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2012年2月25日 (土)

雑誌 『週刊アスキー 2012/3/6号』

『ゲームエンジンを使えば超簡単っ!! スマホ用ゲームを3時間で自作する』というアオリに惹かれ、珍しく書店に赴いた。アスキーと名のつく雑誌は数種類、少なくとも二種あるらしいことをツタヤで確認した。同じタイトルを関した商品は見出したが、該当商品が見あたらなかったのだ。入手を焦り、ちょっと遠い書店まで買いに走って入手に至った。

ほぼ一年前、仕事に暇ができたときに、Android用アプリの作成を検討したことがある。お世話になっている職場が開発した製品の一つにPDAを利用した発注システムがあるらしいので、それをリプレイスしてみようと考えた。
内容までは知らなかったので調べてみたところ、クラシックASPを使ったWebコンテンツで、なんというか、一気にやる気がなくなってしまった。WebコンテンツならばそのままAndroidで使用できる。Androidアプリ化するメリットが低いように思えたためだ。
とりあえずAndroid端末で使用できるようレイアウトを変更して報告したところで3つくらい並行して仕事が舞い込み、頓挫した。

enchant.js というのは、その折に耳にしていた。当時のニーズには無関係と思えたので興味を惹かれなかったが、ライブラリの一種という程度の認識をもっていた。今回の記事は、「これを利用することで雑誌一頁に無理なく掲載できる分量のプログラムでゲームが作れますよ!」というものだ。
作るべきゲームのネタもないし、個人的なニーズにもマッチしない。それでもそそられたのは、最古のテクポリとかベーマガとか思い出させられたことが原因であろう。
記事のレイアウトは図表を満載したわかりやすいものだ。ソースコードを一頁にできるとわかったから企画になった、というところだろうか。プログラムについてアレコレ説明しようとするとウザくなるからだろう、その辺のことはばっさり割愛し、またWebを併用することで雑誌上の情報量を軽減している印象である。

この記事によってちょっとだけ enchant.js に興味を抱いたのはたしかだが、同雑誌にはこれよりも興味深い記事があった。
『今週のデジゴト』というコラムで、ライターは山崎浩一となっている。以下引用。

(前略)プライドが低い者ほど、それに執着する。たいした仕事をしてないヤツほど多忙自慢したがるのと同じ。(後略)

能力主義と努力主義のあいだにあるジレンマ
 こんな実験がある。
 400人の小学生に簡単なパズルを解かせる。その結果を受けて、半数の生徒を「君は頭がいいね」と能力をほめる(A)。一方、残りの半数は「一生懸命やったね」と努力をほめる(B)。そして2問目は、最初と同難易度のパズル(1)と、より難度の高いパズル(2)を生徒たちに選ばせる。(2)は「難しいけど勉強になるよ」と説明される。するとAグループの9割が(1)を選び、Bグループの9割が(2)を選んだ。次にさらに難度の高いパズルを全員に解かせると、Bの子たちは熱心に取り組んだが、Aの子たちはすぐに挫折。そして全員に「成績が自分より高かった子と低かった子のどちらかのテスト用紙を見ていいよ」と選ばせると、Bの子の大半が前者を見たがったのに対し、Aの子のほぼ全員が後者を選んだ。最後に最初と同難度のパズルを全員に解かせると、Bグループの平均点が30パーセント上昇したのに対し、Aは20パーセント下落した。(出典は'11年10月18日付『WIRED.jp』)
 この実験を行ったスタンフォード大学のC・ドゥエック氏も「ちょっとした言葉のアヤがこれほど劇的な効果を生むとは予想していなかった」という。おそらくこういうことだ。自分の能力=属性を認められたAグループは、それによって芽生えた自尊心を保守・強化して自分を賢く見せることに腐心するようになる。だから間違いを犯すリスクを避ける傾向を強める。一方、自分の努力=行為・志向を認められたBグループは、リスクを恐れず失敗から学ぼうとする志向を強める。どちらが本物の自尊心か?
 こんな実験がおこなわれるのも、やはりアメリカにも能力主義と努力主義のジレンマが存在するということなのだろう。成果主義者は「がんばったことをほめるのは、おためごかしだ」と主張するかもしれないが、実はそのおためごかしのほうがよっぽど成果につながるらしい。"努力をほめるくせに失敗は許さない"という分裂的傾向の強い我々の社会には、さらに学ぶべき点の多い実験結果なのではないだろうか(結局これか)。

こんな文面が、頭を下げた○電役員とおぼしき人物のイラストとともに掲載されている。頭を下げながら内心では「失敗ではない。言い逃れの方法を一万通り発見しただけだ」と思い浮かべている、という図である。

世の中にあるいわゆるテストというものは、評価者を基準に作成されている。評価者の能力を超えるテストはできない。中国の科挙はそれはすごい論文や討論が試験の対象となったそうだが、論には「常識」はあっても「回答」がない場合がある。論じるような試験の場合、試験官の資質がモロに出る。

映画や小説、漫画というものは、その作品以前に存在したものを再解釈し、わかりやすくして発表される場合がある。おそらくは無意識に、全てのクリエイターはこれをやっているはずである。参考にしたものが既に噛み砕かれたものだったとしたら、その成果物がさらに噛み砕かれたものになる場合もあるだろう。
エンターテイメントは総じてつまらなくなったと感じているが、世間的にもそう評する向きはあるようだ。そうなった理由の一つとして、やわらかくしすぎて幼児専用になりつつあるという事実もあるのではないかと、随分と前から感じている。

科挙においても試験官の気分や能力で受験者の能力が評価されず落第となったことはあるかもしれないが、生来の雰囲気を残している間はさぞや優秀な人材が揃ったことであろう。評価者が優秀だった間は。
噛み砕かれた教育によって育てられた教育者が、さらに教育を噛み砕くとしたら。実際には理解していないし、それがどのように役立つかも分かっていないが、機械的に覚えたことを機械的に伝達する人材が教育する立場に立ってしまったら。
そのような人物が、政治的な理由や、年功序列(これも評価者の無能と保身の産物)で権限を拡大させていくとしたら。無能力者がトップに立ってしまったときの悲劇は、最近では『坂の上の雲』がわかりやすいだろうか。

それでも社会において努力主義を最善とすることには抵抗を感じるが、せめて情操教育時には努力主義はもっと積極的に利用されるべきであろう。
褒めようと思ってもなかなか褒められない我が身はやはり、能力主義、成果主義に毒されすぎているかもしれないと思いつつ、意識して改めていきたいと感じた次第である。

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