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2010年8月28日 (土)

読物 『東京アンダーワールド』

 やがて、銀行関係の複雑な書類を偽造するのが天才的にうまい、カナダ人放浪者が仲間入りした。
 白系ロシア人コミュニストの資本家も二人加わった。この二人は一日の仕事が終わると、モウモウと煙のたちこめる向かいのヤキトリ屋で、先輩のレオ・ヤスコフとともにぐでんぐでんになりながら、よくロシアン・エスキモーの歌をうたった。
 寝る時間がくると、レオはよろよろとオフィスに戻り、新しい日本酒の栓を抜いて、二階にあるビニールカバーのソファに、酒ビンを抱えながら寝ころがる。朝になると、ビンは空っぽだ。ザペッティの知っているかぎり、眠りながら酒を飲める人物はレオぐらいしかいない。

単行本 P.33

<やはり日本占領は根から腐っている・・・・・・>ブレイクモアがそんな信念を深めたのも無理はない。
 マッカーサーは日本占領を、「精神革命」と豪語してはばからなかった。あきらかに検閲や差別がおこなわれたにもかかわらずだ。ブレイクモアの報告書は、そんなマッカーサーのイメージをそこなう、と判断した上層部は、報告書を闇に葬り去るようブレイクモアに命じた。するとブレイクモアは、抗議の意味でSCAPを辞めた。
 しかし、彼がなによりショックを受けたのは、調査のためにその売春宿の日本人女将を、三時間にわたってインタビューしたときのことだ。
 女将が上流階級出身であることは、すぐにぴんときた。威厳のある洗練された物腰の中年女性で、なにより、彼女の話すていねいな日本語が、とてもエレガントで美しい。ブレイクモアは、GHQのなかで現地語が話せる数少ないアメリカ人スタッフのひとりだが、その彼が「うっとりする」ほど美しい日本語だ。
 じっさい彼女は、裕福な家庭の娘であることが判明した。しかし、戦争でなにもかも失って一文無しとなった今、生きのびるために、そしてなにより子供たちを養うために、売春という手段にたよらざるを得なかったという。
 ところが、女将が英語をしゃべりだしたとたん、”洗練されたレディ”のイメージはガラガラと崩れた。彼女の口をついて出るのは、GIから知らず知らずのうちに学んだ、おそろしく下品な言葉ばかり。
「おい、どーした、てめぇ?」女将はブレイクモアにそう言った。「てめぇもファックが好きなんだろ、え? このスケベ野郎」
 これがマッカーサーの言う「新生日本」だとしたら、関わり合いになるのはまっぴらだ――ブレイクモアはそう思った。

P.38

 ホテルのアーケードにある宝石店は、ときには客室まで宝石を運んで販売することで知られていた。新米の宝石泥棒たちは、そこに目をつけた。
 ザペッティのシナリオによると、
 ――まず、マックファーランドが宝石店に電話をかけ、商品をプライベートに見たいから部屋まで運んでほしい、と呼びつける。販売員がやってきたら、スーツケースをさっと開けて、びっしり詰まった現金――もちろん、本物の札は一番上だけで、下は全て新聞紙――を見せびらかす。支払い能力があることを証明するためだ。
 つぎに、売買成立を祝う意味で、マックファーランドがグラス入りの飲み物を二つ出す。睡眠薬入りのオレンジジュースだ。マックファーファンドとセールスマンはどちらもこれを飲んで、数分後には床にばったりと倒れる。
 いよいよザペッティの出番だ。ひそんでいた隣室から現れ、ダイヤモンドとスーツケースを持ってズラかる。マックファーランドは、かならず相手よりあとに目を覚まさなければならない。さらにとどめの一発として、「こいつのしわざだ」とセールスマンに罪をなすりつける――。
 そういう筋書きだ。ザペッティは、われながら名案だと思った。
 ところがマックファーランドが、「拳銃が必要だ」と言いだした。
「どうして拳銃なんか必要なんだ?」
 ザペッティがあきれて聞く。「おまえはゴジラみたいにでかいんだ。なにかあったら、そいつの頭をガシッと一発ぶん殴ればいい。だいいち、どうせクスリで気絶させるんだから、拳銃なんかいらないぜ。バカ言うな」
 しかしマックファーランドはどうしても聞かない。
「拳銃がないとだめだ」の一点張りだ。
 マックファーランドとピストルの組み合わせなど、考えただけで恐ろしい。ザペッティはマックファーランドを、普段は頭もいいしまともな男だと思っている。しかし、精神的に”あぶない”面があることも、経験から知っている。
 ある日の午後、この巨大なレスラーを車に乗せ、<ホテル・ニューヨーク>から隅田川を渡って街の中心部まで送っていったときのこと。”ネブラスカの野牛”がとつぜんキレた。車のドアを肘で何度も強打しはじめたかと思うと、狂ったように叫び声をあげながら、ダッシュボードをこぶしで力まかせにタタキはじめたのだ。バン! バン! バン!
 やがてマックファーランドは、始まりと同じくらい唐突におとなしくなった。まるで、貨物列車が通過したあとのように。シートにもたれ、血のにじんだこぶしをマッサージしながら、目的地に着くまでじっと考え込んでいた。
 新しい友人がいつも正気とはかぎらないことを、ザペッティはこのときに痛感した。その後だいぶたってから、マックがロングビーチの精神病院で長期療養した経験があることも知った。
「拳銃が必要だと言いはるなら、おれは手を引くぜ」
 ザペッティは釘をさした。「やっかいなことになるのは、目に見えてるからな」
 マックファーランドは不満そうだったが、拳銃を用意してくれるなら手を引いても許す、と言う。
 しかたがないのでザペッティは、米軍の友人にたのんで、38口径のリヴォルヴァーと、ホルスターと、数発の弾を調達。念のために弾は捨て、拳銃とホルスターだけを、指定されたとおり、マックファーランドの”愛人”の一人である韓国人青年”M”に渡した。
 十八歳になるこの高校中退者は、ラインストーンをちりばめた黒いラテン風の服に、髪は盛り上がったオールバック――当時、日本で大流行していたマンボ・ファッションだ。ザペッティが手を引いたあと、この”M"が強盗計画に引っぱり込まれることになる。

P.66

 合法、非合法グループの集合体は、一九六〇年に運命的な絶頂期を迎えることになる。
 岸信介は一九五七年に、かつての刑務所仲間、児玉誉士夫の応援もあって、まんまと首相の座を射止めていた。その岸が、国民に不人気の日米安保条約を、一九六〇年にむりやり改定させようとした。
 反対の声は高く、街頭には連日、大がかりなデモ行進がくりひろげられていた。学生も、左翼も、一般市民でさえも、日本がこの条約によって真に利するものはないし、アメリカは日本を核攻撃から守れるわけがない、と確信していた。国民がとくに怒っていたのは、アメリカのバックアップによって命拾いした元A級戦犯、岸が、条約の改定にたずさわっている事実だ。
 一九六〇年五月十九日の深夜から二十日の未明にかけて、新安保条約は衆議院で強行採決された。その間、社会党議員たちは、抗議のために議長室前でピケを張っていたが、自民党の要請で議事堂内に入った警察の手で、ゴボウ抜きにされている。
 この日から、国民の抗議運動は、ますます規模と激しさを増した。数十万の怒れる市民が、連日、街頭でジグザグデモをくりひろげた。
 ドワイト・アイゼンハワー米国大統領(通称アイク)の、条約改定を記念する訪日が決まったのは、まさにそのさなかのこと。大統領が天皇と肩を並べ、羽田空港から都内まで、オープンカーでパレードする計画も練られていた。
 ところが、日本政府はパレードを見合わせざるを得なくなった。反対派の勢いが並大抵ではないうえに、警備のために動員できる警官は、せいぜいい一万五千人しかいないからだ。
 ここで児玉が、自民党に助け船を出した。およそ三万人のヤクザ、右翼から成る「警備隊」を結成したのだ。その中には、東声会および、横浜、横須賀を根城とする稲川会のメンバーが入っていた。
 この奇抜な警備隊は、出動命令の内容からしてふるっていた。
 ――”思想倒錯者たちを成敗する”ために、棍棒(長さ一メートルほどのステッキ状の武器)を持参のうえ、明治神宮に結集せよ。参拝後、空港と都内中心部とを結ぶ要所要所に待機し、トラブルが発生したらすぐさま現場に急行し、警察を援護すべし――
 のぼり、プラカード、チラシ、拡声器、バッジ、腕章などが準備された。トラック、救急車、ヘリコプター六機、セスナ八機も用意された。自民党が準備に費やしたのは、しめて二百万ドル。
 年老いたテキヤの親分やヤクザの組長のなかから、五名が名誉ある代表団に選ばれ、アメリカ大使館に派遣されもした。元SCAP(連合軍最高司令部)司令長官の甥にあたるアメリカ大使、ダグラス・マッカーサー二世への表敬訪問のためだ。
 代表団のなかには、年老いた新宿の親分、尾津喜之助の姿もあった。かつて占領軍に、「東京でもっとも危険な人物」としてマークされた男である。
 会合の際に杯が交わされたどうかは、記録に残っていない――ヤクザのあいだでは、兄弟関係をむすぶときに、酒杯を交わす習慣がある。しかし、マッカーサーがその後、国務省に外電でこう伝えたのは事実だ。
 ――いざとなったら、さまざまな”体育会系の組織”から三万人の若者たちが、警察の応援に駆けつけるであろう――
 ”大統領びいき”のヤクザ軍団は、けっきょく出動にはいたらなかった。デモがますます過激になるにつれ、アイゼンハワーの訪日は中止されたからだ。
 しかしその発想は、少々乱暴なたとえかもしれないが、一九六八年の民主党大会で、秩序を保つためにクック郡警察に手を貸した、シカゴの暴徒たちのそれに似ていなくもない。アメリカ人の神経では、とても考えられない発想だ。ところが、日本のチンピラヤクザたちの自負心には、これがしっくりくるらしい。
「おれたちはマフィアとは違う」
 それが彼らの口癖だ。「マフィアは、金のために犯罪を犯す。一番多く金を出す人間のために働く。しかしおれたちは昔から、社会の救済のために働いている」
 すべてが終わったとき、暴力団組長の町井はこう言った。
「汚れた沼にも、ハスの花は咲く」
 アメリカの利権がからんだ、もう一つの”町井・児玉プロジェクト”があった。日韓正常化協定の基礎作りである。
 日本軍による戦時中の残虐行為のにがい記憶から、韓国人のあいだには反日感情が根強く残っていた。しかしアメリカ政府は当然のことながら、両国を結びつけたがっていた。共産圏からの脅威に備え、日韓両国に数十万の兵士を駐留させているからだ。
 児玉と朋友たちは、政府から支払われる準備金のうまい使い道を、あれこれ考えた。目の前にぶら下がっている金もうけのチャンスを、目いっぱい活かさなければ、と。
 町井の親友の中に、韓国CIAの幹部がいることが幸いした。米CIAの支援のもと、親米派の軍事独裁者、朴正煕を擁立するため、一九六〇年にゴリゴリの反日家、李承晩追い落としを工作した人物だ。これによってアメリカは、太平洋地域にNATO軍事同盟を築くことができた。
 力道山が新たに手に入れた東京のペントハウスが、韓国や自民党の高官、児玉、町井、さらにはKCIAの幹部などの、極秘の会合場所として利用されはじめるのは、このころからだ。そして会合の締めくくりには、みんなで六本木にくりだして、ピザを頬ばった。
 東京の暗黒街の連中が、このような形でアメリカのアジア政策に貢献していたとは、考えてみれば驚きである。しかし、アメリカ政府はどうとらえていたのか。のちに町井のオフィスの壁には、日韓正常化に貢献したことへの感謝状が、うやうやしく飾られることになるが、その内容から判断するかぎり、アメリカ政府にはまったくの罪の意識などなかったらしい。
 日韓基本条約は一九六五年に締結された。準備金として八千億ドルを託された児玉と町井は、朝鮮半島のためにそれを費やした。韓国にカジノや、ホテルや、キャバレー、その他のベンチャー・ビジネスをオープンするという形で。

P.102

 何が原因であるにせよ、リキは突然、二度目の手術を余儀なくされた。執刀は、聖路加病院というアメリカ系の病院からやってきた外科医チームが担当した。そしてオペが終わった三、四時間後、リキは帰らぬ人となった。
 その後、医者たちの証言によって、力道山は麻酔でショック死した、という説まで飛び出してきた。普通の日本人よりはるかに大きな体格だから、当然、麻酔の量も多くなるが、なんらかの計算ミスによって大量投与されてしまったのではないか、と。
 村田との喧嘩が偶発的なものだった、と考えている人間はほとんどいない。日本の週刊誌も、この事件については数々の不穏な推論を並べている。
 北朝鮮との関わりを重視する一部ジャーナリストたちは、力道山は米国CIAの陰謀によって消された、と信じて疑わない。――CIAが、もちろんホワイトハウスの命を受けたうえで、ヤクザの”鉄砲玉”を雇い、刺し殺させようとしたのだ、と。リキが刺されたのがCIAのたまり場であったこと、さらに彼の手術をアメリカ系の病院の外科医が担当したこと、さらに死因が麻酔の過剰投与とみられることは、単なる偶然では片づけられない――陰謀説の信奉者たちはそう主張する。
 日本の知識人のあいだでも、この説を信じる者が多い――CIAは、保守政権である自民党につながりをもっている。その保守党のリーダーたちにとって、日本の国民的ヒーローが北朝鮮の出身であり、しかも共産主義のシンパであることが発覚するのは、なにより都合が悪いはずだ――、と。
 真珠湾攻撃の記念日に、アメリカから復讐されたのだ、と主張する人々もいる――リキが刺されたのは、一九六三年一二月八日。真珠湾攻撃も、二十二年前の十二月八日(日本時間)。力道山がリング上でアメリカ人をバカにするのを、大喜びで見ている日本人たちに、アメリカがこういう形で思い知らせたのだ、と彼らは主張する。
 とはいえ、どの説にも確たる証拠があるわけではない。
 懐疑論者たちは、リキの私生活を指摘して疑問を投げかける――刺される半年前の六月に、茅ヶ崎警察署長の娘と祝言をあげ、レジャーカントリークラブの開発にのりだしたばかりではないか。北朝鮮に亡命するつもりの人間が、はたしてそんな行動をとるだろうか・・・・・・。
 日本の検察は検察で、リキはヤクザ抗争に巻き込まれて殺された、と結論づけている。住吉会と東声会のあいだで進行しているナワ張り争いの犠牲になったのだ、と。
 村田自身は、あれは単なる事故であり、誤解が生じたのであって、自分のとった行動は正当防衛だ、と主張した。しかし、検察側は村田を殺人罪で起訴。裁判の結果、懲役七年の判決が下っている。
 葬儀には、自民党の閣僚を含む各界の名士数百人をはじめ、数十万人の一般人が参列した。そのあと、力道山の亡骸は、東京都大田区にある池上本門寺の、五重塔を仰ぐ墓地に埋葬された。
 墓石にはブロンズ製の等身大の胸像が刻まれ、その下には<百田光浩>と、日本名が記されている。「金信洛」という名前はどこを探してもない。北であれ南であれ、朝鮮出身であるという記述も見つからない。
 リキの墓は、幾層もの嘘の積み重ねを、永久に保存する記念碑として建っている。「新しい日本」の基礎づくりに貢献した、嘘の積み重ねを。

P.136

 このクラブが諜報活動の温床となったのは、当然の帰結だったといえよう。
 有名な例がある。コパカバナでホステスをしていた通称「デヴィ」(本名は根本七保子)のケースだ。一九六六年の『週刊現代』によると、彼女は<東日貿易>の”秘書”に仕立てられて、スカルノに接近したという。東日貿易は、児玉誉士夫が指揮をとる日本の商社で、インドネシアへのさらなる進出をめざしていた。彼女はみごとに使命を果たした。最終的には大統領の第三夫人におさまって、スカルノの末っ子を産んだほどだ。偶然かどうかは知らないが、東日貿易はその後、スカルノが六七年に失脚するまで、ジャカルタで荒稼ぎしている。
 とはいえ、スパイ活動の大半を産み出したのは、芽生えたばかりの軍用機、民間機産業だった。
 コパカバナは、日本の大手商社が、グラマンやロッキード、マグドネル・ダグラス、ノースロップなど、大手航空機会社の重役たちを、何の疑いもなく連れていける場所とみなされていた。数十億ドル単位の契約が、こともなげに成立する場所だった。そのために、後年、驚くべき事実が判明している。日本の商社に雇われたエイジェント、すなわち、航空機買い付けの仲買人が、米国航空機会社の重役のガールフレンドとなったホステスに、こっそりと金をにぎらせ、彼女たちの目の前で展開されるビジネス交渉に、しっかりと耳を傾けさせていたのだ。
 エイジェントは彼女たちを募集し、契約にこぎつけるためのありとあらゆる情報を手に入れるよう訓練をほどこした。彼らがとくに重視したのは、燃費やメンテナンスなどの情報と、ライヴァルの大臣や防衛庁人事に関する情報だ。
「グラマン社の航空機は特定燃費に問題がある、というのは本当か?」
「大蔵大臣はXに肩入れしてるのか、それともYの方か?」
「MITIは非公式にはどんな立場をとっているのか?」
「日本の防衛庁のだれそれは、××プランに賛成しているか? △△戦略を支持しているか?」
 実際、航空機についてかなりの知識を身につけ、腕利きの産業スパイになったホステスもいる。もちろん、クラブを訪れたアメリカ人たちは、疑いのかけらさえ抱いていなかった。一九七〇年代の半ばに、<航空機販売合戦、夜の舞台裏>などと題した、コパカバナに関するスキャンダラスな雑誌記事が、駅の売店をにぎわせるまでは――。

P.145

<ニコラス>の店頭には、巨大な看板がかかっている。大きな団子っ鼻のシェフが山積みのピザを抱えている絵だ。「横に暴力団のマークを入れるべきだ」常連がそんな冗談をいった。
 東京のゴロツキ集団を、ザペッティほど間近に見たアメリカ人はおそらくいない。
 折しも東映映画が、戦前と現代の暗黒街を舞台にしたロング・シリーズで、ヤクザを礼賛しはじめていた。筋骨隆々の体に念入りに入れ墨をほどこし、カラフルな着物をまとって、長い日本刀を手にした、見るからにヒロイックな人物が主人公だ。シドニー・ポラックの一九七四年の映画『ザ・ヤクザ』も、このイメージを採用している。
 しかし、<ニコラス>に毎晩出没した連中は、ヤクザ映画とは似ても似つかない容貌をしていた。まず服装が違う。どちらかというと、一九六四年に大ヒットした映画『殺人者たち』のリー・マーヴィンに近い。黒いスーツに、黒い帽子、真っ黒なサングラスをかけて、髪は角刈り、肩から掛けたホルスターには、38口径をしのばせている。
 いずれもぞっとするほど不健康だ。朝から晩まで、安酒とフィルターなしのタバコと興奮剤にひたっているせいで、体はガリガリだし、顔色はやけに青白い。糖尿病を患っている者も多く、虫歯や痔の治療の話題が”日常会話”。ヤクザたちの大半は遅かれ早かれ刑務所のやっかいになるが、服役中、虫歯と痔は治療の対象外なのだ。
 ヤクザのふりをして覆面捜査官が潜入しても、簡単に見破られてしまう。私服警官は一様に血色がよく、千六百メートルを四分足らずで走れそうな元気者ばかり。暗黒街では、私服警官を「桜田組」と呼んでいる。すぐに握手をしたがるのも、見破られる原因だ。本物のヤクザなら、ただ頷いて、暗い目でじっと相手をにらみつける。
 当時のヤクザは、たしかに不健康ではあったが、勇気だけは並外れていた。
 東京のヤクザには、小指の先がない者が少なくなかった。ヤクザの風習にしたがって、なにかの罪滅ぼしに指をつめるからだ。
 町井親分も例外ではない。一九六三年、町井が大阪の暴力団と手を結んだばかりのころ、子分の一人が相手の暴力団の顧問格である重要人物を、カッとなったはずみに拳銃で撃ってしまった。
 その直後、東声会の町井親分は、落とし前をつけるために、みずから小指の先を切断した。銀の果物ナイフを使って、”儀式”は厳かにおこなわれた。関節部分にうまく刃を食い込ませ、ざっくりと切り落とす必要がある。身の毛のよだつような肉片をホルマリン漬けにして、相手のボスの家に届けなければならないからだ。
 こんな壮絶なことができる人間は、ザペッティの故郷プレザント・アヴェニューに、そうざらにはいない。

P.158

 しかし、コカコーラ社のように資産に恵まれた企業が、そうざらにあるわけもない。
 アメリカ企業がこれほど不利な状況に置かれていたのには、わけがある。
 ひとつには、占領直後に合衆国が日本と交わした、暗黙の「冷戦協定」のせいだ――アメリカは日本を、アジアの主要な反共拠点にする。そのかわりに日本は、アメリカの豊富な市場に無条件で参入できるし、自国の産業から外国勢を排除してもかまわない――そんな無言の取り決めがあった。
 日本市場へ進出したがるアメリカ企業には、米国国務省が釘をさした――あそこは厳しいと思ったほうがいい。日本の経済成長を妨害してはいけない。輸入には一〇〇パーセントの関税をかけさせてやること。彼らには製品よりむしろ技術を売ったほうがいい。わが国は安全保障の面で、”強い日本”を必要としている――。
 この暗黙の協定のせいで、IBMは日本での製造許可を得るために、ライバル企業に五パーセントという法外な安値で、特許を認可せざるを得なかった。富士通やNECが、やがてコンピュータ市場で”ビッグ・ブルー(IBMのあだ名)”を追い越すことになったのも、それを思えば不思議はない。

P.167

 トマス・ブレイクモアの例もある。外国人商業弁護士界の長老ともいえるブレイクモアの顧客リストには、アメリカ産業界の紳士録並みに、数多くのメンバーが名を連ねている。しかしその彼でさえ、外国人が日本で商売することに、基本的には賛成しない。障害があまりにも多すぎるからだ。
 日本への進出を計画するクライアントに、彼はこう警告する――日本人は経済のさまざまな分野で門戸を閉ざし、外国人を中に入れようとしませんよ――。アドバイスを求めて彼のもとにやってくる初めての投資家たちに、彼は自分自身の体験を例にあげ、日本市場への参入がいかにむずかしいかを説く。
 その体験とは、日本にフライフィッシングを紹介するために彼が悪戦苦闘した、「養沢川計画」だ。
 ブレイクモアは、故郷のオクラホマでは熱心なアウトドア・タイプを自認していた。その彼が、一九五〇年代半ばに、養沢川という日本の河川に惚れ込んだ。彼を魅了したのは、東京から電車で西へ一時間ほど行ったところにある、周囲を美しい木立と小さな山村に囲まれた、全長数キロにわたる谷あいの河川敷だ。
 この川に一つだけ問題があった。魚がいないのだ。いるのはせいぜいミノウなどの小魚ばかり。
 マス釣りが大好きなブレイクモアは、村のリーダーを探し出し、自分のアイデアを伝えた。マスの稚魚を養沢川に放流し、村にフライフィッシング施設を作るという計画だ――費用はすべて自分がもつ。軌道に乗ってきたら、釣り人から入場料をとり、村の収益にすればいい――。
 ブレイクモアはすでに大金持ちだし、公共心にみちあふれているから、私腹を肥やそうという気持ちはこれっぽっちもない。自分がここで魚釣りを楽しめればそれでよかった。
 村のボスは、このガイジンは頭がおかしいのだと思った。日本人は魚が大好きな国民だが、フライフィッシングなどというものは誰も聞いたことがない。
「虫ではなくて、ニセの餌で魚を釣るだと? しかも、せっかく釣った魚を、川に返しちまうのか?」
 村のボスは疑り深そうに聞く。
「そうです」とブレイクモア。
「おまけに、釣りたければ金を払えってか?」
「そのとおり」ブレイクモアが、オクラホマ訛りの日本語で言う。「一種のスポーツですからね」
 男は頭をかきむしって、ブツブツつぶやきながら立ち去った。「なーに言ってんだか、変なガイジンめ。こんなバカげた話、聞いたこともないぞ」
 ブレイクモアは地元の数人に計画を話してみたが、誰からも相手にされなかった。持って帰れないとしたら、誰が魚など釣るものか、と。
<全国釣り愛好家協会>に行ってみたが、ここの役員でさえフライフィッシングなどと聞いたことがないという。釣魚規約をめくってもみたが、やはり何の記述もない。
 やむなくブレイクモアは、自分が目をつけた長さ四、五キロにわたる河川敷沿いの村々を、一つひとつ訪れて、説得と交渉にあたることにした。
 村人を一箇所に集めるために、大映映画会社から最新のスリラー風チャンバラ映画を取り寄せ、地元の学校の校舎で映画大会を催した。費用は彼が負担した。この特別ショーを行うためには、トラックで自家発電装置を運び込まなければならなかった。
 日本人は肩書を気にする国民だから、「先生」という言葉に弱い。そこで彼は、知り合いの日本人外交官に頼んで、フライフィッシングというスポーツについて講演してもらうことにした。この外交官とは、海外でよく一緒に釣りを楽しむ仲だ。釣り関係の執筆をしている著名な日本人ライターにも声をかけた。彼もこの企画には大賛成で、やはり快くスピーチを引き受けてくれた。
 映画は大好評だった。血しぶきはたっぷり飛び散ったし、思い切り刺激的なレイプシーンも盛り込まれている。しかし映画のあと、ムードはみるみる盛り下がった。
 まず、外交官がフライフィッシングの喜びを語り、釣り作家がテクニックを説明した。そのあと、ブレイクモアが立ち上がり、聴衆に企画をアピールした。
 どのように操業を始めるかを説明し、川に稚魚を補充する費用は自分がすべて負担する、と請け合った。現存するダムと、流れの途中に二箇所あるよどみを、フルに利用することを強調した。入場料をとることも伝えた。フライフィッシングのルールには違反するが、村人たちに免じて、一匹か二匹だけ持ち帰ってもいいことにした。残りはもちろん、川へ返さなければならない。当分のあいだ、村は利益だけを受け取り、商売として成り立つようになった時点で、それまでブレイクモアが負担していた出費も、村が引き受けるようにすればいい。
 聴衆は見るからに怪訝そうだ。村人たちの多くは、フライフィッシングの愛好家が村の外部からどっと押し寄せるのを恐れ、たちまち反対した。若い世代は、泳ぐ場所がなくなる不安を訴えた。女たちは、立川や府中の米軍基地が近いことを指摘した。基地のGIたちは、喧嘩やレイプ事件など、年がら年中トラブルを起こしている。あの連中が集まってきて、このへんをうろつくようになったら・・・・・・? 詐欺ではないかと疑っている村人も、一人や二人ではない。このガイジンはいったい何をたくらんでいるのだろう・・・・・・?
 ブレイクモアはのちに語った。
「プランを持ち込んだぼくを、火星人かなにかのように見つめていたよ」
 ほかにも問題があった。この川での釣りを、本当の意味で監督する立場の人間や組織が、どこにも存在しないのだ。事業を始める許可を求めようにも、その相手がいない。川の二十五キロにわたる一角を、誰が所有しているのかと聞いてみても、はっきりした答が返ってこない。そんな質問などされたことがないからだ。地元の役場に行っても、釣り関係の部署すらない。誰もこんなところで釣りなどしないからだ。
 妙なことが判明した。川に魚がいないにもかかわらず、<釣り同好会>なるものが存在するらしい。とはいえ、釣りは一度もしたことがないという。年に一、二度、飲み会を開くためのグループなのだそうだ。
 それでもブレイクモアは、ものは試しとばかりに、釣り同好会を訪れ、流れの一角を使う許可を出してくれたら収益の一割を渡そう、と提案した。許可する権限などまったくないくせに、同好会は喜んで同意した。こうしてようやく、計画は実行に移されることになった。
 法律上、何の権限もない組織が、受け取る権利のない金と引き替えに、与える権利もない許可を与えたことになる。
 バラバラだったものが、ようやく一つにまとまり始めた。
 川沿いにある五つの村がそれぞれ代表者をたて、フライフィッシングという真新しい事業を統括する組織を結成した。
 とはいえ、つぎつぎに追加されるさまざまな出費は、あいかわらずブレイクモアが負担せざるを得ない。チケット販売員の給料、夜警やガードマンの給料、トラックで運び込まれる一週間分の魚を荷下ろしする、村の若者たちへのアルバイト料・・・・・・。
 五月から九月までの釣りシーズンが終わったら、年に一度の「釣り祭」を催すことにした。ブレイクモアはそのスポンサー役もつとめなければならない。参加者にさまざまな賞を出すことにしたが、賞品を買い集めたり代金を支払うのも、もちろんトム・ブレイクモアだ。
 どんな賞品がいいだろうかと、あれこれ考えてリストアップし、村人たちに見せたら、それでは少なすぎる、全員に何かを出してやらなければかわいそうだという。リストはどんどん長くなった。「女性最年長大賞」や、「目隠し大賞」といった、妙ちくりんな賞まで考えだされた。全員に賞品がゆきわたるまで。
 さらにブレイクモアは、トイレを設置し、新しいチケット売場を建設した。資金が円滑に運用されているかどうか確かめるために、正式な会計士を雇い、帳簿をチェックさせ、報告書のコピーを各村に送らせもした。
 やがて彼は、この事業のために自分がいくら金を使ったか、いちいち数えるのをやめた。実現しさえすれば、それでいい。
 数年かかったが、養沢川計画は成功した。一九六〇年代の終わりには、ブレイクモアは地元の名士となり、「青少年の非行防止に貢献した」として、内閣総理大臣から特別賞まで贈られている。
 いざふたを開けてみたら、彼の釣り場にはGIたちがどっと押し寄せたが、意外なことに、立川や府中近辺の犯罪やトラブルが、驚くほど減少したのだ。性病の発生率もぐんと減ったという。授賞式でそう知らされた。式に列席した立川空軍基地の軍曹は、こんなジョークで彼をねぎらった。
「ミスター・ブレイクモア、君のおかげでうちのGIたちも、性病を釣らずに魚を釣る場所ができたよ」
 ブレイクモアに言わせれば、今回の教訓は明らかだ。
「困難を乗り越えたかったら、こちらから何かを提供することです」新しいクライアントに自分の体験を話し終えたところで、彼はいつもそうつけ加える。「日本で商売をするのがどれだけ大変か、これでおわかりでしょう」
 ハーヴァードのビジネススクールでも教えてくれない、貴重な教訓だ。

P.174

 CIAが合衆国政府にかわって、自民党政権に月々百万ドルの資金援助をしていたことは、<ニコラ>の一部常連客のあいだでは、いわば公然の秘密だった。資金援助は、日本の対米貿易黒字が深刻化するまで続いたという。
 自民党の政治家たちが選挙の際に、その金で有権者の票を買っていたことも、みんな知っていた。総選挙では、一票あたり一万円が相場だそうだ。
 もう一つの”常識”は、自民党、およびCIAや大企業内部の自民党シンパたちを、暴力団が支援していることだ。とりわけ、政府の公共事業や建設工事に依存している大企業に、暴力団の息がかかっていることが多い。まさに鬼に金棒の”連合政権”である。
 政府と企業のあやしげな癒着を、浜田幸一という人物が象徴している。この強面の自民党国会議員は、夜の赤坂、六本木界隈でよく目撃された。
 浜田は、日本で三本指に入る暴力団組織、稲川会系の元組員で、暴行と傷害で服役したあと、もっと実入りのいい政治の世界に転向した。過去にCIAとのつながりが噂され、政治フィクサーとしても知られる児玉誉士夫とは、師弟関係にある。その児玉は、稲川会の組長、稲川角二と密接な関係にある。そして浜田はこの稲川角二を、誰よりも尊敬している、と言ってはばからない。
 浜田は、選挙運動の期間中、昔の仲間たちからさまざまな援助を受けたという、もっぱらの噂だ。
 一九七二年十月、その浜田がさっそうとラスヴェガス旅行に出かけた。そして、<サンズ・ホテル>のカジノでバカラ賭博に興じ、百五十万ドルもの大金をすった。ところが幸運なことに、”旅行仲間”が借金をそっくり肩代わりしてくれたという。その旅行仲間とは、小佐野賢治という、ホテルと運送業界の大立て者である。
 小佐野も児玉の仕事仲間で、日米両政府の首脳に顔がきく(一九七二年八月、日本の新首相、田中角栄とリチャード・ニクソン米大統領がハワイで顔を合わせた日米首脳会議の際に、田中角栄は小佐野の経営するホテルを宿泊先に選んだほどだ)。当然のことながら、日米の暗黒街にも広くて強力なコネクションを持っている。
 小佐野は、稲川会の石井進という理事長とともに、金持ちの日本人を対象にしたラスヴェガス・ギャンブル・ツアーを主催していた。ラスヴェガスの<シーザーズ・パレス>が、六本木の商店街に借金取り立て用のオフィスを開設すると、一九七五年には、借用証書の金額が、東京だけで合計一億五千万ドルを超えた。やがて、シーザーズ・パレス極東支部の日本人従業員三名が、支払いを滞納した客を「アメリカのマフィアにぶっ殺されるぞ」と脅迫しはじめた。借金取りのテクニックの一種だが、結局は恐喝で警視庁に逮捕されている。
 証拠はないが、浜田のバカラでの損失は、日本が合衆国からの援助金、すなわちCIAを通じて投じられた選挙資金を返済する、極秘の手段だったのではないか――と、もっぱらの噂だった。
 このような憶測が生まれるのも無理はなかった。なにしろ、関係者の経歴がやけにカラフルなのだ。たとえば、カジノの経営者はハワード・ヒューズであり、彼の右腕に、ボブ・マヒューという元CIA部員がいる。
 おもしろいことに、浜田のギャンブルの損失補填に使われた裏金のうち、二十万ドルが、アメリカの航空機製造会社<ロッキード>から出たことが判明している。CIA向けU2偵察機を製造している会社である。しかし、この件にはのちに触れることにしよう。

P.219

 その後二年間、TSK・CCCは東京一の人気社交場になった。毎晩、政界のリーダー、ビジネス界の重鎮、芸能人、外交官、米軍将校など、各界のVIPを乗せたリムジンが、つぎつぎに玄関前に到着。六本木の<ニコラ>の向かい側に最近オープンした、アメリカ資本の粋な十階建ての殿堂<プレイボーイ・クラブ>よりも、はるかに多くの客を惹きつけたものだ。
 ところが、じつはその裏側で、まったく別のことが進行していた。
 TSK・CCCのラウンジでは、角刈りにサングラスといういでたちの、見るからに屈強そうな男たちが、やわらかい革の肘掛け椅子をしばしば占領し、トラブルはないかとロビーの方をじっとにらみつけている。裏のオフィスでは、年をとった右翼のボスたちが、鉛色のデスクに座って、割り箸の注文といった退屈な仕事をこなしながら、けだるそうに来訪者たちをチェックする。
 社長自身は、要塞のようなペントハウスに住んでいる。外部の人間は、厳重にガードされたゲートを通過し、鍵付きの専用エレベーターに乗らなければ、社長に面会することもできない。
 ザペッティがあいさつに立ち寄るときも、消火栓のような首をした二人の屈強な男に出迎えられたものだ。口をきりりと結んだその用心棒たちは、まず来訪者が武器を隠していないかどうかボディチェック。それからおもむろにエレベーターの鍵を開け、階上へと案内する。踊り場に着くと、先に立って案内する。やがて真鍮製のライオンの頭がついた、重い金属製のドアに行き当たる。内側からドアを開けるのは、またしても別の用心棒たちだ。彼らはスリッパを用意し、テニスコートに隣接した屋上のテラスへと、ニックを導く。大親分はここにいて、ニックにコーヒーをいれてくれる。たいていは着物姿だ。上空から狙撃されないように、六本木の空をにらみつけている子分たちもいる。

P.229

<TSK・CCC>の顧問格、児玉誉士夫は、とらえどころのない人物である。裏方に徹しているらしく、ピザもめったに食べにこない。ただし、怪しげなもうけ話には、たいてい町井と一緒に関わっている。
 たとえば、那須などの土地開発。このプロジェクトでは、土地を手放したがらない農民たちを、暴力団が”力ずく”で説得する必要がある。朝鮮半島のカジノ、ホテル、キャバレーといった、さまざまなベンチャー・ビジネスにも首を突っ込んでいる。彼の暗黒街仲間たちの得意分野だ。
(警察の調べによれば、TSK・CCCグループの所有する関釜フェリーが操業を始めたとたん、「シャブ」と呼ばれる麻薬の使用者が急増したらしい。シャブの七〇パーセントは韓国で製造され、日本に持ち込まれていた。使用者は、勉強しすぎて疲れた学生、タクシー運転手、サラリーマン、退屈している主婦などで、その数は百万人近かった)
 しかし、児玉が航空機製造会社<ロッキード>に雇われて、ふたたび”ロビー活動”に従事していたことは、ごく一部の人間にしか知られていない。

P.233

(政治献金について)
 日本の学生は、この悪しき現象の原因を、封建制が長く続きすぎたせいだととらえている。封建的な社会では、国民が政治家を選ぶとき、国に対する忠誠心を何よりも重視する。政治倫理や、選挙法の一字一句や、社会的義務感は二の次だ。
 戦前からずっと小選挙区制を続けてきたからだ、と解釈する学生もいる。大都会よりも田舎に比重が置かれるこのシステムのものとでは、政治家が有権者に金をばらまいたり、個人的なアピールをしやすいのだ、と。
 アメリカの悪影響だ、と受けとめる学生もいる。地方の議席を大幅に増やしたことで、政治家になりたがる野心的なゴロツキが、政治の世界に入りやすくなった、と。
 原因はどうあれ、この国の政治は、”国民への奉仕”ではなく、まぎれもない”マネーゲーム”になり果てた。資金集めにたけた人間が頂点に立つのは、当然の帰結だろう。
 かくして、「金権政治」という言葉が誕生した。

P.238

 いまだに謎なのは、ロッキード社が児玉誉士夫と小佐野賢治宛てに発行した、百六十万ドルの無記名小切手の行方である。
 小切手は、ロッキード側がキャンセルする前に、すでに現金化されてどこかへ消えていた。
 児玉は、自分が持っていたが誰かに盗まれた、と説明。これを聞いたロッキード社は、そこまで親切にする必要があるとも思えないが、ふたたび小切手を発行している。児玉は、この二度目の金を手に入れた。
 いったいなぜ? そんな疑問が怒るのも当然だ。
 消えた最初の百六十万ドルは、リチャード・ニクソン再選のための選挙資金にあてられたのではないか、という説がある。かつてニクソンに倒産の危機を救われたロッキード社が、彼の再選キャンペーンに協力しようと、巧みな裏金工作によって選挙資金を捻出した、という推論である。
 この説を信じる人々は、奇妙な”偶然の一致”を理由にあげる。百六十万ドルといえば、ヤクザから政治家に転向した浜田幸一が、ラスヴェガスの<サンズ・ホテル>で賭博に負けて失った金額と同じではないか。しかも、小切手が紛失したのと、時期までぴったり一致する、と。
 おもしろいことに、東京高等裁判所は一九八四年四月、小佐野賢治が<ロッキード>の金を、浜田のギャンブルの借金返済にあてた、と認定している。それによれば、小佐野は一九七三年十一月三日午後五時に、ロッキードの重役からアタッシュケース入りの現金を受け取った。そして、一時間以内に飛行機でラスヴェガスに飛び、<サンズ・ホテル>のスタッフに、浜田に代わって借金を返済したという。
 その金は、小佐野がANAに、ロッキードのトライスターと、(時期はややあとになるが)オリオン対潜哨戒機P3Cオライオンを買うよう説得するための、最終的な謝礼だったとされている。
 この事件関連の書物としては、『ロッキード裁判傍聴記』(朝日新聞社)がもっとも信頼がおける。この本を書いたジャーナリストの立花隆は、全四巻に及ぶその著書のなかで、二十万ドルの重要性に着目した。
 円=ドルの変動相場制によって、金額にズレが生じたことは間違いない。最初の”盗まれた”百六十万ドルは、一ドル=三百円のレートにしたがって支払われ、二度目の百六十万ドルは、一ドル=二百六十円のレートで支払われている。ロッキード社は、小佐野がまだP3Cオライオンの説得の仕事を済ませていないこともあって、その差額を小佐野に渡したのではないか、と立花は分析する。
 小切手が紛失したり、またたく間に現金化されたりと、いくつかの不可解な点があるにもかかわらず、ロッキードの裏金が選挙資金として使われたという説は、その後何年間も消えなかった。

P.243

 一九八〇年代の初め、「怪物日本」という言葉があちこちで聞かれるようになった。車やオートバイ、テレビ、半導体、ヴィデオ・カセット・レコーダーなどの世界市場を、日本がみるみる席巻しはじめたからだ。
 海外では市場確保のために安く売り、国内では高値を維持するという、じつに効果的な販売作戦と、よく訓練された労働力がものを言った。それまでは、アメリカに追いつくために悪戦苦闘していた日本が、追いつくどころか、各分野で今にも追い越しそうな勢いだ。生産性、一人当たり所得、経常収支黒字その他、多くの複雑な経済指数が、はっきりとその兆候を示している。
 一方、一九五〇年代、六〇年代の黄金時代に、世界経済の半分近くを担っていたアメリカは、今や悪評と闘っていた。デブで怠け者、アメリカ製品は高くて壊れやすい・・・・・・。
 世界中の人々が、口角泡を飛ばして語るのは、あふれんばかりの製品を世界にまき散らす、恐るべき東アジアの”輸出マシン”のことだ――あの国は、いつになったら力尽きるのだろうか――
 日本の爆発的な経済成長による悪影響を、少しでも緩和するために、先進五カ国代表者会議がニューヨークの<プラザホテル>で開かれた。その結果、主要通貨に対する円の価値を引き上げて、バランスをはかることで合意が成立。日本からの輸出品の値段をつり上げ、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ諸国の製品を安くするのが目的だ。
 二年間で、円の価値は二倍にはね上がった。一九八五年の一ドル=二百四十円が、一九八七年には一ドル=百二十円だ。ところがそれと比例して、世界に対する日本の貿易黒字も急上昇。たとえばアメリカの対日貿易赤字は、二百五十億ドルから六百億ドルへとはね上がった。
 日本の製造業者は円高をフルに利用して、コストの安い海外に工場を建設し、原料を安く輸入して、国内生産の合理化に励んだ。<日本銀行>は、国内需要を高めるために、金利を大幅に引き下げた。安い金利で資金を得やすくなった国民は、株や不動産投資のために、積極的にローンを組んだ。必然的に、株や土地の値段はうなぎ登り。投資家は、値上がりした持株を担保に、ますます投資に精を出す。財産は膨れ上がる一方で、一夜にして億万長者になった人々は数しれない。
 こうした相乗効果は絶大で、「バブル」と呼ばれる日本経済のピーク時には、世界中のキャッシュのほぼ半分を、日本が握るようになっていた。ある経済学者はこの現象を、「人類史上最大の富の移動」と名づけている。
 東京は、見苦しいほど金に汚染されはじめた。

P.263

 谷という名の幹部は、ハーヴァード大学を卒業したと言っても通用するだろう。フランス語、英語、中国語がペラペラで、書の達人だから名刺は自筆だ。肩書は<副社長>。クラシックからロックンロールまで、音楽の知識も幅広い。好きなのは、クロード・ドビュッシーとミック・ジャガーだ。
 四十代前半の谷は、長身で身だしなみもいい。趣味は天体観測と車。賃貸料が月に二万ドルもする六本木の赤レンガ造りのマンションで、バルコニーに大きな天体望遠鏡を据えている。愛車は、カルマン・ギア、ベンツ、車体の長い黒のキャデラック。
 そんな彼の専門は、「総会屋」と呼ばれる企業相手のゆすりだ。まず、脱税、経費の水増し、不正な株取引、政治家への極秘献金など、法律を犯している企業を探し出して、恐喝する。そして、口外しない代償に大量の株を要求し、あとで売りさばくのだ。そのためには、商法をせっせと勉強し、一流紙や経済誌を片っ端から購読しなければならない。昔のヤクザが、漫画や競馬新聞ばかり読んでいたのとは、好対照である。
 さらに、ゆすった企業内部に「名誉理事」として居座り、自分のようなヤクザに二度とゆすられない方法をアドヴァイスする。企業に長居すればするほど、当然のことながら、不正の証拠をたっぷりつかむことができるから、将来のゆすりのネタにも困らない。
「腐敗は人間の常さ」
 谷はニックに、人生哲学を披露する。「企業に何の秘密もなければ、俺たちみたいなヤクザ稼業はあがったりだ。日本のビジネスマンの弱点は、会社のためなら何でもやることさ。法律違反や刑務所行きも辞さない。動機は、会社への忠誠心や、干されることへの恐怖だったりする。その弱みにつけ込めばいいんだ。アメリカのビジネスマンは、私利私欲のために法律を犯すから、シッポをつかむのがむずかしい。そこが基本的に違うな」

P.276

 たえ子はこう答えた。
「日本人の西洋化には限界があるのよ。占領後、日本人は食生活にパンやミルクを採り入れたし、日常生活にも思いきった変化を受け入れてきたわ。アメリカ人にその真似ができる? 毎日毎日、お刺身にご飯という食生活を、受け入れることができる? 洋服の代わりに着物で通すことなんかできる? 日本人には柔軟性があるわ。アメリカ人よりずーっと。でも、いくら日本人だって限界があるの。そのへんをあなたも理解しなくちゃ」

P.313

=ヤクザの性格について=
『任侠大百科』によれば、高利貸し、売春、麻薬密売といった活動は、戦前の真っ当な bakuto(博徒)のそれと比べると、威厳がなさすぎるという。博徒やヤクザ一般の掟(pp.62-82)を要約してみよう。
 ――親分や兄貴分の命令には、ぜったいに従え。警察にたれこむな。ヤクザの礼儀礼節(仁義)は固く守れ、命を懸けて守れ。朝早くから、道場での柔剣道で、凍傷の手や足を叩かれても、泣かずに辛抱せよ。ケンカをするなら大物とやれ。いったんやるからには、命を懸けてやれッ! 敵は一人、味方が十人というような、多勢に無勢のケンカはするな。堅気の女には絶対に手を出すな。仲間の女を寝とるな。女がほしかったら買うがいい。たとえ酒の席でも、突き箸をするな。立てひざはしてはならない。お客の上げ下げに手ちがいをしたら、口で謝るな。躰で謝れ――
 同百科には、ヤクザの合い言葉や掟も記されている。

 恥を知れ、恥を知って面を守れ
 恥を知れ、命を懸けて面を守れ

 恥を忘れ面を汚がした者は
 男の仲間入り今日限りの事

P.364

=売春について=
 この世界最古の職業は、日本ではつねに合法的とみなされてきた。実際、日本ほど売春が広くおこなわれていた国は、世界でもあまり例がない。毎年、数千人もの若い娘が、貧しい両親によって人買いに売られた。ときには、十二歳程度の幼い少女でさえ身売りされた。戦前の記録によると、日本の売春宿の労働人口は、五万二千人を超えていたという(ジョン・ガンサー著 Inside Asia 参照)。売春は一部のあいだで、一種の芸術とさえみなされていたフシがある。”夜の女”たちは、好きな客の名前を太股に入れ墨したものだ。西洋諸国では不名誉の烙印を押されていたこの商売が、日本ではれっきとしたビジネスとみなされていたことも見のがせない。
 この国で売春が違法となったのは、アメリカ人たちが上陸して以降のことだ。一九五六年に売春禁止法が成立したものの、五八年までは実行に移されていない。それどころか、”代用品”として「トルコ風呂」や「お触りバー」といったセックス産業が大流行。一九八〇年代終盤には、日本のトルコ大使館からの度重なる抗議に応えて、「トルコ風呂」という言葉だけは、漸次「ソープランド」に切り替えられていったが。
 RAAの施設が、いわば、”機会均等の快楽提供所”であったことは、特筆に価するだろう。ここでは人種、宗教、肌の色に関係なく、誰にでも平等にサーヴィスが提供された。経営者たちがやがて人種的偏見をもつようになるのは、白人のアメリカ兵たちから人種差別を教わったあとのことだ。日本の米軍基地の外では、「白人専用」や「黒人専用」のバーが、何年にもわたって日常的に存在した。

P.366

 ニック・ザペッティは個人的な思い出をこう語っている。
「力道山はいいやつだよ。いったん知り合いになると、本当にいいやつなんだ。世界一いい友だちさ。何だってやってくれる。ただ、酒が入ると人が変わる。とんでもないクソッタレになっちまう。もちろん問題は、しらふのときがほとんどないことさ」

P.386

『New York Times』は、一九五五年から五八年にかけてCIAの極東政策を担当していたアルフレッド・アルマー・ジュニアの言葉を引用している。「われわれはたしかに資金を提供していた。自民党からの情報が欲しかったからです」
 彼はさらに、CIAが自民党に発足当初から資金を提供したのは、党を支援するためばかりでなく、党内部に情報源を獲得するためでもあった、と述べている。
 ケネディ政権のころ、国務省諜報局の局長をつとめていたロジャー・ヒルズマンによれば、自民党と自民党議員への資金援助は、一九六〇年代の初めには「あまりにも定着し、日常的におこなわれていた」ために、極秘とはいえ、アメリカの対日政策の基本とみなされていたという。
 極東政策担当の国務次官、ヒルズマンは、『New York Times』一九七六年四月二日号のなかで、次のように述べている。
「わたしから見れば、その方針は完全に納得のいくものでした」
 これを受けて、日本研究の第一人者であるマサチューセッツ工科大学のジョーン・ダウワー教授はこう語った。
「政府内でも民間レベルでも、アメリカ人がいかに戦後日本の構造汚職を助長し、一党独裁による保守的な民主主義を促進する手助けをしてきたがが、この発言によって露呈されました。これは新事実です。・・・・・・われわれは自民党を見て、腐っているとか、一党独裁の民主主義はよくないとか、あれこれ批判をしている。しかし、その間違った構造を作り出すのに、われわれアメリカ人が一役も二役もかっているわけです」

P.395

本編が終了し、エピローグ、謝辞、執筆ノートが続く。
むしろ、本編以降が本題げな印象であり、翻訳者が冗談めかして「一生かかるところだった」と記していることに同意できるものがある。
翻訳の助けとするために自力で資料を集めようとしたがあまりにも困難で、やむなく原作者に資料提供を依頼したところ、原作者は「トラック一杯分ある」と答え、その中から段ボール二箱分を選んでくれたという。

いずれ、本書の内容を個人的に精査する機会もあるかもしれないが、現時点で語れることは一つしかない。

この本は、間違いなく、面白い。


バッシング気味ではあるが。

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