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2011年9月

2011年9月27日 (火)

読物 『奇巌城』

小学生の頃、市立図書館の児童書室で発見し、むさぼるようにシリーズを読んだ。シリーズ読破したかどうかは覚えていない。『奇巌城』の表紙絵は、こってりとなでつけた髪にシルクハット、片眼鏡をかけたおっさんだったように記憶している。こんなおっさんが少女と結婚・・・・・・と、当時思ったかどうかは記憶していない。

青空文庫の月間ランキングの上位に発見したので再読することにした。
上位の理由は山寺宏一主演の映画化作品由来か。

どうも印象が異なる。菊池寛訳、とある。菊地秀行節は、コレ調というか、無声映画の弁士風というべきなのか。そんなことを思いつつ。
初読の時、エルロック・シャルメをシャーロック・ホームズと解釈できたとは思えない。児童書ではシャーロック・ホームズと記述してあったように思う。
イジドール・ボートルレは中学生(当時の日本の感覚で訳したのであろう。現在でいえば高校生?)で紅顔の美少年、頭脳明晰で学業優秀、怪盗紳士と対決・・・・・・これなんてラノベ?
ミステリーと思いこんでいたが、冒険小説というべきか。

全14巻、再読してみるか。

2011年9月26日 (月)

漫画 『スティール・ボール・ラン』

第四部を連載で読まなくなって、ジャンプも読まなくなった。
何故連載で読まなくなったかというと、展開がわけわからんかったからである。
第四部、第五部、ストーン・オーシャンと、いずれも連載終了後にまとめて読んで堪能した。連載中はわけわからんが、まとめて読むとよくわかる。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
迷走しているということがッ

『スティール・ボール・ラン』もきっと同様なんだろうと、時折聞こえてくる噂話に耳をひくつかせながら、『ストーン・オーシャン』とつながる壮大なプロローグ!?なのかなあと妄想を膨らませたりしたものだった。

完結したことは耳にしていたものの、どうにも読む気が起こらない。数巻分は読んでいたのだが、まったくわけわかめだったからだ。第一部からそうだったといえばそうなのだが、ついていけなくなったからなのか、別の事象のせいなのか。
『ジョジョリオン』がブートしたことを聞いて、ようやく読む気になった。

七転八倒な迷走っぷりだ。

第五部からはじまった投げやりエンドは伝統となるのか。
『武装ポーカー』を思い出して、そういや原点なんだよなとか思ってみたり。ハマりこめば楽しいのだが、イマイチ乗り切れなかった。大統領のエピソードで終わらせてよかったんじゃないかと。

いまや短編集だけ購入するだけとなってしまったこの身が切ない。

2011年9月24日 (土)

読物 『なれる!SE5 ステップ・バイ・ステップ? カスタマーエンジニア』

その昔、「明日広島へ行ってくれ」と帰宅後に指示された。チケットも自前で手配しろという。
駅前にチケット屋があり、まだ開いている時間だからなんとなかったものの、「ビジネスクラスしか空いてないんですけど、いいですか」の問いに逡巡されたのには参った。是が非でも行けというなら、ファーストクラスおごるくらいの度量を見せろと。
その出張の行程はといえば、早朝羽田から広島、新幹線で広島から大阪、大阪で一泊して近鉄で奈良、無理なスケジュールではないが、余録をねじこめる程ではない。
出張はおいしいというコトバを上司はよく口にしていたが、物理法則が異なるセカイでの話なのだろう、そんな現象は一度も観測されたことはない。

職業を問われてコレ系ですと答えると、相手が非コレ系だった場合、わけわかんないけどスゴイ的な応答を得るのがおおよそ常態だった。本シリーズによる啓蒙が進めば、「あいてー(笑)」と応答されることになるであろう。
変なノリツッコミに拘泥せず、ムリくりラノベっぽくしないで、頑張っていただきたいものである。


読物 『獣の奏者 外伝 刹那』

『獣の奏者』シリーズは、『守り人』シリーズと比して好みではない。
しかし、短編の出来は『流れ行く者』より良い。

あとがきに、物語に対する著者の態度が記されている。
そのひとつに非常に共感を覚えることがあった。それは「かつて物語が終わってから外伝として記されてきたスタイル」あるいは「あくまでも余禄であり、本編とは独立した外伝というスタイル」が、いつしか「本編に余計な過去花などのエピソードとして挿入されるスタイル」にとってかわってしまったことに対する、個人的な思いと一致する。


読物 『「守り人」のすべて』

なぜ、短槍なのか。
著者はどのような武術経験をもつのか。
新ヨゴ皇国の東とか、ロタ王国の西とか、カンバル王国の北とかどうなってんの。
そんなことが気になっていたので、入手することにした。

ぽちってから、その辺のことがネットでヒットするようになった。巡り合わせの妙なるかな。

短槍の由来は、『精霊の守り人』そのものの着想ともなったもので、「映画の予告編かなにかで、男の子の手を引いてバスから降りてくるおばさんを見た」ことがきっかけとなって、「短槍をかついだ三十路の女性が、(血縁ではない)男の子と手を繋いでいる」インスピレーションがわいたことからだという。
武術経験は、著者が大学生の時、古流柔術の道場に通っていたことがあるそうな。
本書の中に、前者については語られているが、後者については語られていない。世界地図については、刊行されたものに付属のものが一冊で総覧できるので便利ではあるが、物足りない。

著名人の寄稿が幾つかある。金原瑞人は、荻原規子、小野不由美と並べて、三羽烏と評し、上橋菜穂子を頭一つ抜けているという。『グラン・ローヴァ物語』までの紫堂恭子に対するコメントも聞いてみたいところだ。

英語版翻訳の話や、『天と地の守り人』後日談の短編などは楽しませてもらったが、是が非でも手に入れておきたい一冊というほどではない。

2011年9月23日 (金)

読物 『ヤクザと日本人』

 土建、炭鉱での彼らの仕事は、人夫の供給と逃亡の監視、現場監督、飯場の経営、タコ部屋の支配等に分かれる。こうした「仕事」が独占資本と結びつくのは理の当然で、それは地方政界と彼らを結びつけ、その延長のかたちとして中央政界とつながるきっかけをつくる。  この政治との関係は、初期の段階においては、新政府側についた御用博徒と野党の自由党側についた野党博徒というかたちをとり、演説会その他の場において、しばしば白刃をふりかざして血みどろの争闘をくりひろげるが、政党政治時代に入ると、与野党の院外団へと変貌していく。院外団の役割が、反対党に対する暴力的前衛であったことは、ことわるまでもない。明治から大正へかけての連続的なテロや流血事件は、その直截な反映であった。
P.148

 先駆者同盟――テキヤの社会主義運動は、親分子分の義理関係によって急速な拡大発展をなし遂げていったと同時に、親分子分の義理関係にはばまれて衰微していった、と推察される。
 原因は、もちろんそれだけではない。社会州yぎのエリート指導者たちは、テキヤをルンペン・プロレタリアの範疇において、はじめから働きかけの圏外に置いていた。したがって、先駆者同盟も、彼らの指導の圏外で、テキヤ自身の手によって運動を展開するほかはなかった。そこに先駆者同盟の限界があり、衰微を早め、ふたたび芽を出すことのない原因が胚胎していた。そのことは、日本の社会主義運動史から、先駆者同盟の運動がいっさい抹殺されていることでも証明できる。革命主体を都市労働者・プロレタリアートにのみ置く、この教条主義的偏向は、そのまま獄中で温存されて、戦後にもちこまれ、日本総窮民化のなかで、彷彿として起こってきた窮民革命の芽を、一瞬のうちに押しつぶしてしまうことになる。極端にいうならば、日本の社会主義運動史は、エリートによって書かれたエリートのための運動史か、政治的セクトのエゴによって書かれた政治セクトのための運動史である。そこではつねに、無名の下積みの運動者の苦渋に満ちた活動過程は、自己の公平性を印象づける道具程度にあつかわれるか、無視されるかのどちらかである。筆者は、テキヤの社会主義運動を事実以上に評価しようとは思わない。だが、テキヤ即ヤクザ→暴力団→ルンペン・プロレタリア→反革命とする救いがたい単細胞的左翼教条主義には、怒りを覚えるものである(先駆者同盟に関する引用資料は和田信義『香具師奥儀書』文芸市場社、昭和四年版によって)。

P.246

 谷川語録抄
(1) 衣食住が満たされぬのは、それ自体が犯罪である。
(2) 運が悪いだけのものを犯罪という。
(3) ヤクザとは哀愁の結合体だ。そこにあるのは、権力、圧力、貧困におびえる姿だけ。
(4) 何が善で何が悪だといえるのは、まだ余裕のある人間だ。
(5) ドストエフスキーの『罪と罰』は所詮インテリ用。精神的遊戯だ。ラスコリニコフは、金貸しを殺しても、学問をきわめ、社会をよくするためにつくせば罪は解消すると考える。そんなことを書いてもらっても、飢えた人間は満たされぬ。
(6) 飢えなくてすむように教えること。これが教育だ。わたし自身、自分の行動力を社会改革に向けるよう刺激される教育を受けていたら、別な生き方をしたと思う。
(7) 「努力するものは必ず報われる」というのは、ひどいウソだ。
(8) 反撥することがすべてだった。
(9) ヤクザがなくならないのは、政治の貧困の結果だ――などといわれても、どうしようもない。そういうことをバカの一つ覚えみたいにくりかえしている人間は、えてしてそういうことをしゃべったり、書いたりすることを商売としている人間だ。
(10) "組"は前科とか国籍とか出身とかの経歴を一切問わないただ一つの集団だ。だから、社会の底辺で差別に苦しんできた人間にとって、"組"は憩いの揺籃となり、逃避の場となり、連帯の場となる。
(11) ヤクザに朝鮮人が多いのは、社会に出ても、あらゆる門戸から閉ざされているからだ。残されているのはみじめな雑業だけ。差別と極貧。それにじっと耐えるものもいる。しかし、ガマンできないものもいる。よいも悪いもない。柳川組はそういうものが寄っかかる"支え"としてあった。
(12) 社会からはじき出され、何かをして生きねばならない無数の人間がいる。やがてそのなかからリーダーが生まれて、グループの核ができ、"組"が形成される。"組"は、はじめからあるものではなく、つくろうとしてできるものでもない。
(13) わたしにはカネも地位も名誉もなかった。ソーニャ(ラスコリニコフの恋人)のような女性もいなかった。信仰する余裕もなかった。しかし、そういう状態のなかで「なにもないこと」の強さを身をもって知った。
 以上の語録は、数回にわたるインタビューのほか『サンデー毎日』(一九七一年二月二十一日号)、『朝日芸能』(一九六六年一二月十日号)に掲載された本人の談話から抜粋したものである。

P.269

ヤクザは室町時代に胚胎していたそうな。
統治の歪みが、時代時代に応じたアウトローを生む。
そんな内容である。

特に興味のある分野ではないのに、参考文献を辿っていくうちに、思わぬ迷い道にハマりこんでしまった。追及していることと無縁ではなく、ひょっとしたらなにか手がかりでもつかめまいかという期待を抱いたためでもあるが、寄り道過ぎ。


2011年9月20日 (火)

読物 『僕は友達が少ない 1~6』

ニュースとかまとめサイトのアフィに、肉を見かけるようになって数カ月。
確か似たような経緯で『俺妹』に手を出した記憶を呼び覚ましつつ。

意味がなく、くだらなく、面白い。

Gigabit化のこと

ずいぶんと前に自宅というか自部屋のLANをGigabit化すべきかどうか検討して、対応機器が一個しかない(牛NAS)ことから見送り、放置してきた。その後、PCを新調し、PS3を入手し、NAS(牛)を増設し、気づいたら対応機器が半数を超えていた。
特に強い不便は感じていないが、「PS3起動時に必ずアップデートを要求されるのろい」(というか、もっと頻繁に使いなさいということなのだが)にかかっていることもあるし、近々PS3が激稼働(当社比)する予定もあるし、なんとなく理屈がついたのでHUBとケーブルを変えてみることにした。

Windows 7そのもののもっさり感が実感することを困難にしているが、Gigabit非対応機からのファイル転送と比較すると、劇的に早くなったことがわかる。
ネトゲもやらないし、ストレージ間のデータコピーくらいでしか実感する局面はないのだろうけれど、熱源を減らせた(旧HUBの発熱がものすごかった)ことには意味があるかもしれない。

機器を追加すると連鎖的に更新したくなるとかせざるを得なくなることがあるが、プリンタがそろそろ替え時な機がしないでもなくなってきた。MyMioはインクのコストパフォーマンスが悪いように思われて仕方がないのだが、FAX対応機器というと選択の幅が非常に狭く、というか、選択の余地はないっぽく、このままだと次代もMyMioになりそうである。


HUBとケーブルx5で約6500えん。

2011年9月19日 (月)

読物 守り人シリーズと旅人シリーズ

記録によれば、初読から11年が経過した。これで確か三度目の再読になる。
かなり忘れていて、文章が目に触れると確かに読んだという記憶が甦るものの、初読のように楽しめてしまった。
お気に入りの物語に対して、これは珍しいことである。我が身の経年劣化が著しいということだろうか。

再読の楽しみは物語に対する印象の変化と、新しい発見にある。
前者については、これまでちょっとすっきりしなかった『天と地の守り人』が、すとんと落ち着いたような気がした。
後者については、作中に登場する食べ物、それに対する著者の嗜好の偏り具合である。
食べ物をうまそうに描写する作家といえば池波正太郎だが、鬼平だとか梅安だとかが食べているものに対しては、あるある感を感じられたというか、違和感を覚えたりしなかったのだが、今回の再読でちょっとしたナニカがあるような気になった。表現するのはとても難しいが、あえていうなら辛みが足りないというか。
入手してマンゾクしてしまった『バルサの食卓』をざっと眺めてみると、気のせいではなさそうな気がする。






2011年9月17日 (土)

読物 『流れ行く者』

『守り人』シリーズ短編集。バルサとジグロの放浪譚。

随分と前にシリーズを読み終えた後、もっとねえのかと調べて『ラフラ』なる短編が発表されたことを知ったが、なにか雑誌に掲載されたものらしく、手に入れることはできなかった。よみてえなあと思いつつ、守人シリーズの終焉に浸ったものだった。

つい先頃、関連事項をネットでひろいながらシリーズを再読したとき、本書の存在を知った。借りて済まさなかったのは、一種の信仰だろう。こんな時代でもひとつくらいは信じたい。

どれもちょっとずつ練りが甘いというのが偽らざる感想だが、寄る辺なく放浪する厳しさと、武術に対するひとかたならぬこだわりは、非常によい読み心地である。


軽装版とやらも発刊されているが、蔵書にあわせてハードカバーを購入した。

2011年9月15日 (木)

読物 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない 8』

「うぇへへへへへたったいまフルチャァァァージされましたから!」
P.81
自分でも・・・・・・非常に意外なことだが、ラブコメを楽しむ素養があったらしい。 読んでて辛くなる、まるでハルヒのような、浪花節なクライマックスを楽しむ素養は、やっぱり持ち合わせていないようだ。


ここんとこのいろいろ

買ったもの。

MIO(MIQ) パーフェクト・ベスト
1. GET IT!
2. Coming Hey You
3. Hey You
4. わすれ草
5. ダンバインとぶ
6. みえるだろうバインストンウェル
7. Time For L-GAIM
8. スターライト・シャワー
9. 不思議CALL ME
10. 夢銀河
11. Good-bye Lonely Blue
12. 悲しみのDestiny
13. Long ago and so far away
14. Razor's edge
15. 永遠よりも
16. Captain is Star-Child
17. WHY
18. Dunbine Fire
19. Time For L-GAIM(英語版)
20. GET IT!(英語版)


"Good-bye Lonely Blue"を初めて聞いたのは高校の時で、いつの間にか友人になっていた弓道部の男から借りたカセットテープに入っていた。曲名リストがなく、「なんの曲?」「なんの曲だと思う?」「・・・ウルフガイ?」などというやりとりをしたことを覚えている。当時はまだOVA『エリア88』を見ていなかったのである。
OVAは幾度か見てきたが、フルコーラス版は久々に聞いた。

鮎川麻弥 パーフェクト・ベスト
1. 風のノー・リプライ
2. 傷ついたジェラシー
3. ため息はピアニッシモで
4. The Dream
5. Z・刻をこえて
6. 星空のBelieve
7. キャンディ・ゲーム
8. 幸福のセオリー
9. 愛はロマネスク
10. Good-bye to love
11. 陽炎-heat wave-
12. 冬のカーニバル
13. 夢色チェイサー
14. イリュージョンをさがして
15. ハイヌーン ボディー
16. ワンダーランド
17. 風が聴こえる朝
18. Remember
19. intense情熱
20. Merry X’mas,Sorry X’mas


『MIO(MIQ) パーフェクト・ベスト』をぽちったらおすすめにあがってきたので、あまり考えずにぽちったのだが、『Reply~MAMI AYUKAWA 25th Anniversary Best Album~(DVD付)』の方がお得っぽい。

BUFFALO 72MB/s RAID対応 高速ネットワーク対応HDD (NAS) 4.0TB LS-WV4.0TL/R1
牛NASは三台目、160GB、500GB(1TBのRaid1)と使ってきた。増設を感じたのはずいぶんと前のことになるが、タイミングを逸してきた。
前二回は選択の余地がなかったこともあり全く悩む必要がなかったのだが、今回購入にあたって、評価がいろいろあって悩む。以前検討したものは、評価がよいのだが型落ち。TERA STATIONは評価がよいのだが、そこまでのものは必要はない。
収集した情報によると、このモデルは製造過程に問題がある場合と、ファームウェアのバグが問題になっている場合と、大きく二つの問題に集約されるようである。不良返品が効くので、問題があったらTERA STATIONにするかあ的な勢いで購入に踏み切った。ストレージとして使っているWin2Kマシンがそろそろ不安(久々に起動したらNICが逝ってた)なので、必要に迫られているという事情もある。
起動時間が長いので、初回設定にやや躓くも、問題なく稼働。ファームウェアを最新に、NAS Navigatorも最新に。Raid1に変更・・・随分と時間がかかり、待ちきれず寝て起きたら完了していた。とりあえず問題なく稼働している。
次は家庭内LANのGbit化か。

ニュータイプエース
安彦良和のBIOMEGAイラストと、弐瓶勉のヴィナス戦記イラスト、士郎正宗のイラストが載るというので買ってみた。いずれも・・・。
太田垣康男によるダグラムの有名なあのシーンを別構図で描いたものが望外のことであった。
アフタヌーン級の雑誌を手に取るのは久しぶりのことで、持っただけで読む気が失せる。ちらっとみて、大ゴマ連発でさらに失せる。おらぁもうだめだなぁと強度の自覚を喚起されつつ、唯一『トミノ伝』だけ楽しく読んだ。
どういう雑誌なのかよく分からないが、同人ノリで行くのだろうか。

食べてがっかりしたもの
モスバーガーの「タレカツバーガー」。具がちっさ。
季節限定の「たけのこの里(焼き栗)」と「きのこの山(紫いも)」。おいしいけど、過剰包装で損した気分。

買おうとしたもの。
モンスターハンターポータブル 3rd HD Ver.
ずっと拒絶してきたが、手持ちハードで遊べるんなら買ってみるかなーてな気になったのだが、今年買ったゲームは『GALAGA LEGIONS DX』ぐらいしかまともに遊んでいないことを思い出して、手控えることにした。
超絶不評で、けっかおーらい?

2011年9月14日 (水)

読物 『新版 進化するナンバ 実践 常歩剣道』

その昔、『グラップラー刃牙』で御殿手が紹介された頃のこと。
野球をやっているが格闘技は未経験という当時の職場の同僚とともに、昼食を買い出しに職場近辺のコンビニに向った。これみよがしに歩行者用の白線上を踏み歩く同僚の姿は、それを知る者には、なにが彼の厨二心を刺激したのか自明だった。
たまたま同道することになった職場の理事が何をしているのかと彼に問い、同僚は正中線を揺らさないように歩いているのですと答えた。それをするとどうなるの。バランスを崩さなくなります。ほう、と呟き、理事は同僚を軽く押した。他愛もなく、同僚はよろけた。
それから十数年、ズボンを片脚着脱しようとしているときのような一見して不安定な格好でも、きちんと重心を乗せていれば押されても容易には崩れないことを体感したのは余談である。

本書によれば、一直線上を歩くような歩き方は、少なくとも武術には不適合であろうという。
常足と書いて「なみあし」と呼ぶ。いわゆるナンバの、本書における名称である。常足は、一直線上ではなく、二軸――二本の直線上を動くという。一見してガニマタ歩き、といえばよかろうか。
ナンバ歩きという概念と初めて遭遇したのは山本貴嗣の『SABER CATS』で、その中には日本刀の運用に関わる表現もあった。本書においては、常足を剣道に還元するにあたって、これと反する運用を示しているようにみえる。
たかがマンガと、剣道を身近に行ってきた方の著書と、どちらに信を置くか。
剣道といえばガッコの体育の授業くらいしか経験のない身では判断する術を持たないが、静的な宇宙を信仰するのと同じレベルで前者に信を置きたい。

本書における常足を行う身体を作る方法論は、ここ数年、個人的に工夫しているところとマッチする部分があるので、参考にしたいと思う。
「剣道は古武道の理合を失っている(意訳)」というようなことを聞いたのはどこでだったか、ゆえに剣道に手がかりを求めることは諦めていたのだが、市井人の一考察という印象を拭いえないにせよ、興味深い内容であったことは間違いない。


2011年9月10日 (土)

読物 『天空の劫火』

「皮肉にも、われわれに渡される情報は、オーストラリア人がおおやけにいっていることを確認するものばかりだ。かれらに関する限り、すべて底抜けに楽天的[ポリアンナ]だ。われわれは新たな発見の時代に入ろうとしている。ロボットはすでにみずからのテクノロジーを説明しはじめている。デイヴィッド?」
上巻 P.220

 ヒックスは曖昧に首を振った。マクレナンはそれを否定の答えと受け取った。「だから大統領は、かれらを自分の見たとおりに呼ぶんだ。逃げ道はないというんだよ。しかし、かれらが地球を滅ぼすためにやってきたのでないとしたら? われわれを混乱させ、後退させて、力をつけさせないだけのためにやってきたとしたら?・・・・・・ほら、われわれが日本人に対してやったかもしれないようにさ。もし、二十世紀に日本人がわれわれをどんなひどい目にあわせるか、あらかじめわかっていたら、そうしたかもしれないようにさ」

上巻 P.313


原題"THE FORGE OF GOD"。

もっと早く出会っていれば、読んでいれば、と思わずにいられない作品と出会ってきた。
だが、あのとき出会っていなくてよかった――そう思った作品はこれが初めてかもしれない。
あのとき――熱く、だらしなく過ごした大学の四年間のことである。

大学時代に友人が創設したTRPGサークルは、代を重ねるごとにその濃さを減じていき、創設メンバーが卒業した後は衰退するのみだったという伝聞を耳にしている。折しも世はネトゲの創世記を迎え、電源不要はカードゲームという新時代を迎えていた。多人数を長時間拘束しまくるTRPGはコストパフォーマンスに欠けるとみなされてしかるべきモノである。だが、その面白さを知ってしまえば、ネトゲはやはり物足りず、手軽さからそちらを選択したとしても、どこか乾いたなにかを残す。
さておき、そのサークルは当時、創設メンバーでもあった男――1.5期生と呼ばれ、後に元老院(一人だけど)と呼ばれる――が選抜したTRPG派と、サークル的には主流といえるMt:G派に分かれていたらしい。

卒業後、我が身は他県に起居するようになった。そちらでも飽きずにTRPGしてたことは別の話だが、帰省したタイミングで元老院と連絡を取ったことがきっかけで、TRPG派と接触を持つようになった。そんな身分でもないのに接待セッションの席を設けていただき、以後十数度、それなりの時間を過ごさせていただいた。
彼らのセッションの特徴は「泣き」である。なにかというと燃えさせ、泣かせようとする。そういえば、萌えはまだなかったように思う。

そのような風潮は全て元老院の指導によるものだと思い込んでいたが、後にいろいろと知ることによって、必ずしもそうではなかったと今では理解している。そのとき知らなかったこととは、その当時、とある世間を大いに賑わせた東鳩や『痕』のことだ。それらはクサい演出で泣かせ、燃え立たせようとするものだった。
そして、そんなカンジにプレイヤーの感情を刺激することを、元老院派のマスターは自慰的に至上としていたようである。それを至上とするマスターたちがまたプレイヤーでもあるから、彼らが局所解に陥ってしまったことは必然であり、脱出は不可能であったのだろう。元老院派といったものの、元老院自身はマスターをせず、それは我が身が参座していることへの一種のナニかと勘繰りもしたが、今思えば元老院も、その風潮には引き気味だったのかもしれない。

ところで我が身は、浪花節やそんなカンジの不自然な演出を嫌う性質である。
わからないようにやってくれればいいのだが、クサいとしらける。
幾度かおとなしく接待を受けていたが、あるとき、クライマックスでプツンと切れた。長時間拘束が二日続いたからかもしれない。PS版ガンダムの3D酔いですごく気分が悪かったからかもしれない。タバコの煙がやけに目に染みて、涙目になりながらゲタゲタ笑い、普段は表に出てくることのない我がLoonieを、存分に解き放った。
普段はReal ManかReal RolePlayerであると自任しており、そのように見られていると確信しているが、Loonie的に振る舞えないわけではない。長時間拘束の挙げ句、しらけた浪花節のクライマックスを迎え、大いに自制を欠いた、ということになる。

マスターはプレイヤーをうまく騙す義務がある。常にうまく騙せるわけではないが、そう努力する必要はある。TRPGにはシナリオがあるが、流動的な運用は可能である。シナリオだからして、一本道なこともあれば、選択による分岐もある。それは電源要のADVも同様である。
彼らのスタイルは、いいかえればバッドエンド至上主義といえる。先に述べたADV、『痕』を例に挙げれば、登場するヒロイン分シナリオが用意されており、攻略難易度すなわちフラグの立て方が意地悪になればなるほど、エンディングに至る過程がバッドな風味になるよう仕立ててある。これは『月姫』や『Fate』シリーズにも受け継がれている。
元老院派のマスターたちはおそらく、無意識的選択により、プレイヤーの選択を悪し様に解釈していたように思う。だからシナリオはどんどん悪い方向へ進んでいく。幾度か経験したセッションが、ほぼ全てそうだった。それはそれでひとつのスタイルと受けいれられるが、問題なのは、それが遊んでる間にわかってしまうことだった。攻略難易度が高い=高度なマスタリング、バッドな展開=いいシナリオと短絡したのだろうか。

本作品では、地球破壊までの日常が淡々と描かれている。米国における大統領への穏やかな反逆という以外、この手の物語にありがちなカタルシスはない。邦題をはじめとして訳が気になる部分が少なからず存在するが、風味は悪くない。
だからもし、あの日々にこの物語を知っていたならば、我が身もまたバッドエンド至上主義に陥っていたのではないかという感慨を抱くを禁じ得ないのである。


2011年9月 7日 (水)

Google Chromeのこと

15年ほど前は、投げやりに「マイクロソフト万・歳!」と叫ぶ日々だったが、慣れてしまったのか、最近はそうでもない。
ソフトウェアにはいろいろな挙動があるもので、最近とりわけ困惑させられたのは Google Chrome による、と思われる障害だ。現象としては、Chromeを起動していると他のアプリケーションのインストーラが起動しない。あるいはひどく遅延して起動する場合がある、というものだ。確認したのはいずれもOPOS関連のインストーラで、InstallShieldによって作成された setup.exeである。バージョンはそれぞれ異なる。

VBで作成したSetupはその限りではない。Microsoft製品の幾つかのインストーラも同様である。幾つかのフリーソフト、ドライバも同様である。OPOSドライバ関連ないしは、InstallShieldにより作成されたインストーラであること、が共通事項となっている。

現在のところ再現性は100%だが、ひどく遅延して起動することもある。
Chromeを終了すると、途端にインストーラが起動し始めるので、Chromeが原因であるとしか思えない。Mosaic、Netscape、IE、DonutR、Sleipnir、Opera、Firefoxなど試したり使ってきたりしたが、初めてのことである。
とりあえずぐぐってみたが回答は見つからない。

2011年9月 5日 (月)

京都分骨記

一日目、21:20出発。
二日目早朝、京都八条口着。ダイソーも入っている京都タワーで入浴750円、朝食1800円。
タクシーで大谷本廟へ。気温は高くないが湿度が半端ない。なにもしてないのに大汗かき麻呂。分骨は滞りなく完了し、9:45の無料循環バスで西本願寺へ。一周忌の法要。
とりあえず、残3ステップ。ふう。

早々とミッションコンプリート。こんなに段取りよく進むと考えていなかったので、プランがなにもない。学生時代に住んでいた富雄へ行ってみようかと考えていたが、雨なのでめんどくなった。
とりあえず、西本願寺から散策。土産に松風を買い求めつつ、なんとなく昼食難民と化す。なんかあるだろ―と短絡して事前に下調べをしなかったのだが、これと思うものに巡り会えない。コンビニでるるぶを入手して京都駅の地下街を利用することにする。ラーメンを食して喫茶店に立ち寄る。イノダコーヒーというその店は、行列を作る店らしい。「アラビアの真珠」というコーヒーはオススメの一品だそうで、ミルクと砂糖で楽しむのがデフォだという。その言葉に偽りはなく、ブラック党だがオススメの通りに喫して、満足した。

雨は降ったり止んだりで、観光には微妙。
雨の銀閣へ行こうという弟の主張に乗り、おバカな引率に率いられたおバカな修学旅行生らにとある感慨を抱きつつ、かなり久しぶりに、向月台やら銀紗灘、苔むした庭園を堪能する。向月台といえば、『エイリアン京洛異妖篇』に宝の隠し場所として登場する。京都に対する愛や知識がなくても物語をでっちあげられるというのはさすがというべきか。
猛烈な湿度の中、抹茶を喫して一休み、南禅寺へ赴く。「絶景かな」の三門はまことに立派なものだった。タクシーの運ちゃんに水道橋は一瞥の価値ありというので、見てみた。なんでも日本で初の水力発電だったそうな。国宝の方丈は、手塚治虫が作中で古代の海洋地図だとした竜安寺石庭を思い出させた。

17:00、今回の旅の目的の一つである、先斗町のすき焼き屋に入る。
店の名前も、詳しい場所も失念していた。二十年くらい前、父親に連れられて、夏の暑いさなかに、甘ったるい肉をしこたま食ったという記憶しかない。こればかりは前もって調べていて、弟とともに歩きながら候補を絞っていく。
三条から、これでもない、あれでもないと南下。あらかじめこれであろうと見定めていた四条の店「かの古」がビンゴで、ザラメ味のすき焼きを堪能する。食の衰えは顕著で、二人前を二人で食して、いっぱいいっぱいだった。
これで思い残すすき焼きは、桜肉のみとなった。

帰りの便は22:03発で、それまで発着場近辺の漫画喫茶で時間をつぶす。似たようなことを考えた客で盛況のようだ。寝て過ごそうと思ったが寝付けず、漫画を読むことにする。
『The Origin』の22巻、ジオングがカッコわるい。ジオングは頭でっかち気味の方がバランスが良いと思うのだが。TV版ではジオンは敗色濃厚と見えたのだが、漫画ではなんだか妙にジオンマンセーで食傷気味なカンジ。
『ガイバー』の27巻、終わらす気あんのかっ。

豪雨で東名、中央道が通行止めだそうで、予定より遅れて帰着。
出社するつもりだったが、間に合いそうにないのと、バスの中では満足に寝れず、思っていたより疲れているのがわかったので、休みにしてしまった。

2011年9月 2日 (金)

読物 『ソードアート・オンライン〈2〉アインクラッド』

EQJEでは、英語版経験者がそれはそれはものすごいスタートダッシュをかけたそうである。後に聞いたところではブロンズ装備とTinkering装備でVox、Naggyを倒したという。我が身はといえばEQJEが初めてのMMORPGで、フレンドにもレベルで置いて行かれるような具合だったから、そのすごさを体感するのは随分と後になった。
知らず厨筆頭といわれるクラスをやっていたためか、ログイン時間が遅いためか、グループに参加できない日も続き、低レベルでフレンドとなった方々と再会するのは、これまた随分とあとのことになる。わりと寂しい思いをしながらも続けていたのはやはり面白かったからだろう。
あるとき、ギルドに所属することになった。ギルドに所属しても恵まれない特質は変わらず、生産に打ち込むようになった。2Accを始めたがギルドに参加させなかったのは、そういう微妙な状況があったためだと思う。
まったりとギルドに参加しながらも、廃は次第に覚醒していった。オープンレイド団体に参加し、獲得したレイドのノウハウを活用してギルドイベントを企画し、当時人口減少が顕著になり始めていたEQJEで、一時とはいえ所属ギルドの人員減少に歯止めをかけることができたと自負している。そのせいでいろいろ言われもしたが、善意が悪意にとられることを諦念とともに受け入れることを覚えれば、たいしたことでもない。
とはいえ、いろいろとあれば、モチベーションを維持することは難しい。ギルドでの最後の生活は、もっぱら2Accによるソロ、あるいはギルドには非公開の低レベルキャラで新境地の開拓をすることだった。微妙な雰囲気は続き、ギルドに所属する意味を見失っていたといえよう。
拡張セットが滞って短からぬ日々が過ぎ、JEオワコンwみたいな空気の中、終わるならトップ集団の雰囲気を知っておきたいと思うようになった。トップ集団のメンバーリストを見ると、我がメインキャラたる厨クラスがいっぱいいる。数の少ないクラスなら拾ってくれるだろうと、しこしこと育て始めた。いざ所属してみたら、リストに載っていないメンバーが結構いて、そのクラスはあまり気味だったことは余談である。バードにしておけば良かったヨ。
世話になったギルドには、誘ってくれた人もPOPしなくなっていた。どう思われていようとも、感慨深いものがなかったわけではなく、決断に随分と時間がかかったものだが、ついに退会し、トップ集団へ移籍した。キャラの質は問われなかった。
その後EQJEはサービス終了となり、移管した米鯖でも同集団に所属し続け、それなりに攻略に貢献したつもりではいるが、仕事の都合上、断念せざるを得ず、半端な形で引退することになった。

著者は、トップ集団に所属した経験をもたないという。それゆえか、それっぽい集団内の描写は弱い。確執しかないとでもいいたげな風ですらある。UOのプレイヤーだったのだろうか。
所属した経験からすると、BBSや動画、2chから、それらの雰囲気を感じることはできる。攻略がメインな団体であるからして、プレイヤースキルの向上やレベリングなどは当然のことで、その点だけを見れば厳しい集団ではある。だがそれは覚悟の上の筈で、たかが遊びで罵倒されるのはどうなの?という不満を匿名ではらそうというのはおかしい。ゆえに、第三者的な観察ではネガティブな情報を獲得しやすいといわざるを得ない。
だが、それを望んで交わってみれば、廃度が高いとはいえ、それなりに和気藹々とした集団であることがわかる。スポーツにたとえるなら、勝つことよりも体を動かすことに主眼を置くか、勝つことに主眼を置くかで、トレーニングの方法もチームの雰囲気も変わるだろう。それと同じ事だ。勝ちたい集団に望んで所属して不満たらたらというのは、スキルが圧倒的に不足するプレイヤーに多かったように思う。練習不足かセンス不足かはともかく、勝ちたいチームに一向にスキルが向上しないプレイヤーがいたら、非難されずにはいられまい。なんにしても、そのようなつまらん確執は、かつて所属したまったりギルドも変わりはなかったが、注目度からして後略集団に関するものは目立つということなのだろう。
作品内に登場する<軍>というギルドのありようは、EQJEに存在したとあるギルドを想像させるものだったことは余談である。

本書は、ハーレム系な短編集である。一巻と同様、最初の30ページくらいがやはり辛かった。
蔑まれたり感謝されたり、レアアイテム獲得のためにこもってキャンプしたり生産したりというようなことがいちいち思い出されて、作品の出来を補完してしまっているのではないかと思わなくもない。
既知の中で似たような風合いの作品を敢えてあげれば『イートマン』で、面白いと感じるのだが、主人公ツエーな予定調和なので、どことなくシラけるというか、そんなカンジ。

一方、大学時代所属したサークルでは「NPCの大冒険」という言葉がつくられた。
PCはオマケで、NPCが事態を解決してしまうようなシナリオおよびマスタリングを表現したものである。他の言葉におきかえるなら超展開、デウス・エクス・マキナが近いか。
非公開ながらそんなシナリオを作ってしまった過去もあり、自戒をこめつつも、その犠牲になった身の上としてはありったけの念を込めて使用させていただいた。

数値などゲーム的な表現を恥じることなく使用できるバックグラウンドをもつことがこの物語の強みではあるが、FF2の時代から現在に至るまで臆面もなく演出されるようになったNPCの大冒険は、やっぱりたまらないなあと思うのである。


世界で1番利用されていると噂の『16類型性格診断』

この手のアレは設問が微妙なカンジもするので、結果も微妙なカンジがするものだが、今回、設問に対面して、かつての自分と違うなあという自覚があったことは発見だった。

以下、結果。

あなたの『 ENFJ型 』について

----饒舌な説得力のあるリーダー----
人をヤル気にさせる事が得意で信頼されるリーダーであり、
多くの人がついてきます。
直感的に状況を見極め、気を配り、適切に話すことがで、
話が上手いという天性の才能がリーダーとしての大きな要素です。

人が何を求めているかを直感的に理解して
適切に助言・手助けができるので、リーダーシップをとる能力に長けており
先頭に立つリーダーになることに向いています。

しかし、批判に対して打たれ弱く落ち込み傷つく繊細な面もあります。
意見が対立し反対されると個人的に攻撃されたと思い
相手に恨み(敵対心)を抱きます。
ただの意見交換のつもりが意見の優劣に対しての
勝ち負けの問題に発展することがあります。
それがきっかけでリーダーシップを取っていたグループが崩壊することも。

現代社会では、あまり女性が前に出ることを好まない傾向にあるため、
この型の女性は特に大きな組織に属してしまうとやり難さを感じます。
現代社会はリーダーシップのある女性を潰してしまう傾向にあるので、
直感的に状況を見極める力で上手に対応しましょう。

世話をしたり気を配ったりする資質の多くが女らしいとみなされるので、
女性的と見られたい場合、この型の女性は得です。

しかし、この型の女性は、家族などの小さなコミュニティでリーダシップを
とる場合はスムーズに進行しますが、
会社などの大きな組織になると上手くいかない場合があります。
特に男性が不快に感じるため邪魔が入る場合がほとんどで
リーダーの資質うんぬんより以前に敵が現れます。

このタイプは、有能なリーダータイプなので男性の場合はモテます。
行動・生き様で相手を魅了する型です。

しかし、口が上手く喋りたがりのため「不誠実」などと批判され、
それに気づくと落ち込み自己不信に陥るので注意。

16類型性格診断

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