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2011年8月24日 (水)

読物 『巨怪伝』

 あるとき、東久邇宮内閣の逓信院総裁をやめ、東海大学を発足させたばかりの松前重義が、元内務相警保局出身の代議士、三田村武夫を伴って現れた。三田村は重大な話だから、と断った上、「コミンテルンの敗戦謀略」という書類をめくりながら、説明に入った。  三田村の説くところは、大要、次のようなものだった。  共産主義の最終目標は資本主義を打倒して世界革命を達成するところにある。レーニンはまず、資本主義は既に自己崩壊を始めている、ととらえた。  このため、代表的な資本主義国同士を互いに戦わせ、負けた国から次々と革命に導き、やがて一挙に世界革命を引き起こす、というのがレーニンの唱えた世界革命論の骨子だった。  第二次世界大戦は、このレーニンの世界革命論を日本とアメリカにあてはめたもので、日本軍閥政府を樹立させ、積極的に戦争熱をあおりたて、対米開戦につっこませれば、日本が敗退することは必至となる。その機をとらえて一挙に暴力革命を達成させる。  これが三田村の説く”コミンテルン謀略史観”の要点だった。柴田は、三田村がふるう熱弁に、身震いするほどの興奮をおぼえた。三田村の説く”敗戦謀略説”に従えば、昭和七年、コミンテルンが直接革命から二段階革命に戦術を転換した、いわゆる三二年テーゼが当然の歴史的帰結だったこともわかるし、ゾルゲ事件の尾崎秀実が、アメリカ共産党派遣の宮城与徳と協力し、日本の最高機密をモスクワに送っていたわけもよくわかった。  また、その尾崎が、マルキシズムに理解のあった宰相近衛文麿に接近し、近衛の和平工作をおだてあげるふりをしながら、逆に、その情報を支那事変を泥沼化に導くための裏工作に使い、遂に、平和主義者だったはずの近衛をして、なす術もなく軍閥政治に政権を委ねざるを得ない局面に追いこんだ謎もよくわかった。  三田村は、敗戦後の日本の状況も、まさにそのシナリオ通りに動いている、と述べ、最後に、馬場を指してこう言った。 「読売は、まさにその暴力革命の第一目標にされていたわけですよ」

<とすると何のことはない、戦い終わって蓋を開けて見たら、日米共に莫大な血の犠牲を払って、結局はスターリンの振るタクトに踊らされ、その世界革命計画にうまうまと利用されてきただけではないか、ということになる。こんな馬鹿げた話があってたまるか、と今さら歯ぎしりしても始まらない。いや待てよ、そうすると、ミズーリ艦上で突きつけられた降伏条件といい、その後における占領政策のあり方といい、どれ一つとってみても日本の弱体化と、その行き着く先は、共産化以外の何ものでもない。
 それ許りではない。瓦礫から祖国の再建に立ち上がろうとしている日本はもとより、果たしてアメリカもまたそれを良しとするのかどうか、一つこの際、双方の猛者を促し、双方の根本政策をはっきり見究めてかからせる必要がある――私はその必要性をいたく痛感した。そして先ず馬場社長を動かし、アメリカにこの三田村論文を手渡すことにした>

 柴田はすぐさま、読売争議以来、気心の知れていた参謀第二部(GⅡ)部長で、有名な反共主義者のウイロビーに連絡をとった。ウイロビーは、柴田の話を聞くなり異常な関心を示し、
「これは大変な教訓となりました。マッカーサー元帥にも話し、早速本格的に調査にのりだすこととしましたから、今後も御協力を願います」と言った。

P.337

「あの当時、マッカーサー司令部はヘソと呼ばれていました。朕の上に君臨するという意味です。(後略)」

P.385

 第二次読売争議中、柴田は、吉田総理秘書官福田篤泰の外務相時代の部下だった木名瀬智の永福町の家を下宿としていたが、その木名瀬によれば、柴田はその頃、地球儀を北極の方から俯瞰しては、
「テレビがお茶の間文化をつくるというのは表面的な見方であって、本当は日米の防衛戦略にとって欠かすことのできない武器なんだ」と、よく言っていたという。
 講和前夜の危機意識からスタートした”正力テレビ”は、その危機意識それ自体が危険なものとして排除され、皮肉なことに、柴田が表面的な見方といった”お茶の間文化”の提供という道を選択する結果となった。”正力テレビ”の構想は、占領から講和へ転換する日米関係のうねりを、冷戦に向かうアメリカの影ともどもに映しだしていた。
 ”正力テレビ”は破産という結末をみたが、柴田がもし”正力テレビ”に賭けることがなかったなら、日本へのテレビ導入が何年か遅れたことだけは確実だった。
 正力の(公職)追放解除への執念から始まったテレビ導入計画は、その意味で、正力が欠けていても、また柴田が欠けていても、絶対になし得なかった二人の間の黙契の大事業だった。

P.469

 やはり正力選挙に何度もかりだされた川上哲治は、選挙期間中一般の人から好奇の目で見られるのはまだ我慢できたが、本業の野球で、しかも読売の社員から男芸者を見るような視線を何度も浴びせられたのは、耐えがたい屈辱だったという。
「V9時代は優勝するたび、本社の社内を優勝旗をもってねり歩かされた。さわるとユニフォームにインクがつく工務部までおりていって凱旋させられた。そのとき、いちばん冷ややかな目でわれわれを見ていたのが、東大出身のアカの連中だった」
 川上は名前こそ出さなかったが、V9当時いた東大出身のアカといえば、いやでも読売新聞社現社長の渡辺恒雄と日本テレビ現社長の氏家斉一朗の二人が思い浮かぶ。二人が東大時代、西部セゾングループ総裁の堤清二らとともに学生運動に関わっていたことはあまりにも有名である。

P.579

ちょうど二年前の八月から、
『阿片王 満州の夜と霧』
『小泉純一郎―血脈の王朝』
『甘粕正彦 乱心の曠野』
『凡宰伝』
『鳩山一族 その金脈と血脈』
『東電OL殺人事件』
と読んできたが、『巨怪伝』『阿片王 満州の夜と霧』『甘粕正彦 乱心の曠野』は特に別格であると感じる。
伝記と時事ネタの違いか。
本書は、野球50%、原子力20%、前夜後夜プロレスその他で残り、という案配で構成されている。

レフトなのか、あるいは、しょせんはブンヤということなのか。
時として激しくファビョることがなければ、琴線を掻き鳴らしただろうに。


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コメント

これはたしかにおもしろかった憶えがあります。ひとしきり本棚をさがしましたが、出てこないなぁ…。

著者は、どこだかで、ナベツネとか某自治体の長を「小物すぎて話にならん」みたいなことを書いてたような気がします(出典不詳)。しかし正力は違うんですなぁ(笑

本書中で著者が再三繰り返しているのが「正力のもつ重力」で、「惑星状に形成された人脈」や「星雲状の人脈」を有していたとのことです。
いいたいことは分かるけど、なんかツボを外した比喩のような気がしてならんのですが、気にしないことにしました。

時代をただ懸命に生きた人物が成し遂げたことが、結果として宿命的に見えることがある。そのような人物は、生物として、人間としてではなく、人外のもの――たとえば英雄――とみえる。
著者は、そういうドラマに惹かれて筆を執るのでしょう。足かけ九年とかいう準備期間は、そうでもなければやってられないのかなあと思ったり思わなかったり。
政治家や時事ネタについては、恨み節を吟じたいがためにやってるような、そうでもしなけりゃやってられんみたいなノリが感じられます。

あるいは。
小物といいつつ、存命中はやれない大物なのかもしれません。

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