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2010年12月

2010年12月31日 (金)

読物 『近代ヤクザ肯定論―山口組の90年』

 何をして食うていくのか

 田岡は、三代目襲名にあたって、三つのことを実行しようと肚にきめていた、と自伝のなかでみずから語っている。
 一つは、組員の各自に職業をもたせることである。
 二つめは、信賞必罰を団結の基本にすることである。
 三つめは、みずから昭和の幡随院長兵衛になることである。
 二の信賞必罰については、「腰抜けや、弁舌の巧みさだけで世間を渡ろうとする泳ぎの達者なやつは、わたしには無用なのだ」といい、三の幡随院長兵衛については、「ちゃんとした職業をもち、義に強く、情けに弱く、つねに庶民の側にたって権力と戦う」ことを目標とするといっている。この冷徹・合理の業績主義(メリトクラシー)と温情・非合理の侠客精神(シヴァルリー)の結合は興味深い。

P.98

 その間の飽くことを知らぬ突破、突出のなかで、柳川組は、先発ヤクザ組織の縄張に割り込む際に放ったという「通れるだけの道を空けてください。いやといわれるなら、大きな岩を動かさなくてはならんことになります」という名台詞を残している。これは、谷川康太郎吐いたことばといわれるが、ドストエフスキーを愛読し、レーニン全集全巻を自宅書斎にそろえて「斜め読みだ」といいながらも、よく読んでいたという谷川は、有名な「ヤクザとは哀愁の共同体である」ということばをはじめ、数々の名言で知られる。そこから見れば、谷川康太郎は、柳川組の行動原理、行動精神のスポークスマンだったともいえるかもしれない。
 みずからアナキストであり、そこから柳川組の行動原理、行動精神に共感を覚えていた猪野健治は、谷川のさまざまなことばを記録しており、そこに柳川組の哲学を見ている。そして、そこに、柳川組の戦闘性の根源がどこにあったのかをかいま見ることができる。
「衣食住が満たされないのは、それ自体が犯罪である」と谷川はいう。これは、「財産とは盗みである」というプルードンのことばを裏返していったものともいえる。アナキズム思想に近い。ここから、「麺麭の略取」まではほんの一歩である。それが、谷川の、ひいては柳川組の行動原理、行動精神の根底にあったということだ。それは、焼け跡・闇市の飢餓線上の行動においてだけではない。鬼頭組との死闘においても、山口組全国制覇の突進においても、やはりそうだったのだ。「麺麭」とは単なるパンのことではなくて、生きるのに不可欠な糧のことであり、生きるのに不可欠な糧とは物質だけのことではない。物質だけではない生きる糧をも、力をもって奪い取るのだ。

P.268

例によって、本書へと至る道のりは忘却のかなた。おそらく『田中清玄自伝』あるいは『疵 花形敬とその時代』からリンクしているのであろう。

宮崎学の著作を読むのは初めてのことで、どのような性向の持ち主なのかよくわからない。印象としては佐野眞一に近く、しかし美学的である。

2010年12月30日 (木)

アニメ 『けいおん!&!!』

折笠愛以来、ひさびさによい鼻声であった。
ホシノルリ以来、ひさびさによいルリルリであった。
そんなカンジ。

アニメに限らないが、その気になるまでずいぶんと時間がかかるようになってしまった。アニメシリーズだと第三話あたりまでどちらかというと苦痛である。
EDという名のPVに魅せられて一期シリーズを楽しく過ごし、満腹を感じてもういいかと投げかけた第二期後期、またしてもEDという名のPVに魅せられて完走。

本編はともあれ、『Don't say "lazy"』と『NO Thank You!』のEDは一見の価値あり。
CD買おうと思ったらいっぱいありすぎてどれを買えばいいのかわからなくて投げてしまったことは余談である。PV形式で売らないかなあ。

1/23 追記:BookOff Onlineの帳尻合わせにちょうどよいのがなかったため、抱き合わせ的に入手。セコハン店で新品購入な。

2010年12月28日 (火)

ゲーム 『Android版 Jewellust』

FREE版でツマンネと思いつつも、ピラミッド探検という燃えるシチュエーションに惹かれ、タバコ一箱分だしと考え直して正規版を入手。ピラミッド探検は雰囲気だけで、ゲーム性とはあんまり関係ないことは余談である。

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正規版。
FREE版の味気なさからは想像もつかない痛快さ。

落ちモノは苦手だが、キャンペーンモードはクリアした。
キャンペーンモードの他にはサバイバルモードという、いわゆるチャレンジモードがあるのみで、やっぱり味気ない。

いろいろと残念なゲームだが、面白い。
前々関係ないのだが、『ロックンロープ』を思い出してしまった。

Chart
Android Naviからダウンロード

2010年12月25日 (土)

読物 『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』

原題、"Justice What's the Right Thing to Do?"

よくわからないが。

社会にはいろいろな問題がある。それは社会に属する人びとの意識の差にある。
たとえば貧富の差はコミュニティを衰退させ、荒廃させる。富者は富者のコミュニティに、貧者は貧者のコミュニティに集うようになり、結果、立場を超えた交流を本義とする"公共"本来の役割は失われる。交流の断絶が生まれれば、意識の差も生まれる。
そのようにして生じたものを画一的な枠組みで制御することはできない。
だから、意識を変えようじゃないか。

ということでいいのだろうか。

さまざまな事例を引き合いに出して問題提起しているのだが、いちいち哲学でアタマがウニる。考えすぎなんじゃ?と思わなくもないが、もう少し考えたほうがいいんじゃないか属たる身の上としてはこうべを垂れるしかない。

2010年12月20日 (月)

読物 『産霊山秘録(むすびのやまひろく)』

『銃・病原菌・鉄』では、文明の進歩には、技術を獲得することと同程度に、それが維持されることが重要であるとしている。獲得した技術を放棄してしまった例の一つとしてポリネシアの狩猟採集民たちと、日本を挙げている。
ポリネシア人はアジアから渡ってきたとされる。移住前後の風土の差異と人口密度の低さが技術の維持をなさしめなかったという。
後者については、日本の統一政権が、政権安定のために武器の携帯と発展を厳しく制限したことが、その後の歴史の転換――すなわち江戸幕府が黒船に対抗できるだけの技術・武力を有し得なかったいう歴史的事実につながったという。

半村良は、本能寺の変にひとかたならぬ思い入れがあったのだろうか。『戦国自衛隊』と本書と、多少の恣意はあったにせよ、個人的には無作為に着手した二つの作品が奇しくも同じ題材に関係していることが、そんなことを思わせる。

本書において織田信長は、朝鮮半島に商業の起点を設ける構想があったという。豊臣秀吉の朝鮮出兵は、信長の意図を表面だけなぞらえた仕儀だとかなんとか。本書において、秀吉はとにかくひどい評価を下されている。
著者の言によれば「三百年生まれるのが早すぎた」信長は、西洋について造詣を深め、天下が日ノ本のみにあらずということを、知識だけではなく実感していた。それが天皇制打倒という発想につながり、明智光秀の造反を招いたという。天皇家尊重の思想は深く戦国武将らの心情に根ざしていたから、信長は、事に当たって重臣たちをも遠ざけた。光秀のことは、あまりにも深く信頼していたために計画の一翼を担わせる形となったが、これがどのような結果を招いたかは史実の通りである。
このとき家康は京周辺の遊山に出され、本国家臣団との連絡も絶たれていた。家康がこのとき三河にいれば、天下を取ったに違いないという。この機を得られず、関ヶ原まで待たねばならなかった家康は、必要以上に保守的になった。
『銃・病原菌・鉄』と対照するならば、それが鎖国をなさしめ、兵器技術の発展を阻害し、幕末という決定的な転換点を迎える要因となった。そういうことになる。

以上は本書の一部概略である。どの程度が著者の想像の産物であるのか不明だが、なかなか感慨深いものがある。
個人的には「戦後日本を語るには黒船来港から」と感じていたのだが、本書においては「現代日本を語るには天下布武から」ということになろうか。

マナが潤沢であった時代の、芳醇な物語といえよう。

2010年12月15日 (水)

読物 『神狩り』

少年キャプテンに連載されていた、岡昌平の作画による白蘭花『機神兵団』にやられてしまったのは高校生だった時のこと。情報の補完を求めて原作小説に手をだし、おおこりゃおもしれえとのめりこみ、最終巻で自らの顎が外れる音を聞いた。

以来、山田正紀は鬼門だった。

ながい、ながい供養の時を経て、アレはナニカの間違いだったのかもしれないと思えるようになったためか、タイトル名に惹かれていた本書に手をだす気になった。

とてもおもしろい。
うれしいことに、続刊があるらしい。

どれどれと書評に目を通してみたところ、どうやら読むべきではないようである。
書評を鵜呑みにするつもりはないが、平井和正とか神林長平とかで積まされた要らんケイケンが、鵜呑みでいいじゃんと諭しにかかる。

帝都物語電脳編とか雪風とかGA無双話とかを思い出させられた。

2010年12月14日 (火)

読物 『戦国自衛隊』

二作の映画もスルーしてきたし、ものすごく今更なカンジである。
今更なカンジではあるのだが、二回も映画化されていれば、今更だろうと、読んでおかねばならないという気にもさせられる。とはいえ、『軍靴の響き』を読み終えるまでは、今更感をぬぐい去ることはできなかった。

『王狼』『化石の記憶』なんかを脳裏によぎらせつつ。
井波というネーミングは、伊庭のオマージュなんだろうなあとか。

古い作品だからと、読前に念入りなアラートを頂戴していたが、古いとか新しいとかいうよりも、ひどく性急な展開だなあという印象が強い。それだけにオマージュ作品も少なからず存在するのだろうか。
なんにせよ、偉大な礎石といえよう。

予定調和という言葉を初めて目にしたのは平井和正作品だったと思うが、その頃流行りのキーワードだったのだろうか。

2010年12月13日 (月)

ゲーム 『Android版 Robo Defence』

個人的な印象は、「弾幕STG」。

一般的には「タワーディフェンス型」というそうな。

個人的経験においては『ボコスカウォーズ』とか『伝説のオウガバトル』、GBA版『ナポレオン』が近い印象を持つ。

FREEで提供されている。非常に面白いので購入しようと思うのだが、下手すぎてFREE版クリアも覚束ない。

BasicランクのLevel 4までクリアしたわけだが、どうにもマゾすぎる。投げ出しかけたのだが、メニューの"Spend Reward Points"を選択してみたら、武装の強化ができることがわかった。

以来、猿になる。製品版も購入した。

トロフィーがあり、内容は「Basicランクを60回クリアせよ」だとか、「1000000pts獲得せよ」だとか。

やりこんでみるとパズルゲームの一種という印象だがそれはどうでもいいことで、ミサイル好きな身上としては至福の時を過ごさせていただいた。

Chart_2
Android Naviからダウンロード(FREE)

2011/02/06追記:
The CourtyardまでLevel-100クリアしてみた。
Basic Level、The Ruins、The FactoryまではHealthをフルでクリアできるかどうかが勝負というところだが、The CourtyardはどれだけHealthを残せるかというカンジ。

2011/02/24追記:
Basic Level 300クリア。以下、クリア時のスペック。

  • Stronger Bullets(たぶん、GunとAntiari Cannonの威力を強くする) 36
  • Stronger Explosives(たぶん、RocketとAir Missleの威力を強くする)  37
  • Faster Rocket Reload(たぶん、RocketとAir Missleの発射速度を早くする) 37
  • Faster Antiair Reload(たぶん、Air Cannon/Missleの発射速度を早くする) 40
  • Faster Artillery Reload(Artilleryの発射速度を早くする)  34
  • Longer Flame Burn(Flame/Inferno Tower の燃焼時間を長くする) 26
  • Longer Slowdown(Slowの時間/遅延速度を向上させる) 37
  • Health Reward(Healthを増やす) 34
  • Starting Cash Reward(開始時のCashを増やす) 39
  • Unlock Teleport Tower(Teleport Tower解禁)
  • Unlock Mine Tower(Mine Tower解禁)

検索キーワードに"Spend Reward Points"が含まれることがあるので、意味を書き添えた。
レベルが低いときはGunの性能向上が目に見えてわかったが、レベル200を越えた当たりからはありがたみがよくわからなくなり、RocketでもHeavy Rocket Launcherにしないと威力を実感できなくなった。Flameに至ってはまったく体感できず、Antiair Cannonは存在意義が見あたらない。レベル100以降 Titanが出現しなくなったような気がするが、きっとTeleport Loopがタルいからだろう。

2011/03/02追記:
HD版リリース。新機能は以下の通り。

  • グラフィックがHDとなった
  • Survival Modeが追加された
  • Achievementsが増えた
  • Reward Pointsが増えた

グラフィックは以前の方がよかったような気がしないでもない。見にくいのと、Towerを配置する際の操作感に違和感がある。しかしながら、ズームイン・アウト機能と、それに応じた早送り機能は大変良い。
Survival Modeは、大ざっぱにいうと、Waveクリア毎にレベルが10ずつ増えていくというもので、試しにやってみたら、71Waveで700レベルを越えていた。Achievmentsに「Survival Modeのレベル100クリア」が追加されたが、これを達成するのは相当にホネそうだ。
Achievementsは、変なとこだと「Mineを10連鎖爆破させろ」とか「Flame Towerを25以上設置した状態でクリアせよ」とか。
Reward Pointsは、Antiair Missile のアップデートコストを低減させるとか、Antiair Cannon の射程を伸ばすとか、有意義な追加項目が設定されている。
他の点としては、ロードは長くなったが、軽くなったような気がする。

2011/03/10追記:
Rewardsに以下二つのオプションが追加された。

  • Air Burst
  • Shockwave

前者は地上専用だったMineを対空地雷としても使用可能にするUnlockオプション。レベル350くらいだとわけわからんほど飛行ユニットがやってくるので、あったらいいなーとは思っていたが、騙されている気がしないでもない。
後者は、MineにSlowとFireの効果を付与するUnlockオプション。実際のところ、効果はよくわからない。
背景グラフィックを旧バージョンに戻すオプションが追加された。

2011/04/14追記:
Basic Level 400クリア。以下、クリア時のスペック。

  • Stronger Bullets 39
  • Stronger Explosives 40
  • Faster Rocket Reload 40
  • Faster Antiair Reload 44
  • Faster Artillery Reload 35
  • Longer Flame Burn 26
  • Longer Slowdown 41
  • Health Reward 42
  • Starting Cash Reward 40
  • Unlock Teleport Tower 解禁
  • Unlock Mine Tower 解禁

Longer Flame Burnは、Napalm ShellsやShockwaveにも適用されるんだろうか。

2011/07/22追記:
Basic Level 500クリア。サバイバルモードなお達せず。
アップデートしたらデータが飛んだとかコメントがあったのでパスしていたが、いい機会なのでアップデートしてみた。
日本語表示になった。データは飛んでいない模様。

2011/07/27追記:
Survival Modeクリア。
幾つか前のパッチで調整されたとかなんとかいうメッセージを確認していたが、アップデートしていなかったので未確認だった。確かに簡単になった。
新たなゲームモード解禁。

2010年12月11日 (土)

読物 『銃・病原菌・鉄』

 新しい技術のおかげで、より高速でより強力な、そしてより巨大な装置が可能になり、その使い道が見つかったとしても、社会がその技術を受け容れるという保証はない。一九七一年、合衆国連邦議会は超音速旅客機の開発予算を否決している。世界はいまだに、キー配列を効率化したタイプライターを受け容れていない。イギリスでは、電気が登場したあとも長いあいだ街路照明にガス灯が使われていた。社会がまったく相手にしなかった技術はたくさんあるし、長い抵抗のすえにやっと取りいれられた技術も山ほどある。社会はどんな要因によって新しい発明を受け容れるのだろうか。
 異なる発明がどのように受容されたかを調べてみると、そこには少なくとも、四つの要因が作用していることがわかる。
 もっともわかりやすい要因は、既存の技術とくらべての経済性である。たとえば、現代社会では、誰もが車輪の有用性を認めている。しかし、その認識を持たなかった社会も過去には存在した。古代のメキシコ先住民は、車輪のおもちゃを発明しながら、車輪を物資の輸送に使っていない。われわれにとって、これは信じられないことである。しかし、メキシコ先住民は、車輪のついた車を牽引できるような家畜を持っていなかったため、人力で運ぶことにくらべ、車の経済的利点は何ひとつなかったのである。
 二つ目の要因は、経済性より社会的ステータスが重要視され、それが需要性に影響することである。たとえば、ブランドもののジーンズを買うために、品質はまったく同じノンブランド品の二倍の値段を払う人は何百万人もいる。ブランドものの社会的ステータスが、金銭以上のものをもたらしてくれるからである。日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである
 三つ目の要因は、既存のものとの互換性の問題である。キー配列を効率化したタイプライターがいまだに受け容れられないのもこのせいである。本書も、他のあらゆる印刷物と同様、キーボードの左側最上列に配置されている六文字の並びにちなんでQWERTYと名づけられたキーボードでタイプされた。しかし、信じがたいことだが、一八七三年に開発されたQWERTY配列は、非工学的設計の結晶なのである。このキーボードは、さまざまな細工を施し、タイプのスピードを上げられないようにしている。頻出度の高い文字を(右利きのタイピストに、力の弱い左手をあえて使わせるために)キーボードの左側に集中させ、しかも、上中下の三列に分散させている。こうした非生産的な工夫がなぜ施されたかというと、当時のタイプライターは、隣接キーをつづけざまに打つと、キーがからまってしまったからである。そこでタイプライターの製造業者は、タイピストの指の動きを遅くしなければならなかった。しかし一九三二年には、技術的問題が解決され、効率的配列のキーボードが開発され、試用者によって速度は二倍、使いやすさも九五パーセント向上することが示された。ところが、その頃にはQWERTY配列のキーボードが社会的にすでに定着してしまっていた。そのため、過去六〇年以上にわたって、キー配列を効率化したタイプライターを普及させようとする運動は、何億人ものタイピストやタイプ教師や、タイプライターやコンピュータのセールスマンや製造業者によって粉砕されてきている。
 QWERTY配列のキーボードはばかげた話であるが、多くの場合、経済的な影響はもっと深刻である。たとえば、半導体はアメリカで発明され、特許化されたのに、半導体製品の世界市場を牛耳っているのは日本である。これは、アメリカの対日貿易赤字の一因ともなっている。どうしてこんなことになったのだろうか。それは、アメリカの家電メーカーが、真空管を使った電気製品の大量生産に力を入れていて、自社の既存シェアを自社の半導体製品で食い荒らしたくないと思っていたときに、ソニーがウエスタン・エレクトリックから、特許の使用権を買い取ってしまったからである。また別の例が、イギリスのガス灯である。アメリカやドイツの都市がとっくの昔にガス等から電灯に切り替えたあとも、イギリスでは一九二〇年代になっても街路照明にガス灯が使われつづけた。それは、ガス灯設備に莫大な投資をおこなっていた地方自治体が、さまざまな規制を設けて、電灯会社の進出を妨害したからである。
 新しい技術の受け容れに影響を与える四つめの要因は、それを受け容れるメリットの見分けがつきやすいか否かである。たとえば、西暦一三四〇年、大砲はヨーロッパ諸国にまだほとんど伝わっていなかった。しかしダービー伯爵とソールズベリー伯爵は、タリファの戦いのとき、たまたまスペインにいて、アラブ側がスペイン側を大砲で攻撃するのを目撃した。大砲の威力に強く印象づけられた二人から大砲について教えられた英国軍は、それを積極的に取り入れ、六年後のクレシの戦いで早くもフランス軍に対して使ったのである。

下巻 P.59

 これら三つの島やタスマニア島で起こったことは、人類史上の一つの重要な結論を極端なかたちで示している。完全に孤立状態にあった人口数百人の集団は、存続しつづけることができなかった。人口四〇〇〇人の集団は、完全な孤立状態で一万年以上存続しつづけることができた。しかし、この存続には著しい文化的損失がともなっていた。そして、この集団は、いくつかの重要な技術を自分たちで発明することができず、結果として、他に類を見ない単純な物質文明のなかに取り残されてしまった。

下巻 P.156

 結論を述べると、ヨーロッパ人がアフリカ大陸を植民地化できたのは、白人の人種主義者が考えるように、ヨーロッパ人とアフリカ人に人種的な差があったからではない。それは地理的偶然と生態的偶然のたまものにすぎない――しいていえば、それは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の広さのちがい、東西に長いか南北に長いかのちがい、そして栽培化や家畜化可能な野生祖先種の分布状況のちがいによるものである。つまり、究極的には、ヨーロッパ人とアフリカ人は、異なる大陸で暮らしていたので、異なる歴史をたどったということなのである。

下巻 P.296

 ヒトラーと同じくらい歴史に多大な影響をあたえた人間は、アレキサンダー大王、アウグストゥス、釈迦、キリスト、レーニン、マルティン・ルター、インカ皇帝パチャクティ、ムハンマド(モハメッド)、征服王ウィリアム、ズールー王シャカなど、ほかにもたくさんいる。これらの人びとは、たまたまその時その場に居あわせた以上の影響を、人類史にどれだけおよぼしたのだろうか。一方には、歴史学者トマス・カーライルの、「世界史、すなわち世界で人が成し遂げたものごとの歴史とは、根本的には、偉人たちが世界で成し遂げたものごとの歴史である」という見方がある。プロシアの政治家オットー・フォン・ビスマルクのように、カーライルとはまったく正反対の見方をする人もいる。ビスマルクは、カーライルとはちがい、直接、政治の奥深くまでかかわっていた。そして彼は「政治家の仕事は、歴史を歩む神の足音に耳を傾け、神が通り過ぎるときに、その裳裾をつかもうとすることだ」と言う言葉を残している。

下巻 P.320

スペイン人によるインカ文明征服のエピソードを初めて知ったのはいつのことだったか。たぶん、小学館の小学生向けのなにかで、「ピサロがエル=ドラドを発見した」的な記事に触れたことがそれであろう。

『三つ目がとおる』に耽溺し、世界中の伝説に心躍らせた少年の日々が終焉を迎える頃、「エル=ドラド伝説の真実」的な雰囲気の記述を目にしたたように思う。
曰く、予言の年に現れたピサロを神の使いと信じたインカ皇帝アタワルパは云々。曰く、インカ帝国を滅ぼしたのは武力ではなく、病気だった。当時のヨーロッパ人は不潔だった云々。

本書に依れば、インカ人が彼らにとって未知の病気によって壊滅的なダメージを受けていたことは確からしい。だがそれはピサロの侵略時にもたらされたものではなく、パナマにすでに入植を開始していたヨーロッパ人がもたらした病原菌がインカに到来し、いい感じに荒れ狂っているところにピサロがやってきたという順序になるという。
インカ皇帝ワイナ・カパックが病没し、インカは内戦――ワスカルとアタワルパの後継者争い――の渦中にあった。わずか180人の兵力でピサロが勝利しえたのは、銃と馬という、インカにとってはこれまた未知の脅威の優位性があったこともさることながら、インカ側の内部的事情もあった。
ではなぜ、銃と馬はインカに存在し得なかったのか。ヨーロッパ人がもたらした病気にインカ人は蹂躙されたが、なぜその逆はおこらなかったのか。

著者の友人、ニューギニア人のヤリはかつて、こう問いかけたという。
「白人はたくさんの『積み荷』(カーゴ)を持ちこんだが、自分たちには自分のものといえるものがないのはなぜか」

本書を読んでいる間中、脳内で『baba yetu』が鳴りやまない。
紀元前4000年から始まるCiv4では、神の視点をもつプレイヤーは文明を導くために資源獲得を目指す。神の視点をもたない人類が、資源を得て、技術を獲得し、文明を築き上げるには、どれほどのことが必要だったのか。

歴史の授業では、狩猟採集文化と農耕文化は対立するものとして扱われていたように思う。農耕文化が、狩猟採集文化にとってかわったというような印象である。
本書では、これは対立するものではなく、効率の問題にすぎないという。より投資効果――少ない労働力で大きなカロリーを獲得できる――の高い活動を取捨選択した結果にすぎないという。

そして選択の可否は、そこに住む住人の努力如何ではなく、まずは人類の手に馴染む資源の有無に依存するという。例えば、一年草が多種存在するエリアでは、食料にできるものの選択肢も多くなる可能性があり、できのよいものを採取し、育てるという無意識の品種改良も容易であるが、そうではないエリアでは、必然的に難易度が高くなる。
人類という種がすべからくそうしてきたであろうことは、現在でも狩猟採集活動を主にする人々がもつ知識がそれを裏付ける。そうでなければ、ナマコやウニが食用になっているわけがない。ともあれ、彼らが持つ自らの居住エリアを網羅する生活知識を目の当たりにしてみれば、既知の資源に対し、残らず試行錯誤を行ってきた歴史をもつことを証明するものであるという。

食糧生産の開始は、伝搬によるものもある。
大陸の広さ、大陸が東西に長いか/南北に長いか、などは、食料文化の伝搬に重要であるという。温暖な気候でコスト効率のよい農作物が、寒冷あるいは酷暑となる気候で同じ効率を示すとは限らない。コスト効率の低いものは取捨選択の選から落第し、既存の効率の高い活動にとってかわることはなく、落第したからには、その先のエリアへも伝搬しにくくなるいという。現代の企業戦略と同等のものである。
加えて、地形の要害も伝搬を阻害する。

原始的な品種改良は、実が大きい、生育が早い、など、捕食者にとって都合のよい個体を選択することによってなされてきただろうという。栽培種の遺伝子から、その祖となる野生種がわかるらしい。
長い長い時をかけて経験を積み重ね、資源の効率的利用が実現し、採集よりも栽培が勝ったとき、人類は農耕を開始し、定住をはじめたということになる。

農耕文化は生産に直接携わらない人員を養う余裕をもたらす。集団が発生すると、それを束ねる人々が現れる。そのような人々はやがて権威を持ち国家を成立させていく。ある文明では、文字はそもそも税を管理するために発明されたものだという。
文字をはじめとする文化は、発明されることとともに、それが維持されることが重要であるという。文化的交流が競合をうみ、発明を加速させることは、近代にあった世界的規模の混乱の例を示すまでもない。
文明とは、人が集中するところであり、その中には家畜の導入などによって労働の向上が図られたものもある。ヨーロッパ人がアメリカ先住民を駆逐し、その逆が起こらなかったのは、家畜と接した文明と、そうでなかった文明の衝突がもたらす必然であったという。家畜から感染した病原菌とそれに対する抵抗力を持ち得た人びとと、それを持ち得なかった人びとの、あるいは軍用に使役できる家畜を持ちえた人びとと、そうでなかった人びととの運命的な違いによる、と。インカ文明においては唯一ラマのみが家畜化されたにすぎないという。
病原菌にやられたのは南米ばかりではない、北米大陸のアメリカ先住民族も同様であるという。また、馬を駆り、銃を撃つインディアン(ネイティブ・アメリカンという表現を差別とする風潮もあるそうな)の姿が思い浮かぶが、アメリカ大陸には馬はいなかったか、更新世で絶滅ないし、捕食されつくしてしまっていたという。

これらはすべて、食料生産を有利に行えたか否かが第一の大きな要因であるというのが本書の論旨である。
うまいもん食ってる奴が勝つといったのは誰だったか。

有利な第一歩を踏み出しながら現在(一九九七年当時)までそれを維持していない文明――国家の例として、かつて肥沃三日月地帯であった土地に存在する国々と、中国が上げられている。
前者の理由としては、森林資源などの人為的破壊速度が自然の再生速度を上回ってしまったことがひとつ。西方からの侵略のたびに、権力の中枢が西方へと移動していったこと、アレクサンダーによってマケドニアへ、ローマ帝国のギリシャ侵略によってローマへ、ローマ帝国の滅亡によってヨーロッパへと移ろっていったことが述べられている。
古代中国は、ヨーロッパに比べて数千年は技術的に先進していたという。いわゆる大航海時代がはじまるよりも前に、中国はアフリカ大陸に到達していた。中国による外洋探検が継続して行われなかった理由は中国の政変にあり、船団派遣を後援していた宦官の派閥が政争に敗れたことにあるという。そして、勝利した派閥は歴史的に俯瞰すれば愚かな選択を為し続け、結果、自ら停滞を選んだ具合となる。ヨーロッパは現在に至るも統一的集権機構をもったことはなく、ある国で捨て去った技術が他国に残り、それが国家の生存戦略に有利であれば再度獲得する機会を得られもしたが、それに比べ、中国は広大な国土を単一政権が掌握する歴史が続いたため、権力者の選択が技術の完全な喪失につながりかねなかったという。

かつて地理という学問は記憶するだけのつまらない、個人的にはまったく意味のない学問であったが、歴史や科学技術などと複合した視点から俯瞰すると、実に面白い。
大学時代の教科書だった『科学技術史』は、当時はまったく興味もないままに捨て置いていたが、あるときふと見出していつか読もうと保存し続けた。ちょっとはマシなことを考えるようになったTRPGへの適用を目論んだわけだが、TRPGをやらなくなってしまって、機会を逸した具合となっている。
いまだ紐解かれぬまま手もとにあるが、そろそろ秋なのかもしれない。

2010年12月10日 (金)

覚書:Access 2007 Runtime について

わりと遠地の客先に納入し、稼働し始めてしまったマシン十数台が対象なので、OSから再インストールという事態は避けたいという条件のもと、要約すると以下のような不具合の調査を押しつけられて、いろいろとやってみた。
・Access 2007 Runtime をインストールした
・Microsoft Office 2003 をインストールした
・Access 2007 形式のファイルが開けなくなった

エラーメッセージは、「~現在のユーザ用にインストールされていません」的なカンジ。
新しいバージョンの MS Office をインストールした後に、古いバージョンの MS Office を共存インストールしたときに発生するらしい。他にも発生要因があるようだが、未経験なのでよくわからない。

Webにお伺いを立ててみたところ、レジストリをどうこうせよだとか、MSの削除ツールを使用せよとかいうお告げを得たが、どれをやってもうまくいかない。
しかたなく、Access 2010 Runtime をインストールして急場をしのいだのでいたのだが、Access 2010 Runtimeには、Access 2007 Runtime ではサポートしていた機能がなくなっていたり、レポート出力結果が変わってしまったり等の残念な実装がなされているために、なにがなんでも Access 2007 Runtime が動くようせざるを得ない羽目に陥ったという事情はさておき。

以下の手順で問題解決。
・Access 2010 Runtime をアンインストール
・Access 2007 Runtime をアンインストール
・製品版 Access 2007 をインストール(すぐに削除するのでライセンス登録はしない)
・製品版 Access 2007 をアンインストール
・Access 2007 Runtime をインストール

久々にMSバンザイと叫んでしまった。

2010年12月 7日 (火)

アニメ 『CANAAN』

「上海」というキーワードに短絡して、どのようなものかも知らず、目の当たりにして奈須ブランドであることを知る。オマケに求めるものとは全く違っていた。『閃光のナイトレイド』で目が眩んでいたらしい。

悪くはないが、セカイ系に登場する悪役ってピエロだよなとか、そんなカンジ。

とはいえ興味がわいたので、PS3版『428』に手をつけてみようかなと思ったり思わなかったり。

2010年12月 6日 (月)

『激突! ラジコンロック』供養

小学生の頃、ラジコンブームというものがあった。
ラジコン漫画なんてものもあって、すがやみつるなんかも描いていたような記憶があるが、二十年の時を越え、数千冊の粛正を乗り越え、現在に至るも手元にコミックスが残っているものはこれだけだ。

作画者名義は『もろが卓』。幾つか単行本作品を残しているが、他の作品のことはよく覚えていない。大方、気に入った作品を書いた執筆者はフォローするものだが、そうではない場合もある。この場合、ある作品に対する激烈な愛情に比例しない執筆者への淡白さは、神矢みのるに対するものと似ているようだ。

しかしながら、この漫画家には、個人的に、他にない特筆すべき点がある。
漫画作品に対する冷徹な民主主義適用についてはうすうす察していたものの、漫画家の絶対性についてまだ疑いを知らなかった頃のこと、なんだか見かけなくなったなと思ったら、アスキーのコンピュータ情報誌?『ログイン』の編集者になっていた。『ログイン』は中学生の頃から購読していたような覚えがあるが、同誌の編集者である『ガスコン金矢』が同氏だということに気づいたのは同級生と「すてらのなばびご~ん」とかやっていた頃、高校生の頃だったと思う。
漫画家が何故、コンピュータ関係の雑誌編集者に転身したのか。それはずっと気になっていた疑問ではあったが、つい先頃までその理由を知らなかった。

さて、時々、唐突に同氏の消息および作品に関する情報に触れたくなる。
前回そうしたのはいつのことだったか、日記で見る限りでは2000年だか2003年のことらしい。とすれば今回は7年ぶりのこととなる。
Webで検索したら、本人のブログがヒットした。なんとココログである。7年前には見いだせなかった転身の事情も記されていた。要約すると、漫画家としてやっていくことに限界を感じまた、他に興味をもつものができたということらしい。その事情に絡めて才能について云々と綴っている。

才能云々について論じる根をもたぬ我が身ではあるが、同作品に対していまだ冷めやらぬ熱量を持ち続けていること立場としては、少なくとも『ハートロック1』に対してはそんなことはないと思う。というか、車両の絵はメチャメチャうまかったんじゃないかと思う。
個人的感傷はさておき、氏の自身に関する才能論は、一生の仕事として続けていくことに限界を感じたということに帰結している。

どうでもいいことだが、我が身が籍を置いた高校は芸術科目が選択で、音楽か書道か美術かのいずれかを選ぶことができた。中学の自主的卒業制作に紙粘土製麻雀牌を作成した我が身としては選ぶまでもないことであったがそれはさておき。
今思えば、高校の美術教師はリベラルな教育方針の持ち主であったのかもしれない。他に例を知らないのでなんだが、硬い発泡スチロールのような樹脂材を用いて四輪車の模型を作れという課題を出されたことがあった。
当時も今も四輪車にはまるで興味がなく、困った我が身は、セリカXXと『ハートロック1』と『ペガサスX』を足して30くらいで割ったようなシロモノをでっちあげた。出来はいいとはいえなかったが、ドアではなくキャノピーにして、開閉式にしたところが受けたようで、作例として講評を受けた。

黒田洋介氏が作成したというハートロック1の模型を見せつけられてそんなことを思い出し、久々に全9巻、耽溺した週末であった。

才能論のまとめとして述べられた「人生は思ったようにしかならない」という氏の言葉は、『辺境警備』過去花『天使のいない夜』を思い出させた。そういえば、『辺境警備』『グラン・ローヴァ物語』も再読のシーズンかもしれない。

2010年12月 1日 (水)

六七日

納骨。
当初、七七日を考えており、その旨旦那寺にも申し伝えていたのだが、「ん? そういえば、その日は寺の法要だった。アカン」と宣告され、早まることとなった。
五七日を区切りとして納骨を執り行うむきもあるようだが、六七日にというのはあまりないようだ。業者は日にちを勘違いして遅刻するし、なんだかもう、いろいろとありすぎる。

ほんとにもう、いろいろとありすぎて。才覚のなさがいやになる。
オヤジからは間の悪さを、オフクロからは直球勝負な性格を受け継いだんだなと強く自覚する。
難儀なことだ。

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