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2011年8月

2011年8月31日 (水)

読物 『ソードアート・オンライン〈1〉アインクラッド』

第一巻、30ページあたりまではすんごくしんどかった。
『バトルロワイヤル』風味になった時点で、面白くなった。
MMORPGというよりも、格闘ゲームのようなカンジではあったにせよ。

「アインクラッド」ってどこかで聞いたようなカンジだなと思ったら、ベリオス大陸にアイスクラッド・オーシャンというゾーンがあったことを思い出した。ベリオス大陸というのは、ノーラス、すなわちEverQuestに存在する架空の大陸のことだ。

MMORPGというと、語れるほど遊んだのはEverQuestのみである。
長くやったのはサブタンクにカテゴライズされるクラスだが、濃くやったのはダメージディーラーとクラウドコントローラーだった。

ダメージディーラーといいながら、攻撃力ではそのカテゴリで最低、その分半端に硬いのでクラウドコントローラーとして機能しなくもない。そのクラスの名はレンジャー、最大の見せ場は、お招きしたレイドエンカウンターをDebufのあいだ接待し続け、MTに引き継ぐことだ。タンククラスを瞬殺するレイドエンカウンターに対しこれを可能にするのは、およそ1時間に一度使用可能な24秒間の絶技、Weapon Shieldという対物理攻撃絶対防御スキルである。同スキルはAEやスペルには効果がないので、頓死の憂き目にあうこともままあったが、うまく決まったときの自己満足感は半端ない。MTが不慮の死を迎えたとき、急場をしのいでうまく引き継げた時の自己陶酔感も半端ない。

クラウドコントローラーは、エンチャンターをやった。後にバードを経験して、なんでもできるけどなんでも二流という一種のレンジャー感を抱かされたことは余談だが、エンチャンターは一流のクラスだった。2Accのサブキャラだったけど。普段はミソしてへーストしてスロウして――改めてみるとけっこう仕事があるな――いるだけだが、いざとなるとAddをMezしてチャームして、危機回避に大活躍する。エンチャンターありきのグループで長くすごした方は、自分のクラスにクラウドコントロール能力があるにもかかわらずそれを発揮できず、することも思いつかず、壊滅を看過して恥じない。それほどに頼られたクラスだった。

本書においては、クラスとしてできることではなく、人としてできることを描いている点は、後付の美談めいているとはいえ、MMORPGらしいといえよう。
Uberな団体に所属もしてみたし、生産で廃人にもなってみたし、時間をかけた奴が強いというのはよくわかる。一人でスーパーなことしたい――ClrがAoWをソロで打倒するというような、そんな俺カッコいい活劇を夢見つつ果たすことができないことに思うところがなかったわけではない。EQは仕様変更で神となるクラスが交互にあらわれたが、INしている間、レンジャーにはついぞその機会は訪れなかった――と思うのも分かるけれど、それならオフゲでよくね?と思いもする。
だから、MMORPGを主題としながら、このような物語になってしまったことには残念な気持がないわけでもない。


2011年8月30日 (火)

読物 『女ひとり家四軒持つ中毒記』

反省』経由。
なんでも四件家を購入した外務省勤務者がいるという。しかもそれを本に著しているという。
外務省ってのは儲かるのか。
そんな気分で読むことにした。

経歴がよくわからない。外務省勤務者だと思っていたが「今の雇い主は~」のような表現が散見される。外務省というのは出向があるのか。賃金は出向先が出すものなのか。
八年間に、日本で三件、パリで一件、物件を購入したらしい。ひとつは完済したそうだ。ひとつだかふたつだかは貸してるようだが、こういうのは副業にならないのだろうか。
女ひとり、というが、結婚している。返済は配偶者に頼っていないということなのだろうか。外務省はそんなに儲かるところなのか。

どうでもいい。
得難い経験談が語られているのかもしれないが、おバカさんでしゅね、という印象しか抱けない。
あまりのアレっぷりに、ナニを装った内部告発の書なのかと勘ぐりもしたが、
 言行不一致、ダブスタ上等、コスト意識が破綻している、計画性がない、お役所人間が言うな。
そんなこんなが目白押しで、勘繰ったことが恥ずかしく思えてくる。
副業の言い訳というなら納得できる内容。とにかくムカついてしょうがない。



2011年8月28日 (日)

アニメ 『CBキャラ永井豪ワールド』

ジンメン「シレーヌにしてみりゃあーた、恋人をオカマに寝とられたようなもんでございぁすからねぇ」
デビルマン「・・・地獄だな」

ジwンwメwンwww

1990年に、バイオレンスジャック=不動明を既知としていただろうか。否だったと思うが定かではない。
とても好きだったのだが、ロケットパンチやブレストファイヤーの演出以外、全く記憶になく、初見のように、凄く楽しめてしまった。絵的な構図というものを意識したのは、マジンガーZの頭部が個人的嚆矢だったことを思い出したりしながら。
監督飯田つとむ(馬之介)と音響監督千葉繁によるオマケのコメンタリー、肝心なところがピーで意味ねーじゃん的なアレはあるものの、Emotion、大英断である。デビルマンの続編も一つ、頑張っていただきたい。


2011年8月27日 (土)

読物 『涼宮ハルヒの驚愕』

 バッドエンドルートに入ったことに気づいてやる気をなくしたんだろう。
P.254

 考える時間はまったく必要でなかった。それは俺の役割じゃない。突如として超常能力に目覚めて目下の敵をバッタバッタとなぎ倒す? それも武力でだと?
 いつの時代のジュブナイルだよ、そんなの。三十年も前にすたれたはずじゃなかったか? 今時そんなのやろうってのは、レトロブーム以前に人間の文化的精神がとんと進化していないという明白な証拠じゃないか。俺はもっと新時代の物語に接したい。
 なんせ、あいにく俺はひねくれ者なんでね。王道やマンネリなどくみ取り式トイレの脇に置かれている紙くらいの価値としか思えないのさ。

P.263


一人称の小説というと、私的には平井和正のアダルト・ウルフガイと、菊地秀行のトレジャーハンターシリーズが印象に深い。前者は天使憑きで、後者は魔界国で切ったが、そこに至るまではかなり楽しんでいた。
楽しんでいる最中には気にならなかったことといえば、時折、自慢話を聞かされているような気になったことがあげられる。どちらもタフなヒーローの独白であるからか。
前者については、見捨てた頃には、シーン描写なのか犬神明のセリフなのか著者の主張なのか、区別がつかなくなっていた。どうでもいいことだが、セリフが何十ページも続くといえば他に温帯が思い出される。
ハルヒは、一人称語りの特徴と思われる自慢げを自虐げにしたところが、個人的には斬新だったように思う。

結果として『~驚愕』の刊行がこのような形になったことで、『~分裂』で決定的な自縄自縛をしてしまったという個人的推測は正しかったように感じられるがそれはどうでもいいこと。斬新なアイデアがそれ自体制約になってしまうことはよくあることだ。
また、おそらく文庫本一冊分に内容が満たないという理由で、長門とみくるに対する愛を叫んで間をつなぎ始めた頃から、そう長くはないだろうという印象も抱いていた。このような現象は古参にもままあることなのでたいしたことではない。

このシリーズについては、一巻からもっていた宿命的制約をどのように回避していくのかを楽しみにしていた。
数年前は待ちに待っていたはずが、いざ読み始めてみれば前巻の内容をすっぱり忘れていてもまあいいやとなり、読み進めて間もなく私的にはオワコンなんだなと感じるしかなかった。グノーシス主義のくだりは面白かったが、アニメ一期の頃には確かにあった輝きはもうない。少なくとも、キモとなる部分をもっとすっきりまとめていたら、おサイコさん依存症という現代病を発症させずに済んだだろう
あとがきの出がらし感といい、どうも終わらせられない物語として片付きそうである。

2011年8月25日 (木)

読物 『トレジャーハンターシリーズ』

「お気の毒さま、べえ」と赤い舌を出す。「あんた結構、根が正直なのよね。あたしを組み敷こうと決心すると、きっちり二秒後に鼻の下が二センチ伸びるわけ。一秒一センチよ。それなんとかしないと、跳びかかる前に女の子はみんな貞操帯つけちゃうから」
第二巻 『エイリアン魔獣境Ⅰ』

――おれは、世界中になぜトラブルの火種が絶えないのかわかるような気がした。小利口な爺いばかりが生き残り、こういう阿呆が先に死ぬからだ。

第三巻 『エイリアン魔獣境Ⅱ』

 有名なのは第三の御使とラッパである。
“第三の御使ラッパを吹きしに、燈火のごとく燃ゆる大なる星天より隕ちきたり、川の三分の一と水の源泉との上におちたり。この星の名は|苦艾《にがよもぎ》という。水の三分の一は苦艾となり、水の苦くなりしに因りて多くの人死にたり”――ずばり、凶名暴虐をもってなるフン族の首領アッチラのヨーロッパ大侵冦を指すと言われている。中央アジアの僻地より出現したフン族は四五一年にライン川を渡り、パリ東方のカタラウヌム平原で、西ローマ・ゲルマン諸部族連合軍と対決、死者一六万五〇〇〇人を出した。このときは連合軍の名将アエチウスの知略とフランク族長メローブス(のちのフランク王朝メロヴィングの基礎をつくった人物)の活躍で敗退したが、翌年、北イタリアに侵入、ローマに迫る勢いを見せ、結局は莫大な貢献金と、教皇レオ一世の懇望によって撤退、本拠地に戻る途中、ドナウ川畔で没した。遺体は川の流れを変えて川床に埋葬され、“燃える大なる星”は“川の三分の一と水の源泉との上におちた”のである。
(中略)
 ――と、まあ、こういう次第だ。なんとなくこじつけめいてもいるが、現在の黙示録研究の分野で大局を握っている解釈に文句をつけてもはじまらない。

第四巻 『エイリアン黙示録』

 アメリカのハードボイルド・スターにジョージ・ペパードという玄人受けする渋い二枚目がいて、普段のおれはそいつによく似ている。それが、ひとたび破顔した途端、どういうつもりか桂文珍そっくりになってしまうのだ。いぶし銀から寒天フェイスへ――ここ二、三年、この落差を埋めるのが、日常におけるおれの最重要課題なのである。

第五巻 『エイリアン怪猫伝』

「それでも違うんだ。米といってもササニシキだのコシヒカリがあるのと同じだ。車にもパトカーとジープの区別がある。女にも美人と林真理子がいるんだ」
「林真理子――怖い」

第八巻 『エイリアン邪海伝』

高校時代に名前だけ所属していた同好会に原稿を出せと要求され、数ページ描いた。
大学時代には、『WARES BLADE』を利用した超伝奇っぽいナニをやった。
かようにオマージュを捧げ、『これから出る本』を欠かさずチェックしていた青い熱意は、上中下を軽やかに受け流したものの、『完結編1』はさばききれず、熱量はそのままに怒りへと変換され、以後、どちらかというと避けるようになった。
その後、『エイリアン魔神国シリーズ』は完結したらしいと風の噂に聞いたような気がしないでもなかったが、スルーしていたことは言うまでもない。

BookOffの罠にはまって『妖神グルメ』を失って久しい。このところ顕著になってきたどうにもならない飢餓感を満たすべくソノラマ文庫を探索するようになって、ふと、『トレジャーハンターシリーズ』が今どうなっているのか気になった。調べてみると、書き下ろし短編を収録した新装版『トレジャー・ハンター八頭大』になり、新刊も出ているらしい。
なんとなく、久しぶりに再読してみる気になった。どんなものであれ、未練を残すのはよくない。

以下、ソノラマ文庫版のリスト。
 ・エイリアン秘宝街
 ・エイリアン魔獣境1
 ・エイリアン魔獣境2
 ・エイリアン黙示録
 ・エイリアン怪猫伝
 ・エイリアン魔界航路
 ・エイリアン妖山記
 ・エイリアン邪海伝
 ・エイリアン京洛異妖編
 ・エイリアン魔神国 上
 ・エイリアン魔神国 中
 ・エイリアン魔神国 下
 ・エイリアン魔神国 完結編1
 ・エイリアン魔神国 完結編2
 ・エイリアン魔神国 完結編3
 ・エイリアン蒼血魔城
 ・エイリアン黒死帝国 上
 ・エイリアン黒死帝国 下

 外谷初出はこのシリーズ二巻だろうか。
 Wikiで著者来歴を見ると少林寺拳法の経験ありとされ、著作にも登場するとの記述が見受けられたが、お目にかかったことはないような気がしていた。再読に当たる第四巻『~黙示録』に登場しているが、まるっきり覚えがない。高校当時には興味を引くキーワードではなかったということになる。
 『蒼血魔城』では「ジルガ」なる古代インドの武術を十四歳の時に体得していることになっているが、もちろん、ここに至るまで本編中には登場していない。あまりにもあんまりな後付け設定といえよう。

 『怪猫伝』には、『ティンダロスの猟犬』くらいには怖気をふるった覚えがあるのだが、時の流れは無情なり。

 やっぱり『魔界航路』が一番面白いな。

 『魔神国』では車載電話、『蒼血魔城』では携帯電話。これもまた時の流れか。

 ダイヤモンドは硬いが脆い。ということを知らないっぽい?

 『黒死帝国』では「銀行のマザー・コンピューター」。イマドキ用語を使うより、らしいのだが、ちょっとアレだ。

 『魔神国』『蒼血魔城』『黒死帝国』というタイトルの意味するところは結局不明なのか、とか。

 普通じゃツマンナイからか、失明させてみたものの、タリオン的に克服されちゃシラケるな、とか。

 失明じゃたりなくて、五体不十分にしたのはちょっと投げすぎじゃーねか、コラ、とか。

 柴田昌弘の描く八頭大、ゆきは、天野某、米村のそれよりなじむな、とか。

そんなことを思いつつ。
体言止めは嫌いだと思っていたが、そうではないようだ。菊地秀行以外のそれを認めないということらしい。かつてなじんだだけあって心地よい。
正直、物語としてはとやかくいうまいというシロモノだが、ラノベで鍛えたこの身体、たやすくは屈しない。むしろ、面白かったといいきれる。

ソノラマ文庫シリーズで再読してしまったので、ソノラマノベルズの未読分を補完する必要がある。

2011年8月24日 (水)

読物 『巨怪伝』

 あるとき、東久邇宮内閣の逓信院総裁をやめ、東海大学を発足させたばかりの松前重義が、元内務相警保局出身の代議士、三田村武夫を伴って現れた。三田村は重大な話だから、と断った上、「コミンテルンの敗戦謀略」という書類をめくりながら、説明に入った。  三田村の説くところは、大要、次のようなものだった。  共産主義の最終目標は資本主義を打倒して世界革命を達成するところにある。レーニンはまず、資本主義は既に自己崩壊を始めている、ととらえた。  このため、代表的な資本主義国同士を互いに戦わせ、負けた国から次々と革命に導き、やがて一挙に世界革命を引き起こす、というのがレーニンの唱えた世界革命論の骨子だった。  第二次世界大戦は、このレーニンの世界革命論を日本とアメリカにあてはめたもので、日本軍閥政府を樹立させ、積極的に戦争熱をあおりたて、対米開戦につっこませれば、日本が敗退することは必至となる。その機をとらえて一挙に暴力革命を達成させる。  これが三田村の説く”コミンテルン謀略史観”の要点だった。柴田は、三田村がふるう熱弁に、身震いするほどの興奮をおぼえた。三田村の説く”敗戦謀略説”に従えば、昭和七年、コミンテルンが直接革命から二段階革命に戦術を転換した、いわゆる三二年テーゼが当然の歴史的帰結だったこともわかるし、ゾルゲ事件の尾崎秀実が、アメリカ共産党派遣の宮城与徳と協力し、日本の最高機密をモスクワに送っていたわけもよくわかった。  また、その尾崎が、マルキシズムに理解のあった宰相近衛文麿に接近し、近衛の和平工作をおだてあげるふりをしながら、逆に、その情報を支那事変を泥沼化に導くための裏工作に使い、遂に、平和主義者だったはずの近衛をして、なす術もなく軍閥政治に政権を委ねざるを得ない局面に追いこんだ謎もよくわかった。  三田村は、敗戦後の日本の状況も、まさにそのシナリオ通りに動いている、と述べ、最後に、馬場を指してこう言った。 「読売は、まさにその暴力革命の第一目標にされていたわけですよ」

<とすると何のことはない、戦い終わって蓋を開けて見たら、日米共に莫大な血の犠牲を払って、結局はスターリンの振るタクトに踊らされ、その世界革命計画にうまうまと利用されてきただけではないか、ということになる。こんな馬鹿げた話があってたまるか、と今さら歯ぎしりしても始まらない。いや待てよ、そうすると、ミズーリ艦上で突きつけられた降伏条件といい、その後における占領政策のあり方といい、どれ一つとってみても日本の弱体化と、その行き着く先は、共産化以外の何ものでもない。
 それ許りではない。瓦礫から祖国の再建に立ち上がろうとしている日本はもとより、果たしてアメリカもまたそれを良しとするのかどうか、一つこの際、双方の猛者を促し、双方の根本政策をはっきり見究めてかからせる必要がある――私はその必要性をいたく痛感した。そして先ず馬場社長を動かし、アメリカにこの三田村論文を手渡すことにした>

 柴田はすぐさま、読売争議以来、気心の知れていた参謀第二部(GⅡ)部長で、有名な反共主義者のウイロビーに連絡をとった。ウイロビーは、柴田の話を聞くなり異常な関心を示し、
「これは大変な教訓となりました。マッカーサー元帥にも話し、早速本格的に調査にのりだすこととしましたから、今後も御協力を願います」と言った。

P.337

「あの当時、マッカーサー司令部はヘソと呼ばれていました。朕の上に君臨するという意味です。(後略)」

P.385

 第二次読売争議中、柴田は、吉田総理秘書官福田篤泰の外務相時代の部下だった木名瀬智の永福町の家を下宿としていたが、その木名瀬によれば、柴田はその頃、地球儀を北極の方から俯瞰しては、
「テレビがお茶の間文化をつくるというのは表面的な見方であって、本当は日米の防衛戦略にとって欠かすことのできない武器なんだ」と、よく言っていたという。
 講和前夜の危機意識からスタートした”正力テレビ”は、その危機意識それ自体が危険なものとして排除され、皮肉なことに、柴田が表面的な見方といった”お茶の間文化”の提供という道を選択する結果となった。”正力テレビ”の構想は、占領から講和へ転換する日米関係のうねりを、冷戦に向かうアメリカの影ともどもに映しだしていた。
 ”正力テレビ”は破産という結末をみたが、柴田がもし”正力テレビ”に賭けることがなかったなら、日本へのテレビ導入が何年か遅れたことだけは確実だった。
 正力の(公職)追放解除への執念から始まったテレビ導入計画は、その意味で、正力が欠けていても、また柴田が欠けていても、絶対になし得なかった二人の間の黙契の大事業だった。

P.469

 やはり正力選挙に何度もかりだされた川上哲治は、選挙期間中一般の人から好奇の目で見られるのはまだ我慢できたが、本業の野球で、しかも読売の社員から男芸者を見るような視線を何度も浴びせられたのは、耐えがたい屈辱だったという。
「V9時代は優勝するたび、本社の社内を優勝旗をもってねり歩かされた。さわるとユニフォームにインクがつく工務部までおりていって凱旋させられた。そのとき、いちばん冷ややかな目でわれわれを見ていたのが、東大出身のアカの連中だった」
 川上は名前こそ出さなかったが、V9当時いた東大出身のアカといえば、いやでも読売新聞社現社長の渡辺恒雄と日本テレビ現社長の氏家斉一朗の二人が思い浮かぶ。二人が東大時代、西部セゾングループ総裁の堤清二らとともに学生運動に関わっていたことはあまりにも有名である。

P.579

ちょうど二年前の八月から、
『阿片王 満州の夜と霧』
『小泉純一郎―血脈の王朝』
『甘粕正彦 乱心の曠野』
『凡宰伝』
『鳩山一族 その金脈と血脈』
『東電OL殺人事件』
と読んできたが、『巨怪伝』『阿片王 満州の夜と霧』『甘粕正彦 乱心の曠野』は特に別格であると感じる。
伝記と時事ネタの違いか。
本書は、野球50%、原子力20%、前夜後夜プロレスその他で残り、という案配で構成されている。

レフトなのか、あるいは、しょせんはブンヤということなのか。
時として激しくファビョることがなければ、琴線を掻き鳴らしただろうに。


漫画 『うさぎドロップ』

頭文字Bな、全何部作かで映画化されちゃうらしい漫画に裏切られてから、漫画というものに興味を失ってしまっていた。ほんの少し読み、さらにほんの少しコミックス購入してはいるものの、積極的に新規開拓をすることはない。

だから、名前は聞いたことがあるようだ、くらいなカンジだった。
実写映画化されるという話題が、開けてた口に落ちてきた。それはどうもファンにはネガティブに受けとめられているらしい。
ということで着手に至る。

『Papa told me』を思い出させられた。

オチについて言いたいことがないわけでもないが、漫画も捨てたもんじゃないなと思わされる、よい作品だった。

2011年8月19日 (金)

アニメ ルパン三世『ワルサーP38』『ヘミングウェイペーパーの謎』

次「久しぶりだな、五右衛門」
五「念仏坂のおでん屋以来だ」
『ヘミングウェイペーパーの謎』より

VS 複製人間』でルパン憑いて、おススメの作品を漁ってみたところ名が上がったので見てみた。

どちらも同じくらい話はアレだが、面白さはダンチ。
どうでもいいことだが、ルパン三世を見なくなったのはたぶん『バビロンの黄金伝説』ないしPart.3あたりのことで、いろいろ理由はあるのかも知れないが、総括すると「ボクのルパン」じゃなくなってしまったことが原因なんだろう。

ワルサーP38』がそれを思い出させてくれた。ジャンプで連載したらこうなるというカンジで、吐き気がする。
ルパン一党をいろいろいじるのはお約束だが、disんじゃねえと。どうでもいい脇役にウンザリ。
映画見る気なくすのはこういうのを引いたときだ。

ヘミングウェイペーパーの謎
映画見る気おこさせるのはこのような作品を引いたときだ。
次元 vs 五右衛門なシーンがある。



2011年8月17日 (水)

アニメ 『ルパン三世 風魔一族の陰謀』『崖の上のポニョ』

ルパン VS 複製人間』を見たので、『風魔一族の陰謀』も見ることにした。
1987年とは思えぬクオリティ。『ど根性ガエル』が見たくなった。

つい先日、ゴスペル風ポニョ

を聞いて、未鑑賞であることを思い出し、見てみることにした。

ジブリ版『インスマウスの影』、しかと承った。

じゃなくて。

いろいろ刺激されるよい作品だった。


どうしてか見たくなり、『ロボコップ』も見る。なんでだか、いろいろと好きらしい。
先日見直した劇場版『パトレイバー』もそうだったが、この頃は、起動モードはDOS風味だったんだなあ。

2011年8月 9日 (火)

ゲーム PS3版『Galaga Legions DX』

namcoのゲームは青春だった。
そうなった直接のきっかけは、幼少より続く腐れ縁の影響だろうが、NGという情報誌の存在を知ったことが大きかったと思う。ドット絵を描いてみたり、身の程知らずにも駅前にあった直営店に足を運んだりしていた。
ヘタなクセにそれなりに思い入れはあるもので、『ワンダーモモ』あたりから冷めてしまったが、『ファイネストアワー』『アサルト』はハマったし、『サイバーソリッド』も遊んだ。『スターイクシオン』にがっかりもした。

ビデオゲームにハマれなくなってしまった昨今、『Dragon Age』や『カルドセプト』、『NO MORE HEROS RED ZONE EDTION』など手に入れてみたりもしたのだが、どうにもあわない。起動するたんびにアップデートが走るPS3(ryというハードのためかもしれない。

きっかけは、オニオンソフトだった方のブログで、「ギャラガ30周年サイトのインタビューしました」を読んだことから。

『Galaga Legions DX』はDL販売。1000円。
遊んだイメージは、GalagaというよりはGaplusに近い。とはいえ、Gaplusとも違う。あえていうなら、Gaplus+グロブダーなカンジ?
短時間に気軽に遊べる。東方は知らないので、本作のゲーム性が新しいのか二番煎じなのか知らないが、かなり爽快だ。敵中を強引に突破できるのが個人的には目新しい。敵のグラフィックを、ギャラクシアン、ギャラガ、ギャプラス、TAITOのアレっぽいヤツ、に変更することができる。
とりあえずわけもわからず遊んだランキングが3700位くらいで、スコアでトップと3倍以上の差がある。



ちょっとだけ、セレブラント気分(ナビゲーターボイス的に)。

2011年8月 8日 (月)

読物 『北方領土交渉秘録 失われた五度の機会』

 一方で、鈴木氏からの『風圧』という問題が存在していたことは事実です。ただし、私の認識では、鈴木氏の風圧は外務省に向けられたものではありませんでした。特に外務省に対する風圧が強いと感じられたのは、風圧が発揮される原因のほとんどは、『ほうれんそう』、即ち、『報告・連絡・相談』の欠如という、外務省が永田町の先生方から恒常的に批判されていた要因に収斂していたからです。
P.26

「従って私は、辞表は書きません」
 担当者は無言だった。しばらくの沈黙の後、私はこう付け加えた。
「ただし、外務省において、なんらかの理由によって、『貴方に与える仕事がない』という判断をするのであれば、私は、その判断には黙って従います」
 そう述べた上で、私はその場に持ち合わせていた西郷隆盛の『南州翁遺訓』や幕末の儒者、佐藤一斎の『言志四録』から西郷が自ら撰んで座右の誡めとしていた『手抄言志録』からの一節を示した。当時私は、有人が贈ってくれたこの一節を、朝な夕なに眺めては、一日一日を過ごしていたのである。

<およそ事をなすには、須く天につかうるの心有るを要すべし。・・・・・・天を相手にして己をつくして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬるべし>

 担当者が私の気持ちをどう受けとめたかは、知るすべもない。しかし、数秒の沈黙の後、彼はこう言った。

「なるほど。東郷さんは、切腹ではなくて、打ち首を望んでおられるのですね」
 この言葉を聞いたときに、私の中で何かが壊れ始めた。

P.30


対立するような交渉ごとは苦手だ。
少なくとも、『ディプロマシー』というボードゲームではロクでもないことにしかならない。
世界はいつだって動乱している。
だから、そんな感慨を抱くのみ。

ほうれんそうが身に付かない人は、責任感が欠如しているのだろうと思う。覚悟があってそうしているわけではなく、いつでも付け焼刃で場当たり的で、反省はないか、あったとしても振る舞いに反映されず、保身だけは必死になる。


2011年8月 4日 (木)

アニメ 『ルパン VS 複製人間』

ゴードン(米大統領補佐官の部下)「拷問の手はいくらでもあるんだぞ!」
次元大介「それがおたくの民主主義ってやつか! それなら俺にも考えがあるぞ!」
ゴ「なんだ!」
次「なげえことモンローとハンフリー・ボガートのファンだったが、今日限りだい!」
ゴ「こ、このォ!」

銭形警部「フフフフ、たとえ蠣のごとく身をやつそうとも、必ずルパンめの息の根を止めてやるぞ」
なんか安かったのでBD版を買ってしまった。
おそらくTV放映で見て以来だから、随分と経つ。小学生だったと思う。
キモい印象ばかりが強く、それでも一番好きなルパン映画だったのに、再視聴に至らなかったのは巨大脳とかがわりとトラウマちっくになっていたからかもしれない。

当時はまったくヒットしなかったキーワードに気づいてみたりと、新たな発見もあり、とても楽しめた。梶原一騎が声の出演してる、とか。不二子ちゅわん、めんへらちっくだなあ、とか。動く脱皮ダイブは初めて見たような気がする。
覚えてないシーンがあるなあと思えば、TV放映版はずいぶんとカットされているようだ。
長編ルパンはある時期を境に見なくなってしまったが、『風魔一族』も見たくなってしまった。
『ICO』もやりたくなってしまった。PS3版を予約したはずなのに取り消されzamaなことは余談である。



2011年8月 3日 (水)

読物 『中卒の組立工、NYの億万長者になる。』

以前、当時世話になっていた営業とプライベートな飲み会をやるからこないかと誘われ、参加したことがある。ビジネスの種を探す会だったのか、夢を語る会だったのか、よくわからない。
その席で初対面の人物から「金の力は認めているが、金は嫌いだろう」と評された。
二度くらい参加したが、キャバクラでの彼らの振る舞いが肌に合わず、それはむこうも感じたのだろう、疎遠になったがそれはさておき。

そんなことが思い出された。
著者は『本格小説』の主人公のモデルとなった人物らしい。

2011年8月 1日 (月)

読物 『非Aの世界』

図書館で借りたその本は、1966年12月16日初版、1980年1月25日 21版の創元推理文庫だった。
古い本特有の好ましいにおいを放っていて、ちょっと古くさいカンジの加藤直之のカバーイラストとあいまって、それだけでちょっとコスモが高まる。

だが。

幾つかのワケワカメな物語に触れ、その幾つかは愛してきた。『新しい太陽の書』とか。

スゲー支離滅裂。

漫画版『未来警察ウラシマン』。

そんなカンジ。

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