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2009年9月 5日 (土)

肩たたき痛打

現在通勤している職場はオーナーの自宅を兼ねたオフィスであり、周囲は民家、隣家にはすくなくとも五匹の猫が棲息していることが明らかになっている。
隔離された喫煙室は裏口兼用であり、その戸を開ければ隣家の物置の屋根に伸びる猫たちの姿を見ることができる。とらんきらいざーを吸引しながら眺むるのがこのところの日課となっているのだが、当方が一方的に和む反面、どうも彼らは緊張しているようであると察するに至った。

りりしいまなざしをした老猫。無垢な目をした若い猫。無警戒に寝ていた彼らが、ふと眼を覚まして当方と視線があい、以後視線をそらさない。
膝の屈伸などして彼らの視界から消えようものなら、すわ接近かとアラートメッセージ、間合いをとる。視界に入ればそこで立ち止まり、当方を監視・警戒しつつ待機姿勢に移行する。
数年前よりどうも、猫とは微妙な関係にあるようである。


さて、オフィス兼自宅には、オーナーの子供たちが住んでいる。
オフィスには滅多に顔を出さないが、ごく稀に姿を見せ、これまでに数度、互いを認識しあっている。本日、どういうわけか彼らと第一種接近遭遇を果たすことと相成った。
四歳の妹にシスコン気味、イケメンでバレンタインデーの甘味獲得には困ったことがないだろうコンチキショーという八歳男子は、いかにもこれから少林寺拳法の道場に行くぜというスタイルで我が身に自己紹介をした。
兄を連れ回してなしくずしてきに自己紹介の憂き目にあわせた妹は、この職場の事情を我が身よりはよく知る先達をして「お姫さま」と呼ばわしめる小台風である。
短い自己紹介のあと、台風が問うた。

「なんさい?」

子供はどうして年齢を聞くのだろう。
時節の挨拶的なものなんだろうか。どうせすぐ忘れるくせに、何度も尋ねられては応えるということを繰り返した我が身はこの質問にはもはやまっとうに応えることはできなくなっていて、「いくつにみえるかな」と反射的に問い返すようになっている。

妹、わからないという。「ひゃくさい」とか言ってくれないと「十万三十八歳」といえないじゃないか。台風の中心勢力は意外に弱いようである。
兄、「35歳」という。なかなか見る目がある。褒めたら、はにかむよりも微かな、非常に抑制された歓喜の表情を見せた。

「なんがつうまれ?」

これは女子からはたまに尋ねられる。ヤローはまず尋ねない。

「なんがつうまれにみえる?」
この質問はアリエネーと思いながら問う。妹も兄もわからないという。あたりまえだ。

定時間際、自席に座りながらのやりとり。オフィスに子どもを連れてきてしまったのはオーナーであり、親にして上司が止めないのだから無碍にもすまいという具合ではあるが、妹は気安くもたれかかってきたりして、猫との微妙な関係との対比を思う。

数分のコミュニケーションののち、空気を読んでか、低気圧は去った。去り際、
「またきてね」
というイノセントなご挨拶をいただいたが、職場で聞かされたこの言葉は妙味で、「次回契約更新はないヨ」的な、とても斬新な風合いを感じさせるものであった。

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