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2009年7月26日 (日)

読物 『弓と禅』

心身一如という理念が当流の一根幹をなしています。精神身体医学では、"断腸の思い"の時にその腹部をレントゲンで透視すると腸が太く細く、細く太く、あたかも腸が今にも切れんとするが如き状態になっておるそうであります。

P.214より

弓道というものへの知識・理解はないに等しい。
人生において数度アーチェリーを体験したこと、EQでRangerをやっていたこと、それ以外にはなにもない。

山岸涼子著『舞姫』には、バレリーナの立ち方というものが記されている。
これまた門外漢で見たままに受け止める以外に術のないことであるが、丹田が、天地によって牽引されるがごとき心地だという。
弓道も、そうらしい。

著者は齢五十を過ぎて弓と出会い、七十にして「桶底を破った」という。「桶底を破る」とは、本文中の言葉に依れば、とある境を越えたことを示すものである。
本著は、その過程を記録したものを前編とし、著者が「統一」という位に至るまでを記している。
後編には著者が入門した「無影心月流」の射儀が掲載されている。これは伝書ともいうべきものか、弓の心得もなく、また禅の見性もない身の上には得心に至るものはごく少なかった。
このくだりによれば、同流の位は十あり、以下のとおりである。
練胆・・・度・・・精神根底の不動不壊なる大決定なり。
知発・・・断・・・理事に則して迷着なき決行なり。
成息・・・運行・・・気縛の停息なき智情の正用なり。
力脱・・・発力・・・全身固凝なき力体の自然活用なり。(心身の構えを取去る事)
錬気・・・耐久・・・終始一貫不変の根気持続なり。
開気・・・活意・・・自己一枚(全身胆)を開捨したる活用なり。
統一・・・和合・・・自他一如の共通なり。
理射・・・見性・・・本来面目の自覚なり。
無影心月・・・円通大自在境なり。

以上が、初出の際の体裁で、手に取った版にはさらに続編「古桶破れたり」を含んで一冊となっている。古桶とは前述の「桶底を破る」ことと同義である。

一流は相通ずということを認識すれど、それにあらざる身にとっては、遅れて道に入りながらも、たゆまず励んだ人物の姿をただ拝するのみである。

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