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2010年6月20日 (日)

読物 『平和の失速(二)』

 井上元老は、誰が首相になるにしても「国策ノ根本ヲ定メ」られる者でなくてはならぬ、と反応した。
 そのあと、元老は約二時間にわたって「国策ノ根本」は財政、外交、国防の三面の調和と統一にほかならぬと自説を陳述した。
「外交ノ基礎ガ定マッテ始メテ国防ノ計画ニ移リ、国防ノ計画ヲ財政ト対照シテ行カネバナラヌ」
 それなのに、現在はこの国家の三本足が不自由になっており、その原因も明らかである。
「人格ト教養トノ間ニ連絡ガナイカラ、今ノ若キ者ハ、代言人ノ様ニ口バカリデ、御同様ニ(明治)維新ノトキニ命懸ケニナッタ決心ノ有無ハ、疑問ダ」

 P.12

「ハズバンド(夫)は道徳的純潔です。即ち、主人は妻を忘れて悪い遊びをせぬ。是が国家の為に宜しい事と思ひます」
 とは、尾崎代議士入閣を知った夫人テオドラの評言だが、中正会では、個人的純潔はともかく、党の希望を無視して自分だけの入閣をはかるのは、「政治的不純」ではないか、との声が高まった。
 おかげで、代議士会は「不平と不満」の怒声に満たされ、結局は、大隈内閣にたいしては全党一致の協力はできない、中正会設立の「本領」である「一人一党」の趣旨にそって自由行動をとる、という決議が採択されてしまった。

P.34

 ――八代海相はかつて辞表を二回提出したが、自分が慰留して昇進させた。「報恩」うんぬんはそのことを指すのだろうが、自分としては、八代海相に「動もすれば社会主義者ともならん性質」を感得したので、「野に放たぬ」ようにしたのである。

P.49

 ――国民が大隈内閣に期待するのは、「真の模範的世論政治」である。
 ――この期待に応え得るのは、「大蔵省のブック・キーパー(簿記係)」の若槻礼次郎蔵相や「保守的思想極めて濃厚」な加藤高明外相、大浦兼武農商相ではなく、大隈首相だけである。
 ――首相は、「英雄的態度」と「革命的決心」とによって、頑迷な周囲を指導し、あえて「玉砕」を覚悟して「革命的所信」を断行すべきである。
 ――ところが、「政綱」と「方針」は、これまでの「閥族政府」がくり返して述べ、「人心を繋ぐ所以」を失った抽象的意見を、「総論的に羅列」したものにすぎない。
 ――いや、周囲の「事務官的政治家」に左右されて、「言質を捉へられざらん事にのみ汲々として左顧右眄」する様子さえ見える。
「是れ、微温き不徹底なる政策を行はんとする瓦全主義の現れにしえ、(大隈)伯にして斯くあるは返す返すも遺憾なり・・・・・・憐れなり」

P.57

 斎藤隆夫代議士が、財源を無視して廃減税を呼号するのは「無意識」である、政務調査会で検討して成案をまとめるのが先決だ、と述べたが、非幹部派はおさまらない。
「廃減税は、わが党の党議なり。何条、今更政務調査会に付議するの要あらん」
 早川鉄治代議士が憤然として反駁すると、阪本弥一郎、横尾輝吉その他の非幹部代議士が次々に発言した。
 ――財源の調査も重大であろうが、わが党に廃減税の期待を寄せる世論に応えるほうが、より重要事である。
 ――世論にそむくときは、人心は離反し、大隈内閣の命運もつきることは明らかであり、内閣は死活の瀬戸際に立っているといえる。

P.59

 同時に、臨時大会では、第二臨時議会にたいする政友会の「戦略方針」も可決された。
 じつは、党内には、その点をめぐって硬軟両論が存在していた。
 硬派は、第二臨時議会では解散を求めて決戦せよ、それが政権を得る近道だ、と主張した。
 柿の実が渋柿でも木をゆすって落せ、との趣意であり、「渋柿主義」という。
 軟派は、次の理由で決戦を秋の通常議会にのばすべきだ、と説く。
 ――反対党は前議会で廃減税や大規模な行政整理を提言した。いまやその実行の責任を負う立場になったが、予算編成の通常議会では必ず「実行難の馬脚」をあらわすにちがいない。
 ――第二臨時議会で決戦するのは、たしかに政権獲得の近道であろうが、相手の公言が「空言」であるのを実証した段階で攻撃したほうが、「我党の信望を増す」ことになって有利である。
 ――政友会は大政党である。自重して気運を待てば「求めずして政権は来る」はずである。
 すなわち、柿の実が熟して自然落下を待つべきだ、という「熟柿主義」である。

P.62

 両州が併合された二日後、一九〇八年十月八日、セルビア国にはさっそく秘密結社「ナロードナ・オドブラナ」(国防)が組織され、もう一つの秘密結社「結合か死」、通称「黒手組」とともに、反オーストリア活動を開始した。
 この二つの結社のうち、前者は「文化結社」の別称を得ていたように、思想的地下工作を活動の主軸にしたが、後者は違う。
 「黒手組」は、トルコ革命に刺激された陸軍の青年将校を中心にして結成されたもので、実質的指導者は、セルビア陸軍省情報部長D・ディミトリエヴィチ大佐であった。
 「本結社は国民的思想たる全スラブ族の団結を目的とする」・・・・・・「本結社は、啓発的宣伝よりも脅嚇手段を選ぶ」・・・・・・「セルブ人の居住する全地域に革命的活動を組織する」・・・・・・「セルビア(国)以外に於いても、敵と戦ふ為には利用し得る一切の手段を講ずる」・・・・・・
 などの規約条項は、「黒手組」がたんなる政治団体ではなく、暗殺、破壊工作を実施する組織であることを告げている。

P.78

 じつは、陸将は、皇帝の至急の呼びだしをうけると、皇帝の下問を予想して、参謀総長H・モルトケ大将に軍備状況についての意見を求めた。
 大将の反応は、「肩の一ゆすり」であり、横にいた参謀次長C・ワルデルゼー少将は、微笑して応えた。
「動員準備は三月三十一日に完了している。軍は、命令があればどこにでも出動できる」
 そこで、陸将は、皇帝に返事した。
「陸軍は、東(ロシア)にも西(フランス)にも即応できます」

P.102

 オーストリア大使スツェジェニーは、ドイツの好意に感謝する旨を述べ、あわせて同盟国イタリアに話すと秘事がもれるので、事前には通告しないことにする、といい、ドイツ側の同意を得て退出した。

P.105

 引き揚げ準備として残るのは、ドイツ人使用人の解雇である。
 使用人は三人、事務員チープラと給仕ザイフェルトの二人の老人と、十九歳の女中ミットロホ・テレーゼであった。
 老人二人は、いずれも日本大使館に二十年近く勤務し、戦争になっても召集されなかった。
 女中テレーゼは、大使館の手不足のために、船越代理大使がわずかの縁を頼って、オーストリアの田舎から呼び寄せた。
 日本の最後通告が知れわたると、三人には脅迫電話がかかってきたが、誰も退去せずに働きつづけた。
 事務員チープラは、日本からの送金がとだえたと聞くと、自分の貯金二万マルクを邦人援助に使ってほしい、と申し出さえもした。
 船越代理大使は、ドイツ人の「誠実」に感動していたので、一年分の給料と賞与金を与えて別れを告げた。
 老給仕ザイフェルトには、大使館の留守番を依頼した。老夫婦で身寄りのないザイフェルトは、住居を与えられた形になったので、老眼に涙をうかべて感謝した。
 のちに聞けば、ザイフェルト夫妻は、戦争が激化して食糧不足が深刻になっても、館内に残った缶詰一個にも手をつけずに、留守番として保管の責任をはたしつづけた。
 ベルリンの外交界では、美談として話題になっていた、という。

P.267

 日清戦争、日露戦争など、いずれも二国間戦争を経験してきた日本にとって、日英同盟にもとづき「三国協商」陣営に所属して、複数国を相手にする多国間戦争に参加するのは、まったくの初体験である。
 そして、日本は、すでにその「新しい戦争」の未知の風をうけはじめていた。
 たとえば、対ドイツ宣戦の前、ロシア政府は、日本の同陣営参加を見越してか、二六センチ砲九六門と砲弾八十万発を注文し、フランス政府は、小銃六十万挺および銃弾一挺あたり三千発の買入を申し込んできた。
 これまで二本は、外国から武器を買っていたが、売り手になるのは、はじめてである。
 味方となるべき相手なので、フランスにたいして「三八式歩兵銃五万挺、銃弾二十万発」の売却に応じた。
 すると、今度は英国から「小銃二十万挺、一挺につき弾丸五百発」の注文が来た。
 時刻の国防と戦争準備のために応備できぬ、と断ると、九月三日、ロシアから意外な要請をうけた。
 三軍団六個師団・約十二万人を派兵してほしい――という。
 駐ロシア大使本野一郎によれば、同兵力はフランス戦線用であり、ロシアは英国から要求されたが、充当する兵力が無いので日本に肩代わりを願う、とのことであった。
 さらに同日、英外相E・グレーは駐英大使井上勝之助にたいして、日本艦隊の地中海派遣を打診してきた。
 トルコがドイツ側に起つ気配がある。その場合は、トルコ艦隊を敵にまわすことになり、連合国海軍は劣勢になる。日本艦隊で「穴埋め」してもらいたい、というのである。

P.282

 社員塚村によれば、汽船「マーク」号は島をはなれたが、当人は掘立小屋に監禁され、ニューギニア人の警官に監視されながら、毎食パン一片しか与えられぬ「虐待」をうけた。
 社員塚村は死を覚悟し、日本人であることを明らかにしておくために、ガラスの破片で身体じゅうに「日本人塚村兼吉」と刻みつけた。

P.287

 原総裁は、衆議院議長官舎に「結束本部」を設けて、不安心とみられる代議士たちの「硬化」につとめた。
 とくに「軟化の気配濃厚」と観測される十三は、赤坂の待合・三志満にカン詰にして説得させ、「稍分別の定まりたる者」は議長官舎に送って、総務たち幹部が「仕上げを施し」た。

P.382

 『東京朝日新聞』は、次のような政友会の弱点を列挙した。
△第一弱点〔与党体質〕
 政友会は明治三十五年いらい、第一党かつ与党としてすごしてきた。それは、一方で「藩閥と妥協・提携」し、他方で政府与党として鉄道、港湾、治水、道路、橋梁、学校などの事業を「好餌」にして、「利に走る小人を網羅」した結果にほかならない。ということは、つねに政府と合体するだけに、政党としての政策、経綸はないままに経過してきた。
 だが、いまや立場は逆転した。政治的「好餌」をばらまけず、ただ「無策の野党」として選挙にのぞまねばならない。
△第二弱点〔政府攻撃材料の不足〕
 前議会において、政友会は「増師」と「外交」の二つを、政府に対する主要な「攻め道具」とした。ところが、「増師」については、根本では賛成するが、「欧州戦乱の終熄御の次期議会」まで延期する、という。
 つまりは一年間の延期だが、選挙後は、次の通常議会までの期間は「六ヶ月」になる。それを前提として増師反対を選挙の「題目」にして、はたしてどれほどの効果があるのか。また、地方には増師を歓迎するムードがある。二個師団の新設は、三万人以上の若者の「就職先き」の創設にほかならず、不景気からの脱出策とも考えられるからである・・・・・・。
 「外交」問題も、政府攻撃のテーマとしては迫力を欠く。政友会内閣は、二回の中国の革命、漢口および南京の外人陵辱事件、米国カリフォルニア州の排日土地法案など、過去において外交上の失敗をかさねた「前科」がある。
 それにくらべて、大隈重信内閣の外交は、まだ大きな失敗を記録したとはいえず、現に、前議会での政友会の追求も、もっぱら国家のために憂慮するというだけであった。
 ほかにも、政友会が指摘する政府の「失政」は、いずれも「微々」たるものであり、政府が「曲がりなりにも一定の計画」を示すのにたいして、「揚足取り」式の質問に流れていった。
 選挙でも同様の主張を維持するだけで、政策を示さないのでは、たんなる「反対の為の反対」にすぎず、民心を集めることはできまい。
△第三弱点〔政権意志の不明〕
 原敬総裁は、大政党の統領であるにもかかわらず、政権担当の意欲を明確に表示しない。
 腹中の意向は、口外しなければ他人にはわからない。政友会に政権担当の意欲または能力がないとすれば、「同会を利用して利益を占めんとする」政治勢力の結集は困難となり、選挙民も目をそらすことになろう。
△第四弱点〔一般的アピール力の不足〕
 明治維新は幕府の横暴にたいする闘い、大正維新は閥族の横暴にたいする闘い、という理解が行きわたっている折柄、「横暴」非難は一般にアピールしやすく、高齢者が陣頭指揮する姿も同情を集めやすい。だが、政友会は、それらに対抗する「魅力要素」を持っていない。

P.392

 また、両相のレコードは、法相のものが両面盤五枚一組七円五十銭、首相のが同じく三枚一組五円で市販されたが、売れ行きはさっぱりであった。
 浅草のレコード屋では、「阿呆陀羅経」より売れぬ、と店主がこぼしたと『中央新聞』はつたえ、『東京朝日新聞』は、首相と法相との「愚にも付かぬ蓄音機競争」だと舌うちするとともに、演説蓄音機に次の呼称を与えた。
 「大正四年式駄法螺機」――。

P.405

 しかし、原総裁は、政友会が世の人望を失ったとは考えず、選挙の敗北は政府側の買収工作によるものと断定し、日誌に記録した。
「二十三日、就中甚だしきは二十四日に於て、各候補者に数千円の金を送りて自由に投票を買はしめたるは、彼等大勝を得る最大原因にして、又我党失敗の大原因なりとす」
 選挙は金だ、この次は買収でやる――との宣言にも聞こえる記述である。
 既述した「金力選挙は人心を腐敗させるバチルス」だという、検事中川一介の警告とは裏腹の着想であり、逆にいえば、買収に応ずる有権者にたいする批判にもなる。

P.426

「政治に権謀術数の必要なことは、已むを得まい。しかし、近時は権謀術数のみが主になって正道を忘れ、政治はペテンの掛合ひであるかに見ゆる」
 とは、検事総長平沼騏一郎の嘆声だが、平沼検事総長は、かねてその「覇道的政治」の中心人物の一人が大浦内相だとみなし、嫌っていた。
「大浦は、自分の私腹を肥やすといふことはしない人です。けれど・・・・・・悪辣なことばかりをやる」
 平沼検事総長によれば、内相は警察に勢力があるので、「政府に反対する」議員にたいして警察に調査させ、脅迫するのを「慣用手段」にした、という。

P.488

「一代の御盛儀に参列する栄誉には、一代の難行こそふさわしいものと覚悟致し居ります」

P.546

 鳳は、中国の想像上の瑞鳥で、頸は蛇、尾は魚、背は亀、アゴは燕、クチバシは鶏のもので、聖徳の天子の出現にあわせてあらわれる、という。
 凰は、そのメスである。

P.552

 だが、外相チンメルマンの「自白」は、計算ずくの心理作戦であった。
 ドイツ側の当面の目的は、既述したように、無制限潜水艦戦によって英国を屈服させる「秋」まで、米国を参戦させないことにある。
 チンメルマン工作は、日本、メキシコという米国の「警戒対象国」を表面に出して、米国の両国にたいする疑念をかきたて、背後からの脅威を理由に参戦を注しまたは延期させるのが、狙いである。つまり、ドイツ・メキシコ・日本三国同盟の実体の有無は問題ではなく、その影に脅えさせるだけで良い。

P.708

 日本は日露戦争のさい、ロシアの勢力を裏面で削減するために、とくに開戦までの駐ロシア武官明石元二郎大佐を革命派に接近させ、資金援助をして叛乱を企図させた。
 明石工作は戦争中継続されたので、あるいは大佐がまいた種が十二年ぶりに開花した、とも考えられる。

P.727

 女性「独探」(ドイツ・スパイ)「マタ=ハリ」の処刑が近づいていたからである。
「マタ=ハリ」はオランダ人で、本名マルガレータ・ゲルトライダ・ツェレ。四十一歳。スパイ暗号名「H二一号」。
 当人は、オランダ陸軍大尉R・レオドと結婚し、大尉の赴任地ジャワで一男(死)、一女の母となったが、一九〇二年(明治三十五年)離婚した。
 三年後、ダンサーとしてパリでデビューした。
 そのさい、自選した芸名が「曙光」を意味するマレー語「マタ=ハリ」であり、踊りは、ジャワ舞踏にストリップ要素を加えたものであった。
 エキゾチックでエロチックな美人ダンサー「マタ=ハリ」は、急速に人気を集め、各国の一流劇場での公演が相次ぐとともに、ヨーロッパ社交界でももてはやされた。
 生活は派手になり、「マタ=ハリ」は貴族社会である社交界での「通りを良くする」ために、歴史家に系図を作らせ、「公爵夫人」を自称したりした。
 「マタ=ハリ」がドイツ陸軍情報部のスパイになった動機は、はっきりしない。
 恋人のドイツ軍人に感化された・・・・・・、ストリップ・ダンサーとしての前途をみこして新境地を求めた・・・・・・華美な生活を維持するための金欲しさにスパイになった・・・・・・など、いくつかの推理が語られるが、当人は告白せずに終わっている。
 だが、いずれにせよ、「マタ=ハリ」は一九一二年十一月から約三ヶ月間、ドイツ・ババリア地方の「ローラッハ諜報学校」で訓練をうけ、世界大戦がはじまると「H二一号」としての活躍を開始した。

P.780

 弁護士E・クリュネは、最後の手段として、「刑法第二十七条」による処刑延期を要求した。
 同条は、妊娠中の女性の処刑を禁止している。しかし、「マタ=ハリ」は二月に逮捕されていらい、男性に接触していない。
 立会検事がその点を指摘すると、七十五歳の弁護士クリュネは、自分は独房で単独で「マタ=ハリ」と何度も時をすごした、自分が同人の胎内の子供の父親だ、と主張した。
「まさか・・・・・・その歳で・・・・・・」
「バカにするな。イスラエルの始祖アブラハムも、九十歳で子供を生ませているじゃないか」
 老弁護士は胸をはったが、その主張は「マタ=ハリ」自身に否定された。
「ムッシュウ・クリュネ。ご親切に。でも、アブラハムは紀元前二千年の人。現代人にはそんな能力はありませんわね」
 「マタ=ハリ」は、お湯割りのブランディ一杯を飲み、馬車で刑場にはこばれた。

P.782

 早々に倒れであろうと予測されていた大隈内閣は、遠い異国間の戦争という奇貨を拾う。日英同盟の履行を熱心にはかる政府は、国会の支持を得て、当時ドイツが領有していた青島への派兵を決定、これを占領する。
 明治天皇の崩御、皇太后の逝去と国家的弔辞が続き、ようやく迎えた大正天皇の即位の儀は大いなる熱意を持って国民に祝賀され、戦争景気に帝国はわきたつ。
 早期に決着がつくと見込まれていた数カ国間戦争は長引き、関係しながらも無関係に等しい情勢にある国内は政争を再開、大隈首相は「辞任」し、寺内内閣が成立する。
 戦争に疲れて内患を重篤にしたロシアは、二月に共和制を目指した外科手術を、十月に社会主義を目指した内科的処方を受けてソビエトとして生まれ変わった。
 帝政を支援することは国義に反するとして態度を決めかねていた米国は、ドイツの無差別潜水艦攻撃被害を受けてなお参戦に踏み切れないでいたが、ロシア帝政の崩壊を決定的要素として、帝政ドイツに対抗する国家への支援を決定する。

 日本が第一次世界大戦に果たした役割について、「世界史」からはなにも学べなかった。かつて耳にしたキーワードが、四半世紀を経てようやく脳に到達したということになる。

読物 『平和の失速(一)』

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