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2011年11月 6日 (日)

読物 『天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』

きっかけは、菊地秀行の武歴を知ったことから。少林寺拳法を学んだという。
師の名前も記されており、リンクがある。つまりは市井の一人物ではないらしく、それどころか著名な方らしいが、世事に疎い我が身は知らなかった。

興味を覚え、本書を入手するに至るも、読み終えるまでに九か月、随分と長いことかかってしまった。わかるような、わからないような内容のためである。
読み始めた今年の初めにはそんなカンジだったのが、読み終えた今は、腑に落ちる点が多い。個人的な経験、身体の凝りという病的要因から、胴体の柔軟性の低下が諸方面に多大な影響を与えることを知ったためである。
また、例えば蹴りというものは体の柔軟性に大きく依存すると、武術を始める前はそんな風に思っていた。今ではその限りではないと体感している。同様に、筋力に大きく依存するものではないことも。「力ではない」という言葉は一般的に揶揄される向きがあるようだが、そのような発言は実感から生じたものであることは間違いない。ごく限定的な状況ではそれを体感することができている。
とあるスポーツインストラクターからご指導いただいたところによれば、「力ではないとはいえ、力は使っている」のだという。ただし、四肢はどちらかというと脱力しており、体幹やインナーマッスルを効率よく使用しているのだと。「力ではない」とは、一つの状態を示すものではなく、力みのない状態をあらわしたり、力が衝突していない状態をあらわしたりしているのだろう。

胴体の自由度を高め、身体の持つポテンシャルを引きだそう、というのが「胴体力」の大まかな趣旨である。

とはいえ、文章からだけでは、実際にどのような具体的効果が現れるのか、想像するしかない。
トレーニング方法も記述されているが、本文に寄稿された著名な体験者の言にもあるとおり、方法を誤解すれば単なるストレッチになりかねない。「歳を取るとラジオ体操が効くようになる」ことからもわかるように、準備運動のようなシンプルな体操にも狙った意図が含まれている。これを考えずにただ繰り返しても体育にはならず、退屈な時間を過ごすのみとなるであろう。基本もまた同様である。

語れるほどのものは持ち合わせていない。講習会への参加はちと難があるというか、そこまでのモチベーションはまだないので、とりあえず本書に記されたことを試しつつ、前著である『スーパーボディを読む』と読み合わせる。


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