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2010年11月

2010年11月29日 (月)

映画 『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』

人が悪いぜ・・・・・・。
あるじゃねえか、もっと俺向きのやつがよ!

 

初めて明かされる、ウルトラ的超時空移動。
萌えに頷くタロウ。
やけにダンディなウルトラの父。
若き日の父、そしてゾフィー。髭がまだモミアゲで、増幅装置と縞がまだない。
初めて?明かされる母の名はマリー(マリア?)。父の名はケン。
TVシリーズでは鼻についたミライの爽やかさがやけに心地よい。
どこ見てんだかわかんない目のアギラ、ミクラス。あんなだったカプセル怪獣がやけに強い。ベムスターに単独で勝利してやがる。
マスター・ハヤタ、マスター・ダン。
レオの小手投。
リファインされたキングジョー。
ついにきた手持ちアイスラッガー。
光の国誕生のエピソード。映像化されたのは初のような気がするが、劇画で見ているような気がする。
ガン=カタを採りいれたウルトラファイト、前進しながら波動拳的な。
ゴモラハイキック、ゴモラヤクザキック、シッポを利用してのゴモラドロップキック、最近は怪獣の中の人も大変っぽい。

イヌトラマン・ベリアル。
フィナーレは石川賢的なナニ。

リーゼントスラッガー・ウルトラマンゼロへの継承の儀式。

小泉キングで話題になった作品である。ダイナとかヒカリとか知らないのがいるけれど、あまり気にはならなかった。
この作品に我が身が感じているような生暖かさを、英語圏の人びとは"STAR WARS"に感じているのだろうか。おそらくどんなウルトラマンが作られても、満足ということはありえないのだろう。

そんな思いもあるにせよ。

燃えるじゃねえか。

2010年11月26日 (金)

イメージアルバム『宇宙英雄物語』に聞いてしまった時代

SNSやらなんやらで、10年前のPCや携帯がどうだったとかいう記事を目にする昨今。PCの自作をやったこともある身の上なれば、貢いできたよね的な話題は折に触れて出るもので、話題自体は目新しいものではない。
ただ記事の内容はといえば、彼氏だか彼女に送ったメールがすぐ返ってこない、PCメールの確認頻度がど~たらというもので、なんというかアレだ。現時点では携帯がコミュニケーションの主媒体であるという結論だけでは足りないらしい。

さて、先日引っ越しをして、CDなんぞが掘り起こされた。
ここ数年は新曲チェックなどすることもなく、CDを買うこともほとんどなくなっている。なんとなくイカン気がして、Xperiaを買ったことだし、イヤホン嫌いだけれど、音楽を身につけることにして、暇を見てリッピングを始めた。
Media Goはなかなか使い勝手のよいツールだが、『シャ・リオン』のシングルがエレファントカシマシの『真夜中のヒーロー』として認識されてしまうような不具合がある。Media Goのデータベース登録ミスなのか、CD媒体の問題なのか、わからないが困ったものである。

発掘物の中には、10年近く視聴していないものもある。その中に『宇宙英雄物語』の 1st イメージアルバムを見つけ出した。
オリジナル楽曲とサウンドドラマから構成されるシロモノである。そのドラマ中の台詞から、「4万とんで994円のCDプレイヤー」「電脳大将と名乗る秋葉原のジャンク屋のオヤジが、共産圏にLSIチップをばらまこうとした」などというキーワードが耳について、なにやらひどく感慨にふけってしまった。

同イメージアルバムはたしか89年頃発売されたもので、マイナーな作品なわりに豪華なメンバーが参加している。
老師、なにやってるのかなあ。

2010年11月25日 (木)

ウルトラマンレオ第一話に見る先駆性

タロウ、レオの直撃世代なので、幼児の頃よく見ていたはずなのだが、そのようなタイトルは得てして第一話を見ていなかったり最終話を見ていなかったりする。タロウやレオの、下手な絵を飽きもせず繰り返し描いて、レオが超刈上げであることに気づいていたりしたのだが。
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ともあれ、タロウもレオも第一話を見ていなかったことが、このたび明らかになった。

沈む太陽をバックに、バストアップのレオとセブンが向かいあう。
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そういう絵がOPにある。第一話、レオとセブンが邂逅を果たし、セブンが「あそこに沈む夕日が私なら、明日の朝日はウルトラマンレオ、お前だ!」と言うシーンだ。セブンがレオを杖で打つシーンともども印象的だったはずだが、すっかり忘れていた。

レッド族の勇士。
セブンにはそういう設定がある。円谷プロ監修の漫画作品においてそのように描写されたと記憶しているが、作家によるオリジナル設定だろうか。ともかく、白兵戦ではアイスラッガーを手に禿をさらして戦い、レッド一族戦士団による要塞攻略においては両端に穂先のある槍状の武器を手に吶喊し、敵の惑星破壊兵器を念動を用いて照準・射撃するなど、幅広い活躍を見せる一方で、なぜだか弱い――あるいは負けすぎ、という印象がある。
それは多分、レオ冒頭のやられっぷりがインパクト大であったためだろう。それとともに、自身が戦えぬもどかしさ、若く未熟なレオに任せなくてはならないことへのフラストレーションが劇中よく表現されており、子供心にもそれが理解できたように思う。

強いという世間的評価に反して弱い、イラチな男。

世代的に、レオの放映後、早朝の再放送でセブンを視聴せざるをえなかったということが、セブンに対するこの印象を決定づけたに違いない。

『ウルトラマンレオ』については、OPの歌詞はよく覚えているが、本編のストーリーは大まかにしか覚えていない。大方の特撮モノについて、我が身にはこの症状が発現していることは余談である。
獅子座L77星のウルトラ族であるレオは、マグマ星人によって故郷を破壊され、地球に落ち伸びてそこを第二の故郷と決めた。マグマ星人は地球滅亡をもくろみ、次々と攻略の手を伸ばす。レオは苦戦しつつもそれを打破し、次第に成長していく。マグマ星人の野望を打ち砕いた後は、謎の円盤生物なるものがやってきて、近しい人々の死、MAC基地壊滅などのビッグイベントが連続するが、危機感の演出とは裏腹に、幼稚園バス乗っ取り事件のような攻略作戦であったというイメージがつきまとう。
あまり好きではないように思っていたが、思い返せば当時、マグマ星人やババルウ星人、アストラなどに対して、劇中ではイマイチよくわからない、あるいは明かされていない、ないしは見逃してしまった設定を漁っていたようであり、自分でも意外に印象が深いようである。

さておき。
第一話、レオは地球人として暮らし、スポーツジムのインストラクターをしている。
スポーツ万能な演出とともに、10歳くらいの少女との触れ合いが執拗に描かれる。おゝとりゲンには恋人がいるという設定らしいのだが、第一話ではそのような表現はなされていないように見受けられる。
どういう意図なのか、この後どういう展開になるのか全く覚えていないのだが、これなんてぎゃるg(ry
な、カンジなのであった。

この子役、富永みーな、らしい。
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2010年11月20日 (土)

映画 『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』

冒頭、ウルトラマン、セブン、ジャック、エースと、究極超獣Uキラーザウルスとの死闘。
三分間の制限のない戦いが実によい。

Uキラーザウルスはヤプール人が作り出したものである。ヤプールはどうやら不滅の存在であるらしく、今倒してもまたいつの日か出現することが予期されるという。
四者は大苦戦の末に勝利を得るが、ヤプールともども封印することを決意する。

時は流れ、ウルトラ戦士の栄光に憧れを抱いたメビウスは、地球防衛の任を志願する。
ウルトラの力を失った四戦士は、封印を見守りながら人間として生きてきた。四戦士とメビウスの邂逅が、この物語の一つのキモであろう。

大方マンゾクなのではあるが、FF展開にするくらいなら、内山話にしろよ、とか思わなくもない。板野サーカスも、ウルトラマンにはいまいちっくなのである。

CGなのに、苦労人なのか、ウルトラマンの顔がシワシワなのが・・・w
オマージュなのだろうが、造型が失敗したようにしか見えない。

2010年11月19日 (金)

ウルトラマンT第一話とゴッドハンドの転生

突如、ウルトラマンタロウ第一話を鑑賞せねばならないという使命感に駆られ、見た。
我が家に伝わる伝承によると、我が身は幼児の頃、ウルトラマンタロウを激しく鑑賞していたようで、絵のうまいとはいえない祖母に「たろう、かいて、かいて~」とねだって祖母を困らせていたとされていることはさておき。

第一話は、ウルトラマンタロウ生誕が語られている。次のような経緯を経て、タロウは生まれる。

――世界を放浪する旅から帰国した東光太郎は、到着した港で、「超獣」オイルドリンカーと遭遇した。光太郎は、超獣に対し、港湾クレーンで果敢に挑む。出現地点がオイルコンビナートであるため、手を出しかねていたZATだが、光太郎の奮闘により射角を得て攻撃、オイルドリンカーを撃退する。
一方、光太郎が持ち帰った、百年に一度花を咲かせるというチグリスフラワーの球根は日本の風土に過度にマッチし、「怪獣」アストロモンスとして開花する。まだ民間人であった光太郎は、巨像と対峙するワンダ風にこれに挑み、なんとなく撃退する。
撃退したものの、負傷した光太郎は、ウルトラの母の化身たる緑のおばさんに手当を施され、「一度やりかかったことは、やりとげなさい」との言葉とウルトラバッジを与えられた。
その後、光太郎はZATへ入隊する。再度出現したアストロモンスにスーパースワローで挑んだ光太郎だが、撃墜されてしまう。生死の境界でウルトラ五兄弟に救われた光太郎は、ウルトラの命を得て、ウルトラマンタロウとして生まれ変わる。

この転生ともいうべきシーン。
このシーンで、ウルトラの母たるペギー葉山は、ナレーションでこう語る。
「見よ! ウルトラの命の誕生を!」
そして、ゾフィ、マン、セブン、ジャック、エースのウルトラ五兄弟に語りかける。
「あなたたちも、こうして生まれたのです」

横たわる東光太郎を取り囲んで、ウルトラ五兄弟がVサインを掲げる。

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そうして、

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生まれ出た、命。
瀕死の東光太郎を依代にして生まれた命。

そのさまは、どことなく「蝕」を思わせた。

どうでもいいことなのだが、太陽を背景にしてシルエットで登場したウルトラの母の姿はゴッドハンドを彷彿とさせ非常によいカンジだったのだが、マントをはだけたときあらわになった思わぬきょにうっぷりでダイナシ風味なのであった。

2010年11月18日 (木)

三連星ちゃん

創作物の中に悲しみの演出を見受けることはままあり、どんなに悲しくても眠くもなれば腹も減るなどと、悲しみの渦中にある我が身を自嘲する表現もまま見受けられる。
そんなカンジというわけではないが、まず本を読み、日記を記し、ゲームをやり、少しずつ、日常を取り戻そうと強いてきた。強いることもなく、日常は戻ってくる。そうなってしまう復元力を、我が身はまだもちあわせているようだ。

やる気を失ったというわけではないが、なんというか力が入らないカンジでしばらく通わない日々が続き、その間、身体の調子も悪くなっていった。変な具合に気が張っていた間はそんなこともなかったのだが、変な気力もどうやら尽きたらしい。
忌明け後とも考えていたが、四七日の法要で聞いた住職の法話がなんとなくその気を出させた具合となり、おおよそ一月ぶりに道院に顔を出した。

稽古開始前の僅かの間、まだ誰も来ていないことに若干の気後れを感じて、喫煙して間を紛らわせようと思いつく。
稽古場たる公共施設は屋外に喫煙スペースがある。戸を開けると、7~9歳くらいのジョシらの声が聞こえた。3人で、ジャンケンをやっている。
煙草に火をつけ、聞くともなしにそんな様子を聞く。あいこがながい。ながい。
ようやく何事かを決める勝負が決し、勝利した子が「じゃあ、まねしてね」的な宣言とともに、走り出した。

3人とも、靴底にローラーを備えたタイプの靴を装備している。
それで、滑り出した。3人、縦列で。
なにやら、その年頃の子がよくやるような、あたしソングを歌いながら。

 ・・・を走る、・・・の列

そんなフレーズが脳裏をよぎり。
 

こんな日のこと。
多少の気後れは、相手側にもあり。
葬式に来てくれた6~7歳らのイノセントな心配りが身に染みる。

久々の稽古ということで気負いも過分であったに違いない。
眼鏡をはじきとばされて、ねじが一本なくなってしまった。片方、レンズが脱落している。

本日は久々に旧眼鏡。短時間の着用で猛烈に疲れを覚える。ダサイといわれようと looks like インテリヤクザ hehe とかいわれようと、レンズのでかい眼鏡は我が身に必須なのだ。

眼鏡を修理に出したところ、レンズを固定するネジが錆びて疲労破壊したとのことで、まっぷたつに折れていた。だいたい5年くらいで眼鏡を換えていたが、そういえばこの眼鏡は、その倍くらいは使っているような気がする。汗もよく吸っているし、レンズも傷だらけだ。
数年前から時折、代替品を求めて眼鏡屋に赴くが、思ったようなものが見つからず、レンズ交換するしかないのかと考えてそれっきりの日々を過ごしている。

2010年11月15日 (月)

読物 『ザ・古武道 12人の武神たち』

 私のほうは、そのままグースカ眠り込んでしまうのだが、”小説界の鉄人”と呼ばれる菊地秀行氏は、ここから先が大いに違う。
 なにが違うのか――。
 おもむろに、B5判の原稿用紙を取り出して小説の執筆を開始するのである。
 私の記憶によれば、とにかく菊地氏は、いついかなる場合でも原稿を書いていた。列車の中で鼻歌をうたいながら筆をすべらせるのはもちろんのこと、駄菓子屋の前のベンチにすわり、アイスキャンデーをかじる子供たちに囲まれて執筆する姿も目撃している。満員電車の中で通勤客にもまれ、立ったまま書いたこともあったし、宿泊先のホテルで朝まで寝ずに書くのは毎度のことであった。
 ――菊地氏はいったい、いつ眠るんだろうか。
 あの、女性ファンを魅了してやまない紳士的な温顔の下には、ターミネーター顔負けの恐るべき機械仕掛けが隠されているんじゃないか、などと真剣に考えたことさえあるくらいだ。
 だが、そんな超人の菊地氏でも、ごくまれに眠ることはあった。
 あれはたしか、無比無敵流杖術の取材のために乗った、水戸へ向かう「スーパーひたち」の車内だったはずだ。
 窓から降りそそぐ、暖かい陽差しに眠りを誘われたのか、菊地氏は原稿用紙を抱いたまま、ひなたぼっこをする猫のようにこんこんと眠りつづけていた。
 日頃、菊地氏の汲めども尽きせぬ想像力の源をなんとか探りたいものと、知的好奇心をうずかせていた私は、ここぞとばかりに氏の手もとをこっそりのぞき込んでみた。
 一瞬、おやっと思った。
 菊地氏が抱えている、原稿用紙の裏には厚紙がついているが、そこに走り書きがあったのだ。目を近づけてみると、
 ――大淫女。
 という文字が、シャープペンシルの筆跡もあざやかに、でかでかと書かれているではないか。
「大淫女」と言うからには、その秘密の部分が食虫植物のごとくぬめぬめと濡れ動き、男の体を頭から足まで呑みこんでしまう妖怪女のことであろうか。
 ふーむ、菊地氏の頭のなかには、いつもこんなものが棲んでいるのか――と、腕組みしながら、妙に感心してしまったのを覚えている。
 菊地氏が現代文学にもたらした最大の功績は、イマジネーション・パワーの回復であろう。想像力欠如の小説界において、妄想に妄想を重ね、ロマン豊かな禁断の果実を実らせたのが、菊地秀行氏なのだ。

P.249 (あとがきより)

 本書が出版されたのは1991年講談社から、手もとにあるのは1996年刊の光文社文庫版である。1991年というと、個人的にはわりとビミョーになってきていたが、まだ読んでいた頃だ。
 いつもそうかもしれないが、超多忙の折のこと、上中下完結編を123と引っ張っていた頃のこと、こんなこともしてたんかいな、という印象である。良い意味で、趣味と実益を兼ねた企画であったに違いない。実に楽しそうな筆致である。
 内容は、今となっては目新しいものも少ないが、菊地氏の文章で読むところに意味がある――読前、そんな評価を目にしたが、まさしくその通り。

 どうでもよいことだが、上述のあとがきを記したのは、同書が雑誌企画だった折に菊地氏の取材に同行した編集者である。後に小説家になり、大河ドラマにもなった『天地人』の著者だという。
 どうでもよいことだが、読んでみようという気にさせられた。

2010年11月13日 (土)

「彼」との対話

『アップルシード』から二十有余年。
ESWATで飛び交う多国語に、演出とはいえいささかやりすぎちゃうのんとか感じないわけではなかったものだが、自らの身に似たようなことが起ころうとは思わなかった。

日本語と、英語と、仏語と。

話題はあるが言葉が通じないというのはもどかしいもので、いろいろと断念した話題もある。
そんな中で、拙いながらも為し得た話題は、

  • 趣味
  • 合気道
  • グレンダイザー
  • フェンシング
  • 薔薇の名前
  • カソリックの地獄観

などだった。

「彼」は、幼い頃に柔道の経験があり、フェンシングを四年やり、現在は合気道をやっている銀行家である。
熱心なカソリックで、休日の過ごし方を聞いたら Pilgrim とかいう。最近どこかで聞いた言葉だとおもえば『オブリビオン』で、同ゲーム中では贖罪のための巡礼を指す。巡礼が趣味って!

合気道について。
仕事が忙しくてあまり行けてないらしい。一週間連続で通えることもあるらしい。
彼の所属する団体は白帯と黒帯しかないらしい。段位は取得していないらしい。

グレンダイザー。
どういう流れか、なんか突然アニメの話題になり、「彼」答えて曰く、『ごるどらっく』というアニメを見ていたという。ジェスチャーその他でそれはグレンダイザーであるらしいことがわかった。調べたところによると、フランスでは最高視聴率100%だったようだ。
その他、『キャプテン・フューチャー』や『コブラ』も見ていたらしい。サイコガンを撃つゼスチャーをした。右腕だったけど。

フェンシングについて。
日本の武道に見受けられるような昇級制度はあるらしいが、詳しいことは知らないという。四つぐらいランクがあるらしい。流派というかスクールがいっぱいあるらしい。居合のようにリアルソードを用いることはないらしい。前後にしか進んではいけないらしい。
「彼」は、あの細い剣先を見切れるという。すげえ。

『薔薇の名前』について。
映画を見て、小説を読んで、しかし哀れな我が脳は『薔薇の名前』の意味をしかと確信するに至らず、カソリックならばあるいはわかるのではと考え、コレ幸いと話題にしたわけだが。
「彼」曰く、薔薇とはアドソと出会った女性のことであるという。
かつて我が身はそれとは異なる印象をもったはずなのだが、それは思い出せず、なるほどそうかとせざるを得なかった。

カソリックの地獄観。
なぜだか、カソリックというかキリスト教に輪廻転生ってあるんだろうかという疑問が浮かんだ。唐突に、脈絡もなく。かつて気になったことはあるが、真面目に調べたことはない。デジタルデビルによるとあるらしいとか、その程度の知識しかない。
さて、「彼」曰く。煉獄にて裁きを受け、あかんかったら地獄へ堕ちる。地獄へ堕ちたらそれでおしまい。ノーチャンス。
人生は公平じゃないよね、それでもノーチャンスってのはシビアだねえ、というと、要は意志の問題であるというようなことを語ってくれたが、返す言葉が思い浮かばず、中途になってしまった。

そんな話題がいーかげんな英語でなされたわけであるが、Heavenが「ひーぶん」と発音されたり、フランス人の英語発音について事前に警告されていたにもかかわらず、聞くとやるとじゃ大違いで、ただでさえヒアリングが覚束ないのに、ハードルがあがったカンジだった。

母を安心させるために「彼」から言葉を引き出そうと遠回しにほのめかしてみたりとかしたのだが、あちらには「娘さんをください」的な風習はないよう で、なかなかその一言を聞き出せない。最後には、「意志を言葉にして母に言ってくれないか」ということを、妹から「彼」に伝えさせた。言葉は虚しいものだが聞けば安心するもので、言葉を引き出せたときは、我が身もほっとした。

十日ほどの滞在を終え、「彼」は帰る。
一つのヤマ場を乗り越えたわけだが、本番はこれからで、このあとどう転ぶかまだわからない。再度渡仏するまで妹は、Skypeで「彼」とコミュニケーションするつもりらしい。フランスに持って行く用に、わりと高いノートパソコンを妹に買ってやってくれたので、現時点ではその気なんだろう。

握手をして「おーぼあーる」を告げた。
この言葉には「また会いましょう」の意味も含まれるらしい。だが、願いを込めて、付け加えた。
"See you again"
と。

いろいろとあったが、よい経験ではあった。

2010年11月12日 (金)

読物 『猫物語 黒白』

 エピローグゆえの上から目線の全能感はまったく通用しなかった。

(黒) P.293

 10/21以来、幾つか物語作品を読んできたが、それがしかと自覚できるくらいに、感性の変化が起こっている。在りし日の『ベルセルク』でガッツが吐き捨てた幾つかの言葉――真逆の意味を持たせられた常用句ら――に感じさせられたものに、それは似ている。

 西尾サンの作法、言葉遊び、にもだいぶ慣れた。古い例となるが、秋津透のルビ文体への慣れと似ているだろうか。
 慣れてしまえば残された問題は作品の出来不出来だけとなるわけだが、アニメシリーズの衝撃がまだ残響しているのか、楽しませていただいている。

 西尾サンの書いたものは『化物語』シリーズ以外には、なんとかサイクルを読んだだけで、そちらはかなり気に入らなかった。正直だから、このシリーズに着手するにあたってだいぶ迷いはあったのだけれど、アニメ作品が相当ツボに入ったから、読んでみる気になり、以後続刊を欠かさずに読み続けている。

 次は12月。『傾物語(カブキモノガタリ)』。

2010年11月11日 (木)

Xperia, Update to 2.1

待ったような待ってないような。

手順はそこそこ煩雑。
結果からすると、アップデートツールに表示された案内通りに行っていけば問題なく完了となる。しかしながら、都度都度全て自己責任で行う旨が強調されたサイトへ誘導されるようになっており、安心して行える作業という印象はない。

アドレス帳とメールのバックアップは必須らしい。PCに丸ごとコピーじゃいかんのかなとか思いつつ、SDカードへのバックアップを選択。

しばらくして更新完了。更新完了後の起動に数分かかる。

とりあえず無事完了したっぽい。
やってみればなんてことはないが、やってる間のどうしようもない不安感は拭い得ない。

以下、雑感。

  • ユーザインターフェイスが一新されている。
  • ロック解除が使いやすくなっている。
  • 文字が読みやすくなっている。
  • 文字入力が使いやすくなっているような気がする。
  • Home++がうまく動作しない。新GUIが使いやすいっぽいのでナシで過ごしてみることにする。
  • 電話帳のグループ表示機能が使えなくなっている。
  • 電話としてはどうにも使いにくかったが、さらに使いにくくなったカンジ。

ごく普通のユーザーたる我が身にとって有用なアップデートであったのか否か、いまのところまだわからない。

とりあえず、Skypeが使えるようになったらしいので、試してみよう。

2010年11月 7日 (日)

Androidと英語脳

一日中データ入力を続けて一月分を完了させた。残りごかげつぶん。やれやれ。

Androidアプリに、音声入力で翻訳してくれるツールがある。フランス語も対応している。
我が家のフランス問題のために導入してみたが、入力デバイスがアレなのか、認識がアレなのか、発音がアレなのか、原因は不明だが、認識率がどうもよろしくない。妹が購入した電子辞書の方が対応が早い。
Xperiaで文字入力してまで翻訳するほどマメではないので、仕方なく自前でなんとかしようと試みるも、五年以上休止状態だった英語脳はエンストしまくりでなんともならない。
フランス人相手に英会話というのも妙な話だが、肝心の妹からしてフランス語が満足にいかず、どう聞いてもおかしい英語で話しているのだから仕方がない。
かつて仕事で、カナダ人と、やはり英会話をしていたことが、奇しき縁として思い出される。

ファーストコンタクトより三日目、英語脳はどうにか暖気状態にまでゲインしつつある。とはいえ、もともと出力が弱いものだから、フル回転でもたいしたことはないのだが、なんとか会話を成立させることに成功した。

彼は合気道をやっている。
事前にそう聞いていた。それをとっかかりにしようと考えてはいたのだが、会話が成立しないのではなんともならない。かつて仕事で英会話していたときは、難しく考えすぎて言葉にならない状況からはじまり、やがてシンプルに文を構成することで会話を成立させるようになった。そのうち自然に、中学で習ったような英文法が使えるようになって、会話が苦ではなくなっていった。
そんなことがなんとなく思い出されて、難しく考えずに文を作ろうとしたわけだが、文を作ろうとしている時点で英語脳は稼働していないことになる。

とりあえず。
フランスには合気道の団体が二つあり、仲が悪いこと。
ゆえに、昇段試験は「時として難しくなる」こと。
筋トレはせず、呼吸法をやるらしいこと。
フランスで最もポピュラーな格闘技は柔道で、少林寺拳法はあまり有名ではないらしいこと。
とてもそうは見えないスリムな体型をしているのだが、子供の頃は柔道をやっていたこと。
などを教えてもらった。
合気上げという言葉は知らないということだが、それっぽい技を見せてもらった。
ついでに、弟が柔道で初段をもちあわせていたことを初めて知った。往事の口ぶりからテキトーにやっていたという認識しかなかったのだが、高校三年間続けた証はあるということらしい。

家族は巧妙に姿を消すことを覚え、どういうわけか妹は、コミュニケーションの仲介をすることに熱心ではない。意外に気をつかう我が身としては、おれがやるしかない的な空気を読み取ってもいる。
まったくもって、やれやれだぜなのである。

データエントリーな日々

葬儀参列者のリストを作成し、弔電の礼状作成、お手伝いの礼状作成と並行して、年賀状を頂戴した方々のリストを作成し、喪中のお知らせを作成している。

我が身と妹をのぞき、家族は稼業に従事している。景気の低迷もあって母は引退もままならず売上を出すことを日々余儀なくされ、稼業を継いだ弟は会計のノウハウ引き継ぎを怠っていたツケがまわってきて、従業員の給与や取引先への支払い勘定などで四苦八苦している。
貧乏暇なしとはよくいったものだが、せねばならぬことがあるほうが、あるいは良いのかもしれないとも実感しつつ。

礼状は、できれば手書きで作成したかったところだが、かような事情もあり、自作の印刷物で済ませることにした。家族の負担を軽減したいという理由から、自らすべてまかせろと買って出たわけだが、なんやかやで二週間もかかってしまい、ようやくにして礼状の投函を終え、喪中はがきのプリントアウトにこぎつけた。それなりに数もあったことだし、時間がかかったのも仕方がないと考えていたのだが、喪中のお知らせをてきぱきと出すのもまるで準備していたようで世間的にアレだと家族に指摘され、そんなものかもしれないと得心しつつも、肩凝らせて用意した俺様ちゃんってどうなのと思わなくもない。

投函を焦る必要がなくなり、次に到来したのは、稼業の帳簿作成ヘルプである。
半年分、溜めているという。

父がやっていた方式はノートに記録するものだった。それをもとに、メーカー別、日別などの帳票を手動で作成していたわけだが、その手間を省いてやろうとエクセルファイルを作成したのが1998年頃のこと。何年か入力業務を行い、弟に引き継いだ。

このような事態に陥ったのは初めてのことではない。ノート作成は怠っていないものの、データ登録作業は滞りがちで、幾度か登録代行をしていた。だいたい数ヶ月分溜めてくれる。
日々忙しいのは分かっているが、溜めすぎだろうと、毎回思う。溜める前に言ってくれとも思う。
滞らせる度に父は静かにブチ切れていた。ほとんど引退したといっても、経営は父が取り仕切らざるを得ない状況にあったためで、経営するからにはそれら資料は必要なのだ。

紙は偉大なり。紙面ノートの手軽さに比べたら、表形式とはいえデータ登録作業は煩雑さにおいて勝る。登録後に帳票が楽に出力できるという天国が待っているとしても、登録作業という地獄が辛いと進めないものらしい。
これは弟が、帳票を活用する立場になかったためでもあろう。

往時は現在の倍ほどの登録量があった。現在では日々10件程度、セール時でその5倍程度というデータ量はたいしたことがないようではあるが、一部暗号化がなされているため慣れない者にはこの解読が一手間であり、また、ほとんど一品ものといっても差し支えない仕入量であるために、劇的な効率化が図れない。商品登録の手間だけ増えるような具合となり、データベース化するメリットが見いだせないのだ。
これについては、当時から今まで、抜本的な改善案は見いだせていない。

昨今では道の駅などで地元農家が受託販売を依頼する形式のビジネスが一般的になり、これにシステムが導入された例も知っている。稼業と似たような例ではあるが、農家が受託販売を依頼する品の種類はほぼ固定であり、希な品種がもちこまれたとしても、一度登録すればその後も利用し続けられる。
シーズンごとに商品がまるっきりいれかわる小売業とはやはり異なる。

我がエクセルファイルは超便利とはいいがたいツールだが、帳票作成には非常に有用であると自負している。帳票作成に要する膨大な手間に比べたら登録作業に要する手間は遙かに小さなものである。業務効率化のひとつのソリューションといえる。
やりたかったが手間がかかりすぎるという理由で父が作成しなかった帳票も出せるようにするなど、それなりに拡張を続け、今回も機能追加の要素が見いだされた。
稼業を継がなかった言い訳が立つくらいには有用であると思いたい。

ともあれ、活用を強いられる立場になった弟を、今しばらくは必要以上に支援する必要がありそうだ。

2010年11月 5日 (金)

妹の彼氏ふろむ

フランス。

いなくなったとおもったら、フランスに行っていたというまいしすたー。
帰国直前のメールにて、なんだかフランス人の友だちを自宅に招待するとかいう。
それが先々月のこと。

それとは無縁に進んでいた俺様ちゃんの引っ越し計画は都合良く一部屋ご提供のかたちとなったことはさておき、聞けば友だちとは男で、結婚を考えているとかなんとか。
父の生前から進んでいた話である。

父が亡くなったのは、彼氏の来日となる日の二週間前のことだ。
弔事のあとだからと一度は断念しかけたが、こんなときでもせめて一つくらいはいいことがあってもいいじゃないかと家族で妹を励まして、それは実現の運びとなった。

励ましたはいいが、仏語など介さぬ身上である。
父に代わってなどと気負ってみても、直前までわりとてんぱっていた。

内気な彼氏とは、言葉の壁もあってあまり会話も弾まなかったが、個人的には悪くない印象を得ている。
妹もいい年だし、余計な口出しはしたくはないが、三ヶ月も渡仏していて、変な英語混じりの仏語っぽい言語で彼氏とコミュニケーションする姿を目の当たりにさせられれば、したくもない心配をせざるを得ないわけで、まことに微妙な気分ではある。

そんなやつを、キれずに三ヶ月も面倒見てくれたのだから、きっと大丈夫なのだろう。
願わくば成就せんことをと思いつつも、嫁にくれといってくれなかった草食系に不安を禁じ得ないわけではない。
「二人の問題」と切り捨てられかねないことだが、帰国までに、明確な言葉として、意思を表明してくれんことを切に望む。

2010年11月 4日 (木)

読物 『なれる!SE ― 2週間でわかる? SE入門 』

その昔、似たようなことを考えたモンだった。まだ、ITバブルがどうこうといわれる前のこと、「IT土方」という言葉が世に出る前のことである。

当時、我が身はIT業界を土建屋と対照していた。当時は無知だったのでそんな比喩もしてしまったが、その後、土建屋の方が長い経験に培われたノウハウがある分、上位かもしれないと思うようになった。成長著しい業種だとしても、背景となる技術には、たかだか半世紀程度の歴史しかないのだ。

『闘うプログラマー』という著作をどうみるか。
伝説的プログラマの伝記と読むか、行間に隠された「ひみつ」を読み解く書とみるか。

本書の読み方も同様であろう。
個人的には、著者の恨み節と受け止めた。

我が身においては、ラノベの作法によって点てられたものを飲み下せるようになったという自覚をおぼえた。
人というものは、どんどん丸くなるものらしい。

2010年11月 1日 (月)

読物 『DINER』

「・・・・・・知らなかった。聞いていなかった。思いも寄らなかった。みんな同じことだが、奴らは自分が無知という罪を犯したことを理解していない。無知だからこそ、奴らは地獄の蓋を開けた。おまえも同じだ。今、そんなことはわからないと言いかけた。わからなければ注意深くなれば良い。それこそ地鼠や小魚のように全身をアンテナにしてそこらに散らばっている地雷を踏まないようにして歩かなくてはならない。堂々と歩けるのは知恵のある者だけ。そんな単純で絶対的な真理を無視して生きてきたんだ。おまえたちは」

P.288

染みるぜ。

『パルプ・フィクション』『ナチュラル・ボーン・キラーズ』『トレインスポッティング』『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』なんかを思い出させる。
ラストが蛇足な印象で、まとめにはいらずともよかったのではないかという読後感がある。

だが、面白い。

読物 『ドラゴンランス秘史3 時の瞳もつ魔術師の竜』

川のゆくえはたえずして、頼んでいたものが到来し、読む機会が与えられる。
機会を逃して悔いを残すという心情を、これまでとは違った感覚で抱くようになった気がして、忙時の気晴らしにはなろうと、とりあえずは手元においた。
たしかに、気晴らしになった。幸せだった過去を、意図せずして回顧してしまう彼の姿に、かつてない共感を覚えつつ。

 

原題"Dragons of the Hourglass Mage"。
困った原題であることは認めよう。邦題について、とやかくいいはすまい。

レイストリン・マジェーレ。
白衣の魔術師であったが、苦痛に満ちた大審問を経てルニタリに見初められ赤衣となり、自らの意思で黒衣をまとった男。
『ドラゴンランス戦記』終盤で、瀕死の状態で消息不明となり、以後本編では語られることなく、ラストで敵方に属するものとして再登場し、おいしいところを全部もっていった。
ゲーム的にいえば、どうみてもレベル5くらいだったのに、レベル20くらいになって再登場し、全てを決したということになろうか。

『戦記』本編では、悪の勢力たるドラゴン軍は、鉄の規律を強いる超人アリアカス――悪の女神の寵愛を受け、軍略に長じ、武術に秀で、魔術を使う――の下、完全無欠であるかのように語られていた。悪であるがゆえの欠点も語られていたが、圧倒的であるという個人的印象はぬぐい得なかった。「悪は自らを蝕む」という言葉の通り、自軍内の政争、権謀術数の果てにドラゴン軍は自滅するが、だから、その悪のありようは漆黒に近いものと感じていた。
本書ではそれは、色あせたまだらの黒だったのだと知らされる。

レイストリンがいかに敵方にとりいり、出世したか、いかにして力をつけたのか。
そのありさまを想像していたわけではないが、上述のような理由から、なんというか、本書の読後感としては「こんなもんか」という印象が強い。
レイストリンは寸刻も休むことなく、薄氷を、あるいは白刃の上を渡ったのだという印象を与えられたにせよ、『ドラゴンランス伝説』の試練を知った後では、また、『夏の炎の竜』や『魂の戦争』を知った後では、インパクトに欠けると言わざるを得ない。

本書はおそらく全てのドラゴンランスファンが待ち続けたものである。間違いなく一読の価値はある。
だがしかし個人的には、『魂の戦争』において、魔法を喪失したときに見せた彼の人間力が、最も強く印象に残る。物語としては、アレだが。

ところで、『レイストリン戦記』とやらは、期待していいのだろうかのう。

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