名前をテキトーにつけてゲームスタート。しかし、のちに眉が薄すぎることが発覚したのだが後の祭り。
普段は自キャラのケツしか見てないからいいんだけれども、SS撮るときには気になる。

しばらく遊んで魔術師プレイはムリだと分かったので、軽装魔術師にする。世間とキャラのレベルギャップが厳しいカンジ。
破壊魔法で攻撃するスタンスだと防御系スキルが伸びにくい。魔法が効きにくいMOBが二、三体INCすると無理ゲーになる。ファルメル、ドラウグル、フォースウォーンの中級が難敵になる。
オラフ王がどうにも強敵で、遠距離から弓による隠密射撃、物陰に潜む、を繰り返すうちに、Skyrimでも1プルができることがわかったことは収穫だった。後に赤鷹に応用しようとしてあっさり見破られたオチがあるが、レベルによってかキャラによってか、索敵レンジあるいはアグロレンジが異なる模様。

とっとと古き神々装備を入手してSSを撮ろう・・・
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・・・と思っていたのだが、いつの間にか遊び倒してドラゴン装備解禁の方が先になってしまった。

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序盤で早々とリディアが死に、なんとなくDeadra道を進むに迷いはなくなった。

読物 『グラマリエの魔法家族』

「科学用語は便利なもんだよ」ロッドはつぶやいた。「懐疑論者にも魔法を信じさせちまう。じっさい、さっきまで疑っていた連中がオーソリティに早変わりだ」
第三巻 P.112

「使い古された手がある――口コミ作戦ってやつさ」
「口コミがそんなに古い手だったっけ?」ロッドは人類発生以来五万年のあいだ繰り返されて来た、気の遠くなるような中小の歴史に思いを馳せた。

第四巻 P.114

「政府というものは大きければいいんじゃない。主要な決定をくだすにも大がかりな討論が必要になるし、地球の図体が大きくなりすぎたら、指導部には、ある問題について決定がなされ実行に移される以前に一般大衆の考えを把握することはできなくなる。すると、投票者は好まざる決定にも屈服せざるをえなくなり、ついには反逆に出る。反逆が沈静されたとしても、それは抑圧を生み、新たな反逆をはぐくむことになる。そして最後には、民主主義は崩壊するか独裁制に変形してしまうんですよ」
「ということはつまり、民主主義の広がりはコミュニケーションの面で限界があるというんですね?」

第五巻 P.48

和訳が出版されたのは1988年だが、原著は1969年らしい。1988年においても古臭いカンジはしないでもなかったが、今よりは無垢だったために気にならなかった。
シリーズは以下の通り刊行されているが、日本語訳されたものは"The Warlock Wandering"邦題『魔法使いさまよう!』まで。全巻所有していると思っていたが、所有しているのは"The Warlock Enraged"邦題『魔術師の叛乱』までだった。

Warlock of Gramarye
The Warlock in Spite of Himself (1969)
King Kobold (1971, revised as King Kobold Revived (1984))
The Warlock Unlocked (1982)[10]
The Warlock Enraged (1985)
The Warlock Wandering (1986)
The Warlock Is Missing (1986)
The Warlock Heretical (1987)
The Warlock's Companion (1988)[11]
Odd Warlock Out (omnibus) (1989)
The Warlock Insane (1989)[12]
To the Magic Born (omnibus) (1990)
The Warlock Rock (1990)
Warlock and Son (1991)
The Warlock Enlarged (omnibus) (1991)
The Warlock's Night Out (omnibus) (1991)
The Warlock's Last Ride (2004)

古き良きエスエフ!
三巻までは初読のときより楽しめた。
四巻からはシリーズ物にありがちなアレというかナニがちと困ったカンジで、邦版全七巻中六巻までしか持っていない理由もなんとなく察せられる。
「ロストコロニー」や「魔法を超能力として扱う」モノの原点はどの辺にあるのだろう。作者であるクリストファー・スタシェフは『ハロルド・シェイ』シリーズを愛読していたというが、個人的にはこれに類する小説作品を並べたてられるほどに読んでいないということか。個人的に知らないだけで、欧米の読者らが辟易するほどの数が存在しているのだろうが、思いつくのは『パーンの竜騎士』くらいだ。

Warlockには「詐欺師」に類する意味があり、そのあたりを汲んで邦題やシリーズ名に活かせなかったものかと思いもするが、言葉の壁は乗り越えがたいものなのだろう。
その昔『ウォーロック』という映画をビデオで見たことがある。『ハイランダー』が公開された頃のことだ。どう見てもZ級だが、悪役たるウォーロックが終始無言だったり、人間の脂肪とかを触媒にして魔術をかけたり、当時の我が身には斬新だった。魔法使いや魔女という言葉に対する根本的なイメージの違いは、言葉と同様のナニカがあるようだ。

2012年2月 4日 (土)

私の肋骨

先日、肋骨完治の診断がくだされた。
診断の根拠となったレントゲン写真によれば、折れたあたりがもっさりと膨らんでるカンジで、ぼんやりと骨が太くなってるのかな?的な印象を受ける。

何年か前からレントゲン写真がアナログではなくデジタルに移行していることは既知としていた。今時は画像処理によって折れた箇所を分かりやすく見せたり、拡大縮小も容易らしい。
人生初骨折記念として、レントゲン画像を頂戴できないかどうか医師に相談したところ、CD-ROMにて提供してくれるという。画像データだけだったらUSBメモリとかメールで転送をと思ったのだが、どうも閲覧ソフトと込みでないと提供できないらしい。

十五年くらい前、画像処理の研究を行う研究室にいたときは、宇宙の画像と医療の画像は非圧縮のRaw Dataを用いるのが常識であるといわれていた。当時はデジタルカメラは一般的ではない頃で、研究室でも写真画像をデジタル化したものを用いるのが一般的であったようだ。所属していた学部はONIXとか、名称は失念したがすんげーカンジのプリンタとかスキャナを有しており、いまでいう3Dプリンタを導入していたが、基礎研究的な場合は凝ったことはせず、簡単に得られるデータを利用していた。
よくわかってなかったが、コンピュータの処理速度や画像データの容量が画像処理の期待とボトルネックになってる感があったように記憶している。

医師から1000円で提供された画像データは一枚あたり約14MB。当時14MBがどの程度のインパクトをもっていたか覚えていないが、数年後、発売されて間もない640MBのMOドライブを購入する際にわりと思いきったことは覚えている。すなわちインパクトは大であったろう。
Raw Dataで14MBというサイズは大きいのか小さいのか勘が働かなくなってしまったのは、もうずいぶんとまえのことになるが、素人絵師らの投稿画像サイズがボリュームアップしてきたのに対しある種の感慨を抱かされたのと真逆である。仕事にしても趣味にしても、画像には縁遠くなってしまったということだ。

さて、画像ファイルとおぼしきブツにはdcmという拡張子がついており、一般的な画像形式ではないらしい。そういえば某医療機器開発メーカーで作業していたときに、ダイコムとかそんな名称をちらっと聞いたことがあるような気がする。医療画像は今でも基本的にはRaw Dataのようだ。CD-ROMに同梱されている閲覧ソフトで見ることはできるが、画像処理機能はない。
医師のPCでははっきりと映っていた骨折の様相は、残念ながら確認することはできなかった。

以下は、骨折して一週間程度のレントゲン画像である。
20120204_01

20120204_02

どこがどんなんなってるのか、本人でもよくわからない。
画像処理されたブツでは四番目がぼっきり折れてる、というカンジだった。

負傷箇所は肋骨骨折と膝の擦過傷だけだと思っていたのだが、擦過傷が治ってくるにつれて、膝関節にも常にはなかった痛みがあることがわかった。膝が曲がった状態で体重がかかると、なにやら不穏な具合になる。
これも人生初のMRIによれば、膝蓋骨の裏側になにやら黒い影が見える。MRIは院外検査したもので、主治医はMRIはよくわからんという。よくわからんなりに努力してくれるかと思ったら、とりあえずリハビリしとく?な投げやりな流れになってきたので、近々、MRI検査を受けた病院に診断を受けに行こうと思う。

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