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2011年4月

2011年4月30日 (土)

torne

昨年九月に引っ越して以来、TVのない生活に全く不自由していなかった。

三月十一日で、その考えは改まった。
自力情報入手手段が一つしかないというのはとても困ったものであるということに気づいたのだ。今起こった地震が震度幾つで震源はどこでどのくらい影響のあるものなのか、即座に情報入手できる術が当時は手もとになかった。
今では役に立つんだか立たないんだかわからない地震速報を携帯端末で受信することもできるようになったが、そうではなかったときは、これはTVを受信できるようにしておかなくてはなるまいと思わされたものである。

だからといって、TVを購入したとして償却できるほど使用するとは思えない。
というわけでtorne。
こうなると、PS3を入手していたのは天佑としか思えない。
まともに遊んだゲームが『ベヨネッタ』だけだったとしても。

Amazonで購入手続きを済ませたところで、PSNのトラブルが発生した。これも天の配剤か。
torneの使用に大きな制限はないようなのでキャンセルせずにおいた。

torneと共に購入したガンスリ13巻を先に読破してしまう当たり、関心の薄さがわかりやすい。
ガンスリはたたみにかかったか、少なくともイタリア話は終わるような展開で、続きが待ち遠しい。作者の愛を失っていたヘンリエッタが長門化して寵愛を取り戻したようだとか、細々としたところを楽しみつつ、よく収束してくれることを願ってやまない。
それにしても、相田裕は化けたものだ。俺的最新の化けモンと比較すると、準六道神士級に化けたように思う。

さて、torne。
PS3の移設も含めてTV視聴可能になるまで十分程度。
付属品のTV線は短いが、TV線+USBケーブルで3mくらいはあるので、そのあたりまでPS3を動かせれば付属の機器で全てまかなえる。
ソフトウェアのアップデートは出来るが、なにやらネットワークサービスには接続できないらしい。
とりあえずなんか映ったので放置。

2011年4月29日 (金)

読物 『ひよこメガホン』

人生で二番目にゲームづくしだった四年間を過ごしたかつての古巣で、TRPGを接待されたことがあった。所属していたギルドの、当時の現役生え抜きメンバーたちによって。
彼らを純粋培養したのは三回生まで同期であり、卒業時には同期ではなくなった男である。他の同期はそれを揶揄して彼を元老院と仇名した。元老院体制下のテーマは「鬱エンド」であり、物語を絶望的に終わらせることだった。そして、力づくで「熱く展開を盛り上げる」ことだった。なにかというと「アッツい」「アツいですね」と口にする。他者の行動を賞賛することそれ自体は素晴らしいことだが、行きすぎるとシラける。というかキモい。全くついていけなかった。
エヴァよりも前のことだったと思う。当時主流だったお気楽極楽なリプレイ連載に学生らしい嫌気を覚えたか、『ベルセルク』か『痕』か、そのへんから影響を受けたのではないかと感じたものだ。
そういうのもアリだとは思うが、そういうのばかりというのもナンだと思うのである。

そんな彼らのマスタリングといえば、プレイヤーの言動はシナリオに影響を与えない。そんな印象を受けるセッションばかりだった。
TRPGにおけるシナリオというものは、ダンジョンやウィルダネスをうろつくだけのシンプルなものもあれば、セカイ系のNPCとダンスするのものもあり、多種多様である。前者は主にダイス目によって悲喜が決定するが、後者はだいたいゲームマスターの掌の上で踊ることになる。うまく踊らせてくれるなら文句はないが、陰鬱さは増すばかり、テンポは外れていくばかりの音楽にのせられて、まるで急な坂道を駆け足で駆け降りさせられるかのようなダンスはなかなかしんどい。主役級だったりすると、セッションをぶん投げたくなる。というか、一度だけ、ぶん投げた。二日間、長時間拘束されていたこと、PS版ガンダムで3D酔いになっていたことがまずかったのだろう。ヤニの煙が疲れた目に染みて涙がとまらず、乾いた笑い声をあげながら、それまで必死に演じてきたかよわい少年PC像を自ら踏みにじるキレっぷりを示した。なにもかも耐えられなかった。
我が身がマスターをしたときにも、彼らの嗜好は顕著に顕れた。死にたがりなのだ。いかに散るか、そればかり考えている。犬死ににも美学はあると、少なくともTRPGではそういうこともあると経験から知ってはいるが、彼らの自己陶酔には、同類項であるはずの俺様ちゃんでもひかざるを得なかった。

さて。
ホントのタイトルは『家のない少女たち』。「担当編集者に、表題のようなタイトルを希望として伝えたら苦笑された」とまえがきにある。本書が扱う事柄のうち、一部報道などで取り上げられた事件に関わっていると察せられることもあるようだ。記されたことが本当ならば、報道が表層的なものに過ぎないことを示す一つの証といえよう。
世の中にはいろいろなことがあるものだが、本書の主題となるようなことは十年二十年の間に突如として発生したものではなく、きっと大昔からあったことなのだろう。正道を歩めたならば、その才能を無駄なく発揮できたに違いないと思わせる凄い方も紹介されている。
昨今もなにやら話題作がなにがしかの物議を醸しているようだが、「鬱エンド」がどうこうのたまっているヤツは読んどけ。
そんなカンジ。

2011年4月27日 (水)

また一つ涅槃に入る

とりあえず、音楽については、

  1. レッドショルダーマーチ
  2. スクエアのADV『アルファ』のソノシート
  3. 『バンパイアハンターD』旧OVAの戦闘シーンのテーマ

が、我が成仏を妨げるであろう三大因果であった。

このうち二つは今朝までに解消された。
1については、ファンの間でも長らく不明となっていたが、

1966年のイタリア映画「Due marines e un generale」(2人の水兵と1人の将軍)のサントラ盤だ。このCDの2番目の曲「Arrivano i Marines」(水兵の到着)という曲が、「レッドショルダーマーチ」だったのである。作曲者はPiero Umiliani(ピエロ・ウミリアーニ)と言う人。イタリアではかなり有名な映画音楽の作者らしい。

ことがわかっている。(参考
2について、かつてはソノシートを所有し、テープに落としていたものの、時の流れと共に散逸してしまっていた。今朝方なんとなく検索してみたら「ソノシート版をテープに落としたもの」を発見し、実に二十年ぶりに聞くことができた
3については、個人的にはあまり気に入っていない2001年版『VAMPIRE HUNTER D』のために検索が困難になっている。OVA版は黒歴史化しているらしい。
残すところ一つだが、どうにもわからない。

ドラマについて、一つある。
たしか小学生の頃、見るとはなしに見たカンジで、全部見たわけでもない。が、非常に強く印象に残ったシーンがあり、成人してから折に触れて気になってきた、というものである。
【放映時期】1970年代後半~1980年代初頭
【放送局】不明
【キャスト】不明
【覚えているシーン】
美貌の若き女囚が絞首刑になる。
女囚の弁護人か、あるいは担当刑事である若い青年が、女囚の故郷へ遺骨を運ぶ。
女囚の故郷は原野のある風景。女囚の父親と思しき老人が馬に乗って現れ、何をしに来たと誰何する。青年は、たどたどしく、娘さんの遺骨をお運びしたと告げる。
老人は、幼い娘を抱くようにして馬に乗っている。青年は、女囚の娘だろうかと思う。女囚の美貌を明らかに受け継いだ、日本人形のような顔立ちをしていたからだろう。
それは言葉となって、老人に投げかけられた。老人は、この子は娘に産ませた、この娘もわしの子を産むだろう、と応える。
青年は、言葉もなく立ちつくす――

いろいろ調べているが、未だに不明である。
ドラマ大杉。

2011年4月25日 (月)

アニメ 『魔法少女まどか☆マギカ』

見始めたのは9話オンエアの頃か。
ロートルな我が身にも話題騒然な様が伝わってきて、見る気になった。

エヴァ以来、続きが気になるアニメだとwktkした。

その変位をグラフにするとこんなカンジ。

   wktk

絶頂  .├         __________
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初期値.├___|                           |__(´ー`)y━~~
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     └─────────────────────── 話数
        1  2  3 4  5  6  7  8 9  10 11 12

面白かったけどネ。

しかし、プレビューと公開時と表示の仕様が異なるのはなんとかならんものか。

圧力鍋とタジン鍋とスギ地獄

土曜日、雨。
依然として寒い日が続いていたが、先週の低気圧で、季節が変わったことを何となく察した。冬になる頃にもやられた、低気圧による体調不良と思えるものを体感したからだ。季節によって気圧の質が違うのか、気温と連動して体内調整が行われるものなのか。
一度やられればシーズン中は順応するようだが、ここ数年、夏は常時やられっぱなし。よくわからない。

先週は猛烈な頭痛で、今週は鼻炎。
花粉症的な鼻炎だったが、雨天で花粉症もなかろうということで鼻風邪と断じた。準・鼻水製造マシーン状態で過ごす。

先日、牛スネ肉の調理がしんどかったとこぼしたら、圧力鍋が用意された。
震災だなんだで試す機会がなかったのだが、買ったまま、未開封のまま放置されている姿を見るに忍びなく、試してやることにした。なんだかずいぶんとメカメカしてて、調理器具とは思えない。下手を打つと爆発するらしいところがGnome印なカンジである。
豚ヒレの煮込、豚バラの煮込とやって、この日は牛スネ肉のシチューをやることになった。
どれもやわらかく調理できたが、いずれも肉のくさみが強く残る印象で、ニンともカンとも。
お祝いのお返しに貰ったタジン鍋もついでに試してみることにして、鍋についてたレシピから、ザーサイと豆腐の料理を試してみた。簡単でうまくてよい。

日曜日、晴。
早朝5時半に北を指して立つ。例年はGW中に行っていたが、今年はその前週にやることになった「栗石返し」に参加するために。
鼻炎は続いていて、メットの中のマスクの下はとても人にはいえないジョータイを維持している。
日光街道は桜がまだ花を残していて、はらはらと舞い散る花びらの中、曙光を浴びる気持ちの良さと、花びらと杉の葉その他諸々が積み重なったウェッティな路面への恐怖をない交ぜにしながら走る。途中一か所、前日の降雨が道路脇の土手からしみでているのか、すげー水たまりがあって、対向車両に猛烈なスプラッシュを喰らう。耐寒装備で助かった。

そして到着した日光はスギ地獄だった。
待ち合わせの間、担当部署に移動する間、栗石返しの間、真・鼻水製造マシーン状態。
日光街道に桜が植えられているのは知っていたが、これまでそれを見たことはなかった。その理由を考えたことはなかったが、そうとわかって敢えて地獄に突き進むことはなかったということになろう。
例年、この時期には症状も治まって、大きな問題を感じたことはなかったのだが、来年もこの調子なら参加を見合わせたい。辛すぎる。

栗石返しは朝8時から始まって10時前には終わる。
その後、同道院の方々と昼食を共にすることになった。

『手打ちそば・うどん 報徳庵』

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くしゃみがどうしようもなく、せっかくの景色もそばも、あんまり楽しめなかった。

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119号線からほんのちょっと外れた場所にある公園の敷地内にある。
昼前はガラガラで、どうなることやらと思ったが、ふつうにうまかった。量はお上品なカンジで、大盛りでもやや足りない。五合、一升もメニューにあった。
個人的にはそばの味よりもわさびの味を重視する傾向がある。そばのうまさについて味覚はあまりうるさくないが、何故だかわさびについてはうるさい。ずいぶんと前に長野で食したわさびの感動が原点と思われる。その基準に照らし合わせて、わさびはぎりクリア―。
食べ終わる頃には混み始めて、12時ぐらいは駐車場が満車になっていた。

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公園と施設の趣旨は二宮尊徳らしく、蕎麦屋の屋内にはエピソードを綴る額がかけられていた。混みあっていたためそれらを全部読破できず、水車とどう絡むのかは不明。
京都に十五メートル級の水車があるだかあっただかで、十メートル級のこれは現在日本で最大級の水車だそうである。

日光から宇都宮に向かう場合、右手にファミリーマートが見えたら次の信号を左折。
小さな下り坂からそれっぽい案内が見える。

Photo_3

Android端末のGPSは、使えるときはかなり使えるので、バイクマウントの装備を検討していることは余談である。

読物 『黒パン俘虜記』

 これが軍隊は運隊だという昔からのいい伝えの通り、運命の明暗をはっきり分けた。

上巻 P.9

 粥とパンとの配給が終わると、後はどうやってそれを少しでも長く楽しみ、腹の中に持たせるかの工夫になる。絶対量が少ない上に、これ以上は夕方の食事どきまで、粟粒一つ口に入らないのだから、皆真剣だった。
 一番人気のあった喰べ方は次のような方法であった。
 黒パンを小さなさいの目に切り、飯盒と共に枕もとにおく。喰べる者は、左腹を下にして寝ながら匙を持ち、少し粥をすくって口の中にふくむ。二度に一度はパンの小片を口の中の粥に交ぜてのみこみ、胃の中で粥の水分を吸収させてふくらませる。
 腹内に長持ちさせるには、人為的に消化不良の状態を起こさせる必要がある。左腹を下にすると、口から胃に届く時間が長くなり、それだけ食物との接触感が楽しめる。胃に入っても消化しにくいから、中に長くたまり、幸運な場合には、胃の中に発酵したガスがたまって、飽食感さえ味わえる。ぼくもいろいろ試みた後で、この方法が一番長持ちする気がして、その信奉者の一人になっていた。

上巻 P.43

 人間が死んだかどうかはすぐ分かる。こんな派手な死に方でなく、誰も気がつかぬうちに夜ひっそり死んでる者がよく出るが、すぐ分かった。どんな場合でも、それまで体中にびっしりとまつわりついていた虱が一斉に逃げ出す白い列が見えて確認された。

上巻 P.68

 まだ二ヶ月先の白パンでは話が遠すぎるが、人々は久しぶりに昂奮して、なかなか寝つかれなくなった。現役兵の中には、白パン一本をまとめて喰べる日のことを想像しているうちに、性器に血が集中して半年ぶりの勃起をしてしまい、自然に手でそこを押さえた者が何人かいた。口の中で柔らかく咀嚼されていく架空の快楽の甘美さが、無意識の手の動きとなった。こんなに栄養が不足しているのに、若さとは不思議なもので、嚥下の想像と共に、白い飛沫の噴射を知った。誰にとっても入国以来初めての性衝動であった。

上巻 P.78

 そんな労働の間にぼくはよく考えた。
 もしこの蒙古共和国が我々を永久に解放してくれなかったら、何世代か後には、今いるやくざの幹部のような人間が貴族になり、王様となって行くのではないか。つまり、世界の王侯貴族というものは、こうした状況の中から、自然に生まれてきたものではないのだろうか。

上巻 P.107

『運命は 従うものを 潮にのせ
       逆らうものを 曳いて行く』

ラブレエの警句 上巻 P.218

 四月に入って雪が少なくなるころ、この国では木の芽どきに当るのか、四十すぎの独身女性のアレクセイナ少佐の機嫌が急にひどく悪くなった時期があった。折あしく、院長官舎の水道パイプがつまり、そのヒステリーが頂点に達し、軍医連中もとばっちりを怖れてかなり気を使って応対していた。ところが十キロ離れた首都から、たくましい体付きのパイプ修理工がやってきた。宗主国の人間で、すぐ院長と一緒に官舎に入って行ったが、そのままカーテンをしめきって、丸三日間出て来なかった。その間工事の気配どころか、食事の注文さえもなかった。
 四日目に出て来た修理工は何の工事もせずに首都へ戻り、一日おいて荷物を持ってきて院長の官舎に住みこんでしまった。それ以後院長のヒステリーはおさまり、同時に排水設備の専門工の常住で、他のパイプ関係のトラブルも無くなり、病院の中はずっと明るくなった。
 ぼくたち勤務員は、これを、二つのパイプのつまりが同時に直って、まことにお目出たいことだと、冗談をいって笑いあった。

上巻 P.224

 立ち上がって歩きだしたが、もう足がまともでない。もともと栄養がないので、二食抜かすと体がもたない。病院の死体解剖室で働いていたとき、竹田軍医から見せられた、患者たちの大腸を思い浮かべた。大腸のはしや、直腸に近いあたりは、体への栄養補給で消耗している。腸壁が、紙みたいに薄かった。中には腸が溶けて無くなりかけていた者さえいた。ふらついて歩きながら、内臓の一部を燃やして生きて行く。その燃料が、後何日続くか心細い。

上巻 P.336

 特務は助手席から後ろを振返りながら、ぼくにいった。
「ここに一万六千人の兵隊がいる。二万人がこの国へ入った。二割の四千人が死んだ。これは、全シベリヤの収容所と比べても異常に高い死亡率だ。本国の査察官が驚いて、この国の抑留者だけを早急に全員帰すことにした」
 本国とは北の方にある大国のことだ。その仲間を見送るためにここへ連れてこられて、囚人のぼくだけが、また首都の牢獄に戻されるのだったら、泣いても泣ききれない辛さだっただろうが、昨日脱走で捕まってからこの特務の中尉の口ぶりから察すると、そんなことはなさそうである。
「どうして今日の昼まで皆に知らせなかったのですか」
 幾分気が楽であったので、囚人の身でありながら、勇気を出してそう質問した。
「以前、おまえたちが来る前に、ドイツ人がこの国で働いていたのを知ってるか」
 ぼくらがやってくるのと入れ代わりに、ドイツの軍人の俘虜たちが、役務を終えて帰還のためにこの国から出て行った。入国当時そのすれ違いの行列を羨ましい思いで見送った記憶がある。
「はい」
「その連中は、機械のボルトを抜いたり、作業用具を巧妙にこわしたりして、使えなくしてから出て行った。出国して何日かたって判ったときは、私たちの国の者では、それを直すことができずかなりあわてた。本国のゲ・ペ・ウからもひどく叱られた。それで今度は当日のその時間になるまで知らせないことにした。今でも、ここに集まってくる者たちは大部分が、何で急に集められたか知らない。はっきり知ってるのは、おまえだけだ」
 今日の特務中尉は、やはり罪人のぼくにひどく寛大であった。
「四千人も死んだことについて、私ら蒙古共和国政府にすべての責任を押しつけられても困るな。作業の量も食料も国連の示す規定通りであった。殺された者のうちの大部分は、日本人同士がお互いの利害で殺し合ったのだ。その事情はおまえにはよく分かってるはずだ」
「ええ分かっています。どこで聞かれてもそう答えますよ。日本人俘虜は、皆、同じ抑留者 の仲間のボスに殺されたんですと」
 語調におもねる感じがないではなかったが、気持の上では、ぼくはそういいきってもおかしくない思いだった。
 特務は妙にしんみりとしていた。
「私としては、せめてこの一万六千人だけは全員、無事に帰ってほしい。これ以上仲間がいがみ合っての殺しが起こらないように願うよ。みんな二年も苦しい作業を耐えてきたのだからな」
 ぼくはふとこのとき異常な事実に気がついた。蒙古共和国の人が日本語を話すときは、いくら上手な人でも、ハ行が必ずカ行になる。カタラク(働く)キルメシ(昼飯)などで、この特務も最初、あの川っぷちの収容所での、日本人スパイとの間の会話では、へたな分かり難い、訛りの強い日本語でたどたどしく話をした。だからこそ、ぼくが通訳として呼ばれたのだ。
 しかし今語る日本語は、ごく自然の当り前の日本語であった。びっくりしたように見ているぼくに、少し淋しそうにいった。
「おまえは日本に帰れる。私は羨ましい」

下巻 P.8

 ぼくたちが収容所から支給される食糧はどこでも労働に比べてあまりにも少なかった。それでもし倉庫や野原で鼠でもみつけたら大騒ぎだった。四、五人で追い回して必ず手把みで捕えてしまう。すぐに皮を剥ぎ針金に串刺しにして焚火で焼いて喰べた。殆ど唯一の動物性蛋白質で、美味であった。これを蒙古焼鳥といった。俘虜たちの居る区域からは全く鼠の姿が見えなくなり、蒙古の警戒兵からその話が首都の市民に伝わり、鼠は日本人の好物かと問われることがよくあった。

下巻 P.22

「わいもその口よ。何としてもあそこを出たくなっての、作業中足先を水に濡らしてから寒風にさらし、わざと凍傷になったのぞい」
 別に見せてくれともいわないのに、明るい焚火に向けて靴を脱ぎ、靴下の代わりのボロ布をほどいて、怖ろしい足を見せつけられた。
 丁度紙のはげた団扇のように、足の指が五本骨だけになって、肉から白く突き出していた。

下巻 P.35

 蒙古共和国とその宗主国との間の国境線の通過は朝から始まった。
 国境の集落は、蒙古側がナウシカ、宗主国側は、ナウシキといった。

下巻 P.89

 噂の中で、一番全員を緊張させたのは、港には思想調査の関所があって、そこで態度や経歴を調査され、日本に帰すのが不適格と判断された者は、容赦なくはねられてシベリヤへ送り返されているらしいという説であった。

下巻 P.101

 戦いはこれからだと覚悟をきめた。
「ここでは全員に、民主教育の仕上げをする。一人前の共産党員として、日本に戻ったら日本の民主化に献身できる同志に仕立ててやる。宮城の前で全員が、スターリン元帥閣下万歳をするのだ。これが教育の目的だ。できるようになるまでは絶対に船に乗せられない」

下巻 P.174

 どっと喚声が起こった。すると今まで、ぼくらのことを、馬鹿者、乞食、帝国主義者、と罵ってばかり居た指導者たちが一斉に回りで拍手をした。
「お目出とう」「民主教育終了万歳」「日本へ帰還したら頑張ってくれよ」

下巻 P.222

 全員が甲板に立っていた。桟橋まで見送りに来た民主聯盟員がすぐ目の前にいる。ぼくは霧立のぼるをしきりに目で探したが見つからなかった。
 陸との間のつながりが切れた瞬間、甲板に立っていた全員が一斉に声を上げた。
「スターリンの大馬鹿野郎」
「天皇陛下万歳」
「大日本帝国万歳」
「ロシヤ人はみんなくたばっちまえ」
 目の前にいる民主聯盟員に向って
「てめえらが日本へ戻ってきたら、一人残らず叩っ殺してやるからな」
 と叫ぶ者もいる。声は届かなかったのだろう。彼らは拍手し手を振り上げて機嫌よく見送っている。
 充分に民主教育を施し終って、祖国へ革命戦士を送りこんだという自信に迷いはないようだった。

下巻 P.230

図書館で借りたわけだが、どういうわけか「大活字本シリーズ」というものしかなかった。
読むのに差し支えはあるまいと借りたわけだが、上巻3,400円、下巻3,200円というシロモノで、「社会福祉法人 埼玉福祉会」というところから刊行されている。限定500部だそうだ。

抑留というとシベリアという印象だが、本書の舞台は蒙古共和国である。地理的には隣接しているので、気候や風土に大きな差異はないのだろう。
冬の北京は、足先から骨に染み透るような、乾いた寒さだった。いずれにしても、それより暖かいということはないだろう。過酷な環境だ。

主人公が経験した二つの収容所。
そこでは、わずか数ヶ月前まで絶対的なものとして存在した軍隊階級による統制は失われ、力ある者による暴力的な支配が敷かれた。いずれもそれを支えたのは食糧である。著者はこれを黒パン本位制と称した。
一つは、やくざ上がりの男による君主制。被支配者たちの労働は均等だが、食糧は支配者たちに集中した。
一つは、社会主義。食糧配給は均等だが、支配者たちによる労働搾取がなされた。
本書には、確たる裏付けではないが、個人的に追及していることへの一つの回答が示されている。五木寛之氏の講演を思い出させる、極限状態での人々のありようが記されている。
あとがきにも明記されているように、鬱々たる内容を十分に伝えながら、そうとは感じさせないのは著者の力量であろう。

興味深い内容であったという言葉では足りないが、内容が内容だけにおもしろいというのは憚られる。とにかく一読に値する。
とはいえ、『軍神』にも感じたことだが、おもしろさと裏腹ななにか、決して投げっぱなしではないのにそうされてしまったような、どことなく突き離されたような、表現に困るなにかが読後につきまとう。
たぶん、ノンフィクションと信じて読んだのに、フィクションだったとわかったから、なのだろう。

2011年4月22日 (金)

ゲーム 『Android版 上海☆娘』

いまソノ手のものはデジタルノベルが主流のようにみえるが、よくはしらない。だが、かつてはコノ手のものが一世を風靡したことは知っている。

コノ系統ではPC98版の『STAR PLATINUM』が秀逸だった。
昨今では、コノ手のものは絶滅寸前、あったとしてもいらん紙芝居つきでウザい。
つまり、求めていたものはコレなのだ。
クリアボーナスは、どうということはないものでいい。それっぽい雰囲気だけあればいい。
そういうことらしい。

上海というゲームについて考察したことはなかったが、なるほどどんなゲームにも戦略というものはあるのだなという印象を抱いた。これまでいかに脳を使わずにゲームをやってきかたわかろうというものだ。
「一手戻す」を前提とする攻略がこのゲームの特性なのか、上海というゲームの特性なのかは不明だが、どうにも好ましくない。

「昆明3姉妹編」が無料。

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有料版をやるかというとたぶん(絶筆)

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Andronaviの「昆明3姉妹編」のページへジャンプします。

2011年4月18日 (月)

漫画 『虚無戦記』

『オメガ』一巻がないのに、『ソード・オブ・ネメシス』を再読してしまった。
そうなるともういてもたってもいられない。
古本屋を徘徊し、書店をさまよい、しかし、見つからない。ビブロス版も、MF版もない。調べてみると電子版があるらしいが、一巻だけンなもんゲットしてしまうとコレクター魂が吠えてしまうかもしれないのでパス。
どうしたもんかと渇望に身悶えしていたら、サービスを再開したブックオフ・オンラインで在庫確認きたので、『虚無戦記』全五巻とともに注文する。

んで、当然のごとく、平成版ロックをほぼ再読することになる。
『ソード・オブ・ネメシス』
『クランベールの月』
『猫の散歩引き受けます』
『天空の魔法士』
『メヌエット』
『カデット』
『星辰の門』
『オメガ』
『久遠の瞳』
『冬の虹』
『荒野の騎士』
『ライザ』
『クアドラ』
『クアドラⅡ』
『凍てついた星座』
『エピタフ』
『ニルヴァーナ』
読み返すと新たな味わいが出るのがロックの特徴だが、今回印象に残ったのは『エピタフ』に対する著者の異様な思い入れ。それは画に強く反映されていて、上記リスト(改めて列挙してみると、普通の作家なみに仕事しているようにみえてびっくりである)の中ではずば抜けている。ひょっとするとシリーズ中もっともキアイの入った作品かもしれない。
SG版のリメイクシリーズはあまり好きではなかったが、ミラ・ファニールが新規に投入されて好みのエピソードとなったことを思い出しつつ、どうでもいいことだが、今度は『ブレイン・シュリーカー編』が見つからないのである。

さて、『虚無戦記』。
石川賢といえば個人的には最近、痛烈な第一部完をくらったばかりではあるが、よくあることなので立ち直りは早い。
もともと『虚無戦史MIROKU』を再読したいと思って調べたときに、再編して『虚無戦記』にまとめられたことを知った。なかなか入手に至らなかったのは、ゲッター線にやられたためではなく、適当な在庫が見あたらなかったためである。
文庫版は全五巻。個人的には未読だった『スカルキラー邪鬼王』『5000光年の虎』『邪鬼王爆烈』を含む、ギーガー的幻魔との壮大な戦いを適当に描いたものである。えーかげんさが味であるので、その辺にケチはつけないが、もうちょっとわかりやすくしてもよかったんではないかと思う。
超同人誌ってカンジでございました。

2011年4月16日 (土)

読物 『闘神 ――伊達順之助伝――』

 材料を何にするか。馬やロバしか手ごろな肉の材料がないが、これでは大してうまくない。広東地方では、蛇や、犬や、白鼠が、珍重されるが、北方ではあまり歓迎されない。
 それでまず、世界中を股にかけて歩いている海軍士官でも、絶対喰べたことのない、陸ふぐ(おかふぐ)の珍味を御馳走しようということに決まった。
 その材料は猫である。兵隊に命じて、あちこちで、猫を捕まえさせた。忽ち、十二、三匹も捕まえてしまって、全部麻袋にほうりこんで、まとめて運んで来た。
 料理は腕に自信のある、根本中校(中佐)が自ら引受けることになった。
 根本中校はこの猫を一匹ずつ袋から出しては手際よく料理して行く。
 まず猫を梯子に縛りつける。後肢の内側に小さな傷をつけて、そこへ自転車の空気入れの先を突っこみ、空気を力一杯入れる。皮膚と肉の間にもれなく空気が入りこみ、猫がふわふわと空中に浮くぐらい丸くふくれ上がったところで、しばらくおいてから皮を切るとまるで手から手袋を脱ぐのと同じようにあっさり皮が剥がれる。
 これは漁師が昔から、兎の皮を剥ぐとき使ったやり方だ。
 それから、四肢、胸などの肉を、カミソリの刃で紙のようにうすく切って、皿の上にはり付けて行く。ふぐの肉を大皿に盛る菊作りと同じだ。この刺身が、猫の肉の喰べ方で一番美味とされている。途中で水で洗ったり、血を落とすため水を注いだりしてはいけない。そうすると、まずくて喰べられなくなってしまう。
 薄い肉なのので皿の模様がすけて見える。肉の色も並べ方も、本物のふぐ刺しとそっくりだった。
 味も全くふぐと同じだ。それで自治聯軍の司令部ではこれを、『オカフグ』と名づけた。
 紅葉おろしと、ポン酢醤油で賞味する。
 ・・・・・・もう一つ、この材料でうまいのがカラ揚げで、これはできるだけ熱いうちに喰べるのがコツだ。鳥のカラ揚げなどよりは、ずっとうまい。

P.327

伊達順之助の名を知ったのはここ数年のことで、馬賊を扱った書籍の中から見出した。
馬賊を取り扱った書籍の中に取りあげられるくらいだから馬賊だったのだろうと、疑問に思うことはなかった。その書籍に描かれていた、まるで漫画のようなエピソードは、馬賊という語感が示すものにふさわしいと思えたからだろう。

本書は、伝記的小説である。極真会館を扱った漫画に対し、関係者が「筆の冴え」と称したナニが含まれている。伝統的な歴史小説の手法といえばそれまでだが、ドキュメンタリー的なものを望んでいた身上からすると大いに不満だ。
序盤から中盤まではそんな風に感じてもいたが、本書中の表記に従えばシナ事変前後に至って俄然面白くなってきた。

本書によれば、伊達順之助は馬賊であったことは一度もなく、大陸では軍属として過ごしてきたということだ。敗戦で国民政府に処刑された。
順之助は中国に帰化していたが、国民政府は自ら外国人の中国帰化を認めない法を公布したため、順之助の帰化は無効となった。とすれば国民政府が順之助を裁くことはできないように思うが、満州国軍として、日本軍の出先機関として、そうとうに活躍してしまった因果が効いていたのだろうか。
蒋介石の息子・蒋経国は、順之助を活かして八路軍対策を講じていれば別の目もあったかもしれないと、後に台湾で呟いたらしい。

2011年4月15日 (金)

ゲーム 『えるしゃだい(体験版)』

なにかとひょーばんの『エル・シャダイ』体験版がPS Storeから配信されると知った

体験版といえば先日びみょーな印象を得た『MOON DIVER』を遊んだばかりである。
個人的には『MOON DIVER』には『ストライダー飛龍』なカンジを、『エル・シャダイ』には『源平討魔伝』なカンジを抱いており、両者ともアクションゲームというカテゴリに属する。

旧ザクだってと思いはすれど、旧ザクだからいいやと思わなくもない。

仕事の契約更新がレベル5くらいなアレになった昨今、旧ザクでは戦えないエンターテイメントにコストを投じる余裕はない。
そんな折、体験版で是非を問えるというというのは朗報である。

ダウンロードしてみた。700MB強。

遊んでみた。
『ベヨネッタ』風味の3Dな移動ステージと、横スクロールアクションゲームな移動ステージとがあり、いずれも、どこに乗っかれてどこが落ちるのかイマイチわかりにくい。
操作は至って簡単。しかし、成長要素とかあるのかどうか知らんが、序盤で爽快感はない。
そんなカンジで、「これって面白いの?」感がまず立つ。
トレイラーで紹介されていたベイルを両手に装備したボス?まで遊べる。登場したところで「待て製品」。悪くない切り方だが、どうにもびみょーなので、いっそのことボスまで遊べるようにしたらよかったんではないかと思う。ゲームの楽しさがわからない体験版だ。
ベイル持ちとの戦闘には興味を覚えるが、ロード地獄を乗り越えてクリアまで遊んだ『ベヨネッタ』のようにはモチベーションが上がりそうにない。

『EDWIN503ZEROシリーズ イーノックモデル』に心動いただけに、ちょっと残念なカンジで、入手は見送ろうと思う。

2011年4月13日 (水)

目にはスギ 鼻にはヒノキ

二月下旬あたりから猛烈なスタートを見せた今シーズンの侵略は、目に来た。

かゆいかゆいかゆいかゆいかゆいひぃ~

くしゃみはあまりでなかったが、マスクを常時装備して過ごした。
先シーズンの薬を消費しつつしのいでいたのだが、それもなくなり、仕方なく耳鼻科に行ったところ、スギのシーズンはそろそろ終わりであることを告げられて、それから約一週間、昨日はマスクなしで過ごしてみた。
過ごせた。

ハレの日々の到来と思いきやぬかよろこびで、今朝は朝からハナ水製造&くしゃみマシーン。
昼休みにマスクを買った。
目のかゆみはない。

ヒノキはないとおもっていた。
ここ数シーズンは大禍なく過ごしていたため、我が身のことながら、長ければ五月まで続くこの呪わしい特性を忘れていた。
どうにもハナ水がおさまらない。

余談だが、開発でプリンターに関わってロクな目にあわなかったことはない。
実機が手元になかったこともあり、ドライバのみでテスト着手してしまっていたことが祟ったかたちである。三日くらい無駄に費やしてしまった。

残っていた薬といえば、以前処方されたクレストールとザイロリックが数回分残っていたので一回分服用してみたら脹脛が腫れた。ガンダムのパーツでいうなら右の内ダムの部分である。
昨年夏ごろにもあった症状だが原因不明だった。どうやら薬の副作用ということらしい。腫れたというより赤黒く変色してしまったというカンジで、重い過敏症ということになるのだろうか。
服用後半日くらい経過して若干の痛みがあり、三日経って予後の態を示し今は痒い。

2011年4月10日 (日)

映画 『アイアンマン/アイアンマン2』

Mk.Iのミカドロイドっぷりに惚れた。

いやあ、映画ってホント、面白いですね!

続編、シリーズ展開?があるそうで、楽しみだ。

2011年4月 9日 (土)

アニメ 『鬼公子炎魔』

#1 膿腐吸魔 (´・e・`)
 カパエル (゚∀゚)
#2 非躯魔 (`・ω・´)
 カパエル (゚∀゚)
#3 禍流魔 (´ー`)
 カパエル 。゚(゚´Д`゚)゚。
#4 炎魔 ( ´∀`)σ)A`)
 カパエル (゚∀゚)

全四話。
演出は全く好みではない。
話もまあ好みではない。

作品としては惜しいという一言に尽きる。

だが、カパエルのためだけに見る価値はある。

2011年4月 8日 (金)

読物 『李香蘭 私の半生』

 なかでも名物は刷[さんずいに刷]羊肉<シュアンヤンロウ>(羊肉しゃぶしゃぶ)。北京料理といえば烤鴨子<カオヤアズ>(北京ダック)が有名であるが、私にとっては、このシュアンヤンロウが北京料理ナンバーワンに思える。
 羊肉は張家口産の高級で柔らかい赤身の部分。それが薄くスライスしてある。醤油、醋酒、胡椒、芝麻醤<ツマアチアン>(ゴマで作った味つけ味噌)をといたタレに、ネギ、香菜<シアンツァイ>など、十何種類か用意された薬味を自分の好みでまぜあわせる。そして、ぐらぐらに煮えた鍋のお湯に薄い肉片をさっとくぐらせて、タレにつけて素早く食べる。肉のほか中国白菜、茸類、春雨、麺も同じようにして食べる。要領は、日本のしゃぶしゃぶと同じだが、実はこの「シュアンヤンロウ」こそ、そもそも日本のしゃぶしゃぶの元祖なのである。

P.88

 私の中国語を黙って聞いていた川島さんは、「ヨシコ? ヨシコとは奇遇だ。ボクと同じ名前だね。よろしく」と、驚いたことに今度は日本語の男言葉で言った。
「ボクは小さいころ”ヨシコチャン”と呼ばれていたよ。だから、きみのことも、”ヨシコチャン”と呼ぶからな。ボクのことは、”オニイチャン”と呼べよ」

P.92

 だが、やがて父や潘氏やほかの人から聞いた話をつなぎ合わせると一つのストーリーが浮かびあがってきた。運命に翻弄された清朝王女の悲劇である。
 松本連隊旗手・山家亨少尉との初恋、失恋、自殺未遂。養父から迫られる肉体関係、絶望。清朝復辟の夢、蒙古王子カンジュルチャップとの結婚、破局。上海への逃避、スパイ工作者田中降吉少佐との同棲、上海事件の謀略。皇帝溥儀の皇妃・秋鴻妃の身柄を護送した脱出行。満州帝国宮廷女官長。満蒙ホロンバイルへの遠征、多田駿・満州国軍政部最高顧問への接近、満州国安国軍司令に就任、金璧輝と名乗り、熱河討伐作戦に従軍。持病(外傷性脊椎炎)の悪化、麻薬への耽溺、日本軍・満州国軍からの絶縁、そして東興楼への隠遁・・・・・・。
「何かあの人から、とくに恩恵をこうむったり、世話になったりしたことはないだろうね」と山家さんは心配そうに私に聞いた。「とにかく何の関係も持たないほうがいいよ。毒の針を持っている人だから」

P.96

 新京は、文字どおり新しい都であった。満州国は、国際連盟では認知されないまま日本が単独で作った傀儡国家だったが、まがりなりにも国の体裁は徐々に整いつつあった。
 この地方は、もともと蒙古人の放牧地だったのを漢人が開墾して「長春堡」を築き、清時代になって中央の出先機関「長春庁」が設けられた。もっとも、はじめに村落として栄えたのは一九八九年(明治三十一年)にロシヤが敷設した鉄道の駅ができた東方の寛城子一帯だった。
 日露戦争の講和条約でロシヤが日本に長春以南の鉄道を割譲すると、日本側の南満州鉄道株式会社(満鉄)は、寛城子南方付近の大草原を買収した。そして一九三二年(昭和七年)、満州国が誕生すると、「長春」というこの地の名前を「新京」と改め、首都建設に乗りだしたのである。
 したがって、新京はまったくの人工都市。ハルビン、奉天、大連など旧満州の大都市のほとんどが帝政ロシヤによる設計・建設で、ヨーロッパ風市街の面影を残しているのに対し、新京は安東などとともに、満鉄が奈良、京都など日本の古都の市街を大陸風にアレンジして再現した日満折衷の都市様式だった。
 新京駅前の北広場からは、中央の大同大街のほか日本橋通、敷島通の三大街路が南方に放射状に走って東広場、南広場などを結び、それら幹線の間を、縦横に整然と走る街路区画が都市計画の基本構図となっている。
 縦の通りは、京都風に一条、二条、三条と並び、横は和泉町、露月町と「イロハ順」、さらに「ヒフミ順」の日出町、富士町。「アイウエオ順」の曙町、入船町と命名された。
 私が満映に入社したばかりのころは、新京の街全体が大きな公園の感じで、大通りを過ぎると郊外はまだ原野だった。しかし中心部は、ちょうど国都建設第一期五ヵ年計画が修了したところで、大同広場(現・人民広場)周辺には主要政府機関の建物が出そろい、ようやく首都らしい風景ができあがりつつあった。

P.114

 その後、(「別れのブルース」は)「何日君再来」などとともに発禁のうきめにあったわけだが、淡谷のり子さんの述懐では、中国大陸の戦線慰問で最も人気のあった曲で、兵士たちの強い要望をどうしても断りきれず、そのたびに憲兵隊の逮捕を覚悟してうたったという。
 うたいはじめると、監視についていた将校たちは、わざと居眠りするか、所用を思いだしたそぶりで席をはずし、会場から姿を消す。前線の兵士たちは、淡谷さんの魂の底からうたいあげるブルースに聞き入って水をうったようにシーンとして動かない。うたい終わって淡谷さんが自分も眼を赤くして廊下に飛び出ると、さきほど気をきかして姿を消したはずの将校たちが、やはり廊下でたむろして聞いていて、涙ぐんでいたそうである。

P.163

 私が出演した映画の主題歌といえば、さきごろ、あるかたから「あなたは満州皇帝溥儀の前で『白蘭の歌』の主題歌をうたったことがあるか」とたずねられた。私の記憶には全くないことだったが、その人は、『皇帝溥儀』という本の一シーンを説明してくれた。新京の宮廷で皇帝溥儀が、お抱えピアニストと李香蘭とを、弟の溥傑夫妻に紹介する場面で、その出会いのきっかけが『白蘭の歌』と書かれてあるという。
 ノンフィクション仕立ての小説『皇帝溥儀』(山田清三郎著、くろしお出版、一九六〇年)を入手して読み進むと、第四章「溥儀皇帝と浩夫人」に、『白蘭の歌』に関するくだりはあった。
 浩さんとは、皇帝溥儀の弟・愛新覚羅溥傑さんの妻である。溥傑さんは日本の陸軍士官学校を恩賜の軍刀をうける成績で卒業したあと、新京の満州国宮内禁衛隊に勤務していた。浩夫人は、公卿華族の嵯峨実勝<さがさねとう>侯爵の令嬢で学習院高等科に学んだ才媛。二人は、お見合いのあと一九三七年(昭和十二年)に結婚した。
 皇帝溥儀には子供がなかった。関東軍が弟溥傑さんに浩さんとの見合いをすすめたことは、日本人の血を導入する策謀と疑って快く思っていなかったようだ。しかし、浩夫人が愛新覚羅溥傑氏を夫として愛し、中国人になりきっていることを知ってからは浩夫人にしだいに心を許すようになった。
 浩夫人は手記『流転の王妃』(文藝春秋、一九五九年)で、皇帝が一時、夫人を関東軍のスパイだと疑っていた、とうちあけたことを述べている。このことは溥儀皇帝も自伝『わが半生』に記している。
 小説『皇帝溥儀』によれば、いずれにしても溥儀皇帝は、浩夫人を猜疑の眼でみていたことを恥じ、何らかの償いをしたいと考えていたらしい。
 あるとき、皇帝は、浩夫人が映画『白蘭の花』をみたことがあると知り、李香蘭を、偶然の形で溥傑夫妻に引きあわせて喜ばせる一計を案ずる。皇帝は新京市立音楽弾の若いピアニストにピアノを習っていたが、李香蘭もそのピアニストのレッスンを受けている”相弟子”の関係にあった。
 皇帝はお抱えピアニストと李香蘭を宮廷に招き、浩夫人たちに紹介し、予告なしの”室内音楽の夕べ”を催して、溥傑一家をびっくりさせようといういたずらに子供のように夢中になる。それは映画女優を宮中に招くという皇帝にとっての”禁じられた遊び”でもあったという。
 きわめてリアルな描写で、しかも登場人物は実名なのだが、私自身が登場する場面については、どうしても思いだせない。溥傑さん、浩夫人には会ったことがある。また、皇帝の妹の二格姫、とくに気品があった三格姫、その夫で秋鴻皇后の弟の潤麒さん、さらには五格姫など、満州皇室の一族もほとんど存じあげている。みなさんの前で何度かうたったこともある。けれど、宮廷で、溥儀皇帝の前でうたった記憶はない。したがってこの部分は明らかにフィクションである。
 吉岡中将は、この『皇帝溥儀』に”悪役”で登場する皇室御用係で関東軍参謀である)なお、吉岡氏の正式な肩書きは、私が満映入りした一九三八年時点で関東軍司令部参謀兼満州国皇帝付・大佐、一九三九年八月、勘合軍司令部参謀副長兼満州国皇帝付・少将、一九四二年十二月、同・中将。本書では便宜上、中将に統一)。
 中将は役目がらたしかに関東軍のお目付役の存在だったかもしれないが、当時の私にとってはここに書かれたような「意地悪そうな顔の老人」ではなかった。私が皇帝の前でうたったことがフィクションであるように、吉岡中将の”悪役”の姿もフィクションだと信じたい。歴史の中の人物評価は時代や立場によってさまざまだろうが。

P.171

 このように日劇七まわり半事件は、しばらくのあいだ、非常時における国民道徳講座の教材に使われた感があったが、東京帝国大学では綿貫哲雄教授(社会心理学)が期末試験の課題に、「日劇七まわり半事件について記せ」という問題を出した。当時、法学部三年だった宮沢喜一氏(現大蔵大臣)は、「自由を求める大衆の心理を如実に示す実に痛快な出来事である」という答案を出して<優>をもらったという。

P.202

 多田中将はかつて川島芳子こと金璧輝を安国軍司令に任命したり、天津に東興楼のかたちでアジトを作ってやったパトロンである。しかし川島さんは中将をパパと呼び、中将のお墨つきを利用しているという噂が立っていた。いまや多田中将にとって川島芳子は、男女関係の面でも、日本軍の大陸戦略推進の面でも、うとましい足手まといの存在になりつつあった。ついに「川島芳子を消せ」という極秘命令が下った。

 川島芳子さんは、一九四〇年(昭和十五年)ごろから天津の東興楼、北京の邸宅、博多のホテル清流荘の三ヵ所を往き来しながら、鬱々と楽しまない日々を送っていた。
 ふだんは、東興楼の経営をひとにまかせ、北京の自宅にこもっていたが、ときどき福岡を訪れるのは、右翼の巨頭、玄洋社の頭山満氏らと会っていたからだった。
 笹川良一氏とのつきあいもこのころからはじまったらしい。笹川氏は大日本国粋大衆党総裁だったが、川島さんは私と博多のホテル清流荘で会ったとき、「ボクは笹川のオニイチャンと新しい政治団体を作るんだ。ヨシコチャンも参加しないか」と誘われたことがある。
 笹川氏のドラマチックな半生を描いた山岡荘八著『破天荒――人間笹川良一』(有朋社、一九七八年。以下『破天荒』と略)によれば、川島さんは、多田中将の暗殺命令から彼女を救ってくれた笹川氏を慕って後を追い、九州まで飛んだのだった。
 しかし、私が山家さんから直接きいた事情はいささかちがっている。
「芳子は、日本軍の中国大陸における行動を批判した文書を東条英機、松岡洋右、頭山満ら日本の政界、軍部の大物たちに配り、蒋介石との和平工作を呼びかけているが、その中で多田中将のことを口をきわめて非難している。中将が芳子を相手にしなくなり、いまやうとんじていることへの私怨もあるが、あの文書には彼女なりの日本軍に対する失望の気持もこもっている。いずれにしても中将は、このまま芳子を放置するとますます厄介なことになるので、”処分”することを決断した。そしてその命令がボクのところにきた。ボクとの昔のことを知っていてのいやがらせ半分の下命だろう」
 そのころ川島さんは多田中将とは別れ、田宮某という参謀と浮き名を流していたが、ダブル・スパイの噂もあって、北支軍当局にとっては頭痛の種になっていた。とくに多田中将としては、彼女の直訴が日本国の陸軍本部にまともに取りあげられるとわが身に直接被害がおよぶおそれがあるので”処分”を考えたのではなかろうか。
 山家さんは言った。「彼女は軍をかきまわしすぎたよ。ボク個人もずいぶん迷惑をこうむった。だが、『消せ』と言われても、処刑するには、しのびない。昔から知っている女だし、かりそめにも清朝粛親王の王女、満州皇帝の親族だ。そこでボクが責任を負うかたちで、一時国外退去処分にして日本に送りこんだのだ。いま、九州の雲仙で静養しているはずだよ」
 意外な話だった。多田中将が、いまや煙たい存在になったかつての情婦を亡きものにするために、その初恋の男に暗殺を命ずるとは――。まことに小説より奇なる事実、皮肉な筋書きである。

P.229

 紫のインキでびっしりと書きこんだ便箋は三十枚ぐらいあったろう。達筆だったが、話し言葉同様に荒っぽい日本語の文章だったことをおぼえている。
「ヨコチャン、久しぶりに会えて嬉しかったよ。ボクはこの先どうなるかわからん身だ。キミと会うのもこれが最期かもしれん」文面はしんみりした語調だった。「振り返ってみるとボクの人生は何だったのだろう。非常にむなしい気がする。人間は、世間でもてはやされているうちがハナだぞ。だが、その時期には、利用しようとする奴がやたらとむらがってくる。そんな連中に引きずられてはいかん。キミはキミの信念を通したまえ。いまが一番、わがままのいえるときだ。キミ自身が本当にやりたいことをやりなさい。人に利用されてカスのように捨てられた人間の良い例がここにある。ボクをよく見ろよ。自分の苦しい経験から、この忠告をキミに呈する。現在のボクは、茫漠とした曠野に陽が沈むのを見詰めている心境だ。ボクは孤独だよ。ひとりでどこへ歩いていけばいいんだい」
 私は胸を衝かれた。毀誉褒貶いりみだれた東洋のマタ・ハリ、満州のジャンヌ・ダルクともてはやされた川島さん――彼女にこれほど人間くさい印象を受けたのははじめてだった。
「キミとボクとは生まれた国は違うが、共通点が多く、名前まで同じで、いつも気にかかる存在だった。キミのレコードはしょっちゅうかけて聞いている。とくに『支那の夜』などは何百回もかけて、レコード盤が白くなってしまった」
 私は「支那の夜」を映画の中ではうたったが、レコードは渡辺はま子さんが吹きこんだものだった。心情を吐露しながらも、どこか取りつくろおうとする点がいかにも川島さんらしかった。

P.234

 撮影中、通訳としてついていた二人の白系ロシヤ人のうち、ヒゲをはやしたアレクサンドルという青年が、実はソ連政府がハルビンに放ったスパイだったことが最近わかった。
 満映で音楽を担当していた竹内林次さんというかたが終戦後シベリアの収容所に抑留されていたとき、憲兵の制服を着たそのアレクサンドルが日本人捕虜の取調べにやってきて、偶然、顔を合わせた。
 彼は竹内さんに対して打ちあけたという。「ボクは李香蘭の素性と行動を調べる指名をおびたスパイだった。彼女が純然たる日本人の山口淑子であること、リューバやマダム・ポドレソフからロシヤ語を習ったことなど、何でも知っていたよ。彼女の跡をつけて北京、上海、新京と飛びまわったものだ。映画の通訳をつとめたのも、お目あては彼女だったのさ」
 私はソ連のスパイからつけ狙われていたのか、と遅ればせながら愕然としたが、その後もう一度愕然とする事実が判明した。私は、日本側の特務機関からも行動をスパイされていたのである。
 昨年(一九八六年)六月、『私の鶯』が東京・新宿の安田生命ホールで初公開上映された機会に、新京脱出の記録『卡子<チャアズ>』を書いた一橋大学の遠藤誉さんから、元特務機関の竹中重寿さんというかたを紹介された。竹中さんは満州国立大学ハルビン学院を卒業するとすぐに、ロシヤ語の才能を見込まれて関東軍情報本部ハルビン陸軍特務機関に徴用され、スパイ養成所・陸軍中の学校出身者が多くいた「謀略班」に配属された。
 配属されてはじめて命じられたのが『私の鶯』の出演者の行状を調べる仕事だった。竹中さんは、上司の山下高級参謀(中佐)の命令で、ハルビン・トムスキー劇団の団員になりすましたスパイと一緒に、主役のバリトン歌手サヤーピンと李香蘭の尾行を担当したという。
 いま大東文化大学教授の竹中さんは、初公開の『私の鶯』の鑑賞後、「画面に出てくる撮影現場の一つ一つをはっきりおぼえている」と当時をなつかしんでいたが、「そうそう、サヤーピン、李香蘭とも、その言動や行状に怪しい点はありませんでしたよ」とつけ加えた。
 ところで日ソ双方のスパイたちがおたがいがスパイであることを知っていたのだろうか。またダブル・スパイはいなかったのだろうか。それにしても、私が日本とソ連の双方の特務機関から尾行されていたとは!

P.277

 上海――。この中国一の、いや世界の大都会を一言で表現するには、どのような形容詞を使えばよいのだろう。国際都市、近代都市、無国籍都市、暗黒都市、享楽都市、経済都市、音楽都市・・・・・・。いろいろあるが、戦前の上海には、やはり「魔都」と「摩登<モダン>」という言葉がもっともふさわしいと思う。上海は、悪徳の街とモダン・シティーの双方の性格を備えていた。
 豪華なホテル、レストラン、ナイトクラブ、劇場、百貨店などゴシックやアール・デコ風の大理石のビルが立ちならぶ中心街から少し入った路地裏は、昼でもなお薄暗い。そこには、犯罪、謀略、麻薬、賭博、売春など、悪徳のカビが生えていた。

P.307

 上海は、開港後、諸外国の中国大陸進出拠点として租界が開かれ、ついで日本軍に占領され、戦後になってようやく外国の支配から解放された。当初、列強の白人が上海租界で、いかにわが物顔していばっていたかは、上海にはじめてできた公園(黄浦公園)の入口に立てられた「イヌと中国人入るべからず」の立札が、象徴的に物語っている。
 そうした列強支配に対する反撥が、上海に”革命都市”や”ゲリラ都市”の性格をも付与していった。入りくんだ租界の路地やスラムの奥底に逃れれば、中国側官憲の眼がおよばないからである。
 中国の近代化への歩みは、上海からはじまったともいえる。孫文たちは上海から亡命し、上海を革命の拠点とした。新中国を樹立した中国共産党は上海租界で結成された。文化大革命の発端も上海からである。高杉晋作、宮崎滔天、北一輝、大杉栄ら、日本の革命家たちも上海に遊んで回天のロマンを夢みた。
 中国大陸の玄関・上海は、戦前は「長崎県上海市」と言われたほどで、長崎からたった一日、しかもパスポートなしで渡航できた”西洋”だった。

P.308

李香蘭という名を、初めて目にしたのは多分、『サクラ大戦』であろう。その前に読了していた『帝都物語』には登場しなかったように思う。いずれにせよ、特に気にもしなかった。実在の人物の芸名であることも知らなかった。
川島芳子やその他同時代人の名も『虹色のトロツキー』などで見知っていたにせよ、やはり特に気にもならなかった。気にする素養がなかった。

その「時代」を強く意識しだしたのはいつのことだったろうか。目的意識を強く持って着手したのは四、五年前か。それ以前にも漠然とした意識はあり、日清戦争頃の世界情勢というおおまかな目標をさだめ、『宋姉妹』『李朝滅亡』などを読んではいた。

本書も、二年か三年か、ずいぶんと前に手に入れたものである。『ダレン・シャン』のアンケートはがきがしおりに使われているので、2008年頃入手したようだ。読み終えるまでにずいぶんと時間を要してしまったが、これは単に巡り合わせの妙に過ぎず、FILO的な、いわゆる積読時空に落ちてしまったがためである。

本年は、個人的積読消費年間に指定されている。そのはずなのに、なんだかLILO的な振る舞いをしてしまっていた。

他の書と対照できるようにもなりはしたが、歴史は歴史。確かめる術はない。

2011年4月 4日 (月)

読物 『サーラの冒険』

ソードワールドと、『サーラの冒険』は、どちらかというと嫌いなコンテンツだった。

第一の要因は天野喜孝だ。

『バンパイアハンターD』のカバーイラストで魅了され、表紙買いでトレジャーハンターシリーズに着手した個人的経緯がある。しかし、その後数年で、腐った。グイン・サーガのカバーイラストが氏に変更されたときは、その判断を下した誰かに猛省を強いたい気持ちでいっぱいになった。

因果関係を明確にすると、ソードワールドのイラストは氏が担当している。腐れた絵で。
単純なもので、表紙買いの反対の衝動が行動原理に追加されたらしい。

大破壊組は、その著作はあまり知らないが、HMかなんかの別冊で『○ロ漫画の描き方』みたいな本に載っていたいーかげんな講座に魅了された個人的経緯がある。アニメーター集団だと自称した彼らの中には、それに恥じず安彦良和にそっくりなエ○を描く者もいた。
幻超二はその一員であり、『サーラの冒険』のイラストを担当している。同作品における画風は天野喜孝を模倣しており、だから、嫌いだった。
『サーラの冒険』の第一印象は作品の出来とは無縁に決定されてしまっていたと今ならわかるが、どうでもいいことでもある。

余談だが、ソードワールドが嫌いな理由はまだある。
一つは、ぬるいセカイ設定だ。底の浅い博物学だ。似非文化人類学だ。「古代帝国の失墜によって失われた魔法文明」を「ほげほげ」に置き換えるとFFに置換される。そんなカンジだ。
SNEが総力を結集してその程度だったのか、あるいは対象年齢を低く設定したためにヲトナなことは省略したからなのかはわからない。だが、当時、内部から発する炎に炙られていた我が身にはそれは受け入れがたいものだった。
使うサイコロの種類を一種にして簡易化したというルールは、ルールの簡易化にも、時間短縮の役にも立っていない。そんなところも、ちょっと嫌いだった。D8とかD20とか、ふりたいじゃんよ!?
もう一つは「冒険者」という単語だ。「それはルールブックがプレイヤーキャラクターを指す言葉であり、社会がプレイヤーキャラクターを指す言葉としては成立しがたい」という俺ルールが、現在に至るまでも頑なに許容を拒んでいる。少数の道楽者を指す言葉としては適しているが、社会を構成する一要素を指す言葉としてはいかがなものか。物語の住人が自らの住まう大地を「世界」と表現することともども、気にくわない。
そして円環は閉じる。それを許容してしまう世界設定はぬるいのではないか、と。

ソードワールドに至る前の展開は嫌いではなかった。出渕裕のイラストという要因が大であったにせよ、RPGリプレイ『ロードス島戦記』は連載を毎回楽しみにしていたものだ。
SNEはおそらく、フォーセリアを既存のルール、すなわちD&Dの一ワールドとして存在させたかったのではなかったろうかと思う。許されるならば、そうしていただろう。当時、新和は版権にうるさいとされていた。それはすなわちTSRの態度であり、TSRはかつて舐めさせられた辛酸をよく味わって、そのような態度を取るようになったという。
コンプティーク愛読者の誰もが望んでいたに違いないD&Dでの展開はなくなり、ロードス島戦記RPG(角川)が生み出され、「呪われた島」という鬼子を孕んだソードワールドRPG(富士見)へ結実した。後世の歴史家史観でいうなら歴史的必然の結果となる。ルールの乱発はソードワールド以前からあったが、それほど多くのシェアがあるわけではない。マニアが収集し、遊べれば遊ぶという市場に、過剰な供給が与えられ続けた。いずれも似たり寄ったりで目新しいものはなく、D&DかWARESでいいやと思えるようなカンジだった。TRPGにおける新しい遊びの提案がなされるにはMt:Gという要素が必要で、停滞から脱するのに10年くらいかかったように思う。それもまた歴史的必然か。国内では一社しか元気のないTRPGは今、和も洋もコンボでパーティ連携が当たり前になっているようだ。

ソードワールドでSNEが初期に目指そうとしたものは理解できるような気がする。残念なことに、個人的にはそれはあまりにも未熟で稚拙だったという印象しかない。雑誌展開という制約によって、早産を宿命づけられていたからかもしれない。
彼らにはもっと違ったことができたはずなのに。システム開発に注いだコストを、別なことに使えたはずなのに。そんな風に思ってしまう。
GURPSの頃は、新システムへの興味もなくなり気味で、ルールが煩雑なことだけは知っているが、よく知らない。

電源不要ゲームで一世を風靡したTRPGが下火になって、老舗は新興に吸収され、D20というシステムがフリーで配布されるようになった。SNEが目指したであろうこと、二十年ほど前に個人的に小声で叫んでいたことが現実になったといえる。
現役を退いた今、D20がどの程度のシェアをもっているのか知らないが、かつて在りしシステムがD20にリプレイスされたという話は聞いている。かつては世界=ルールだったが、それはデザイナーのこだわりといえなくもない。
純粋にシナリオを楽しむためには。ルールがシナリオを楽しむために十分であるならば。ルールは一つでいい。

『サーラの冒険』はソードワールドRPGの背景世界たるフォーセリアを舞台にした物語である。2011年4月現在におけるシリーズは以下の通り。著者自ら、もはや続編はないとしているようだ。

# 1 ヒーローになりたい!
# 2 悪党には負けない!
# 3 君を守りたい!
# 4 愛を信じたい!
# 5 幸せをつかみたい!
# 6 やっぱりヒーローになりたい!
# サーラの冒険Extra 死者の村の少女
# 短編

さて、前述の「ぬるさ」は、『サーラの冒険』においては「盗賊ギルドというものを肯定する論述」に象徴される。なにかに触発されたとわかるようなわからないような、真似してみたかったんだよ感が伝わってくるようなこないような、そんな個人的印象はさておいても、なんというか、説得力に欠ける印象を拭い得ない。
どうでもいいような設定なら流し読みできるが、わりと根幹な設定なので無視できない。
そんな気が、当時はしていた。

短からぬ時が過ぎ、長らく未完だったものが完結したと知って、再読してみる気になった。
いろんなものに触れた今、ソードワールド世界に対するアレコレは払拭できないとしても、物語作品としては楽しめるものだったと感想を改めた。
やっつけで、引導を渡してやる、な印象を新たに得たとしても。
熱源に温度はもはやない、ということになろう。

幻超二は現役を退いたそうだが、本シリーズの最後においては、草彅琢仁と、在りし日の弘司に傾倒しているようである。

2011年4月 3日 (日)

読物 『八百長 相撲協会一刀両断』

相撲に興味をなくしてから二十年くらい経つ。

幼少の折、見たいTV番組の鑑賞を阻害する大要因だった相撲と野球は、以後の人格形成に大きく影響したようで、いまだに無信仰なのはそのゆえであろう。
相撲はだが、あるとき、面白いと思ったことがあった。若貴ブームの少し前であろうか。当時はまだそれなりにTVを見ていた頃で、相撲中継をそこそこ熱心に見るようになった。
とはいえそれも一過性のことで、若貴ブーム全盛の頃には早くも関心を失っていたように思う。K1も「ベルちゃんがんばれ」な頃には関心を失っていたことは余談である。

だから、ここ数年角界が発信している騒動に強い関心はなく、どこぞで本書の内容を見知った覚えもあり、漠然と雰囲気を知っているような気になっていれば、復刊のお知らせを受信しなければ読むこともなかっただろう。
復刊リクエストに乗るくらいだからレアなしろものかと思いきや、1996年刊行の初版が図書館に置いてあった。

千代の富士全盛の頃にあった世間のどよめきのようなものは知っていても相撲には興味がなかったので、話題の中心となる時代および前時代については、そうなのかという程度のものであるとしても、いろいろと衝撃的な内容であり、汚れちまった悲しみにナンボのもんじゃいってなカンジではある。

2011年4月 1日 (金)

PS3近況

RSSリーダーに4Gamersを登録してみた。
オールドタイプとしては必死に最新情報を漁る必要もないわけだが、なんとなく枯れたゲームばかりしているような気になっている昨今、ちょっとは時流というものを知っておくべきなのかもしれないと思ったり思わなかったりしたわけだ。

あまり目を引く記事はないが、『俺屍』とか興味を惹かれるものもある。PSPでリリースされるとわかってがっかりすることになったわけだが、それはさておき。

『AC4A』『ベヨネッタ』の後は埃をかぶるばかりだったPS3だが、それじゃイカンと奮起してやってみた『Demon's Souls』は3D酔いすることがわかって数時間プレイして放置、『CANAAN』つながりで興味を覚えた『428』にはゲームとはなんなのかという根源的な命題を突きつけられて、少し遊んで叩き売った。
そして再び埃をかぶるばかりとなり、このたびの節電ムードで電源から切り離されたPS3だが、4Gamerで『MOON DIVER』とやらの記事を目にして、体験版をやってみることにした。未知なるものであり、キャラ絵も設定も好みではないのに、励起できたのはなんでだろう。

第一印象は、『ストライダー飛龍』である。コンボがあり、派手だが、初回プレイでは爽快感はない。面白いのか?と考えさせられてしまえば、その先に進むことは難しい。
『源平討魔伝』を感じた『エルシャダイ』は購入を検討しているが、同系統である。オールドタイプでロートルな人には厳しいのかもしれない。

Storeで『ウィザードリィ 囚われし亡霊の街』を見かけて、そういえば気になっていたことを思い出す。体験版があったのでやってみることにした。ボリュームは600M超。
のっけからWizな雰囲気ではない。なにやらクエスト制になっているようで、印象としては『アドバンスド・ファンタジアン』や『ソーサリアン』のようである。慣れていないせいかもしれないが、操作がかったるい。操作に対するレスポンスが妙にもっさりしているようにも感じられる。
クエストを受けると冒険に出られるようになるらしい。行き先を選ぶとダンジョンに突入。
最初の小部屋で遭遇した5体のモンスターにボコられ、一人死亡。モンスターのHPがやたらと多く、被ダメージもやたらとでかい。
街に戻って、蘇生し、休憩し、ダンジョンを往復して魔法で体力を回復させ・・・ダルい。
二度目の吶喊、最初の小部屋で遭遇した5体のモンスターにボコられ、二人死亡。
街に戻って、蘇生し・・・一人灰。
PC版Wizはマゾかったが、ここまで苦痛なゲームではなかったように思う。FC版は神がかりなバランスと操作性だったのだなあと、懐古しながらPS3の電源を切った。

次に電源を入れるのはTorne入手後かな。

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