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2010年7月

2010年7月30日 (金)

読物 『バカとテストと召喚獣』

小学生の時だったと思う。
なにが原因で、どのような結末を迎えたか忘れてしまったが、隣のクラスとバトルになったことがある。
確か、隣のクラスとは、準備室っぽいなにかを挟んで教室一つ分距離があいており、その空間を挟んでなにやら投げあったような、床をすべらせあったような、そんな記憶がある。
実にかわいい「バトル」だが、読中、そんなことを思い出していた。

本作品に関する事前情報は盗作の元ネタとなったということのみで、まさにそのことに興味をひかれて着手に至った。

戦争を題材の一つに扱っているわりにはストラテジーやタクティクス、バトルには魅力がなく、ディプロマシーが比較的おもしろい。
そんなカンジ。

2010年7月27日 (火)

石の蔵/サン・クリストフォロ

7/24、25のこと。

大学時代所属していたサークルのOB連は若干名密なつながりを残しているが、リアルで会う場合には、会場は東京となることが多い。どちらかというとそれなりに顔を出していた方であったが、飲みのためにおよそ二時間の距離を往復するのも面倒になって、最近は滅多に赴くこともなくなった。
ありがたくも「たまには顔を出せ」といってくれるが、恩知らずにも「たまにはこちらに来てみろ」とやり返す。母校たる大学は「こちら」にあるので、相手にとって、まるっきり無縁ではない。
これまでは「こちら」飲みが実現することはなかったが、機、満ちたか、今年は二回、「こちら」で飲むことになった。

五月はうなぎとカクテル。うなぎが食べたかったので、他の選択肢はなかった。

今回は和風創作とカクテルとイタリアン。特に食べたいものがなかったので、当日まで悩んだ挙句、繁華街からはちょっと離れた場所にある店を選ぶことにした。

「石の蔵」は、地元にUターンした頃に一度、ランチで赴いたきり。味は忘れてしまったが、大谷石でつくられた蔵を利用したという印象的な店構えだけ、覚えていた。
十年ぶりの再訪だろうか。外壁は、かつては大谷石の地肌がむき出しだったと記憶している。それが蔦的なものに覆われて、いい感じになっている。
コースを頼めば個室に案内してくれるという。いざ案内されてみたところ、二名で過ごすには広すぎる部屋で、十人は座れそうなテーブルに差し向かいで座るという、これなんて二大巨悪会談なシチュエーションとなった。最後にトミーガンで撃ち殺される役はむろん、我が方である。
デザートの選択に逡巡を見せたところ、「おかわりできますよ」とフォローしてくれたウェイトレス。よく訓練されている。
さておき、友人も味と雰囲気を気に入ってくれたようだ。

二件目は定番となりつつある「パイプの煙」。
普段はカクテルもジャズもたしまないが、たまにくるのは悪くない。

宿泊して帰るというので、翌日のランチもともにする。
なんとなくピザが食べたくなったので、行ったことないけどよさげなところで、競輪場通りFKD近くの「サン・クリストフォロ」を検討していた。「石の蔵」の外観写真を撮りにいきたいというので、ちょうどよい具合に。
ランチコースとピザを頼んだが、「いける」という確信とは裏腹に満腹に。学生時代の友人と会うと、無意識のうちに在りし日々を現在としてしまうのだろうか。
さておき、リーズナブルでおいしかったので、また利用してみようと思う。

個人なのに敵国を持つタイプのスタンド使いでありまた、日本生まれの日本人なのにイタリア人たる友人との話題は、経済、戦史、漫画、アニメ、脳、腸、etc。
往時、サークルの面々のうち軍事に興味を抱いていたモノドモは日本軍、ドイツ軍好きであり、かつてはその方面に全く興味のなかった我が身はその手の話題には全くついて行けなかったのだが、昨今の活字食いが生きたことになる。ハンス・U・ルデル的な意味で。

2010年7月23日 (金)

読物 『華より花』

 ――天職は一生の伴侶だもの。

P.213より

 姐さんは最近、若い女性から「どうしたらキレイに着物を着られるのでしょうか?」と、聞かれるそうです。で、「なんて答えるのですか?」と聞くと、
「たいていね。”衣紋に気をつけなさい”っていうのよ。衣紋をしっかりしておかないとね。此処さえちゃんとしておけば、なんとかなるものなのよ」

あとがきより

最後の吉原芸者、そして現役の芸者、みな子姐さんの人生と、吉原というものが語られている。
興味の第一は、戦争を体験している人物の見てきたものを知りたいというもので、第二に、芸者というものがどのような存在であったのか知りたいというものだった。

花魁と芸者は同じものの別の呼称であると思っていた。そんな無知の思い込みとは真逆に、芸者は色事禁止だったらしい。
芸者といえば吉原芸者をさし、その他の芸者は町芸者というらしい。

戦争が起こって、引き手茶屋は暇になったが、貸座敷は繁盛していたらしいこと。
芸者も動員され、檜をかんなで削って緑に塗ったものを作らされたという。国会議事堂の屋根にしきつめ、森に偽装するためだという。「芸者に守ってもらうようじゃ、日本も負ける」とは姐さんの言だ。

「吉原の張りと意気地」という言葉に感応する素養をもたない我が身だが、みな子姐さんの小気味のいい粋な語り口調には、そんなことを強く感じさせるものがあった。

2010年7月20日 (火)

読物 『技と知覚の丹田格闘メソッド』

順突がわからない。
当然、逆突より順突の方が威力があるという主張も理解できない。
だが、差し替えた順突が威力があるということはわかる。
難癖ではなく、理解したいのに、その答えとなるものに巡り会えないという論旨である。さまざまな参考事例には触れ得ども、クリティカルな回答には触れ得ない。そんな状況が久しく続いている。個人的には膝・足首に故障があり、突きの身体運用時にそこに大きな負担を感じる。これが個人的なトラブルに由来するものなのか、当流のシステム的な問題なのかを切り分けたいという事情もある。
そんな中、一つの回答が示されているらしいという暗示を得て、本書を手に取るに至った。

月に一度の講習会では、スポーツインストラクターを専業とされている方のご指導をいただく機会もあり、ご指導の中には丹田を意識した運歩、体捌きを扱うものもあった。ゆえに、本書の内容は個人的には目新しいものではない。あるいはその方も本書を参考にされたのかもしれないが、いずれにせよほぼ既知とする内容であり、歩くように突くべしという主張に対し本書にて新たに感得するものはあったにせよ、また実運用の事例が二、三あり、これについて参考にできそうだと思いはすれど、本書から得られたものは大きくはない。
本書では突きについて「差し替えて順突」のみ挙げられており、これに関する身体運用は理解できる。個人的課題である「差し替えない順突」については例がなかった。

核心となる主張は、「人は無意識であるときに常にはない集中力や動態反射を発揮することがある(※1)。意識的に丹田に意識を集中することで意図的に対外的無意識状態を作り、※1の状態を作り出す」というものである。
個人的な理解としては、意識を丹田におくということはすなわち重心を意識するものだというものだった。本書はこれに加えて、目付を含む意識のおきどころとして説明をしている。
この主張そのものは首肯できるものだが、主張するところを実感するに至った著者個人の経験はともかくとして、その他の論は哲学に過ぎず、文脈も乱れがちで、マス目を埋める作業であったのだろうという印象を拭い得ない。情報の価値としては、全体の10%程度か。

我が身が学ぶものにおいて、順の運歩からの突について失伝があるのではないかという懸念をいっそう深めただけに終わった。

2010年7月19日 (月)

読物 『FMP SBM(上)』

なくてもOK、あれば読む程度のFavoriteだが、一気に読めてしまう作品である。
漫画にしろ小説にしろアニメにしろ映画にしろ、休み休み読むようになってしまった昨今、これは希有なことだ。

予定では、2010/08/20に下巻にして最終巻が刊行される。
だがしかし、この流れは2007年に一度経験している。油断はできない。

2010年7月16日 (金)

読物 『封仙娘娘追宝録』

絶版か、それに近い状態にあるもの、入手難易度が非常に高い作品を勧められることがある。
機会あるたびに勧められては、そのたびに入手難易度の高さを思い知らされ、忘却へと誘われる。そのようなことを何度か繰り返すうちに、古本屋でふと思い出したりするようになる。
一冊、二冊と拾い集めて、はて、何巻を未入手だったかなとメモを残すようになった状況で進捗がなくなりしばし、唐突に最終巻なんかを手に入れちゃったりなんかして、意味もなく奮起して回収に励み、残り数冊に。
なんてことになると、コレクター魂が揺り動かされ、アグレッシブに回収に乗り出すことになる。最後まで見つからなかった4巻は、ブックオフオンラインで入手した。

半端に集めて読み出してしまうと、おもしろかったとき困るので、そろうまでは読まない。しかしながら、「そろえてから読みたい」は「ともかくそろえたい」に容易に置き換わる。
手段が目的にすりかわってしまうことは、ままあること。こんなふうにクエスト達成すると、それだけで気が抜けてしまう。
読み始めるまでに無意味に寝かせたりすることになる。
未知の作家であれば、これに陥る傾向は強い。

さておき。
本編全11巻。
いろいろいいたいこともあるが、気に入ったから黙っておこう。
入手難易度が低かったならば、人に勧めることもあるかもしれない。
この物語をリアルタイムで追っていた愛読者は、さぞかし10巻を心待ちにしたであろう(9巻から10巻まで6年の空白期間が存在した)。
『魔宮バビロン』風味は本来忌避する性だが、似て異なる本作品の風味は悪くはない。
おそらく推敲を幾度も重ねる作家であろう。だが、過ぎた推敲は、時として悪文を誘発してしまう。
短編集全5巻、どうしようかな。読もうかな。
そんな作品である。

中華風ファンタジー。
読前に知っていたのはこれだけ。まったくもって好みではないカバーイラストから、そうと察したに過ぎない。
ろくに調べもせずに着手に至ったのは、推薦者に対する信頼と挑戦から。
数少ないとはいえ面識のあるものからの挑戦を、見知らぬ他者の理で汚したくはない。

主人公は十五歳の少女仙人と、人に変化する刀の宝貝。
そんな記号に惑わされる性質は有しておらぬが、ラノベにありがちな最強属性が付与されていないことは特筆に値する。反面、主人公補正の強度は高い。

仙人が使う仙術、すなわちファンタジーでいうところの魔法について、一部、科学との対照を行っているところが興味深い。

まったく心動かされなかったイラストについて、最終巻、主人公・和穂が丼をかきこみながら戦闘記録を熟読するシーンのそれが、ひどく、そして久しぶりに心動かされる絵であったことは余談である。

2010年7月10日 (土)

アニメ 『異世界の聖機師物語』

ようやくナニカが充電されたらしい。
あるいは自然放電したのか。

OVA版『天地無用!』は、なんの関心もなかったどころか存在も知らなかったところ、たまたま鑑賞する機会を得てみれば、伝奇風の導入に魅せられ、第三話で刮目させられた。
TV版や映画版、長谷川小説版などに触れるほどではなかったが、続編の一部、梶島版小説などに手を出すくらいにはハマった。

『異世界の聖機師物語』というタイトルを知ったのは偶然だが、目に触れる機会が増えたたため調べたところ、『天地無用!』と設定的なつながりのある作品だとわかり、ちょっとだけ興味をひかれた。鑑賞が現在に至ったのは、コレ系に対する無気力に由来する。

さて、本作品は梶島作品ではデフォルトともいうべきハーレムなんとかであり、鑑賞するあいだ、ほとんど苦笑いを浮かべっぱなしだった。『天地無用!』第三話で得たキターの再来を期待する一心で頑張って鑑賞を続け、ようやく第十二話でちょっとだけキタ。最終話第十三話でもちょっとキタ。

この手の作品を喜んで鑑賞するには年を食いすぎたというところか。

2010年7月 8日 (木)

ビジネスジャンプ15号

「えん魔」が「炎魔」であると知ったのはいつのことだったか。
少年「えん魔」が青年「炎魔」として初再登場したのは「バイオレンス・ジャック」だったか。

せがわまさき画の『炎魔VS(バーサス)~ドロロンえん魔くん外伝~』が掲載されている本号、立ち読みで済ますつもりが買ってしまった。

お雪ちゃんとの間に子供ができたなら、その子のありようは飛影となるのかフレイザードとなるのか。
とかなんとか、ぬりかべりつつ。

バルタン修行

何人と尋ねる流行があるのだろうか。
世間の流行には疎い身ゆえ、わからない。

稽古開始直前、ここ久しくなかった「何人?」攻撃を久々に受けた。
問うたのは小二男子。我が流法に従って切り返す。

 何人に見えますか?

「日本人」

 わかってるじゃないですか。

「で、何人?」

 ぬ・・・

こういうとき、世代を超越した話題を提供してくれる円谷プロに感謝せねばならない。

 バルタン星人です。

この子には、まだ、このネタは使っていない。
小二男子、うきゃうきゃと大喜び。

「世界征服とかできるじゃーん。で、なにしてるの?」

 今はキミを誘拐する作戦に従事中です。

手をバルタンにして襲いかかる素振りを見せる。
小二男子、嬉しそうな叫び声をあげて逃げる。

 ところで、我が身は先週末、髪を切った。バリカンで、4mmに。

整列をかけたところに、件の小二男子、再び来たる。そして、問うた。

「何人?」

時として、小学校低学年生とのやりとりはエンドレスに陥ることがある。
以前は挫けそうにもなったが、だいぶ、慣れた。

 何人に見えますか?

小二男子、両手をチョキにして、

「バリカン星人!」

不覚にも笑った。少年よ、なかなかやるじゃあないか。
負けてはいられない。

 バルタンはそうじゃないねん。こうするねん。

人差し指と中指をくっつけ、薬指と小指をくっつけ、中指と薬指のあいだに間隙をつくる。小学生の頃身につけた、不随意運動を随意化することによって成せる技を披露してみせた。
整列しはじめた拳士たちが、そろって真似し始める。誰一人として、できない。

期せずして。
下は小二から、上は31歳まで、そろってバルタンを練習する様は、一種異様であった。

2010年7月 4日 (日)

読物 『可能性の種子たち』

 先生の奥様に、ご家族のアルバムを見せてもらったことがある。写真撮影が趣味であった先生は、一枚一枚の写真に、使ったレンズや絞り、シャッター速度などの撮影データを丹念に書き込んでいた。そしてページごとに説明や感想などが書き込まれていた。その中に、ご家族で高松の動物園に行った時の写真があり、横の数行の文字に私たちは心を奪われた。
「ラクダを見る度に、戦乱にあけくれた蒙古での若かりし頃の自分を思う。祖国に住み、子どもと遊ぶこの幸福感。体験しない者にはわからぬよろこびである。平和、そして自由、愛する者を持つ楽しみ、これこそ真の極楽である」

P.96

「わしはな、この海を根城にして海賊をやろうと思うとったんじゃ」
 瀬戸内海を渡るフェリーの甲板で先生はつぶやいた。思わず顔を見ると、先生は穏やかな海を見つめたままさらに続けた。
「戦争に負けた国で次に起こるのは必ず内乱だ。これは歴史が証明しとる。もしそうなったら、若い連中を率いてひと暴れしてやろうと思うとった」

 先生の話はこうである。
「敗戦後の日本で次に起こるのは、日本人同士が戦い合う内乱である。無論それは代理戦争であり、諸外国による日本国争奪戦である。後の朝鮮動乱然り、ベトナム戦争然りである。もしそうなったら、諸外国に対して抵抗運動を起こす」。方法はこうだ。「戦後間もなく混乱に紛れて軍の潜水艦を盗んだやつがいる。いざとなったらその潜水艦を分捕って、瀬戸内海を根城に諸外国に一泡吹かせてやる」
 先生の言う海賊とはこれである。おそらく先生の脳裏にあったものは、一八九九年、中国大陸に起こった義和団の乱であろう。列強諸国に食い物にされていた清朝中国で、三百年にわたる滅満興漢の旗を納め、扶清滅洋の旗を掲げて抵抗運動を繰り広げたのは、漢民族の各派の拳士たちであった。彼らは祖国のために義和団となって団結し、拳と棒を武器に列強諸国軍の銃火の前に身を挺したのである。彼らの抵抗運動は中国全土に広がり、戦いは一年に及んだ。しかし、さしもの義和団も近代兵器の前にはかなわず、ついに拳士たちの抵抗は潰えたのであるが、銘肝すべきはその心意気である。

P.99

 また、もう一人の主役、やがて唐の太宗となる李世民を演じた王光権氏は京劇の名優で、この映画では数少ないプロの役者であったが、武術もよくした。二歳年長の彼と私とは気が合って、互いにティーティ(弟)、コーコ(兄)と呼び合い、よく話をした。
 ある時皆でささやかな宴を開いたとき、彼がこっそり私を呼んで外に連れ出した。何かと思っていると、もうほとんど絶えてしまったと言われているある拳法の型を教えると言う。そのまま彼と二時間ほど、汗だくになって技を行った。それまで見たことのない精妙な組み手の技であった。突き蹴りのみならず、相手を捕らえる柔法系の技もあった。私たちと似ていると思えるところもいくつかあった。「やはりあったのか」と私は思った。

P.221

道場の少年部との関わり合い方について。
修行の方向性について。

重要な示唆をいただくことができた。

一ヶ月に一度の講習会では、存命の頃の開祖や高弟を直に知る先生がお見えになることもあり、技術だけでなく、教えとその実践、個人的な開祖とのエピソードを紹介してくださることもある。
曰く、「開祖は写真記憶を有していた」とか。先だって読了した『ジョーカー・ゲーム』と似たようなエピソードを紹介され、縁の奇しなることを思う。

2010年7月 3日 (土)

読物 『急降下爆撃』

 十一月は間近だった。私は六百五十回目の出撃をしたが、この数週間、気分がすぐれなかった。黄疸だろうか。目の白いところが黄色くなり、皮膚にもその兆候があらわれた。大したこともなかろうが、作戦から除外されてはかなわない。
(中略)
 蜜柑のように黄色くなってしまった。将軍の命によってロストウの病院に送られることになった。言うことをきかなければ、腕ずくでも連れてゆくと、メッサーシュミット109が到着した。
 途中、スターリングラード近くのカルポボにある、わが空軍部隊に報告のため、着陸することをやっと承知させた。そして、司令に向かい、病院行きをやめて、ここにとどまるよう計らってくれと頼んだが、もちろんきき入れられるわけもない。
「なおったら、きっと一番機でロシア戦線に向かえるようにしよう。が、まず何をおいても入院することだな」
 そういう司令の言葉を受けて、私は十一月上旬にはロストウの病院に閉じ込められてしまった。

P.66

 つねに危険に身をさらされていると、人は誰しも運命論者になる、そして一種の冷血動物になるものだ。夜間爆撃をくらっても、ベッドから出ようとする者もなくなった。一日中、間断なく空を飛んで神経をすりへらし、くたくたになって、死んだように眠っているせいもあろうが、一つには、死ぬときはどこにいても死ぬんだ、という気持ちが暗に働いているせいであろうと思う。

P.106

 ソ連機の爆撃があると、そのつど市民たちは大喜びだった。ソ連機が去るや、みんなバケツを持って河岸に殺到する。爆弾は橋に当たらず、河の中へぽかりかりと落とされるので、あとには魚の死がいが無数に浮かんでいる。長いこと魚の食えなかった人々はこれによって大満悦を与えられたのである。

P.111

 二十対二、まともにぶつかったら彼らの餌食になるばかりだ。渓谷のうちに逃げ込もう、私は足で方向舵を蹴ることができないので、はげしい逃走行動をとり得なかった。ただ操縦桿を押して徐々に方向転換をしてゆくほかない。ロースマンは、
「敵が・・・・・・敵が・・・・・・」
 と何かわめき出した。
「うるさい、物をいう代わりに撃つんだ」

P.163

 町を歩いて驚くのは犬の多いことである。すべてが野良犬で、至るところをうろついている。私は葡萄畑のついた小さな別荘を宿舎にしていたが、夜中になると二、三十匹もが、一列縦隊になって葡萄畑を行進してゆくのが見えた。ある朝、私の部屋の高い窓から犬の顔がのぞいている。おかしなことだと思ってそばへよってみたら、十匹ばかりの大きな奴が順々に肩車をするような格好で、後足で立ち、一番上のが窓わくに前足をかけている。この曲芸には感心してしまった。

P.170

 私は公式に引見された。ゲーリングは昔のローマ人が着ていたような服装をしていた。
「君の戦区で、間もなく大規模な作戦行動が起こされる。気球が数日間揚げられるだろう。戦車が三百台出動する」
 こうした前置きのもとに、彼は総統と打ち合わせた詳細、精密な作戦を語りはじめた。
「三百台? ほんとですか」
 私は耳を疑った。私は補充さるべき戦車数の実際を、正確な報告によって、誰よりもよく知っているつもりだ。三百台の戦車なんて、それはお伽噺だろうと、頭から問題にしなかった。半信半疑の面持ちをしたゲーリングは、参謀総本部長官のもとへ電話をかけた。
「君はX作戦の三百台のタンクの企画表を総統に提出してしまったかね」
「はい提出しました」
 電話の声が非常に高かったので、みんな聞こえてしまう。
「私は、この作戦に関係のある師団の名と、現在彼らの持つ戦車数を正確に知りたいんだが、いまここに、それらの現状をよく知っているという者が来ているんだがね」
「誰ですか、それは」
「うん、部下の一人だ。第十四装甲師団は、本当のところ何台持っているんだね」
「六十台です」
「一台だっていうぞ」
「いつ前線を離れてきた男ですか」
「四日前だ」
 しばらく沈黙が続く。
「四十台のタンクはいま前線へ行く途中です。残りは修理工場に入っていますが、行動開始の時までには、確実に間に合うはずです。ですから計算図表は正確なものです」
 同様の答えを、他の師団からも得た。ゲーリングは憤然として、受話器をガチャンとかけた。
「この通りだ。総統は不正確なデータで計画をたてている。嘘の情報で、作戦がうまくいかなかったら、どんなにがっかりすることだろうか。君から偶然にも真相を知らされて、ありがたい。ほんとうに感謝するよ。何だって、こんな夢みたいなことをいって来やがるんだ。敵の爆撃機がうろうろしている中で、四十台のタンクが、いつ前線へ安着あそばされるっていうんだ。修理工場で必要な部分品がすぐにととのうなんて、いったい誰が保証しているんだ。馬鹿も休み休みぬかせ!」
 勿体ぶって、長いパイプをくわえていたゲーリングが、いつの間にかべらんめえ口調になってしまった。

P.175

 ある日、私はフイッケル以下を率いて敵の集合地攻撃に向かった。ソ連軍の電話が聞こえてくる。
「スツーカが西方から近づいてきた。隼隊全員に命ずる。スツーカをただちに攻撃せよ。約二十機――先頭に二本の長い棹をつけたのがいる。それが中隊長ルデルだ。われわれの戦車をやっつけた奴だ。隼隊全員に命ずる。その長い棹をつけたスツーカを撃墜せよ」

P.180

 晩夏の、ある日のことであった。
 北方のソ連軍が突破口をつくった地帯に飛んでゆこうと、飛行場上空一五〇フィートの辺りまで上昇したとき、突如対空火砲が火を噴きはじめた。それは、ソ・米機の攻撃からわが飛行場を守るために配置されたルーマニア軍である。私は破裂砲弾の方向を見やって、敵爆撃機の姿を求めた。
(中略)
「高射砲隊は私たちを攻撃したものと確信するが、どういう考えでやったのです」
「ドイツ戦闘機がルーマニア至急便飛行機を射落としたのを見て憤激のあまり、発砲したのです」
「私はこれからソ連軍攻撃のために出発するが、もしまた発砲するようなことがあれば、高射砲陣地のみならず、司令部をも爆撃するから、さよう御承知願いたい」
「それだけは勘弁してもらいたい。少なくともスツーカ隊に対しては、絶対攻撃を加えないよう、私の責任において保証するから――」

P.193

(前略)これらの作戦で、われわれユンカース87搭乗員が明瞭に知ったことは、追いかける猟犬は兎よりもずっと時の利を得ているということであった。

P.202

「あと二日でクリスマスだな、諸君、そうじゃないか」
 まさにその通りである。カレンダーはこれを教える。だが、離陸―出撃―着陸―離陸―出撃、私たちのリズムはこれ以外にはない。明けても暮れても、ここ数年間つづいたリズム、他のあらゆることがこれに吸収されてしまっている。寒さも、暑さも、夏も、冬も、日曜日も。一日が過ぎて一日が来る。今日の呼吸は昨日の呼吸と全くおなじである。”出撃””どこへ””どの部隊に””対空砲火”このようにして、永久につづいていくのが、私たちの人生であろうか。

P.214

「エルンスト、俺の右足がなくなったよ」
「そんなことはないでしょう。足が吹っ飛んだら、話なんかしていられるもんですか。それよりか、左翼が燃えていますよ。不時着するんですね。二度ほど四〇ミリ高射砲弾をくらいましたよ」

P.249

 みずからを価値なしと思うもののみが、真に価値なき人間なのだ!

P.280

戦闘機乗りの物語に初めて触れたのは、松本零士の作品であっただろうか。『風の谷のナウシカ』であっただろうか。
ともかく、なんらかの刺激を受けて『エリア88』を鑑賞ないし読むに至り、『大宇宙のサムライ』を経て『大空のサムライ』に辿り着き、アンサイクロペディアに薫陶を受け、本書へと導かれた。

原題"TROTZDEM".
アンサイクロペディアで十二分にその破格さを知り得ることが適う。
本書からはさらに、戦時から透かし見える時代の風景も伺うことができる。

2010年7月 2日 (金)

そして背中合掌へ

麻雀とかTRPGとかSLGとか、とにかく座ってナニかすることが多かった学生時代、それほど深刻ではない腰痛が常にあった。
ストレッチをするようになったのはその頃からであり、今でこそ掌がつくくらいには軟体となったが、それ以前は床上20cmという前屈記録を有するほどに剛体だった。

さて、背中で手を握るストレッチがある。右腕を下から、左腕を上から、あるいは左腕を下から、右腕を上から、背中に回して、背中で指先を組むというものである。
これを覚えたのは小学生の頃だと思うが、その当時から、右腕を下にした場合に難を感じていた。まだ若さの残っていた学生時代は、難を覚えながらも実現できていたが、やがて成し難くなり、若さの欠片もなくなった昨今、ついにできなくなってしまった。

かねてより、これに対する方法を探さなかったわけではなく、背中で合掌するのがよいという記述をどこかで目にしていたのだが、これが背中で手を組むよりも難易度が高い。むちゃくちゃ痛いものだった。
これは無理だと諦めていたのだが、どうせなにもしなくても痛いんだからと、発生した痛みはサロンパスでやわらげるッ!つもりでやや強引にこれを実現してみたところ、背中や肩や首の具合がなんかよくなった。
ただ合掌するだけでなく肩を後方に伸ばす具合にするのが、俺学的に適合らしい。

サロンパスなどを併用しつながらのストレッチというのは、存外よいものなのかもしれない。

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