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2011年4月 8日 (金)

読物 『李香蘭 私の半生』

 なかでも名物は刷[さんずいに刷]羊肉<シュアンヤンロウ>(羊肉しゃぶしゃぶ)。北京料理といえば烤鴨子<カオヤアズ>(北京ダック)が有名であるが、私にとっては、このシュアンヤンロウが北京料理ナンバーワンに思える。
 羊肉は張家口産の高級で柔らかい赤身の部分。それが薄くスライスしてある。醤油、醋酒、胡椒、芝麻醤<ツマアチアン>(ゴマで作った味つけ味噌)をといたタレに、ネギ、香菜<シアンツァイ>など、十何種類か用意された薬味を自分の好みでまぜあわせる。そして、ぐらぐらに煮えた鍋のお湯に薄い肉片をさっとくぐらせて、タレにつけて素早く食べる。肉のほか中国白菜、茸類、春雨、麺も同じようにして食べる。要領は、日本のしゃぶしゃぶと同じだが、実はこの「シュアンヤンロウ」こそ、そもそも日本のしゃぶしゃぶの元祖なのである。

P.88

 私の中国語を黙って聞いていた川島さんは、「ヨシコ? ヨシコとは奇遇だ。ボクと同じ名前だね。よろしく」と、驚いたことに今度は日本語の男言葉で言った。
「ボクは小さいころ”ヨシコチャン”と呼ばれていたよ。だから、きみのことも、”ヨシコチャン”と呼ぶからな。ボクのことは、”オニイチャン”と呼べよ」

P.92

 だが、やがて父や潘氏やほかの人から聞いた話をつなぎ合わせると一つのストーリーが浮かびあがってきた。運命に翻弄された清朝王女の悲劇である。
 松本連隊旗手・山家亨少尉との初恋、失恋、自殺未遂。養父から迫られる肉体関係、絶望。清朝復辟の夢、蒙古王子カンジュルチャップとの結婚、破局。上海への逃避、スパイ工作者田中降吉少佐との同棲、上海事件の謀略。皇帝溥儀の皇妃・秋鴻妃の身柄を護送した脱出行。満州帝国宮廷女官長。満蒙ホロンバイルへの遠征、多田駿・満州国軍政部最高顧問への接近、満州国安国軍司令に就任、金璧輝と名乗り、熱河討伐作戦に従軍。持病(外傷性脊椎炎)の悪化、麻薬への耽溺、日本軍・満州国軍からの絶縁、そして東興楼への隠遁・・・・・・。
「何かあの人から、とくに恩恵をこうむったり、世話になったりしたことはないだろうね」と山家さんは心配そうに私に聞いた。「とにかく何の関係も持たないほうがいいよ。毒の針を持っている人だから」

P.96

 新京は、文字どおり新しい都であった。満州国は、国際連盟では認知されないまま日本が単独で作った傀儡国家だったが、まがりなりにも国の体裁は徐々に整いつつあった。
 この地方は、もともと蒙古人の放牧地だったのを漢人が開墾して「長春堡」を築き、清時代になって中央の出先機関「長春庁」が設けられた。もっとも、はじめに村落として栄えたのは一九八九年(明治三十一年)にロシヤが敷設した鉄道の駅ができた東方の寛城子一帯だった。
 日露戦争の講和条約でロシヤが日本に長春以南の鉄道を割譲すると、日本側の南満州鉄道株式会社(満鉄)は、寛城子南方付近の大草原を買収した。そして一九三二年(昭和七年)、満州国が誕生すると、「長春」というこの地の名前を「新京」と改め、首都建設に乗りだしたのである。
 したがって、新京はまったくの人工都市。ハルビン、奉天、大連など旧満州の大都市のほとんどが帝政ロシヤによる設計・建設で、ヨーロッパ風市街の面影を残しているのに対し、新京は安東などとともに、満鉄が奈良、京都など日本の古都の市街を大陸風にアレンジして再現した日満折衷の都市様式だった。
 新京駅前の北広場からは、中央の大同大街のほか日本橋通、敷島通の三大街路が南方に放射状に走って東広場、南広場などを結び、それら幹線の間を、縦横に整然と走る街路区画が都市計画の基本構図となっている。
 縦の通りは、京都風に一条、二条、三条と並び、横は和泉町、露月町と「イロハ順」、さらに「ヒフミ順」の日出町、富士町。「アイウエオ順」の曙町、入船町と命名された。
 私が満映に入社したばかりのころは、新京の街全体が大きな公園の感じで、大通りを過ぎると郊外はまだ原野だった。しかし中心部は、ちょうど国都建設第一期五ヵ年計画が修了したところで、大同広場(現・人民広場)周辺には主要政府機関の建物が出そろい、ようやく首都らしい風景ができあがりつつあった。

P.114

 その後、(「別れのブルース」は)「何日君再来」などとともに発禁のうきめにあったわけだが、淡谷のり子さんの述懐では、中国大陸の戦線慰問で最も人気のあった曲で、兵士たちの強い要望をどうしても断りきれず、そのたびに憲兵隊の逮捕を覚悟してうたったという。
 うたいはじめると、監視についていた将校たちは、わざと居眠りするか、所用を思いだしたそぶりで席をはずし、会場から姿を消す。前線の兵士たちは、淡谷さんの魂の底からうたいあげるブルースに聞き入って水をうったようにシーンとして動かない。うたい終わって淡谷さんが自分も眼を赤くして廊下に飛び出ると、さきほど気をきかして姿を消したはずの将校たちが、やはり廊下でたむろして聞いていて、涙ぐんでいたそうである。

P.163

 私が出演した映画の主題歌といえば、さきごろ、あるかたから「あなたは満州皇帝溥儀の前で『白蘭の歌』の主題歌をうたったことがあるか」とたずねられた。私の記憶には全くないことだったが、その人は、『皇帝溥儀』という本の一シーンを説明してくれた。新京の宮廷で皇帝溥儀が、お抱えピアニストと李香蘭とを、弟の溥傑夫妻に紹介する場面で、その出会いのきっかけが『白蘭の歌』と書かれてあるという。
 ノンフィクション仕立ての小説『皇帝溥儀』(山田清三郎著、くろしお出版、一九六〇年)を入手して読み進むと、第四章「溥儀皇帝と浩夫人」に、『白蘭の歌』に関するくだりはあった。
 浩さんとは、皇帝溥儀の弟・愛新覚羅溥傑さんの妻である。溥傑さんは日本の陸軍士官学校を恩賜の軍刀をうける成績で卒業したあと、新京の満州国宮内禁衛隊に勤務していた。浩夫人は、公卿華族の嵯峨実勝<さがさねとう>侯爵の令嬢で学習院高等科に学んだ才媛。二人は、お見合いのあと一九三七年(昭和十二年)に結婚した。
 皇帝溥儀には子供がなかった。関東軍が弟溥傑さんに浩さんとの見合いをすすめたことは、日本人の血を導入する策謀と疑って快く思っていなかったようだ。しかし、浩夫人が愛新覚羅溥傑氏を夫として愛し、中国人になりきっていることを知ってからは浩夫人にしだいに心を許すようになった。
 浩夫人は手記『流転の王妃』(文藝春秋、一九五九年)で、皇帝が一時、夫人を関東軍のスパイだと疑っていた、とうちあけたことを述べている。このことは溥儀皇帝も自伝『わが半生』に記している。
 小説『皇帝溥儀』によれば、いずれにしても溥儀皇帝は、浩夫人を猜疑の眼でみていたことを恥じ、何らかの償いをしたいと考えていたらしい。
 あるとき、皇帝は、浩夫人が映画『白蘭の花』をみたことがあると知り、李香蘭を、偶然の形で溥傑夫妻に引きあわせて喜ばせる一計を案ずる。皇帝は新京市立音楽弾の若いピアニストにピアノを習っていたが、李香蘭もそのピアニストのレッスンを受けている”相弟子”の関係にあった。
 皇帝はお抱えピアニストと李香蘭を宮廷に招き、浩夫人たちに紹介し、予告なしの”室内音楽の夕べ”を催して、溥傑一家をびっくりさせようといういたずらに子供のように夢中になる。それは映画女優を宮中に招くという皇帝にとっての”禁じられた遊び”でもあったという。
 きわめてリアルな描写で、しかも登場人物は実名なのだが、私自身が登場する場面については、どうしても思いだせない。溥傑さん、浩夫人には会ったことがある。また、皇帝の妹の二格姫、とくに気品があった三格姫、その夫で秋鴻皇后の弟の潤麒さん、さらには五格姫など、満州皇室の一族もほとんど存じあげている。みなさんの前で何度かうたったこともある。けれど、宮廷で、溥儀皇帝の前でうたった記憶はない。したがってこの部分は明らかにフィクションである。
 吉岡中将は、この『皇帝溥儀』に”悪役”で登場する皇室御用係で関東軍参謀である)なお、吉岡氏の正式な肩書きは、私が満映入りした一九三八年時点で関東軍司令部参謀兼満州国皇帝付・大佐、一九三九年八月、勘合軍司令部参謀副長兼満州国皇帝付・少将、一九四二年十二月、同・中将。本書では便宜上、中将に統一)。
 中将は役目がらたしかに関東軍のお目付役の存在だったかもしれないが、当時の私にとってはここに書かれたような「意地悪そうな顔の老人」ではなかった。私が皇帝の前でうたったことがフィクションであるように、吉岡中将の”悪役”の姿もフィクションだと信じたい。歴史の中の人物評価は時代や立場によってさまざまだろうが。

P.171

 このように日劇七まわり半事件は、しばらくのあいだ、非常時における国民道徳講座の教材に使われた感があったが、東京帝国大学では綿貫哲雄教授(社会心理学)が期末試験の課題に、「日劇七まわり半事件について記せ」という問題を出した。当時、法学部三年だった宮沢喜一氏(現大蔵大臣)は、「自由を求める大衆の心理を如実に示す実に痛快な出来事である」という答案を出して<優>をもらったという。

P.202

 多田中将はかつて川島芳子こと金璧輝を安国軍司令に任命したり、天津に東興楼のかたちでアジトを作ってやったパトロンである。しかし川島さんは中将をパパと呼び、中将のお墨つきを利用しているという噂が立っていた。いまや多田中将にとって川島芳子は、男女関係の面でも、日本軍の大陸戦略推進の面でも、うとましい足手まといの存在になりつつあった。ついに「川島芳子を消せ」という極秘命令が下った。

 川島芳子さんは、一九四〇年(昭和十五年)ごろから天津の東興楼、北京の邸宅、博多のホテル清流荘の三ヵ所を往き来しながら、鬱々と楽しまない日々を送っていた。
 ふだんは、東興楼の経営をひとにまかせ、北京の自宅にこもっていたが、ときどき福岡を訪れるのは、右翼の巨頭、玄洋社の頭山満氏らと会っていたからだった。
 笹川良一氏とのつきあいもこのころからはじまったらしい。笹川氏は大日本国粋大衆党総裁だったが、川島さんは私と博多のホテル清流荘で会ったとき、「ボクは笹川のオニイチャンと新しい政治団体を作るんだ。ヨシコチャンも参加しないか」と誘われたことがある。
 笹川氏のドラマチックな半生を描いた山岡荘八著『破天荒――人間笹川良一』(有朋社、一九七八年。以下『破天荒』と略)によれば、川島さんは、多田中将の暗殺命令から彼女を救ってくれた笹川氏を慕って後を追い、九州まで飛んだのだった。
 しかし、私が山家さんから直接きいた事情はいささかちがっている。
「芳子は、日本軍の中国大陸における行動を批判した文書を東条英機、松岡洋右、頭山満ら日本の政界、軍部の大物たちに配り、蒋介石との和平工作を呼びかけているが、その中で多田中将のことを口をきわめて非難している。中将が芳子を相手にしなくなり、いまやうとんじていることへの私怨もあるが、あの文書には彼女なりの日本軍に対する失望の気持もこもっている。いずれにしても中将は、このまま芳子を放置するとますます厄介なことになるので、”処分”することを決断した。そしてその命令がボクのところにきた。ボクとの昔のことを知っていてのいやがらせ半分の下命だろう」
 そのころ川島さんは多田中将とは別れ、田宮某という参謀と浮き名を流していたが、ダブル・スパイの噂もあって、北支軍当局にとっては頭痛の種になっていた。とくに多田中将としては、彼女の直訴が日本国の陸軍本部にまともに取りあげられるとわが身に直接被害がおよぶおそれがあるので”処分”を考えたのではなかろうか。
 山家さんは言った。「彼女は軍をかきまわしすぎたよ。ボク個人もずいぶん迷惑をこうむった。だが、『消せ』と言われても、処刑するには、しのびない。昔から知っている女だし、かりそめにも清朝粛親王の王女、満州皇帝の親族だ。そこでボクが責任を負うかたちで、一時国外退去処分にして日本に送りこんだのだ。いま、九州の雲仙で静養しているはずだよ」
 意外な話だった。多田中将が、いまや煙たい存在になったかつての情婦を亡きものにするために、その初恋の男に暗殺を命ずるとは――。まことに小説より奇なる事実、皮肉な筋書きである。

P.229

 紫のインキでびっしりと書きこんだ便箋は三十枚ぐらいあったろう。達筆だったが、話し言葉同様に荒っぽい日本語の文章だったことをおぼえている。
「ヨコチャン、久しぶりに会えて嬉しかったよ。ボクはこの先どうなるかわからん身だ。キミと会うのもこれが最期かもしれん」文面はしんみりした語調だった。「振り返ってみるとボクの人生は何だったのだろう。非常にむなしい気がする。人間は、世間でもてはやされているうちがハナだぞ。だが、その時期には、利用しようとする奴がやたらとむらがってくる。そんな連中に引きずられてはいかん。キミはキミの信念を通したまえ。いまが一番、わがままのいえるときだ。キミ自身が本当にやりたいことをやりなさい。人に利用されてカスのように捨てられた人間の良い例がここにある。ボクをよく見ろよ。自分の苦しい経験から、この忠告をキミに呈する。現在のボクは、茫漠とした曠野に陽が沈むのを見詰めている心境だ。ボクは孤独だよ。ひとりでどこへ歩いていけばいいんだい」
 私は胸を衝かれた。毀誉褒貶いりみだれた東洋のマタ・ハリ、満州のジャンヌ・ダルクともてはやされた川島さん――彼女にこれほど人間くさい印象を受けたのははじめてだった。
「キミとボクとは生まれた国は違うが、共通点が多く、名前まで同じで、いつも気にかかる存在だった。キミのレコードはしょっちゅうかけて聞いている。とくに『支那の夜』などは何百回もかけて、レコード盤が白くなってしまった」
 私は「支那の夜」を映画の中ではうたったが、レコードは渡辺はま子さんが吹きこんだものだった。心情を吐露しながらも、どこか取りつくろおうとする点がいかにも川島さんらしかった。

P.234

 撮影中、通訳としてついていた二人の白系ロシヤ人のうち、ヒゲをはやしたアレクサンドルという青年が、実はソ連政府がハルビンに放ったスパイだったことが最近わかった。
 満映で音楽を担当していた竹内林次さんというかたが終戦後シベリアの収容所に抑留されていたとき、憲兵の制服を着たそのアレクサンドルが日本人捕虜の取調べにやってきて、偶然、顔を合わせた。
 彼は竹内さんに対して打ちあけたという。「ボクは李香蘭の素性と行動を調べる指名をおびたスパイだった。彼女が純然たる日本人の山口淑子であること、リューバやマダム・ポドレソフからロシヤ語を習ったことなど、何でも知っていたよ。彼女の跡をつけて北京、上海、新京と飛びまわったものだ。映画の通訳をつとめたのも、お目あては彼女だったのさ」
 私はソ連のスパイからつけ狙われていたのか、と遅ればせながら愕然としたが、その後もう一度愕然とする事実が判明した。私は、日本側の特務機関からも行動をスパイされていたのである。
 昨年(一九八六年)六月、『私の鶯』が東京・新宿の安田生命ホールで初公開上映された機会に、新京脱出の記録『卡子<チャアズ>』を書いた一橋大学の遠藤誉さんから、元特務機関の竹中重寿さんというかたを紹介された。竹中さんは満州国立大学ハルビン学院を卒業するとすぐに、ロシヤ語の才能を見込まれて関東軍情報本部ハルビン陸軍特務機関に徴用され、スパイ養成所・陸軍中の学校出身者が多くいた「謀略班」に配属された。
 配属されてはじめて命じられたのが『私の鶯』の出演者の行状を調べる仕事だった。竹中さんは、上司の山下高級参謀(中佐)の命令で、ハルビン・トムスキー劇団の団員になりすましたスパイと一緒に、主役のバリトン歌手サヤーピンと李香蘭の尾行を担当したという。
 いま大東文化大学教授の竹中さんは、初公開の『私の鶯』の鑑賞後、「画面に出てくる撮影現場の一つ一つをはっきりおぼえている」と当時をなつかしんでいたが、「そうそう、サヤーピン、李香蘭とも、その言動や行状に怪しい点はありませんでしたよ」とつけ加えた。
 ところで日ソ双方のスパイたちがおたがいがスパイであることを知っていたのだろうか。またダブル・スパイはいなかったのだろうか。それにしても、私が日本とソ連の双方の特務機関から尾行されていたとは!

P.277

 上海――。この中国一の、いや世界の大都会を一言で表現するには、どのような形容詞を使えばよいのだろう。国際都市、近代都市、無国籍都市、暗黒都市、享楽都市、経済都市、音楽都市・・・・・・。いろいろあるが、戦前の上海には、やはり「魔都」と「摩登<モダン>」という言葉がもっともふさわしいと思う。上海は、悪徳の街とモダン・シティーの双方の性格を備えていた。
 豪華なホテル、レストラン、ナイトクラブ、劇場、百貨店などゴシックやアール・デコ風の大理石のビルが立ちならぶ中心街から少し入った路地裏は、昼でもなお薄暗い。そこには、犯罪、謀略、麻薬、賭博、売春など、悪徳のカビが生えていた。

P.307

 上海は、開港後、諸外国の中国大陸進出拠点として租界が開かれ、ついで日本軍に占領され、戦後になってようやく外国の支配から解放された。当初、列強の白人が上海租界で、いかにわが物顔していばっていたかは、上海にはじめてできた公園(黄浦公園)の入口に立てられた「イヌと中国人入るべからず」の立札が、象徴的に物語っている。
 そうした列強支配に対する反撥が、上海に”革命都市”や”ゲリラ都市”の性格をも付与していった。入りくんだ租界の路地やスラムの奥底に逃れれば、中国側官憲の眼がおよばないからである。
 中国の近代化への歩みは、上海からはじまったともいえる。孫文たちは上海から亡命し、上海を革命の拠点とした。新中国を樹立した中国共産党は上海租界で結成された。文化大革命の発端も上海からである。高杉晋作、宮崎滔天、北一輝、大杉栄ら、日本の革命家たちも上海に遊んで回天のロマンを夢みた。
 中国大陸の玄関・上海は、戦前は「長崎県上海市」と言われたほどで、長崎からたった一日、しかもパスポートなしで渡航できた”西洋”だった。

P.308

李香蘭という名を、初めて目にしたのは多分、『サクラ大戦』であろう。その前に読了していた『帝都物語』には登場しなかったように思う。いずれにせよ、特に気にもしなかった。実在の人物の芸名であることも知らなかった。
川島芳子やその他同時代人の名も『虹色のトロツキー』などで見知っていたにせよ、やはり特に気にもならなかった。気にする素養がなかった。

その「時代」を強く意識しだしたのはいつのことだったろうか。目的意識を強く持って着手したのは四、五年前か。それ以前にも漠然とした意識はあり、日清戦争頃の世界情勢というおおまかな目標をさだめ、『宋姉妹』『李朝滅亡』などを読んではいた。

本書も、二年か三年か、ずいぶんと前に手に入れたものである。『ダレン・シャン』のアンケートはがきがしおりに使われているので、2008年頃入手したようだ。読み終えるまでにずいぶんと時間を要してしまったが、これは単に巡り合わせの妙に過ぎず、FILO的な、いわゆる積読時空に落ちてしまったがためである。

本年は、個人的積読消費年間に指定されている。そのはずなのに、なんだかLILO的な振る舞いをしてしまっていた。

他の書と対照できるようにもなりはしたが、歴史は歴史。確かめる術はない。

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