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2011年7月

2011年7月30日 (土)

読物 『東京闇市興亡史』

 たまたまそのころ、大阪・焼跡闇市を記録する会が『大阪・焼跡闇市』という本を出版した。サブ・タイトルには「ボロボロの戦後史」とうたわれ、「かつて若かった父や母の青春」を焼跡・闇市にさがそうと読者によびかけた。この本の書き手は、新聞記者でも文章で生活するプロでもなかった。三三人の市井の人たちだった。
P.3 『はじめに』

 日本人の中にも、その儲けっぷりに気をひかれて、石鹸屋になる者も多かった。長田昭さんも、またその一人である。
「カセイソーダを一斗のドラム缶に入れて、造っていた。石鹸は統制品だから、もちろん、非合法というわけです。固まったやつをさかさにして叩き出し、大きな木のワクで四角い型に固めるわけ。それを手術用の手袋かなんかはめて、ピアノ線をピーンと張って、同じくらいの寸法で切っていく。花王とかミツワと彫った木版を木づちで叩いて、一見ちゃんとした品物のようにみせる。が、ちょっと違ってるんですよ。花王は花玉だったり、MITSUWAがNITSUWAだったりね」(長田氏)
 一個一〇円ぐらいで売っていたこの石鹸、二、三日すると、縮んでしまうし、肌がピリピリするという代物であった。もっとも、前出の蔡氏によると「石鹸といっては、統制の網にひっかかるので、あくまで洗剤と呼んでいましたよ。新橋にあった『国際タイムス』がしつっこく我々のことを”インチキ石鹸売り”と叩くので”認識が足りん!”と怒鳴り込んだこともあった」とか。つまり統制の石鹸ではなく、「洗剤」として売っていたところが、ミソなのである。

P.111 『上野・アメ横』 原正尋

 アメ横にはPXから流れる「Pモノ」、海外に出かける人に頼んで買ってきてもらう「Bモノ」、それに「ミーモノ」といわれる密輸品の、三ルートがあった。
 チョコレート、チューインガム、煙草、衣料、洋酒・・・・・・。これがアメ横に流れ込むのに、女性が果たした力は大きい。GIがパンパンに金銭を手渡すかわりに、物品を渡し、それをパンパンが現金にかえようと、アメ横にもってくる――。そのツテを求めて、GIと懇意になり、特殊ルートを開発する。「御徒町商栄協同組合」の檜山健一理事長も、そんなルートを通じて「芋アメのアメ横」を、「アメリカ製品のアメ横」へ転化させた”功労者”の一人である。アメ横の名前のもう一つの由来の誕生だ。

P.117 『上野・アメ横』

 日配が清算業務をはじめたときの、出版社などへの負債の合計は、九億円あまりであった。いまの金にして五〇〇億円に近いだろうか。約半年ののち、その年の秋に、不渡手形を出して、負債の棚上げをすることになったのだが、それまでに約三億円が支払われていた。約六億円が棚上げにされたことになる。
 もちろんこの負債の棚上げが打撃となったのだが、三億円の支払いにも問題があったようだ。日配から東販や日販など新しい取次店へ移行されたのは、出版物ばかりではなかったのである。従業員もうつっていった。そのおり、自分のお得意もいっしょにもっていき、優先的に支払った。それがつまりは精算業務のなかでの三億円の支払いとなってあらわれたのであるし、馴染みのお得意さんは老舗といわれていた戦前からの出版社がほとんどで、こうしてひところは戦犯出版社として追及されたこともある戦前からの出版社が生きのこり、戦後の進行出版社群はナダレ倒産にまきこまれて姿を消すのである。
 ひと山いくらで叩き売られた雑誌は、これらのナダレ倒産した出版社のもので、こうした戦後風俗の一コマにも、滓採り雑誌の興亡、というよりも、出版界の興亡が秘められていることを、まず記しておこう。

P.123 『「証言」の宝庫=カストリ雑誌』 山岡明

 闇屋がこれを見逃すはずはない。偽造の割当用紙で出版社や印刷会社などを手玉にとり、当時の金で一〇〇〇万円、いまの金にして約一〇億円を荒稼ぎしたばかりか、それを湯水のようにつかって世間を愕かすものまであらわれた。宇都宮を根城に、ダンサーだった女をかこっての大盤ぶるまいだったので、世にこれを<宇都宮たぬき御殿事件>といい、第二、第三のたぬき御殿事件がつづいたものだった。

P.130 『「証言」の宝庫=カストリ雑誌』

 日本酒一合一四〇円、マグロ寿司一つ二〇円。当時の月給が一八〇〇円である。
 ミスプリントなのではない。これが三分の一世紀前の、闇値なのだ。いまは東京は世界一物価が高いことで知られているが、それはこうした闇値が下敷きになっているからである。

P.147 『「証言」の宝庫=カストリ雑誌』

 遊びごとの世界というものは面白いもので、いつも上意下達ではなく、どこの誰だかわからない無名戦士の知恵によって革命がなされていく。

P.213 『焼跡ギャンブル時代』 阿佐田哲也

 余談になるが、神戸に売春婦が現れるようになったのは、伊藤博文が兵庫県知事になって、売春斡旋業を認めてからだという。

P.224 『生贄にされた七万人の娘たち』 真壁旲

――現在もある秋葉原のラジオセンターは露店出身者の経営である。

P.310 『露店―闇市の終わり』 猪野健治

 詩人親分として親しまれていた坂田浩一郎(故人=元東京街商共同組合理事長)は、
「露店は戦災復興のパイオニアだった。流通ルートが麻痺し、商店もデパートも再開できずにいるとき、われわれは焼跡を整理し、そこにズリ(ゴザ)を敷いて店を開いた。電力会社を動かして、まっ暗闇の焼跡に灯をともしたのもわれわれだ。強盗タウンだった焼跡に灯がともると、お客さんが、どっとばかりに押し寄せてきた。しかし、戦災の復興工事が軌道にのり、商業資本が力をとりもどしてくるとわれわれは露店からはじき出された。掃除をさせ、灯をともさせ、お客さんを呼びもどしたらもうおまえらに用はない、というわけだ。考えてみればいつの時代でもそうだった。古い地図をひろげると、はっきりそれがわかる。いま商店街や盛り場として有名なところは、むかしはみんな露店がずらりと軒をつらねていた地帯だ。街がきれいになってお客さんが集まってくると、大手の商業資本が進出してきて露店を追い出し、あっという間に商店街に変えてしまう。われわれは商業資本のために奉仕してきたようなものだ。たのまれもしないのに、グレン隊が入り込んでくれば生命を張って締め出したこともある。そのときは適当におだてておいて、用ずみになれば邪魔者あつかいする。わりにあわない稼業だよ」
 と、筆者に語ったことがあるが、坂田親分も五十二年一月、肝臓ガンのために急死した。
 坂田親分は、「暴力団狩り」という見出しをつけた新聞に強い怒りをもっていた。
「狩りという字はケモノヘンじゃないか。グレン隊も人間だ。なにかの失敗かあやまちで不本意にその世界に入っていっただけだ。それをケモノと同列にあつかうのはひどすぎる。いまはやりの言葉でいえばこれは差別用語だよ」
 というのだ。坂田親分は自分がテキヤ――香具師であることに誇りをもっていた。
「テキヤは屋根のない商人。無職渡世のバクチ打ちやグレン隊とはちがう。もともと安い商品を安く仕入れ、これを安く売る。零細商人だ。人相はあんまりよくないかも知れぬが、それは青天井で風雨にさらされ、太陽光線にきたえられたせいだ。ほめられても、侮辱されるすじあいはない」
 これが坂田の持論だった。だから同業者が暴力団取締りであげられたりしたときは、にがりきった表情をしていた。親分の詩を紹介しておこう。

 天照皇大神
 神農皇帝
 今上陛下
 三幅の掛軸の前に
 祭壇が飾られ
 古式豊かな盃事の行事が
 厳粛に執り行われている
  何時の時代からの慣例かは知らない
  私は幾度か経験してきた光景である

 二代目を継承する
 若き神農(おやぶん)は
 襲名という栄光の盃の重みを
 しっかと両手で捧げるように
 静かに呑み干した
 書院の硝子越しに眺められる
 古風な庭園は
 さんさんと降りしきる雪の中にある
    (詩集『火の国の恋』 歌謡芸術協会刊)

「親分誕生」と題された詩である。
 香具師の社会に入ってから約五〇年、関東大震災後の社会主義運動も、焼跡、闇市「解放区」時代ももちろん通過してきている。しかし、不思議にその体験をうたった作品はない。
 私にはその気持がわかるような気がする。その渦中に身をおいた一人として「語りたくない」ということであろう。あるとき、坂田親分の自宅をたずね、そこに学生運動OBの顔を発見して驚いたことがある。彼は、私の著書がきっかけで、坂田親分をたずね、その身内となったという。闇市の「終わり」と全共闘の「終わり」を強く感じたのを覚えている。

P.311 『露店―闇市の終わり』

 縁日露店の再開発許可を得たのを突破口に、運動は二十七年ごろから、街商連盟結成大会へ向けてもりあがっていく。
 その一つに同年八月の露店出身議員団の結成がある。
 参加者の顔ぶれをあげておくと、都議会から醍醐安之助、区議会から菅佐原申之介、田中節夫、近藤日吉丸、松田武夫、竹内長生、五十嵐四一郎、藤平作右衛門、渥美源五郎、前都議から茂木竹治、山田美樹、前区議では坂部武次郎、大谷福四郎、新井幸太郎、安田朝信、森一生、大林秀光が名をつらねた。
 五月二十二日の日本街商連盟の結成大会には、木村篤太郎法務総裁、大橋武夫国務相、海原清平自由党院外総務、安井誠一郎都知事、斉藤国警長官、吉川特審局長、田中警視総監、四条隆徳(東京警察懇談会理事)、川島覚(浅草警察署長)、堤八郎通産相代理、上杉智英同交会理事らが列席した。同交会というのは自由党の院外団である。
 右の顔ぶれを見てもわかるように、この結成大会にはウラがあった。
 そのころ木村法務総裁は、共産党が四全協でうち出した武闘路線に対抗する組織の結成を考えていた。戦前の右翼団体はことごとくGHQの手で解体され、少数のグループが組織の再建を画策しているていどであり、直接行動可能な反共団体はなかった。手っとり早いのは、生活基盤を不安定ながらももち、武闘力をそなえたテキヤ、博徒を右翼的に再編することである。博徒団体は戦前の大日本国粋会の梅津勘兵衛がすでにまとめにかかっていた。日本街商連盟の結成には、テキヤの全国連盟を目ざす、そういう狙いがかくされていた。
 これは、すでに体制にからめとられていたテキヤの親分衆にとっても、ソロバンにあわないものではなかった。連盟結成とひきかえに、露店の全面再開をかちとろうというのである。
 しかし結果は縁日再開を実現したのみで、常設露店の再開はついに認められなかった。
 木村篤太郎の反共兵団構想はまぼろしに終わった。それは俗に二〇万人の反共抜刀隊といわれているものだが、ときの首相吉田茂の一蹴にあって闇に葬られたのである。戦後保守本流の始祖、吉田は、共産党の武装闘争なるものが、季節はずれであり、労働者、農民の間に何らの支持もとりつけ得ないことを、はっきりと見ぬいていたのであろう。オールド・タカ派の木村の真意は、反共兵団の核だけつくっておけばよい――という判断だったのだろうが、これが戦後の右翼運動を腐敗させ、博徒、テキヤの広域化の促進剤となったのは、まったく皮肉である。

P.317 『露店―闇市の終わり』

祖父や父から、戦中、戦後のことを幾つか聞いていた。時代のことではなく、我が家のことである。祖父は健康上の理由から徴兵を免れていた。戦後、東京や岐阜へ趣き、仕入れてきた衣類を地元で卸していたという。何故岐阜?と問えば、岐阜は当時、衣類のメッカ的な土地であったという。
聞けばいろいろな話が聞けたことだろう。熱心に耳を傾けなかったことが悔やまれる。

知らなかった戦後が、本書にある。
パンパンといえば自堕落のような印象しかなかった。それは一面で正しく、一方、国策によるところもあったという。吉原芸者の著書によれば、太平洋戦争末期には国会議事堂を森に偽装するために吉原芸者らがかりだされたというが、常時鈍じているように思われるこの国の指導者層には、貧じてさらに鈍ずる余地があったというところか。

冒頭、大阪の闇市について著された本があると述べられている。
それこそ望んでいたもののように思われるのだが、目につく限りで調べたところ、手に取ることは難しいようである。



2011年7月28日 (木)

読物 『真相 ”切り裂きジャック”は誰なのか?』

――首都警察が設立されたとき、警官はできるだけ軍隊的な印象をさけるため、ブルーのコートとズボンに、ウサギ革のシルクハットというかっこうをした。逮捕した犯罪者に頭をなぐられたときのため、シルクハットは鋼鉄のフレームで補強してあり、柵や塀をのりこえたり窓から侵入したりするときに、踏み台として使うこともできた。
上巻 P.164

――よく知られているように、犯罪者が処刑されるとき赤いネッカチーフをつけていれば、それは彼がだれにも真相をあかさず、邪悪な秘密を墓までもっていくことをあらわしていた。

下巻 P.197

”切り裂きジャック”を知ったのは、小学生の頃だったと思う。『小学X年生』は、優れた情報誌であったということか。それ以後、事件をモチーフにした作品にも幾つか触れたと思うが、最も印象に残っているのは『ジョジョの奇妙な冒険』第一部である。つまり、その程度の素養しかない。
特に縁もなく過ごしていたが、今から二十年近く前のこと、知人がデザインした同人TRPGでヴィクトリア朝を舞台としたセッションに参加したとき、「その後”切り裂きジャック”となるキャラクター」をやったことがある。ジャックのことも事件のこともようしらんのに、よくやったもんだ。
そのゲームでは、キャラクターがいわゆる超能力的なものを一種類だけ身につけることができる。詳細はどうでもいいのだが、我がキャラクターはフランス人で、「元素変換能力」というわけわからん能力を持ち、「フロギストロン理論」なる間違った自論を提唱する科学者だった。ディレクター(TRPGでいうところのゲームマスター)は「フロギストンでわ?」とつっこんでくれたが、名称の間違いも含めて作為であると返答した。
”Act with Tarot”、AwTというこのシステムにおけるセッションは、大筋はあるものの、ほぼアドリブで進行する。場面をタロットで占い、それにプレイヤーたち(本システムではアクターという)が即興であわせる。これまた詳細はどうでもいいのだが、セッションの最後で我がキャラクターは打ちのめされ、イギリス人に恨みを募らせることになった。セッション開始からいかにそうするかを考えていたわけで、狙っていたにせよ、なるべくしてそうなっていったように感じられたことが記憶に残っている。
セッション終了後、「このキャラクターは、後に”切り裂きジャック”となる」かもしれないと、個人的エンディングテロップを独白した。ディレクターを含めた一同を驚かせてやろうと思って事前に相談したりしていなかったから、これを受け入れてくれるかどうかは賭けだった。
この思いつきを、ディレクターはノリノリで受け入れてくれた。「超能力が存在する世界で”切り裂きジャック”をどうすべきか考えていた。ただの猟奇殺人鬼ではインパクトがない。『元素変換能力』で飛行船を爆破する”切り裂きジャック”は面白い」というようなことを述べ、リアクション付きで飛行船爆破を妄想していた。非常に、ノリノリであった。

さておき。
当時の警察の捜査能力は、科学的にも経験的にも、それは別としても観察力も未熟であった。
切り裂きジャックの犯罪は現代的な犯罪であり、当時の警察には解決能力はもちえなかった。
切り裂きジャックはこのように被害者を殺害した。
それは著者が真犯人と確信する、ある人物の性癖と非常に酷似している。

そんなカンジの論調が繰り返しずっと続く。警察をdisり、それは仕方のないことだったと擁護し、現代ならばXXXという手法があるから手がかりをもっと得られたであろうという。それはわかった、もういいから、そんなカンジ。
同じ事件が何度も語られる。”切り裂きジャック”事件に詳しいものならば、ひとつのケースを補強するための繰り返し論述と受け止めるのだろうか。もっとまとめろよ、ってなカンジ。
しかしながら、ヴィクトリア朝時代の雰囲気を知るにはいい内容だと思う。

プロファイリングというのは、けっこう思い込みが入るものなのではないか。
そんなことを思わされつつも、説得力のある内容で、真偽はともかく興味深いものではあった。
『ジョジョの奇妙な冒険』における”切り裂きジャック”の扱いから、荒木飛呂彦は、本書が「真犯人」とする人物と人となりを知っていたかもしれない(が、そうであるとは考えていなかっただろう)。この「真犯人」はかぎりなくディオ・ブランドーを思わせる。

有名な作家らしく、そういえば名前を聞いたことがあるような気がしないでもないが、他の作品は読んだことがない。他の作品も、こんなカンジなのだろうか。

2011年7月27日 (水)

読物 『ロケットガール 3・4』

「茜はなぜ優しい気持ちになる?」
 在学中、学年ナンバーワンだった秀才は、少し考えて言った。
「ポテンシャル、かな?」
 わずが三十七キロの体重だが、いま茜が持っている運動エネルギーは対戦車砲弾をやすやすと押し戻せる。優しさのよりどころは強さだ。全世界で四位以内に入る高いポテンシャルがその優しさをもたらしたのだ・・・・・・ということらしい。
三巻 P.203


「嘘ついてどうすんの。だけどこのままトイレにこもってたらエマージェンシー扱いで大騒ぎになるよ。調査委員会が招集されてなにからなにまで調べ上げて電話帳みたいな報告書が公文書館に永久保存されて誰にでも閲覧できちゃうけど、それでもいいの?」

四巻 P.17

「ISSはアメリカのシンボル。アメリカは僕の国からすべてを奪った。サゴヤスタンの資源を目当てにして、反政府組織を支援して政権を倒したら手に負えなくなってロシアが出てきて泥沼になって空爆して地雷まいた。いまでも毎日地雷で大勢脚をなくしたり死んだりしてる。アメリカ、なんでも持っているのになぜ僕の国、食い物にしますか? アメリカ許せない。絶対許せない」

四巻 P.120


読んでいないと思っていた三巻、なんか内容知ってるなー、どっかであらすじ読んだかなーとか、終盤にさしかかるまで思ってたら、再読だった。

初見の四巻は、イトカワのエピソードをモチーフにした話を含む短編四編が掲載されている。相変わらず、地味で派手な物語だ。そんなSFといえば『BRAIDEN』が思い出される。

続けて読むと食傷するが、たまに読むと絶妙でとても良い。

2011年7月26日 (火)

読物 『獣の奏者 探求編、完結編』

時の経過が歴史を歪めてしまった。
そんなことをTRPGでやろうとしたものだが、プレイヤーたちはそんなことなど気にもせず、というような過去を我が身は持つ。
それをうまく前面に押し出せた友人もいて、いろいろ考えさせられたものだったが、やはりプレイヤーの食い付きには苦労していたようだった。
そんな個人的過去はさておき。

『王獣編』で完結したとばかり思っていたのでノーチェックだった。
個人的には「完璧に閉じた物語」ではなかったが、それもさておき。
気になるほどには気に入っていたので続きを読んでみることにした。

読み始めてすぐ、『帰還』を思った。あまりにも変わってしまったアースシーの風を感じた。

小野不由美、紫堂恭子など、数少ない嗜好品の作り手として応援しつつ。温帯になったりしませんようにと祈念しつつ。
本シリーズについては、悪くはないんだけれど、大きめの話づくりは向かないんじゃないかなあと思ったり思わなかったり。

2011年7月25日 (月)

読物 『囮物語』

アニメ作品がツボったので、イキオイで読み始めたけれど。

むせる。

あと二冊。

2011年7月20日 (水)

読物 『小泉官邸秘録』

「各省には『対案を出せ』と言え。反対ではなく対案だ。方針を示して具体案を用意して、大臣自身が諮問会議に出席して我々の前でプレゼンするように指示しろ」

P.61

 当時外務省は、外交機密費流用問題で国民の強い批判を浴びており、外務省改革は急務かつ不可避の課題だった。その意味で、田中大臣の行動力(というか破壊力)には期待するところは非常に大きかった。彼女を外務大臣に起用した総理の真意も、きっとそのあたりにあったのではないだろうか。
 追い追いこの本でも述べるが、この問題に限らず、外務省という役所はいろいろな意味で問題のある役所であった。重要な外交情報が総理に上がってこなかったり、外遊日程や首脳会議のセットでも、官邸の意向と関係なく事務的にお膳立てをし、総理は黙ってそれに乗ってシナリオ通り演じてくれればいいといわんばかりのブリーフを平気でしたりする。海外勤務が長いからなのかどうか知らないが、組織としての統率が極めて弱く、個々の幹部職員が個人の判断で勝手に記者に情報を漏らしたりすることもある。語学グループ別の「スクール」があり、中には日本の外交官なのか相手国の在外事務所なのか分からないような政策判断をする輩がいたりもする。在外公館ではまるで王様気分のような大使がやりたい放題で館員や公費を公私混同で使ったりする例もあった。表沙汰にならない女性スキャンダルも他の省庁に比べて多い。田中大臣は「外務省というところは伏魔殿だ」と言ったが、それはある意味で当たっていると私は今でも思っている。
 国民もまた、田中大臣の行動力(というか破壊力)に大いに期待した。田中大臣も国民の高い人気・支持を背景に「外務省改革」に積極的に取り組もうとしたことは事実だ。
 しかしながら私は、そんな田中大臣の行動力を高く評価しつつ、同時に、仕事の進め方というか、組織のトップリーダーとしての技量に一抹の不安を覚えていた。総裁戦当時から、彼女は応援演説のスケジュールを自分で勝手に変えたり、ドタキャンしたりすることが少なからずあった。小泉総理就任直後の参議院選挙でもこの状況は変わらず、党本部の事務方が悲鳴を上げるほどだった。事務所と調整しようとしても事務所の秘書には全く調整能力がなく、誰も本人の気まぐれを諫めたり抑えたりすることができない。おまけに秘書がクルクルと代わるのも気になった。一般論として秘書が居付かない事務所は要注意である。議員と秘書との間に安定した信頼関係ができない、ということであり、議員本人の人格・仕事振りに問題があるか、秘書の採用ルートに問題がある(逆に言えばいい秘書が採用できない)ことが想定されるからである。

P.108

 中東とは何か
 私もこの頃、政府の動きを横目で見ながら、日本として中東にどう対応すべきかを考えた。当時中東地域への石油の依存度はEUが二二.八%であったのに対し、日本は八八・九%であった。誤解を恐れずに単純化すれば、中東は日本にとってはEUにとってよりも、四倍重要であるということだ。中東の平和が揺らげば即、日本の産業に影響する。日本にとっては中東の平和が一番であるということだ。
 また、私はこの頃までに中東の情勢を見ながら、以下のような思いを抱いていた。中東の国々というのは言葉は悪いが「不労所得」で生きている国家群であり、指導者の役割というのはその冨を国民に分配すること、ということだ。中東の指導者にはサウジの王族、フセインのような軍事独裁者、イランのような宗教指導者、それにパレスチナ解放機構(PLO)の故アラファト議長と、いろいろなタイプがいるが、成功している指導者には共通点がひとつある。それは、こうした「冨の分配」を上手に行っているということだ。民主主義国では所得に応じた納税の義務を負うが、これらの国には納税の義務はない。一方的に冨を配分することが重要なのだ。これは、軍人でも同じである。イラクの例を見れば、軍人も公務員だし、愛国心で軍に志願しているのではなく、冨の分配を受けるうえで有利な地位だということで集まってきているのだ。しかし、三月二十日の米軍の侵攻の直前は給料が二カ月くらい遅配していたとのことだ。だから、米軍が侵攻したらほとんどもぬけの殻、軍人も軍服を捨てて一般人に隠れてしまうということになった。一方、九〇~九一年の湾岸戦争ではイラク軍は奮戦したが、これはボーナスの直後だったからである。こうした認識をどれだけ米国が共有しているのか、私は大変不安であった。
 一方、米英軍のイラクへの攻撃は苛烈を極め、四月九日、攻撃開始からわずか二十日ほどで首都バグダッドが事実上陥落した。戦闘の中心はイラク北部に移っていった。私はこの頃、当時のシェア駐日米公使(現駐マレーシア米公使)と食事をした際、外交の素人の私の見立てとして、イラクに対する米国の姿勢に疑念を持っていることを率直に述べた。すなわち「こうした『冨の分配の国家群』に対しては、必ず雇用を満遍なく生み出すようにしなければならない。こうした国を民主主義国家、資本(自由)主義国家に変えて、納税の義務を国民に負わせるに至るまでには三十年から四十年はかかるであろう。どのような形でも冨の分配を考えなければいけない。そうしなければ治安悪化は必至である。こうした国では民主主義よりも雇用の創出が急務である。小泉は、日本の国際貢献を考え、日米同盟を考え、米国に協力し、イラク復興に参加しようとしている。そうした小泉の気持ちを考えると、米国が対応を誤って治安が悪化するのを見るのはあまりにつらい、米国はよく考えてほしい」と言ったのである。
 当時私としては、情勢が落ち着いたら、日本としてはメソポタミア湿原の復元をやっていくべきではないかと思っていた。湿原の復活なら百万人単位で雇用を創出することができる。そうした「日本らしい」支援を行う上で大事なことは、イラク国民に「日本は違うぞ」と認識してもらうことである。そこで私は、民間の団体の知恵も聞いた上で、反フセイン運動で当時フランスに亡命していたアル・リカービ氏を日本に招聘してはどうかと考えた。日本がイラクの国民から信頼を得るためには、イラク国民の支持の高いリカービ氏と小泉総理に会ってもらおうと思ったのである。この構想は、十二月になってようやく実現することになった。

P.172

 年末の十二月二十七日には、懸案の郵政民営化情報システム検討会議の報告が出された。
「二〇〇七年四月分社化について、管理すべき一定のリスクが存在するとしても、制度設計や実際の制度運用において、適切な配慮をすれば、情報システムの観点からは、暫定的に対応することが可能である」との結論である。

P.251

今ではほとんど読まなくなってしまったが、漫画は幼少の頃から親しんでいた。漫画は現在でも諸悪の根源とされるエンターテインメントの代表だが、個人的には様々な興味へのインデックスの役割を果たしてくれたと考えている。
同じく、今ではほとんどやらなくなってしまったが、ゲームも然り。これまたなにかというと悪しき原因として取り沙汰される傾向の多いホビーだが、電源要・不要問わず、それなりに遊んできた。こちらは自己分析に役立ったと感じている。自分が何に向いていて何に向いていないか知るためのヒントを感じ取れたということだ。TRPGにおける交渉ごとはそこそこうまく狙った落としどころへ誘導できることが多いが、ディプロマシーのような交渉ごとは人望のなさが露骨に出てロクなことにならない、とか。ゲームを刹那的に楽しむ性癖があり、ギャンブルにのめりこんではいけない、とか。サイコロに人生を見た、とか。

さておき、森を見て木を見ていなかったということに、遅まきながら気付いた。
小泉純一郎という総理大臣について、その政策の是非を問う素養はないが、交渉ごとに非常に長けた人物なのではないかと感じられる。


引用したうち最後の一文は、まったくもってなにも保証しない、まったく内容のないものだと感じられたことは余談である。
調べてみたら報告書が見つかったので読んでみた。以下、その抜粋。

また、情報システムの問題とされるものには、実は業務・事務フローの問題であるものも多い。

新システムへの切替直前における稼動の適否に関する判定会議で、稼動開始が適当でないと判断された場合に、システム切替の延期ができるセーフティネットを担保する仕組みを設けること。

これらは、ベンダーが顧客に理解を求め、顧客に受け入れていただけないことのひとつである。人間力はシステムに換算しにくい。
これらのことは政府のお墨付きになったと解釈していいのだろうか。
以下、続抜粋。

期末決算についても相当程度の期間・手作業を要する等、民営化のために対応を要する。

2007年4月に民営化・分社化を実施するため、郵便局業務の基盤となる情報システムの開発対象を大幅に絞り込む、所謂「暫定対応」については、以下の問題がある。
①「システム開発に伴うリスク」があまりにも大きい
②仮に、システム開発が幸いに目立ったトラブルなく間に合ったとしても、多くの問題点がある
③リスクが民間会社ではとれないほど大きく、リスク回避策も明確でないため、システム会社が開発を受託するか疑問。仮に受託したとしても極めて高コストとなるおそれ

いずれにしても、決算関係において、日計表の見直し等、業務プロセスをシステム対応可能なように改善していくことは、今からでもできることであるし、すべきことである。

これらは、郵便局の当時の業務の実態を垣間見せるものである。
1500万件のデータを処理するようなシステム構築に関わったこともなければ、1500万件のデータを処理するような業務に関わったこともないので、大変なんだなあという感慨を抱くのみだが、はてさて。

なお、この報告書には『Waterfall』や『Spiral』など古代のコトバが用いられていたことも余談である。モノゴトを語るのに最新の用語は必要不可欠ではないが、いやはや。

ココログが重い。
職場のプアなPCはブラウザをChromeにかえて快適。
職場PCに比べたらリッチな自宅PCは二年くらい使い続けているFirefoxで激重。

Firefoxはキャッシュがどうのこうので重くなるらしいと聞いたことがあるような気がする。消せば快適になるらしい。Googleの話だったか。IEでココログが重い場合は、そんなカンジの対処でいいらしい。
とりあえずブラウザをかえてみるなどして解消されないようならお引っ越しかなあ。

2011年7月18日 (月)

読物 『冬の巨人』

前半は非常によいカンジであったのに。『移動都市』と印象がかぶり、しかしこちらのほうが心地よいとか思っていたのに。
残念きわまりない。

古橋作品は数冊しか読んだことがないが、龍盤七朝以外はよい印象がない。
あわないんだろう、きっと。

龍盤のシリーズも頓挫している模様で、ホントに困ったもんである。

2011年7月17日 (日)

読物 『日本共産党』

 日本共産党の選挙総括で特徴的なのは、「共産党の方針・政策や党中央の指導は、いつでも正しい」ということだ。

P.154

 ①まず政策・訴えは意義があった、正しかったと必ずいう。②議席を減らした場合は、いかに困難な条件であったかを強調し、その責任を自民党や民主党、メディアなど他者に転嫁する。③次に何か良い指標はないかを探し、あればそれを最大限に強調する。時には得票数、時には投票率。無意味な比較なども適宜おこなう。④どんな情勢にも負けない大きな党をつくるためには党員と機関誌「赤旗」を増やし、党員の水準を引き上げ活動参加率を高める必要がある、と党員を叱咤する――。

P.155

反省』には、本書がいわゆるムネオ事件に関して『反省』の内容を補完しているとも取れるように紹介されていた。少なくとも、そう受けとめた。ムネオ事件について知識を補強したいと望んだので着手してみたが、この望みは果たされなかった。
本書は、長年共産党に所属した著者が、離党した後に組織を振り返るというもので、 先だって読んだ公明党離党者の著作と風合いが似ている。

政治のことはよく分からないので、組織論として読んだ。
著者は共産党特有のこととして著述しているが、個人的経験からするとそうではなく、自浄作用を失った組織に共通の現象と思える。一般的にわかりやすい例を挙げるならば、国民が官僚組織に抱くイメージと相通ずるのではないかと感じられる。

  • 鵜飼いは方針決定を上意下達とするが、鵜飼いの意図を読み取るための決定的情報は鵜には伝わっていない。鵜飼いはなにを目指しているのか説明しようとしない。それで上手に鵜を飼っている気になっている。誤りが発生して初めてそれが基本方針であることが伝達される。
  • 熱心な構成員に負担をかけながら、不熱心な構成員を平等に扱い、熱心な構成員の疲労感を募らせ、それが結果的に組織を弱体化させる。組織に十分な体力があるうちは、このようなスパイラルに耐えられるが、弱体化は免れられない。
  • 責任の所在が不明確で、明確に因果関係を追求できないがために、あるいは因果関係を明らかにすると鵜飼いの責任が追及されるため、その場では事なかれ的に結論が導かれるが、後にスケープゴート的な裁定が下される。

個人的に所属する組織が、似たようなスパイラルの渦中にあると感じている。
心当たりのある上位構成員は、是非一読あれ。

2011年7月16日 (土)

読物 『紫色のクオリア』

これだけは読んでおけってSFみたいなところに上がっていた。

個人的ナレッジベースによれば、『虎よ、虎よ!』にオマージュを捧げ、『まどマギ』にオマージュを捧げられた。
そんなカンジ。


他の作品を読むかどうかはビミョー。

2011年7月13日 (水)

読物 『反省』

佐藤 (前略)もし私が上司になって、嫉妬されている有能な部下がいたら、1冊の本を薦めます。コンラート・ローレンツというノーベル賞医学生理学賞を受賞した動物行動学者が書いた『ソロモンの指輪』という本です。
鈴木 ローレンツさんは、何と言ってますか?
佐藤 オオカミ同士がケンカになるでしょ。すると、負けそうなオオカミはお腹を出し首元を相手に差し出す。強いほうが、喉ぶえをガブリとやろうとする瞬間、歯がカチカチいうだけで、もう攻撃できなくなっちゃう。そういう仕組みがある。猛獣がお互いに叩き合って徹底的にケンカしたら全滅してしまうから、そうならない刷り込みが最初からなされているというんです。
 ところが「平和の象徴」のハト、ディズニーの「バンビ」で知られるシカなど優しい系統は、攻撃を抑制する仕組みがない。ハトのケンカで一方が気を抜いたら、これでもかこれでもかと攻撃して殺しちゃう。シカも角で突いて、相手の胴がグチャグチャになり、はらわたがはみ出しても止めない。一件大人しそうな草食の連中は、歯止めがないから、暴れ出したときは本当に怖いという話なんです。
鈴木 なるほど。外務省で佐藤さんはオオカミだったのかもしれないな。ハトやウサギやシカみたいに根性なしでおとなしそうな連中、あるいはクジャクみたいにハデなだけで弱そうな連中が、じつは非常に残酷きわまりなく、仲間を地獄に落とすまでやったわけか。

P.94


佐藤
 小寺さんは、外務官僚が世界でいちばんエラいと考えているが、実力がともなわない、外務省によくいる典型的な人物でしたね。そして、鈴木さんや東郷和彦欧亜局長に疎んじられていたことに腹を立てていた。もっとも、小寺さんの立場からすれば、腹を立てるのは当然です。ある日突然テレビニュースによって、鈴木さん、私、そして私たちのチームがモスクワにいることを知った
 その場合、なぜ自分が外されたのかを冷静に考えなくてはならない。鈴木さん、東郷さん、そして私が意地悪をしているわけじゃないんです。小寺さんが秘密を守ることができないから、こうせざるを得なかった。胸に手をあてて考えてみれば、小寺さん自身に思い当たる節があるはずです。カーッとしても抑えるのが男の子なんですが、小寺さんは違っていて逆恨みし、あちこちで嘘話を吹聴した。
 明らかに彼しか知らないことが載っている怪文書が外に出たときは、それをベースにして、築地方面の立派な新聞社の女性読者が多いらしい週刊誌の、とってもユニークなおじいちゃん記者が不思議な記事を書いた。これも数え切れない外務官僚絡みの愚劣なエピソードの一つです。だって、鈴木―イワノフ会談の情報から小寺さんを完全に外せと命じたのは当時の森喜朗首相で、鈴木さんや東郷さんはそれに従っていただけなんですからね。
鈴木 森先生は小寺さんの能力をまったく評価していませんでしたね。それにしても私にも反省すべき点があります。能力がないと直属の上司も、もっと上も、いちばん上の上司の総理大臣にまで判定されたら、普通はそうかと思って静かにしているもんだと思うんだけど、メチャクチャな嘘で反撃を始めた。男のヤキモチにもつながる話ですが、男が嫉妬の感情を抱くとああなるというのは、想定の範囲を超えていましたね。
佐藤 私は、小寺さんという人は、ちょっとかわいそうだと思うんです。首相にまで無能扱いされてしまって。東郷和彦さんはこう言うんです。「官僚には4通りある。それは第一が『能力があり意欲もある』、第二が『能力があるが意欲がない』、第三が『能力がないが意欲がある』、第四が『能力がなく意欲もない』のどれかだ。どれが最低かといえば、能力がなくて意欲があるヤツだ。小寺は普段は第四だが、ときどき第三になるので困る」と。救いようがない評価を下されていた。
 小寺さんを解任するときも東郷さんは、「きみは平時ならロシア課長が務まるが、今はたいへんな状況だ。君が努力したことはわかっているが、能力が及ばないんだ。だから、替わってもらう書類はすでに人事課長に出してある」と言った。小寺さんは「ウウウ・・・・・・」と、頭を抱えて座り込み、「佐藤が仕掛けたんですか!」と言ったそうです。私は東郷さんが「いや、佐藤君は関係ないよと、言っておいたよ」とサラリと言うのを聞いたけど、マズイなあと思いました。私にしてみれば迷惑千万な話ですよね(笑)。

P.124

鈴木 小寺さんが更迭されたとき、田中眞紀子さんが「鈴木宗男が人事に口をはさんだ。鈴木が飛ばした」と騒ぎましたが、私はなんらタッチしていないですよ。
 私は01年3月25日、イルクーツクから羽田に帰る政府専用機のなかで、小寺さんから「私、ロンドン公使の発令を受けました。イタリアに留学している娘の休みが1週間しかなく、家族で過ごすので東京では挨拶できません。この場で御挨拶させてください」と聞いて初めて、4月の人事で出るんだとわかったんですから。しかも、ロシア課長からロンドン大使館公使というのはエリートコースなんですからね。
佐藤 参事官なんだけど、同期で最初にローカル公使になった。将来の欧州局長、ロシア大使になる登竜門のコースです。東郷さんは、ズバズバ厳しいことを言うんだけれども、人事的にはたいへん優遇してトラブルが出ないようにしていたんです。
鈴木 それを田中さんは何を勘違いしたのか、鈴木に飛ばされたみたいに騒ぎ立てました。組織を知らないし流れを知らんもんですからね。小寺さんの例は、然るべき人が然るべきポストに就かないと、国力が落ち、国益を損なう好例だと思いますよ。

P.129

佐藤 ところであの文書を出したことは、「ロシアとはもう付き合いません」という日本国外務省のシグナルでもあったんですよ。ロシア人と非公開を前提に話したことを出した瞬間、むこうはもうノーサンキュー、日本とは話ができません、となってしまう。
 しかも会談相手はロシュコフさん。外務次官、6者会談の代表で、拉致問題に関して日本の立場に最も理解のある人です。その人をあたかも日本の敵であるかのごとく改竄した文書を作って共産党に流した者が外務省にいたんです。共産党を使い、外交交渉の積み重ねをムチャクチャにして国益を損ない、それでも鈴木宗男や佐藤優を引きずり倒したかった外務官僚がいた。その動機は、次の項でさらに詳しく触れたいと思いますが、彼らの「自己保身」というなんともケチな了見だった。
鈴木 このことには、まさに言葉を失う思いですね。
佐藤 鈴木さんも私も、外務省がここまでやる組織とは、考えていなかった。これは私たちの現状認識と洞察力が不足していたと、深刻に反省しています。
 交渉が途切れたロシアとの関係が回復したのは、ようやく06年の秋になってからでした。外務事務次官の谷地正太郎さんたちの努力によってです。今年になっても谷地さんはロシアに行った。この外務省の負の遺産を精算できるのは、谷地正太郎さんぐらいしかいませんね。
鈴木 ところで川口順子外務大臣が国会で、「あれは改竄文書だ。正確な内容ではない」と言いました。川口さんが国会で間違っていないことを口にしたのは、この発言1回だけですよ(笑)。これ以外の川口さんの発言はすべて、なんらかの間違いか、まったく内容が含まれていないか、どちらかですね。
筆坂 当時われわれ日本共産党の追求では、外務省が謀略的に提供してきた内部文書のもつ比重は大きいものがあった。結果的には、外務省の思惑どおりの追求をやった面は否定できない。要するにわれわれは、外務省から聞く以外、何一つわからないわけですからね。丹念に政治献金を調べましたよ。ただ、鈴木さんの場合、5万円とか10万円とかが多い(笑)。合計してみても1年じゃどうにも少ないから、5年分とか10年分を足して、「何百万円も献金を受けている。これはおかしいじゃないか!」と。でも、よく考えれば1年あたりにすればたいしたことはない。そこは、追求のテクニックですからね。
 それはともかく、外務省というのは本当にひどい役所ですね。あの内部文書も本当に外務省の悪を糺すというものではなく、彼らの悪を隠すためだった。こんな重大な問題を放置しておいてはいけない。誰が内部文書を送りつけたのか、犯人を追及すべきだ。僕がおればやりますが、残念ながらもうバッジがありませんから、共産党もこういう本当の悪をこそ追求すべきですよ。

P.182

佐藤 竹内さんは「お国のために一生懸命やります」と言った。ここで注意しなければならないのは19世紀フランスの謀略外交官タレーランの言葉です。彼は「愛国心は悪人の最後の逃げ場」という言葉を残した。官僚が国のためとか国益をかけてなどと大きな声で言ったときは信用してはダメ。疑ってかかるに限りますよ。

P.188

鈴木 ついでに思い出したから話しておこう。西村六善さんという今の特命全権大使(地球環境問題担当)は、ある晩遅く私のところに「橋本総理に説明した内容を鈴木先生限りで説明したい」とやってきた。「この紙で今日の午後、総理に説明しました。この紙は大臣と総理しか持っていません」と言うんだけど、紙の隅に打ち出し時刻が22時何分と印字されている。私が「おかしいなあ。総理は本当にこの紙を見たのかなあ」と言っても、一向に気がつかない。「まあ、もういいから」と帰そうとすると、西村さんは「大臣、僕の目を見てください。これが嘘をつく男の目ですか」ときた。「これは・・・・・・嘘つきの目だな」と言ったら、この人は、やおら絨毯に屈み込んでアルマジロのように体を丸めて転がった。飯倉公館ではソファーだったけど、このときは床に丸まったから、私は本当に驚いたね。「あんた、大丈夫か。もういいから、帰りなさいよ」と言うしかなかった(笑)。

P.195

佐藤 私は外務省に入ってすぐ、変なところだなあと思いましたよ。当時の欧亜局ソ連課は朝9時半始まりなのに全員10時半ぐらいに出てくる。午前中は新聞しか読んでいない。昼飯は2時間かけて食いに行く。午後になってから電話をかけ始めるんだけど、6時になるとビールの栓が開く音があちこちで聞こえる。それからウイスキーを開け、酔っぱらったところで文書を書く。それで、夜中の12時過ぎまで待ってタクシーで帰る。これは尋常な場所ではない、文化が違うなと最初のころに思いました。
 まあ、他の省庁も似たようなもので、霞が関全体が、なんでこんなに間延びした仕事をするのかなと不思議でした。でも、麻痺していくんですよ。それが当たり前になって行ったんです。

P.206

ローマ法王やエリツィン元大統領の葬儀に、
要人を派遣しなかった大失態

佐藤 もう一つは「外交は人だ」ということです。もっと人脈を作らなければならない。
 たとえば、2005年4月にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が亡くなった。4月8日の葬儀には世界から、アナン国連事務総長、ブッシュ米大統領夫妻、クリントン前米大統領、父ブッシュ元米大統領、シラク仏大統領、シュレーダー独首相、ブレア英首相、フィリップ英皇太子、チャンピ伊大統領、ベルルスコーニ伊首相、ハタミ・イラン大統領、アロヨ・フィリピン大統領といった要人が参列した。
 ところが日本からは、あろうことか総理補佐官の元外相・川口順子さんが行った。元首級のなかに補佐官級・最軽量の外相級って、ズレまくりすぎでしょ。ド顰蹙を買って、世界の笑い物だったじゃないですか。外務官僚は、その痛い経験をもう忘れているんです。ニワトリみたいに3歩歩いたら忘れちゃう。
鈴木 ロシアで初めて民主主義の手続きに則って選出された大統領だったエリツィンさんが07年4月23日に亡くなった。ロシア国葬は25日。プーチン大統領とゴルバチョフ元ソ連大統領は当然として、クリントン前米大統領、ブッシュ元米大統領、ケーラー独大統領、メージャー英元首相、韓明淑・前韓国首相あたりが来ていましたね。
佐藤 ソ連崩壊の過程で決定的に重要な役割を果たし、日ロ関係においても一時本気で北方領土問題を解決しようとした元ロシア大統領が亡くなったんですよ。ところが、日本からは誰も行かず、現地の斎藤泰雄駐在ロ大使が参列したと。考えられない大失態です。
 この人で感心するのは、韓国流の酒の飲み方の実演くらいですかね。趣味は月965万円の豪邸に住むことです。ソ連崩壊後、日本が送りこんだ最低のロシア大使だということを、私は自信をもって言えます。モスクワの日本大使館にロシア政治エリートが寄りつかないことも関係者のあいだでは有名だ。斎藤さんより能力、品性に劣る人物が過去にモスクワで勤務したことはないので、とりあえず空前であることは確か。絶後かどうかはわからない。外務省の現状を考えるとまたすごいのが出てくるかもしれないから。

北方領土を本当に動かす気があるなら、
安倍さんを出せばいい

鈴木 エリツィンさん逝去は23日の夜10時ごろにタス通信が流したわけですから、次の日の閣議で哀悼の意を表することだってできたはず。政府は、飛行機がなかっただの人がいなかっただのと、最初、言い訳してましたね。
佐藤 その嘘が鈴木さんの質問主位書に対する内閣の答弁書でバレてしまいましたね。じつは24日午後に外交ルートで国葬への招待があって、その日の昼のアエロフロート(ロシア航空)便に乗れば、葬儀に十分間に合ったのです。外務省がきちんとした態勢をとっていないからこういうことになるのです。
 私が現役のときは、いつも袋を作っていました。エリツィンさんが亡くなるということを前提に袋を作って、そのとき発表する予定稿、過去の履歴、日本に関する主要な発言、内閣総理大臣が葬儀委員長に出す親書、日本の特使のスピーチ案などを入れていた。これを半年に1回ぐらいチェックし、シミュレーションを重ねては更新していたんです。こういうものを、現在の外務省は作っていないと思う。
 外交の世界で、能力が劣ることは国益を毀損する犯罪です。罪名は「へたくそ罪」です。こんな外務省は使い物にならない。一方、官房長官の塩崎恭久さんは、最初は商業便がなかったと説明したんですが、その後、便はあったけれども人選が間に合わなかったと説明し直した。
 いずれにせよ、日本がプーチン政権に対する不快感を示すために敢えてレベルの低すぎる斎藤を参列させたのなら、一応これは戦略的なわけ。しかし、そうではなくただボンヤリ、ポーッとしていたから、誰も参列させることができなかったというのは、恐ろしい話。これは「ぼんやり罪」です。「へたくそ罪」と「ぼんやり罪」で関係者を処分すべきです。
鈴木 佐藤さんが現役だったら、その封筒を開けて、どうしただろう?
佐藤 私なら、日本からの弔問団を出す。団長が、小渕恵三総理を外務大臣として支え、エリツィンさんとも面識があった高村正彦さんにする。そこに衆議院議員である橋本岳さん(橋本龍太郎元首相の次男)と小渕恵子さん(小渕恵三元首相の次女)に入ってもらう。亡くなっていなければ小渕恵三さんと橋本龍太郎さんでいいんですが。で、3人をロシアに出発させると同時に、モスクワでプーチン大統領と会談できるかどうか大至急探る。プーチン大統領と外国要人との会談予定が一つでも入っていれば、森喜朗さんに急遽飛んでもらい、会談を押し込む。
 エリツィンさんとプーチンさんのあいだは微妙なところがあるから、プーチンさんと会うことができる森さんのカードを初めから切るべきかどうかについて、私ならばちょっと躊躇します。いちばんいいのは、安倍晋三さんが行くことです。プーチン大統領も必ず会います。北方領土を本当に動かそうと思うんだったら、安倍さんを出せばいいんですよ。
鈴木 それはそうですね。最高のシグナルになる。それは最高の機会だと思う。チェルネンコさんが亡くなったとき、中曾根先生がすべての日程をキャンセルして行ったじゃないですか。
佐藤 中曾根さんは、葬儀委員長だったゴルバチョフさんと2回会っています。まあ、外務省には、いま鈴木さんと私がこうしたらどうかと話したようなことを首相にアドバイスできる人物がいない。普段から考えていないから、知恵も出ない。これは日本外交の危機の一側面だと思います。

P.239

鈴木 外務官僚も昔は、いや、外務省だけでなく中央官庁の役人というのは、明治から太平洋戦争の敗戦までは、1887(明治20)年の官吏服務規律が示しているように「天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ忠順勤勉ヲ主ト」する、名実ともに「天皇の官吏」だった。その任用は天皇の官制大権に基づいて勅令によって規律されておったし、文字どおり「お上」お代行者だったわけですね。これも明治の官吏服務規律に書いてあったことで、家族の商業従事の禁止、浪費や分不相応の負債の禁止など、官僚は厳格な倫理規制を受けていた。清貧に甘んじて国家のために義務を遂行するという伝統がありました。
佐藤 「吏道」なんて言ってね。戦後は、天皇の官吏から、たしか国民の官僚、つまり公僕になったはずだったんだけど、どんどんモラルが崩れていった。外務省においては、とっくに崩壊してしまった。だから、ここは役人性善説から役人性悪説に切り替える必要がある。
 根治療法にはならないけど、処方箋なしに今すぐできる対症療法でいちばん簡単な方法は、海外に出て数年たって帰国してくる外務相のヤツがいるでしょう。彼/彼女らを全員、税務調査すればいいと思うんです。それで、不当と思われる蓄財をしていれば、日本国民が普通に払っているのと同じ課税をきちんとする。
鈴木 在外手当というのは、税金がかかっていないんですからね。もちろん本給にはかかっていますけど。
佐藤 海外の任地で住む住宅の手当についても、これは1カ月あたり60~70万円、人によっては100万円以上出ていますが、これも税金がかかっていないんです。これは住宅に使えというカネですね。月何千円で暮らせるという国で何十万ももらえば、そりゃ余るでしょう。何に使ってもいい掴み金は、渡しきりの交際費です。パーティをやったり情報を取るためのカネも渡しているけど、使わないで貯め込む。それで、日本で家や別荘を買っているんです。信じられますか? 40代で家を4軒買ったと自慢本を書く外務省の人間がいる。
鈴木 清井美紀惠さんという、いまスイスの外交官ではナンバー2の公使ですよ。私は国会で彼女が書いた『女ひとり家四軒持つ中毒記』(スティルマン美紀惠著・マガジンハウス)を引用して質問をしました。そういう人については、ぜひ、税務調査をすればいい。
佐藤 税務署の職員だって、外務官僚の実態を知って、そりゃ頭にくるでしょうよ。同じ役人なのに、40代の税務署員で家を4軒買ったなんてのはいないでしょうから。税務調査をして、明らかに税金を払っていないのに家の所有に使われたカネが出て来たら、カチッと税金を取る。
鈴木 警察や検察がわれわれ政治家の事件をやるとき、最初に手を着けるのは国税ですよ。カネの流れを国税局に洗わせるんですね。だったら、公務員のこういった不正蓄財もきちんと調査して、法律に基づいてきちんと税金を払わせなくてはいかん。

P.250

佐藤 私は、現在のアジア・太平洋地域の外交は、19世紀後半から20世紀初めにかけての帝国主義の時代に、ものすごく近づいていると思います。「帝国主義」というのは、帝国主義支配とか帝国主義による侵略のように悪いイメージで使われてるけれど、ここでももう一度、帝国主義が登場してきた当時の言葉の意味に立ち返る必要があると思う。
 帝国主義は、ホブソンが『帝国主義論』(1902年)で指摘したように、商品を輸出して儲けるだけでなく、巨大な金融業者や投資階級が資本を輸出するかたちになる。これと植民地の拡大がリンクしていたんですね。だから、国の旗を立てた企業や国家が、自国のエゴを露骨に押し通す時代だった。その時代が、またやってきた。共通の敵だった共産主義の脅威が消えたから、各国が好き勝手にエゴをぶつけ合って、その場その場で折り合いをつけていく時代になっている。
鈴木 軍隊が出かけていって占領こそしないけれど、ヘッジファンドなんていいう金融資本が、一瞬のうちに国の金融証券市場を席巻してしまい、経済がガタガタになるなんてことも、東南アジアでありましたね。日本だって、長銀だのシーガイアだのがハゲタカファンドに買われちゃって、あそこだけ占領されたようなもんだ。

P.260

佐藤 いや、こちらとしても鈴木さんには、たいへんご迷惑をかけてしまいました。外務省のために先生を味方に引き込めと言われて、私はその任務を遂行しただけなんですけどね。ところが、「浮くも沈むも一緒だ。最後までよろしく頼む」と私の手を握って言った連中が、たしかに浮くときは一緒でしたが、沈むときだけは全然別個に行かせてもらうよと(笑)。これはすごいところだなあと感心するというか、呆れるというか。義理を欠く、人情も欠く、さらに、平気で恥までかく――義理、人情、恥という三つのものをカキながら平然と進む外務官僚たちの姿を見て、私は「もういいわ、この人たちと付き合うのは」と心底から思いましたね。ただし、この三つのものをかいたら、人間は強い。なんでもできるでしょう。人間として、全然好かれないと思いますが。
鈴木 佐藤さん、今のは名言ですよ。「外務省の官僚は義理を欠く。人情も欠く。恥までかく」と。三角関係じゃなくて、まさに「三カク官僚」だね。かつて道義や節を重んじた日本人は、いま、人としての道を失いかけている。義理人情を重んじるとか、恥を知るという日本人が、少なくなってきている。それは、外務省の役人にいちばん当てはまるんじゃないか。

P.264

第1章 国策捜査のカラクリ
 反省1 まさか検察があそこまでやるとは思いませんでした
 反省2 検察のずさんさは、まったく予想外でした
 反省3 裁判所がここまで検察ベッタリの偏向姿勢だとは、理解不足でした
 反省4 国家権力のメディア操作に、すっかり乗せられてしまいました
 反省5 メディアと外務省の黒い友情を、黙認しました

第2章 権力の罠
 反省6 権力のそばにいて、前しか見えませんでした
 反省7 男の嫉妬、ヤキモチに鈍感すぎました
 反省8 自分の力を過小評価して、声を上げなさすぎました
 反省9 歴代首相や組織トップから、重用されすぎました

第3章 外務省の嘘
 反省10 外務省の一部にある反ユダヤ主義に、足もとをすくわれました
 反省11 外務官僚の無能さが、私たちの理解を超えていました
 反省12 外務官僚のカネの汚さは、想像を絶するものでした
 反省13 非常識な賭け麻雀に、見て見ぬふりをしていました
 反省14 外務省の官僚たちのたかり行為に、素直に応じすぎました
 反省15 外務省が仕掛けた田中眞紀子さんとのケンカに、乗せられました
 反省16 共産党に外交秘密を流すほどの謀略能力は、予想していませんでした
 反省17 外務省にはびこる自己保身・無責任体制を見逃しました
 反省18 外務省を大いに応援し、不必要に守りすぎました

第4章 「死んだ麦」から芽生えるもの
 反省19 超大国アメリカという存在に、鈍感すぎました
 反省20 「二元外交」批判に、もっと毅然として反撃すべきでした
 反省21 日本外交の停滞を招き、国益を大きく損ねてしまいました
 反省22 これまで外務省改革の処方箋を、提示できませんでした
 反省23 日本外交の将来像について、あまり語ってきませんでした

第5章 見えてきたこと
 反省24 支持者、同僚、部下たちに多大な迷惑をかけました
 反省25 かけがえのない友に心配をかけてしまいました
 反省26 信じ続けてくれた家族に大変な苦労をかけました

「ムネオハウス」がホットなキーワードだった頃には、まったく興味もなかった。
今頃になって、なんで?

たぶん、『平和の失速』から『同和と銀行 三菱東京UFJ“汚れ役”の黒い回顧録』、『反転―闇社会の守護神と呼ばれて』を経て、『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』へと至るパスがあったからだろう。

例によって評価する術はなく、奇しなる縁を楽しむばかりである。
本書によって、『国家の罠』単独では読み取れなかった、「『鈴木宗男』と『佐藤優』の外交」もうっすらと読み取れるような気になれた。

大人になるということは、いろんなことにガッカリすることなんだろうと思いつつ。

2011年7月11日 (月)

ゲーム PS3版『カルドセプト エキスパンション・プラス』

きっかけは『Mt:G』PS3版の存在を知ったことだった。そして、折良くPlaystation Networkが復旧したことだった。

ほとんど稼働していないPS3は、電源を入れるたびにナニカシラUpdateが動いて、それだけでやる気をなくすスパイラルに陥っている。今回はシステムとTorneのUpdateでしばしかかった。

Updateが完了した頃にはいい感じに嫌気がさしていたのだが、とりあえず入手し、遊んでみることにした。かつて販売されたPC版はとても遊べるレベルのシロモノではなかったが、これは大変良い出来であると思える。『Mt:G』を遊びたい人にとってはとてもよいんではなかろうか。
カードゲーム的なものというと、最後に遊んだのは『DT』か『カードヒーロー』か。かつてはなにかと『Mt:G』と比較してしまったものだが、今となってはそれも裏返り、『Mt:G』は対人ゲームなんだなあと感じ入りつつ、ウザいくらいに正規版を買えと言ってくるゲームを終了させた。

格ゲーやりたい熱を放置していたことを思い出して、なんとなく『MARVEL VS. CAPCOM 3』体験版をDLしてみたら、対戦プレイオンリーで萎える。えるしゃだいwもそうだったが、カプコンの体験版って、販促の役に立ってるんだろうか。買え買えウルサイMt:Gよりも萎える。

Mt:GつながりでPS版『カルドセプト』がラインナップにあることがわかり、Playstation Network Cardなるものを介して購入してみることにする。体験版はない。
PS3の上で起動しているPSエミュの上でソフトが動いているのか、「PSエミュ込みのカルドセプト」なのか知らんが、起動ロゴを消すとかスキップするとかできんのかとか思いつつプレイ。
『カルドセプト』はDC版でわりとハマって、仲間内ではネット対戦なんかもやったりしたが、プレイ時間の差が如実に出たりなんかして、そのうち廃れてしまった。個人的にはかなり遊んでいたので快勝モードだったが、惨敗モードでは嫌気も差すだろう。
いろいろウザいがかなり楽しめる。

ラインナップには、ネット対戦が可能な『カタン』もあり、結構気になっている。
評価は悪くないが、AI相手に遊んでも面白いものなのかどうか。
さてどうしたものか。

2011年7月10日 (日)

読物 『東電OL殺人事件』

どんな事件なのかまるで知らなかった。特に興味もなかった。
著者に対してちょっとした違和感を覚えたので、その違和感の正体を知るためにもう数冊読んでみることにして、最近キーワード的に優位となっていたからであろう、『東電』を冠する本書を選んだ。着手に至る動機としてはその程度のものだった。

これはなんだ。
チャンドラーか、梅原猛か。
『世界ケンカ旅行』か。

先だって『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を読んでいなければ、我が無知にさした光明と感じたかもしれない。
しかしながら。
個人的には旬を逃したということになろう。

2011年7月 6日 (水)

読物 『ビッグバン宇宙論』

広大な聖堂の中に三粒の砂を置けば、大聖堂の砂粒の密度は、宇宙空間の密度よりも高いことになる。

――ジェイムズ・ジーンズ

宇宙を理解しようと努めることは、人生を滑稽芝居よりもいくらかましなものにし、悲劇がもつ美質のいくばくかをつけ加える数少ない行為のひとつである。

――スティーヴン・ワインバーグ

人は科学において、それまでは誰も知らなかったことを誰にでもわかるように語ろうとする。しかし詩においては、まったく逆のことが行われる。

――ポール・ディラック

宇宙についてもっとも理解しがたいのは、宇宙が理解可能だということだ。

――アルベルト・アインシュタイン
序文より

科学は、神話とともに、そして神話への批判とともに始まらざるをえない。

――カール・ポパー

私たちに分別と理性と知性を与えた神が、私たちがその能力を使わないでいることを意図していたと信じるいわれはないと思うのです。

――ガリレオ・ガリレイ

地球上での生活には金がかかるかもしれないが、太陽のまわりを年に一周する旅が無料でついてくる。

――作者不明

物理学は宗教ではない。もし宗教だったなら、資金集めにこれほど苦労はしなかったろう。

――レオン・レーダーマン

第Ⅰ章 はじめに神は・・・・・・序文より

 ――アルベルト・アインシュタインは常識というものを厳しく批判し、「十八歳までに身につけた偏見の寄せ集め」だと言った。

上巻 P.34

 (アインシュタインの相対性理論は)今日までに人間の知力が成し遂げたもっとも偉大な総合的業績であろう。

――パートランド・ラッセル

 (アインシュタインの相対性理論によって、宇宙に対する人間の思索は新しい段階に到達した)それはあたかも、われわれを真理から隔てていた壁が崩れ落ちたかのようである。知識を追い求める眼の前に、かつて誰も予想だにしなかたちょうな、広大かつ深遠な領域が開かれたのだ。いまやわれわれは、あらゆる物理現象の基礎にある首尾一貫した設計図の理解に向けて、大きな一歩を踏み出した。

――ヘルマン・ヴァイル

感じることはできても表現することはできない真理を、暗闇の中で懸命に探す年月。強烈な願望と、交互に訪れる自信と不安。そして、ついにそこから脱却して光の中に出る――それがどういうことかを理解できるのは、そういう経験をしたことのある者だけである。

――アルベルト・アインシュタイン

光速よりも速く進むことはできないし、できたらいいとも思えない。だって帽子が吹き飛ばされてばかりいるからね。

――ウッディ・アレン

第Ⅱ章 宇宙の理論 序文より

既知のことがらは有限であり、未知のことがらは無限にある。知識に関して言えば、われわれは説明不能という大海原に浮かぶ小さな孤島にいるようなものだ。あらゆる世代においてわれわれがなすべきは、埋め立て地を少しでも広げることである。

――T・H・ハクスリー

宇宙について無知であればあるほど、宇宙を説明するのは簡単だ。

――レオン・ブランシュヴィク

不十分なデータを使ったために生じた誤りは、まったくデータを使わないために生じた誤りほど大きくはない。

――チャールズ・バベッジ

理論は脆くも崩れ去るが、優れた観測はけっして色褪せない。

――ハーロウ・シャプリー

まずは事実をつかむことだ。あとは都合に応じてそれを曲解すればいい。

――マーク・トウェイン

天は、永遠に褪せることなき美を示しつつ汝らの頭上をめぐるというのに、汝らは地面ばかりを見ている。

――ダンテ

第Ⅲ章 大論争 序文より

 ――「文明に対する最高の定義は、文明人は万人にとっての最善をなす、というものだ。それに対して野蛮人は、己ひとりにとっての最善をなす。文明とは、人間の身勝手さに対抗するための、巨大な相互保険会社のようなものである」

上巻 P.245 エドウィン・ハッブルの父、ジョンの言葉

 ドップラー効果で速度を求めるなどという話は、たいていの人にとっては初耳だろう。しかしこの方法は、たしかに使いものになる。それどころか非常に信頼性が高いため、警察はドップラー効果を利用してスピード違反を検挙しているほどなのだ。警察官は、近づいてくる車に向かって電波のパルスを発射し(電波も光の仲間であり、スペクトルでは可視光の外側にある)、車にぶつかって跳ね返ってきた電波を検出する。跳ね返ってきたパルスは、事実上、運動物体、すなわち車から出たものとみなすことができる。車の速度が大きければ大きいほど波長のずれも大きくなり、スピード違反の罰金も上がることになる。
 あるジョークでは、天文台に向かって車を走らせていたある天文学者が、ドップラー効果を利用して警察を丸め込もうとした。その天文学者は信号無視をして捕まったのだが、自分は信号に向かって走っていたため、赤信号の光が青方変位のために青く見えたのだと言い訳をした。すると警察官は、信号無視は見逃してやる代わりに、罰金を倍額にしてスピード違反のキップを切った。波長がそれほど大きくずれるためには、天文学者は時速二億キロメートルほどで車を飛ばしていたことになるからだ。

上巻 P.277

銀河団は一吹きの煙のように拡散しつつある。私はときどき、銀河団自体が一吹きの煙にすぎないような、より大きなスケールの存在はないのだろうかと思うことがある。

――アーサー・エディントン

自然は私たちに、ライオンの尻尾だけしか見せてくれません。しかし私は、たとえライオンが大きくて、いっぺんに全体を見ることはできないとしても、その尻尾の向こうにはライオンがいることを疑ってはおりません。私たちは、ライオンにくっついている一匹のシラミのようにしか、ライオンを見ることはできないのです。

――アルベルト・アインシュタイン

宇宙論研究者はよく間違いを犯すが、疑いを抱いたためしはない。

――レフ・ランダウ
第Ⅳ章 宇宙論の一匹狼たち 序文より

 これら原子核物理学の規則と天文学とを結びつけた最初の科学者の一人は、勇敢で筋の通った生き方を貫いたフリッツ・ハウターマンスという物理学者だった。彼は人間的な魅力とウィットに富んだ発言で知られていた。ジョーク集が四十ページの小冊子として出版された物理学者は彼ぐらいのものだろう。ハウターマンスの母親は半分ユダヤ人だったので、彼は反ユダヤ主義的な発言に対し、こう言ってやりかえした。「きみたちの先祖がまだ森の中で暮らしていたときに、ぼくの先祖はすでに小切手を偽造していたんだぜ!」

下巻 P.46

 ビッグバン元素合成をモデル化するための第一歩として、ガモフはごく初期の宇宙では温度がきわめて高かったため、すべての物質はもっとも基本的な形に分解していたと仮定した。したがって宇宙の最初の構成要素は、バラバラの陽子と中性子と電子――すなわち当時の物理学者に知られていたもっとも基本的な粒子――だった。彼はこれらの粒子の混合物を、「アイレム」と呼んだ。これはガモフがたまたまウェブスターの辞書をめくっていて見つけた単語だった。すでに死語となったこの中世英語の言葉には、「元素を形成するもとになった原初の物質」という説明があった――中性子、陽子、電子からなるガモフの高温スープには申し分のない意味である。

下巻 P.61

いいですか、有線電信というのは、長い長い体をした猫のようなものです。ニューヨークで猫の尻尾を引っ張ると、ロサンゼルスで猫の頭がニャーと鳴く。わかりますね? 無線もまったく同じことです。唯一の違いは、猫がいないことです。

――アルベルト・アインシュタイン

科学で耳にするもっとも胸躍る言葉、新発見の先触れとなるその言葉は、「ヘウレーカ!(私は発見した)」ではなく「へんだぞ・・・・・・」だ。

――アイザック・アシモフ

一般に、われわれは次のようなプロセスで新しい法則を探す。第一に、当てずっぽうで考えてみる。笑ってはいけない。これは一番大事なステップなのだ。次に、その法則でどういうことになるか計算してみる。そして、得られた結果を経験とくらべてみる。もしも経験と合わなかったら、当てずっぽうで考えたことは間違いだ。当たり前のことだが、ここに科学への鍵がある。きみの考えがどれほど美しいか、きみがどれだけ頭が良いか、きみの名前が何であるかとは関係がない。経験と合わないものは、間違っている。それだけのことだ。

――リチャード・ファインマン
第Ⅴ章 パラダイム・シフト 序文より

 マーカス・チャウンは、その著書『僕らは星のかけら――原子をつくった魔法の炉を探して』(原題 The Magic Furnace)の中で、星の錬金術の重要性について次のように述べた。「われわれが生きるために、十億、百億、それどころか千億の星が死んでいる。われわれの血の中の鉄、骨の中のカルシウム、呼吸をするたびに肺に満ちる酸素――すべては地球が生まれるずっと前に死んだ星たちの炉で作られたものなのだ」ロマンチストは、自分は星くずでできているのだという考えが気に入るだろう。冷笑家は、自分は核廃棄物だと考えることを好むかもしれない。

下巻 P.140

 少々横道に逸れるが、ジャンスキーによる銀河電波の検出は、本来の目的とは異なるすばらしいものに偶然に出くわしたという意味で、いわゆる「まぐれ当たり」だったことに注目するのは興味深い。実際これは、科学上の発見には驚くほどありふれているにもかかわらず、あまり知られていない「セレンディピティー」という現象のみごとな一例となっている。セレンディピティーという言葉は、一七五四年に作家のホラス・ウォルポールによってひねり出された造語である。ウォルポールは知人への手紙の中で、人間関係に関する偶然かつ幸運な発見について書いたときにこの言葉を使った。

 こういう発見を、私はセレンディピティーと呼んでいます。この言葉にはたいへん深い意味がありまして、どう言ったものやらわかりませんが、なんとか説明を試みてみましょう。こういう場合、定義よりも由来から入るほうがわかりやすいでしょう。いつだったか、私は『セレンディップの三人の王子』という他愛もないおとぎ話を読んだのです。三人の王子が旅をしていると、偶然と賢慮により、探してもいなかったものがいつも必ず見つかるのです。

 科学と技術の歴史には、セレンディピティーがいくらでも転がっている。たとえばこんな例だ。一九四八年のこと、ジョルジュ・ド・メストラルがスイスの田舎を歩いていると、トゲだらけの植物の種がズボンにたくさんくっついた。トゲは鉤のようになっていて、それが繊維のループにひっかかっていた。これがヒントになって発明されたのがベルクロ(マジックテープ)である。くっつき系のセレンディピティーをもう一例挙げておくと、強力な接着剤の開発に取り組んでいたアート・フライは、簡単に剥がれてしまう弱い接着剤を合成してしまった。地元の聖歌隊の熱心なメンバーだったフライは、失敗作の接着剤で細く切った紙をコーティングし、賛美歌集のしおりとして使ってみた。こうしてポストイットが生まれた。医学上のセレンディピティーにはバイアグラがある。この薬はもともと心臓病の治療薬として開発されたものだった。研究者たちがこの薬の有用な副作用に気づいたのは、臨床試験に参加した患者たちが、心臓病にはとくに効果がなさそうだったにもかかわらず、未使用分の薬を断固返したがらなかったからだ。
 セレンディピティーを積極的に生かした科学者たちを、単に幸運な人たちと分類するのはたやすいが、しかしそれは正しくない。セレンディピティーに恵まれた科学者や発明家が、偶然の発見から先に踏み出せたのは、その発見を適切な文脈の中で位置づけるだけの知識を蓄積していたおかげなのだ。ルイ・パストゥールもまたセレンディピティーに恵まれた人物だが、これを次のように述べた。「チャンスは備えある者に訪れる」ウォルポールも前掲の手紙でこの点を強調し、セレンディピティーは「偶然と賢慮」のおかげだとしている。
 セレンディピティーに恵まれたいと願う者には、チャンスを逃さない心構えも必要だ。植物の種がびっしりとくっついたズボンにブラシをかけて終わりにしたり、失敗作の接着剤を流し台に捨てたり、効果のなさそうな試験薬を廃棄したりするだけではいけない。アレグザンダー・フレミングがペニシリンを発見したのは、窓から飛び込んできた一片の青カビがシャーレに落ちて、培養していた細菌を殺したことに気づいたからだった。それまでにも大勢の細菌学者が、培養していた細菌を青カビに汚染されたことだろう。だが彼らはみな、何百万人もの命を救うことになる抗生物質を発見する代わりに、がっかりしながらシャーレの中味を捨てていたのだ。ウィンストン・チャーチルはかつてこう述べた。「人はときに真理に蹴躓いて転ぶが、ほとんどの者はただ立ち上がり、何もなかったようにさっさと歩き去る」


下巻 P.160

 哲学者であり神学者でもあった聖アウグスティヌスは、紀元四〇〇年頃に書かれた自伝『告白』の中で、「ビッグバン以前はどうなっていたのか」という問いの神学版というべきものに対して、彼が聞いた答えを引き合いに出した。

 神は天地創造以前に何をしていたのか?

 神は天地創造以前に、そういう質問をするあなたのような人間のために、
 地獄を作っておられたのだ。

下巻 P.254

新しい理論が受けいれられるまでには次の四つの段階を経る。
第一段階――こんな理論はくだらないたわごとだ。
第二段階――興味深くはあるが、ひねくれた意見だ。
第三段階――正しくはあるが、さほど重要ではない。
第四段階――私はずっとこの理論を唱えていたのだ。

J・B・S・ホールデン(一八九二~一九六四) イギリスの遺伝学者
付録■科学とは何か?――What Is Science? より

ブラックホールという言葉はおそらく『大空魔竜ガイキング』で知り得たと思われるが、ビッグバンという言葉をどこで聞き知ったか定かではない。『小学ン年生』か『科学と学習』か、『コスモスエンド』あたりであろう。
以後ちょこちょことかじってはいたが、理論成立に至る過程には特に興味もなく過ごしていた。

本書は、古代ギリシャの哲学から、コペルニクスやガリレオによる科学的思考の黎明期を経て、様々な科学と科学技術の応用によって宇宙のありようが現代のように表現されていくようになった過程を描いている。

難しく感じるかもしれないタイトルだが、本書を読み解くのに必要な素養は好奇心のみ。
数学と物理と化学に知識があれば、ガッコで過ごした日々のことを思い出しもするだろう。そんなこととは無関係に、数学は苦手、物理は高校レベル、化学はチョー苦手という個人的な事情をかつて持ちいまなお持ち続ける者にも、面白く読むことができた。
『銃・病原菌・鉄』そして『シヴィライゼーションⅣ』に感じたような、もちろん同著書『フェルマーの最終定理』に覚えたような興奮を感じながら。
人類の悲喜そして賢愚の象徴のひとつであるBaba Yetuが、脳内で鳴りやまない。

2011年7月 3日 (日)

読物 『鳩山一族 その金脈と血脈』

 鳩山(邦夫) 総理大臣と二人きりで話ができることは滅多にありませんが、あるとき田中派の事務所があった砂防会館にいたときだったと思いますが、話をする機会があり、田中(角栄)先生からこう言われました。
「いま俺は内閣支持率が高い。高いけれども、君にとっては反面教師かもしれんな。でも反面教師も教師だぞ。俺の真似をすることは簡単に学べる。でも、反面教師の部分も多いから、それをよく見とけ」
 六〇パーセントを超える国民の支持率があって、なぜ反面教師なのかと問うと、田中先生はこう言われたんです。
「わしはね、政治家になるために無理をしているし、なってからもいろいろ無理をしとる。だからいろいろな歪みがあるんだ。世の中の人は『苦労が大事だ』と言う。おそらく『苦労がないぞ』と君にいう人も、将来、いっぱいいるだろう。だけど、出来ればくだらん苦労はしないほうがいいんだ。俺は苦労した。苦労したのはいいんだけど、その苦労が無理になっている部分がある。そういう面は反面教師だ。だらけろと君に言ってるんじゃない。でも無理はしないで政治家になれたら、それが一番いいんだ。そのほうが素直な政治家が育つ」
 そして「選挙に出たいのか。戸別訪問三万軒、辻説法二万回やりゃあ勝てるぞ」と言われましたね。戸別訪問は五万軒ぐらいしましたが、辻説法は二百回もやったかな。
 ――その後の田中角栄を思うと感慨がありますね。
 鳩山 あの悲しいロッキード事件が起きて、田中先生は金権批判にさらされた。このとき「ああ、無理したとはこういうことなのか」と思いましたね。
 ――その田中角栄の愛弟子と言われる小沢一郎については、どう思われますか。
 鳩山 あの人は田中先生に本当に一番かわいがられたお弟子さんで、カリスマ性はあるし、力もあるし、すごい政治家だと思いますよ。ただ、手法は古いですね。まさにかつて兄が批判したように、派閥の力、カネの力をもって、密室で物事を決めるような強権的なやり方を学ばれて、自民党五五年体制そのものの政治家として成長された。
 四十歳代で幹事長をやって、それから病気で倒れますよね。それが人生観に何らかの変化をもたらして、この五五年体制を壊してやろうという方向に、突然、変わっていかれたのかなという気がします。すごい政治家で、壊し屋としては超一流。あの人も人間性は豊かですよ。
 ――そうですか。我々には伝わってきませんね。
 鳩山 小沢さんは九一年の東京都知事選挙に元NHKの磯村尚徳さんを擁立しますが、現職の鈴木俊一さんに負けた。それで彼は自民党の幹事長を辞めたわけですが、その後、都知事選で苦労をかけたということで、私と、岡田克也と、魚住汎英(元衆議院)に声をかけて、アメリカに遊びに行くことになった。小沢さんは海外大好きですもん。三泊四日ぐらいでサンフランシスコからロサンジェルスへ行くというスケジュールでしたが、出発の直前に安部晋太郎さんが亡くなられた。小沢さんは前幹事長ですから日本にいなくてはいけないので行けないなと思っていたら、小沢さんが「俺が君らを口説いたんだから」と言って、四人でサンフランシスコまで行ったんです。一緒にゴルフをハーフくらい回って、翌日、小沢さんだけ日本にとんぼ返りした。普通であればキャンセルして、「小遣い渡すから、お前らだけで行って来い」となるわけですが、偉いなあと思いましたね。その話を金丸(信)先生にしたら、「小沢もいいとこあるな。あいつ成長したな」とおっしゃった。それが非常に印象的ですね。

P.33

 わが国初の結婚披露宴
 東京女子師範学校を卒業した春子は母校に就職し、教鞭をとった。二十歳の若さだった。だが、この年和夫(鳩山由紀夫の曾祖父)と結婚することになったため、わずか四ヶ月の奉職で辞職した。このとき和夫は新しもの好きの本領を発揮して、当時誰もやっていなかった結婚披露宴を挙行した。これがわが国初の結婚披露宴だったといわれる。

P.110

 「萬朝報(よろずちょうほう)」が、「赤新聞」と呼ばれたのは、少しでも目立つように用紙をピンク色にしたところからきたものである。「赤新聞」という呼称はそれ以来、興味本位のB級新聞の代名詞として定着した。

P.119

 一郎が薫に宛てたラブレター
 春子が剛だとすれば、一郎夫人の薫は柔だった。
 旧姓・寺田薫と一郎は"いとこ半"の関係だった。薫の母のいくは、春子の長姉・すまの子で、衆議院書記官の寺田榮に嫁いでいた。その間に生まれた長女が薫である。
 一郎と薫は幼なじみであり、その結婚は血縁結婚にあたっていた。明治四十一年の一郎と薫の結婚当時、血縁結婚の弊害ということはすでにいわれはじめており、薫の大叔母にあたる春子もそのことは知っていた。
 このため、和夫も春子も一郎と薫の結婚には最初反対だった。しかし春子は、秀才の一郎と女子学院出身の才媛の薫が結婚すれば、自分と和夫以上の理想の夫婦が生まれ、二人の間に生まれた子どもはますます優秀になるに違いない、もし一郎に天下が取れずとも、その子はきっと天下を取ってくれるに違いないと考え、二人の結婚に同意した。
 薫は元々鳩山家の遠縁だったため、若い頃から同家の養女となっていた。このため薫は五歳以上年上の一郎を「お兄さま」と呼んで育った。
 元鳩山農場があった北海道・栗山町の開拓記念館には、一郎が薫に宛てたラブレターがいまも残っている。
 明治三十八年から九年にかけてのこの当時、東大に在学中だった一郎は夏休みを利用して鳩山農場で過ごすのを通例としており、次にあげるラブレターも鳩山農場から「音羽御殿」で生活する薫に宛てたものである。

<愛する妹よ、いまねるのです。きょうはうれしくて一生懸命に勉強も出来ました。あゝかおるさん! 一所に此の涼風に吹かれたいではありませんか>

<二日間書きませんでしたね、下さった御手紙繰り返しては見、見てはKISSしました。妹よ、また書いて下さいな。またれてまたれて仕方がありません>

P.123

 瓢亭会談の翌々日の昼過ぎ、伊藤(斗福)は約束通り、音羽の鳩山邸に三千万円の現金を用意して現れた。三木はそれをカバンごとひったくるようにして受けとると、あたふたと音羽の山をおりていった。
 ソ連の最高指導者スターリンが死去したのは、それから三ヶ月あまり後の昭和二十八年三月五日だった。株価は暴落し、破綻に追い込まれた伊藤は、詐欺容疑で逮捕された。高利回りという甘言を弄して庶民のなけなしの金をまきあげた、というのが逮捕の理由だった。
 伊藤が三木らに期待した相互金融法の立法化はまったくなされなかった。そればかりか、伊藤から多額の政治資金の提供を受けた政治家は誰ひとりとして検挙されなかった。この事件は結局、伊藤ひとりが政治家に食い物にされる形で決着することになった。
 逆にいうなら、三木らは法制化のメドも立たない新興庶民金融に目をつけて融資を仰ぎ、抜け目なく大金をせしめたことになる。
 一方、その保全経済会から一億円の出資を受け、日本テレビを開局に持ち込んだ正力は、たちまち同社を黒字にさせていた。伊藤を食い物にしたという意味では、正力も三木ら政治家も同じ穴のムジナだった。
 伊藤が庶民から"まきあげた"なけなしの金は、めぐりめぐって、一方で日本初の民放テレビを開局させ、一方でその後五十年にわたって日本の政治を牛耳る自民党政権を誕生させる原資となった。
 保全経済会の伊藤が、老後を細々と暮らす年寄りのタンス貯金や、サラリーマンの退職金をかき集めて築いた多額の金は、鳩山と気脈を通じた正力や三木ら政治家のもとでロンダリングされ、政治とメディアの双方に流れて、戦後体制の最も重要な骨格をつくっていったのである。

P.171

 太平洋戦争が始まると、久留米工場は軍需工場に指定され、地下足袋と防毒マスクの増産に多忙をきわめた。地下足袋は戦争に不可欠の軍需品だった。石橋は前掲の『私の歩み』で述べている。

<鉄条網の電流千ボルト(※引用者注:原文ママ)にも耐え得るから、市街戦などに絶対必要で、またぬかるみの多い戦場においては、活動が敏速で、疲労が少ないため兵士たちは地下足袋を履いて戦った。それでみんな背嚢に二足あて背負って出征した。米国の従軍通信記者たちは、日本の兵隊は足音がしなくて屡々不意討や夜襲に成功すると報道した。東条首相は私に会う毎に地下足袋の増産を頼んだほどであった>

P.238

著者について、だいたい、どんなカンジかわかった。
ギザギザハートなのはご愛敬だとしても、恣意的でありすぎる。
知らないことを教えてくれるので重宝はするが、うのみにしてはならない。

さておき。
歴史は、大なり小なり、勝者のものである。
そして、懲りずに繰り返されるものである。
そういうことらしい。

2011年7月 2日 (土)

読物 『すべて忘れてしまえるように』

南無。

2011年7月 1日 (金)

漫画 『仁』

完結したら読んでみるかなでスルーしたままになっていたが、TV見ない子にも世間での人気っぷりが伝わってきて、スルーしていたことを思い出した。

なんか絵に『マッドブル34』とか『墨攻』なカンジが。気のせいか。

久々に、よい殺陣を見せていただいた。
維新の時期、示現流は特に恐れられたとなにかで見かけたが、そんなカンジ。

オチはアレだが面白かった。

ここ十年くらいの間で医療を扱った作品というと『外科の夜明け』が非常に刺激的だった。
漫画作品も幾つか読んでみたりはしたものの、なんといったものか、ウラサワ症候群というか、連載風土病というか、そんなカンジばかりが引き立って、続きは特になっていない。

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