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2011年9月10日 (土)

読物 『天空の劫火』

「皮肉にも、われわれに渡される情報は、オーストラリア人がおおやけにいっていることを確認するものばかりだ。かれらに関する限り、すべて底抜けに楽天的[ポリアンナ]だ。われわれは新たな発見の時代に入ろうとしている。ロボットはすでにみずからのテクノロジーを説明しはじめている。デイヴィッド?」
上巻 P.220

 ヒックスは曖昧に首を振った。マクレナンはそれを否定の答えと受け取った。「だから大統領は、かれらを自分の見たとおりに呼ぶんだ。逃げ道はないというんだよ。しかし、かれらが地球を滅ぼすためにやってきたのでないとしたら? われわれを混乱させ、後退させて、力をつけさせないだけのためにやってきたとしたら?・・・・・・ほら、われわれが日本人に対してやったかもしれないようにさ。もし、二十世紀に日本人がわれわれをどんなひどい目にあわせるか、あらかじめわかっていたら、そうしたかもしれないようにさ」

上巻 P.313


原題"THE FORGE OF GOD"。

もっと早く出会っていれば、読んでいれば、と思わずにいられない作品と出会ってきた。
だが、あのとき出会っていなくてよかった――そう思った作品はこれが初めてかもしれない。
あのとき――熱く、だらしなく過ごした大学の四年間のことである。

大学時代に友人が創設したTRPGサークルは、代を重ねるごとにその濃さを減じていき、創設メンバーが卒業した後は衰退するのみだったという伝聞を耳にしている。折しも世はネトゲの創世記を迎え、電源不要はカードゲームという新時代を迎えていた。多人数を長時間拘束しまくるTRPGはコストパフォーマンスに欠けるとみなされてしかるべきモノである。だが、その面白さを知ってしまえば、ネトゲはやはり物足りず、手軽さからそちらを選択したとしても、どこか乾いたなにかを残す。
さておき、そのサークルは当時、創設メンバーでもあった男――1.5期生と呼ばれ、後に元老院(一人だけど)と呼ばれる――が選抜したTRPG派と、サークル的には主流といえるMt:G派に分かれていたらしい。

卒業後、我が身は他県に起居するようになった。そちらでも飽きずにTRPGしてたことは別の話だが、帰省したタイミングで元老院と連絡を取ったことがきっかけで、TRPG派と接触を持つようになった。そんな身分でもないのに接待セッションの席を設けていただき、以後十数度、それなりの時間を過ごさせていただいた。
彼らのセッションの特徴は「泣き」である。なにかというと燃えさせ、泣かせようとする。そういえば、萌えはまだなかったように思う。

そのような風潮は全て元老院の指導によるものだと思い込んでいたが、後にいろいろと知ることによって、必ずしもそうではなかったと今では理解している。そのとき知らなかったこととは、その当時、とある世間を大いに賑わせた東鳩や『痕』のことだ。それらはクサい演出で泣かせ、燃え立たせようとするものだった。
そして、そんなカンジにプレイヤーの感情を刺激することを、元老院派のマスターは自慰的に至上としていたようである。それを至上とするマスターたちがまたプレイヤーでもあるから、彼らが局所解に陥ってしまったことは必然であり、脱出は不可能であったのだろう。元老院派といったものの、元老院自身はマスターをせず、それは我が身が参座していることへの一種のナニかと勘繰りもしたが、今思えば元老院も、その風潮には引き気味だったのかもしれない。

ところで我が身は、浪花節やそんなカンジの不自然な演出を嫌う性質である。
わからないようにやってくれればいいのだが、クサいとしらける。
幾度かおとなしく接待を受けていたが、あるとき、クライマックスでプツンと切れた。長時間拘束が二日続いたからかもしれない。PS版ガンダムの3D酔いですごく気分が悪かったからかもしれない。タバコの煙がやけに目に染みて、涙目になりながらゲタゲタ笑い、普段は表に出てくることのない我がLoonieを、存分に解き放った。
普段はReal ManかReal RolePlayerであると自任しており、そのように見られていると確信しているが、Loonie的に振る舞えないわけではない。長時間拘束の挙げ句、しらけた浪花節のクライマックスを迎え、大いに自制を欠いた、ということになる。

マスターはプレイヤーをうまく騙す義務がある。常にうまく騙せるわけではないが、そう努力する必要はある。TRPGにはシナリオがあるが、流動的な運用は可能である。シナリオだからして、一本道なこともあれば、選択による分岐もある。それは電源要のADVも同様である。
彼らのスタイルは、いいかえればバッドエンド至上主義といえる。先に述べたADV、『痕』を例に挙げれば、登場するヒロイン分シナリオが用意されており、攻略難易度すなわちフラグの立て方が意地悪になればなるほど、エンディングに至る過程がバッドな風味になるよう仕立ててある。これは『月姫』や『Fate』シリーズにも受け継がれている。
元老院派のマスターたちはおそらく、無意識的選択により、プレイヤーの選択を悪し様に解釈していたように思う。だからシナリオはどんどん悪い方向へ進んでいく。幾度か経験したセッションが、ほぼ全てそうだった。それはそれでひとつのスタイルと受けいれられるが、問題なのは、それが遊んでる間にわかってしまうことだった。攻略難易度が高い=高度なマスタリング、バッドな展開=いいシナリオと短絡したのだろうか。

本作品では、地球破壊までの日常が淡々と描かれている。米国における大統領への穏やかな反逆という以外、この手の物語にありがちなカタルシスはない。邦題をはじめとして訳が気になる部分が少なからず存在するが、風味は悪くない。
だからもし、あの日々にこの物語を知っていたならば、我が身もまたバッドエンド至上主義に陥っていたのではないかという感慨を抱くを禁じ得ないのである。


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