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2011年11月

2011年11月28日 (月)

読物 『気分爽快! 身体革命』

伊藤式胴体トレーニング関連書籍は既刊三冊。発刊の順に、
①『気分爽快! 身体革命』
②『スーパーボディを読む
③『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門
読んだのは③②①の順だが、発刊の順に読まれていることを想定しているため、発刊順に読んだ方が分かりやすいと思われる。ただし、③に記されているように①はキャッチーな内容となっており、読み手によっては胡散臭さを感じるかもしれない。個人的には③②①の順に読んでよかった。

運動方法は①が一番詳しい。あとがきは菊地秀行が記している。
入門といいながら、③は非常にわかりにくい。凡例は多いが、要点が散漫である。

折あしく寒い時期だが、講習会にはいつ行こうか。

2011年11月27日 (日)

読物 『ミグ25事件の真相』

「愚かな大将は、敵より怖い」
 昔からの有名な格言である。愚かな大将は、戦争で多くの部下を殺す。部下に大変な苦労をかける。最悪の場合は戦争に負ける。だから、軍隊は賢い大将を求める。第二次世界大戦でのビルマ戦線は、悲しくも、その好例であろう。
 日本第十五軍(四個師団基幹、約九万人)は、一九四四年三月、ビルマ・インド国境の軍事的要衝、インパールを攻略する作戦を開始した。敵は、英国第十四軍(七個師団基幹)であるが、大兵団が山岳地帯を踏破する進攻作戦であり、兵站を無視した無謀な作戦と思われた。小畑軍事参謀長と四人の師団長は、作戦の中止を求めた。が、軍司令官の牟田口廉也中将は、あれこれ理由をつけ、大本営陸軍首脳(東京)から作戦認可をとりつけてしまった。
 結果は、日本軍の惨憺たる敗北に終わった。戦死傷、病没、餓死を含む日本人死傷者は、七万人に達した。愚かな大将が、いかに惨い結果をもたらすかを、如実に物語っている。ミグ事件対処行動で、自衛隊幹部は、ひたすら祈り続けた。
「総理! 賢い作戦指導をお願いします」
P.83

「総理の防衛出動命令書、長官の防衛出動待機命令書のいずれも、もらえる可能性はありません。総理官邸は、『出動命令を出すと、マスコミを中心に国民が大騒ぎをするだろう。反主流派は幹政権打倒に打って出るだろう。そうなれば、内閣は総辞職だ』。こういう考えのようです」
 三好は、国防を蔑にする「政治の壁」というものを否応なしに認めざるをえなかった。(後略)

P.104

高橋「私は、必ず、任務をやり遂げます。が、言っておきたいことがある。『自衛隊は軍隊』と、堂々といえる時勢ならば、わが連隊は、国民の声援を受けて、国家国民のためソ連軍と戦えるのです。しかし、今はどうでしょうか。国民は、われわれを支持していません。マスコミは、自衛隊の行動を捜しまわり、ソ連軍に役立つ情報をバラまいています。こういう状況下で戦う、私の部下は、本当に可哀相です。惨めです」

P.192

 この結果、今後は第二十八連隊をを苦しめた、陸・海・空各自衛隊間の「共同連携のミスマッチ」のような問題は生じないであろう。しかし、これは中央指揮所と情報本部が構想どおり運営されることが前提である。その成否は、これを運用する人、とりわけ総理大臣と防衛庁長官の能力にかかっていることを見落としてはならない。

P.248

 これも、国会での、自衛隊最高指揮官である総理大臣の指名行為が、適切に行われていないことに起因しよう。誰が最高指揮官になるかで、事態対処の方針は、百八十度変わってしまう。日本国憲法施行以来、五四年が経過したが、この視点からの総理指名は、蔑ろにされたままである。
 もともと、総理には、国家リーダーとしての高度の資質と能力が求められる。高度の危機管理能力と狂気管理能力は、その重要な一つである。狂気管理能力とは、戦争事態において、平和回復に向かって戦争を指導、管理、終結させる能力のことをいう。
 当然ながら、総理候補の政党党首は、これら資質・能力を具備していることが望ましい。総理自らも、その補助機関である内閣官房長官と、国防担当の防衛庁長官の選考にあたっては、危機管理能力と狂気管理能力を備えた者を選ぶべきである。必要なら、企業経営者、学識経験者、あるいは文民となった自衛隊OBなど、政治家以外に人材を求めたら、どうであろうか。

P.253


ミカカ-シチカチの下請け作業を経験したことがある。形態的には孫請けかそれ以下だったようだ。
現場には、プロパーはPMのみ。他数名全て外注作業者。PMは、仕様もよう把握しておらんのに、必要なソフトウェアを借りる際には承認手続きを要求したりする人だった。
すけじゅーるから察するにどうやら休日作業も必要っぽいが、その必要性を理解しているのは三等兵だけで、三等兵二名が作業に従事したある休日、/var/tmp が full になったとかなんとかで vi で保存できなくなり、作業が中断するというアクシデントが発生した。 教えられていないにもかかわらず root のパスワードは既知としていたが、ソフトウェアの貸し出しに承認を求められるような作業管理のもとではあまり積極的に事を――イリーガルなことは特に――推進したくはない。作業できないんじゃ帰るしかないよねという空気もあったが、しわよせはこの場にいない指揮官にではなく自らに帰結することがわかっていたから、責任を分担――パスワードの入力は我が身が、実行はもう一人が行う――しつつ、/var/tmp を削除した。その後すぐに仕様不明箇所が露見し、休日に休んでいる方に確認せねば作業が進まないことが明らかになり、結局はお開きなったというオチがつく。

なにごとも、支えているのは人間。
上に乗っかってる人を支えているのも人間。
システム化したとき、その業務がいかに人間力で回されてきたかがよくわかる。ハンコを押すだけの工程を単価にしている部署が存在しているらしいことも、よくわかる。


2011年11月24日 (木)

読物 『ある日、爆弾がおちてきて』

やっぱフルハシはあわないなあ。

そんなことを思いながら読んでいた。

短編集。

最後の二編がややツボに入った。

必ずしもあわないわけではないが、どちらかというとあわない、というカンジらしい。

どの作品も、なんとなく、週刊少年漫画みたいな印象がある。
それがあわない理由ではないかと、思ったり思わなかったり。

2011年11月23日 (水)

アニメ 『機動戦艦ナデシコ』

でもね、なにごともなくルーティンなお仕事って、いいような、わるいような。
第19話 OPナレーション
そう、それは第20話「深く静かに『戦闘』せよ」からだった。本放送時、そこから見たのだ。

当時はTRPGセッションをときどきやっていて、知人たちから「これは見るべし!」「これはやるべし!」という情報を与えられてはハズレをつかみ、またアタリをつかんでいた。某TRPGメンバーから『痕』に登場する某女子がタイプであると回答を得て衝撃を受けたり、それをセッションに活用したり、野望的な意味でレザード・ヴァレスに似てるとか、性格的な意味でアーチャーに似てるとかいわれたのもその一環である。

絵は好みではない。キャラクターもメカニックも、嗜好とはまるで違う。そもそもまるで興味などなかった。薦められたのでとりあえず見てみるかとたまたま見たその話が嗜好にマッチし、これは見逃してはならないと決意して後追いしたことになる。この印象は、先には『天地無用!』(無印のみ)、後に『Z.O.E』にも得たものだ。
余談だが、思えば同時期に「ときメモ」をプレイし、やらずに馬鹿にしていたことを友人に謝罪したことがある。これからは、やってから馬鹿にします、と。

月刊アニメスタイル第4号』を読んで、再視聴せざるを得なくなり、TVシリーズから劇場版まで一通り見ることにした。
メカは好みではなかったが、ブラックサレナには燃えたことを思い出す。

どうでもいいことだが、かねてより道場に来てる子がどうもなにか印象がかぶると思っていたのだが、どうやらルリルリらしい。ルリルリとは違って、元気いっぱいだけどね。

2011年11月21日 (月)

読物 『原発・正力・CIA』

 アマゾンの奥地で蝶が羽ばたき、それがさまざまな自然現象と連鎖を重ねて、カリブ海で巨大ハリケーンになるという。歴史もそういうものだろう。
 「正力マイクロ構想」の挫折が、ノーチラス号の完成、アトムズ・フォー・ピース演説、第五福竜丸事件、アメリカの対日心理戦、保守大合同などと次々と化学反応を起こし、原子力平和利用の日本への導入という歴史的出来事を生み出した。
 筆者が魅せられたのも、この歴史的出来事を生み出す連鎖の複雑さ、面白さだ。読者に伝えたかったのもこれにつきる。特定の組織や人をことさら非難しよう、その秘密を暴きたてようという意図はないし、そのように書いたつもりもない。
 原発、正力、CIAはよく似ている。その存在を賛美することはできないが、かといって否定することもできないということだ。
 個々の日本人がどんなに節電に努めたとしても、日本の電力消費量が下がることはまずないのだから、これからも正力の導入した原発に対する依存は強まると見るべきだろう。
あとがきより

人類の素晴らしさ、愚かさを高らかに歌い上げた傑作ゲーム『Civilization IV』に幾度めかのドはまりをして、読書が停滞してしまった個人的事情はさておき。
同ゲームでは、「政治体制」が『普通選挙』であっても「労働体制」が『奴隷制』を取り得ること、『環境保護主義』が「経済制度」に含まれるなどのコモンセンスが散りばめられており、それがあまりにデカルチャーだったためか、昨今、頻繁に更新されるコモンセンスとつい対照してしまうクセがついてしまった。

日本への原発導入が政治的判断によるものだということは噂に聞いていたが、噂に聞いたものよりも遙かに低度な実態であったらしいことを本書は語っている。本書はCIAが公開した機密文書を背景にしており、『巨怪伝』とは異なった切り口である。本書に比して、『巨怪伝』はいささかハードボイルドタッチであったという印象だ。



2011年11月16日 (水)

月刊アニメスタイル第4号

普段アニメ雑誌など読みもしないのだが、『機動戦艦ナデシコ』特集号だというので、随分と前から予約してしまった。
発売日が延期される、代引きからクレジットカード支払いに変更したらそれでもやっぱり代引き手数料がかかるから了承しろやメールが届いて困惑させられるなどの出来事があり、おまけに手元に届いたものは予約時と表紙が違う。

付属のねんどろいどは箱から出して分割された状態を目にしたらふと我に返って、ビニールパッケージを未開封のまま箱に戻した。
組み立てるのはいいが、こんなん飾れるか。

記事によれば、ナデシコという作品は豪腕プロデューサーが豪腕すぎて遺恨を残した作品、とも読める。モノを作るとなれば多かれ少なかれそういうことはあるだろうが、続編を望んでいた一ファンとしてはorzってなもんで。
ナデシコだけでなく、佐藤竜雄監督作品について幾つかフォローされており、『ねこぢる草』を見てみる気になった。

裏表紙によれば『学園戦記ムリョウ』のBD-BOXが発売されるということで、現時点で詳細不明だが、適価ならば入手してしまいそうだ。


2011年11月14日 (月)

映画 『黒帯』

稽古に使用している公共施設では、空手、長刀、ダンスなどの団体と接近遭遇している。
特に空手は長く多く接近遭遇しており、時折、稽古風景を垣間見ることがある。型の意味するところを何となく察してはいたものの、用法は不明だった。具体的用法の例を知ることができたという意味で、本作品は非常に評価できる。

だが、ストーリー、演出、時代考証はgdgdで、1970年代のカンフー映画かよッてカンジ。

2011年11月13日 (日)

読物 『潜在力を引き出す 武術の丹田』

奇しくも 『天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』と交換する形で、同門の士より借り受けたものである。

例によって内容を評価する術をもたない我が身ではあるが、どうにも著者はヲタクらしいということだけは察することができた。

著者の名は初見であるような気がするが、武版あたりで見かけたような気がしなくもない。

2011年11月12日 (土)

読物 『スーパーボディを読む』

芸能と武術の関連について知見を得たのは確か、隆慶一郎の作品からである。
『花の慶次』から『一夢庵風流記』へ、ハマってまず柳生モノを一通り読んだ。その中に、石舟斎と世阿弥に交流があったことが記されていたように思う。一道を極めた者は、互いに通ずると。

本書は著名人の身体運用を、著者が自らの目で我流に分析したことを綴っている。マイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズと共に頻出する名は坂東玉三郎だ。

個人的に胴体の動きについて初めて瞠目したのは、去年か一昨年か、滅多に見ないTVでやっていた特集で、國母和宏の動きを目にしたときのことだ。空中で姿勢を制御する氏の運動は、胴体を巧みに使ったものだった。スノーボードは一度しかやったことがなく、勘所など全く持ち合わせていないが、それでも分かる身体操作に見入ったものだった。
氏は一時期物議を醸した人物だが当時すでにそれは過去のこととなっていた。何故に今さらと思ったものだが、プロのスノーボードライダー(今はスノーボーダーといわないのか)として活躍しているという。スノーボードにかける姿勢は真摯なものであり、個人的な理由からスノーボーダーを敵視する我が身をしても、感得させられるものがあった。

今、様々な方面で胴体の運動が注目を浴びている。
これまでに触れた幾つかの資料によれば、どれも観念や感覚的なものであるという印象が強い。
獲得したものを表現しようという意図は伝わるが、どのように獲得できるものなのかが伝わってこない。観念や概念は重要だが、基本レベルにまで落とせないものは、我が身のような愚鈍な者には理解不能なのである。

伊藤昇氏が提唱する「胴体力」は、胴体は「丸める・反る(前後)」「伸ばす・縮める(脇)」「捻る(回転)」の三つの動きしかしないといい、それらを向上させることによって「股関節のとらえ」を確立すれば、人生の普遍的な場面でも有用な身体の能力を取り戻せる、というものである。現代人は胴体が持つ力を十分に活用しておらず、むしろ低下させている、本来持つ能力がありながら未開発のままであるという。

主張は十分にシンプルである。方法についても、入口は非常にわかりやすく具体的である。
肩や背中の凝りが、胸部や腹筋に悪影響を与えているという自覚を得て数年、「胴体力」がいうところの「伸ばす・縮める」の動作を数日繰り返して、確かな効果を感じている。特に、腰の張りが感じられなくなった。
同様の運動はこれまでも行っていたが、十分に適当ではなかったことになる。
非常に有用なうえ、簡単で、間違っても身体を重大に損ねることはないように思えるので、さっそく稽古に取り込んでみることにした。武術に即適用できる動きを含んでいるので、勘所があれば、この簡単な運動を行うだけで、つかめることもあるだろうと思う。

詳細については、 『天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』よりも分かりやすいので、まずは本書を一読するがよいと思われる。

一つ残念なことは、鉄球を用いた方法について本書に詳述があるように見受けられたのだが、ほんのさわりだけで詳しいことは書かれていない。
経験者の言によれば簡単なものではなく、身体を損ないかねないというので、ただやみくもに鉄球入手に走るのはとりあえず止めておこうと思う。


2011年11月 6日 (日)

読物 『天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』

きっかけは、菊地秀行の武歴を知ったことから。少林寺拳法を学んだという。
師の名前も記されており、リンクがある。つまりは市井の一人物ではないらしく、それどころか著名な方らしいが、世事に疎い我が身は知らなかった。

興味を覚え、本書を入手するに至るも、読み終えるまでに九か月、随分と長いことかかってしまった。わかるような、わからないような内容のためである。
読み始めた今年の初めにはそんなカンジだったのが、読み終えた今は、腑に落ちる点が多い。個人的な経験、身体の凝りという病的要因から、胴体の柔軟性の低下が諸方面に多大な影響を与えることを知ったためである。
また、例えば蹴りというものは体の柔軟性に大きく依存すると、武術を始める前はそんな風に思っていた。今ではその限りではないと体感している。同様に、筋力に大きく依存するものではないことも。「力ではない」という言葉は一般的に揶揄される向きがあるようだが、そのような発言は実感から生じたものであることは間違いない。ごく限定的な状況ではそれを体感することができている。
とあるスポーツインストラクターからご指導いただいたところによれば、「力ではないとはいえ、力は使っている」のだという。ただし、四肢はどちらかというと脱力しており、体幹やインナーマッスルを効率よく使用しているのだと。「力ではない」とは、一つの状態を示すものではなく、力みのない状態をあらわしたり、力が衝突していない状態をあらわしたりしているのだろう。

胴体の自由度を高め、身体の持つポテンシャルを引きだそう、というのが「胴体力」の大まかな趣旨である。

とはいえ、文章からだけでは、実際にどのような具体的効果が現れるのか、想像するしかない。
トレーニング方法も記述されているが、本文に寄稿された著名な体験者の言にもあるとおり、方法を誤解すれば単なるストレッチになりかねない。「歳を取るとラジオ体操が効くようになる」ことからもわかるように、準備運動のようなシンプルな体操にも狙った意図が含まれている。これを考えずにただ繰り返しても体育にはならず、退屈な時間を過ごすのみとなるであろう。基本もまた同様である。

語れるほどのものは持ち合わせていない。講習会への参加はちと難があるというか、そこまでのモチベーションはまだないので、とりあえず本書に記されたことを試しつつ、前著である『スーパーボディを読む』と読み合わせる。


2011年11月 1日 (火)

私的炒飯考

手製炒飯は上手くできたり出来なかったりするものだが、おおよそ結果は事前準備をぬかりなく行っていたかどうかに依存する。

ご飯をよそっておく。
卵を割っておく。
投入する具材を並べておく。
一つでも欠けていると焼きめし風なナニカになる。
あとはまあ火力。
しくじっても、中華あじと塩胡椒を使っておけば食えるナニカになる。
先日、市販の瓶詰め刻みニンニクを投入してみたらいい味になった。

最近、やたらとニンニクが食べたくなる。
ラーメン屋でもニンニクトッピング、パスタはペペロンチーノ。実家で料理するときはニンニクの素揚げ。
なんだろ。

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